カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

城 at 伊丹

2014-06-14 00:34:39 | おしろ
有岡城(伊丹城)跡は、昭和54(1979)年に国の史跡に指定されています。

猪名川の西岸、伊丹段丘東縁部の一角に位置し、南北朝から戦国時代にかけて
伊丹氏が城を築いていたところです。
天正2(1574)年、織田信長の家臣・荒木村重がこの城を攻め落とし、城主と
なります。そして大改修を行い、城の名も有岡城と改めます。
発掘調査により天守台をもち、侍町と町屋地区をも堀と土塁で囲んだ
惣構(そうがまえ)の遺構が出土、日本最古のものと考えられています。

近くのショッピングセンターにクルマを停めて歩き出すと、それらしいものが





平城なので、お城に登るって感覚はありません。今は有岡城跡史跡公園として
整備されているので、なおさら・・・

しかもJR伊丹駅の真ん前。屋外エスカレーターまであります。







「古城橋」が架っています。と言っても駅へ通じる陸橋でした。
駅が近くて便利なお城?実はこの駅、遺構の上に建ってしまってます。

私、わざわざ此処へ寄ったのは「あっ!官兵衛」シリーズ?のため。
大河ドラマでも長々と描かれていた場所です。



官兵衛ゆかりの藤まであります♪



放送を機に植えたってか・・・(^_^ゞ

で、城跡はこんな感じ! 言われてみないと、ただの広場?



よくよく見ると、当時のまま?の井戸跡や土塁、石垣が見られます。














石垣には、荒木村重が改修工事を急いだのであろう五輪塔の基壇や宝篋印塔
などが自然石に混じって積み込まれている。

荒木村重はこの地を5年間ほど統治、城主として働いたようだが
突然、信長に反旗をひるがえしこの城にたて籠って毛利の援軍を待ちます。
官兵衛の元主君でもある小寺政職(こでらまさもと)もこれを機に織田から
毛利に寝返ります。そのことで説得に来た官兵衛に村重を説得するよう命じ、
有岡城に向かわしますが、あろうことか村重には官兵衛を殺すよう頼むのです。
しかし、村重は官兵衛を殺せず幽閉。自らは籠城中の城から単身抜け出します。
やがて織田軍により落城、信長の荒木一族根絶やしの命により残された者は
非道なまでの処刑をされます。逃げ延びた荒木村重は、信長の死後も大坂で
茶人として復帰し、千利休らと親交をもったとされています。

ちなみに官兵衛を亡き者にしようとした小寺政職ですが、御着城落城後も
毛利領へ落ち延びます。残された小寺家の嫡男・氏職は官兵衛の計らいで
黒田氏に仕え、子孫は福岡藩士として代々続くことになります。
なお、小寺家も官兵衛の嫡男・長政によって復興されます。
酷い目に遭わされながら偉いやっちゃな・・・ま、ドラマの主人公って
こうでなくっちゃね。(^_^ゞ


あ、クルマを停めたところ「ARIO アリオ」って言うのか・・・なるほど。









有岡城は落城後、信長の家臣の子、池田之助(ゆきすけ)が入城しますが、
それも3年程で、廃城となり放置されるがまま江戸時代には地元の人々から
「古城山」と呼ばれるまでになります。やがて明治になり鉄道建設のため
主郭部の東半分が失われることに。近年の発掘調査で予想以上の貴重さが
明らかになったようです。が・・・

現地は、まさに 夏草や兵どもが夢の跡 状態でした。



2014.6/1、有岡城跡にて。