カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

今津ヴォーリズ通り

2013-07-06 01:16:24 | 洛外うろうろ
明治から昭和にかけて、日本に大きな足跡を残したウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
明治38年にアメリカ合衆国より来日。滋賀県で英語教師として着任。後に京都で
建築設計事務所を開設し、自国では果たせなかった建築家の夢を実現し、
日本全国各地に、1600件以上の建築設計を手がけました。
滋賀県近江八幡を拠点に活動していたため、そちらには記念館があります。

彼の魅力は建築作品のみならず、波乱万丈の人生、行った業績や生き方は今もなお
語り継ぐに値しますね。
以前、近江八幡でヴォーリズの足跡を訪ねた時にもブログ記事を書きましたが
今津にも「ヴォーリズ通り」なるものがあることを知り、これは見逃せません。


今津港から浜通り商店街を・・・古い街並みで、商店街とはとても思えませんが。
旅館? まるで時代劇に出てくる旅籠(はたご)のようです。





これは倉庫?工場? 何となくヴォーリズの洋館を思わせるような建物ですね。


あちゃ!こちらのお家は、和風にするか洋館にするか迷われたのかな?




なんて、楽しみながら歩いていると、やって来ましたよ「ヴォーリズ通り」



まずは、この建物。大正12年(1923)に百三十三銀行今津支店として、
ヴォーリズ建築事務所の設計により建設されたもので、昭和53年(1978)まで
銀行として使われた後、今津町が買い取って改築をほどこし、平成13年までは
町立図書館として利用されていたそうです。



平成15年(2003)に建設当初の姿に修復され国の登録有形文化財となり、
現在、『今津ヴォーリズ資料館』として新たに活用されています。



ヴォーリズの生涯や日本各地のヴォーリズ設計建築物などが紹介されたパネルや
模型などの資料で、ヴォーリズについて知ることができるようになっています。



また展示室の中央にはカフェが設けられ、お茶や食事が楽しめるようになっている。
地元の女性グループの方が運営されているようで、地元産の野菜や黒米を使った
カレーなどが出されている。ちなみに「黒米カレー」は330円だった♪


通りを西に少し歩くと、一見してヴォーリズだと分る建物が現れます。






昭和8年(1933)に建てられた『今津基督教会館』。基督教=キリスト教ね。
幼稚園は昭和7年に創立されたようです。
今でも現役の園舎として利用されているので、中には入れません。

ヴォーリズは数多くの教会や学校、病院などを手がけています。
そもそも来日されたのは、プロテスタント伝道活動のためであり社会的な貢献も
されてきた。その活動資金を得るために設立したヴォーリズ合名会社(のちの
近江兄弟社)が扱ったメンソレータム(現メンターム)は、有名ですね。



ここの横は、公園として整備されていました。


「ヴォーリズ通り」と言っても保存されているのは3軒のみ。その中でもちょっと
悲しいのが、この『旧 今津郵便局』ですかね。



建物はヴォーリズ建築らしいシンプルで、日本の風景に溶け込む洋館建てです。
昭和11年(1936)に建てられ、昭和53年まで郵便局として使用された後、現在は
傷みも激しく、中は倉庫として使われているらしくて入れません。



もう廃虚寸前。他の2軒は国の登録有形文化財ですが、ここは違うようです。
歴史ある建物が廃墟と化して朽ちてしまう前に修復されることを願って止みません。
近江八幡の郵便局は地元のボランティアのご努力によって改修されていますが、
ここも何とかならないのでしょうかね。って他力本願の私ですが・・・w




ヴォーリズのエピソードをもう少し・・・
24歳(明治38年)から83歳(昭和39年)まで、明治・大正・昭和と人生の大半を
日本で過ごし、遺したものは建築家として全国に数々の「ヴォーリズ建築」・・・
のみならず、多くの賛美歌などの作詞、作曲。ハモンドオルガンを伝えたり、
家庭薬メンソレータムの普及。YMCA、病院、学校、図書館等をつくり、地域に
貢献し社会の必要に応えた。
1941年(昭和16年・60歳)日米が対立を深め多くの外国人が日本を離れる中、
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、敢えて留まり日本への帰化を選択。
妻の姓を名乗り、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。
「米来留」とは米国より来たりて留まるって洒落らしい・・・
戦後はマッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力し「天皇を守ったアメリカ人」
とも称される。
藍綬褒章、黄綬褒章、正五位勲三等を授けられ、瑞宝章が贈られる名誉も
与えられています。
晩年は76歳でクモ膜下出血に倒れ、近江八幡の自宅で療養生活に入り83歳で永眠。
ちなみに彼が築き上げた「近江兄弟社」の社名の由来は、近江と「人類皆兄弟」の
精神から命名したもので、兄弟が設立した会社というわけではありません。

その近江兄弟社も彼の亡きあと、10年後に倒産し、メンソレータムの販売権も
返上。今は販売権を取得したロート製薬が製造販売しています。
大鵬薬品工業(現在は大塚HDの傘下)の資本参加で再興したが、その時にはもう
メンソレータムの商品名を使うことができず、メンソレータムの製造設備を使い
オリジナルの製品を「メンターム」の商品名で販売しています。この商品名は
従前よりメンソレータムの略称として商標登録してあったものだそうです。
この経緯を考えるとどちらが“本物”なのか?
ただ、昔ながらのリトルナースの絵が付いているメンソレはロート製薬で、
近江兄弟社の同じ色合いでも見慣れないアポロンマークは類似品っぽいです・・・(^_^ゞ


話しは全く変りますが、今津からの帰路、白髭神社の湖上鳥居をパイロン代わりに?



バチ当るぞぉ~!




2013.6/9、ヴォーリズ通り 今津基督教会館。「今」の字が左右逆になっているのは
古来中国の篆書体によるものだそうです。