カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

鼻高仙人が棲んでいた?

2011-06-27 23:59:36 | 洛外うろうろ
薔薇庭園のあるちょっと異質な寺院、大和国『登美山鼻高 霊山寺』
お寺のパンフや公式HPによると「とみやまびこう りょうせんじ」と読むようです。地元では「れいざんじ」と呼んでいるようです。これって良くある、私の地元でも「勧修寺」を「かんしゅうじ」と呼んでいます。バス停も確か「かんしゅうじ」とかながふられていたような・・・
しかし正式には「かじゅうじ」なんです。地元ではそれ何処?ってなります。(笑)

「霊仙寺」って名前のお寺も全国各地にあり、呼び方も様々なようです。近くでは滋賀県栗東市、大阪府高槻市にも霊仙寺があります。



ここの縁起は、千三百余年前、小野妹子の息子でもあった右大臣小野富人が壬申の乱に関与したため、官を辞し、もともと一族の所領であった登美山に閑居。
熊野本宮に参籠。この間に薬師如来を感得され、登美山に薬草湯屋を建て、薬師三尊仏を祀って諸人の病を治されました。そして富人は鼻高仙人と称され尊崇されたということです。
その後、聖武天皇の勅命で行基が伽藍を建立。平安時代には弘法大師(空海)が訪れ、登美山に力の強い龍神様がおられると感得され、奥の院に大辯財天女尊(弁天さん)として祀られ同時に、それまで法相宗だったこのお寺に、真言宗を伝え、以後は法相宗と真言宗の2宗兼学の寺となったとのこと。
以後、時の権力者、鎌倉時代の北条氏をはじめ豊臣、徳川の庇護の元、隆盛を誇ったものの明治維新の排仏毀釈により伽藍の規模半減、二百体の仏像焼却に遭うも、再興したお寺だそうです。

昭和、平成と再興する際、いろんな勢力が交じったのかな?
本堂は国宝、三重塔や鐘楼など重文建物5棟、重文仏像30余点を所蔵している。かと思いきや、新しい物も目につきます。


ネコちゃんのお賽銭集め、お釈迦様の弟子って像ですが、リアルな顔立ちが・・・どうなんでしょ。



1300余年の昔から延々と続いてきた薬師湯。今は入湯料600円の銭湯です。











なんだか勢ぞろいされているようです。







頭の形相に比べて、尻尾は意外と可愛い。龍神さん。


先に見えるのが黄金殿・白金殿かな、行ってみましょう。




ここでも勢ぞろい、七福神。


出たッ!「教祖像」だそうです。これまたリアルなお顔立ちで・・・


このコらは? 狐さんが油揚抱えてる?

もちろん本堂も行きました。



ここのお寺の縄は全てビニールだったのが印象的。
トップ画の朱塗りの鳥居にかけられた注連縄もビニール製でした。



奥の院まで1km、往復しても2km。しれてるわな・・・






これが結構、辛んどかった・・・アップダウンあるし。
進むにつれて口数が減る。(^_^ゞ すれ違ったのは2組だけ
その内の1組は若い女性の二人連れ。しゃべりっ放しでスタスタと足取りの軽いこと。結局、後から来たのに帰りはすんなり抜かれた・・・
こちらは息切れしもって、休み休みやのに。若いってスゴイ?


で、奥の院はと言うと、何かパワースポットみたいな・・・






何が出てきても、何が憑いてきてもおかしくないような気配。



専門家(?)に言わせると、素人が本物のパワースポットなんぞに
近づいてはいけないとか・・・本物って??








先に読めば良かった、ここんとこ・・・
「心正しく一心に祈願すればあらたかなご利益ご加護が授かりますが、不心得のことがあれば神罪もまた厳しいものがあります。心して祈願してください」

こんなことしてたら、神罰が下るやろか・・・



2011.6/12、霊仙寺 奥之院にて。