カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

ALWAYS 三丁目のクルマたち

2014-11-29 00:30:45 | 旅アルバム
世界大戦の傷跡から驚異の復興、豊かになりつつある暮らしとともに
マイカー時代の幕開けが始まった昭和30年代。まずは軽四輪車が台頭。
この「軽自動車」という規格は昭和24(1979)年、戦後の経済成長の一助と
なる事を目指して作られたもので、同じく敗戦国のドイツやイタリアをはじめ
欧州各国でも同等の規格が作られたものの、過渡期を過ぎると廃れました。
日本だけは今に引き継がれ、全自動車に対する軽自動車の保有シェアは
38%という繁栄ぶり♪


奥〈スバル360 K111・1964年〉、手前〈マツダR360クーペ・1962年〉

産業用の軽三輪が普及しだしたと言うものの、まだ四輪自動車は高嶺の花。
それをぐっと庶民の手が届くところに引き寄せたのが「スバル360」。
当時、40万円を切る低価格で登場。(1958年初期型登場)
低価格とは言え、今の価値で言えば400万~500万円相当でしょうか。
憧れのマイカーを夢見て、父ちゃん母ちゃんたちは猛烈に働いたのでしょうな。

スバル360の大成功をきっかけに、それまで軽三輪を主力に造っていた
マツダ・ダイハツ・三菱などのメーカーも軽四輪を開発、販売。

〈三菱ミニカ360・1966年〉

〈マツダキャロル360DX・1968年〉なんと水冷4サイクル4気筒。しかも4ドア。



ところでこの「R360クーペ」、軽量・コンパクト・低価格を実現するため、
スバルの4人乗りに対し大人2人+子供2人のキャビンになりましたが破格の
30万円を実現したクルマです。発売を開始した1960年はスバルを軽く凌駕し、
生産台数23,417台。軽乗用車のシェア64.8%に達する大ヒットを記録。
当時の軽自動車の3分の2はこのR360クーペだったのですね。
エンジンはスバルの空冷2サイクル2気筒に対し、空冷4サイクル2気筒。
2万円アップでオートマ車も選べました。もちろん国産の量産車としては初。
手動スロットル+ブレーキを装備した日本初の軽の身障者用車両も出ました。

私的には気になるデザイン。とてもキュートでチャーミングだと思いませんか。
スバル360は模範としたワーゲン・タイプ1のビートル(かぶと虫)に対し
「てんとう虫」と呼ばれこれも可愛く魅力的です。R360クーペはフランス車
シトロエン似かも・・・ともあれ、このデザインは日本のインダストリアル
デザインの草分け「小杉二郎」さんの作品です。嘱託デザイナーとして戦後の
マツダ車のオート三輪やK360、キャロルなどを手掛けてこられました。
後にコスモスポーツなどをデザインされた社内デザイナー第一号の小林平治さんも
このR360クーペの一部を担当されています。


さて、スバル360がもたらした軽四輪マイカーブームの前夜はというと・・・
ダイハツ ミゼットに代表される軽三輪が大活躍していました。

ネーミングは手塚治虫のジャングル大帝レオからとられた
〈三菱 三輪ペットレオ・1959年〉

〈ダイハツ ミゼットDSA・1961年〉 〈ダイハツ ミゼットMP4・1963年〉
軽三輪トラックの代名詞ともなったダイハツのミゼット、1957年に発表され
低価格と積極的なテレビCMなどで爆発的に売れたクルマです。
それまでは群雄割拠、様々な中小メーカーが造っていたものを駆逐してしまった。
東洋工業(現マツダ)、三菱のみが追従しました。


〈マツダ K360・1962年〉愛称は「けさぶろう」

ミゼットは当初、オート三輪の流れでハンドルはV字型のバーハンドル。
1人乗りでドアも無く屋根は布張りだったのに対し、マツダは2人乗り
円形ハンドル、屋根もドアも付き、エンジンはミッドシップで運転席も
広々?で対抗。1959年にデビューし1969年に製造を終える10年間で何と
28万台も世に送り出しました。デザインも前述の小杉二郎さんが担当され
キュートで完成度の高いものでした。が、僕らは軽三輪トラックを見たら
何でもミゼットと呼んでいたような・・・(^_^ゞ

よく売れた軽三輪でしたが、意外とそのブームは短命で、すぐに
軽四輪トラックへと移行してしまいます。少し遅れて四輪業界へ進出した
ホンダが最初に造ったクルマも軽四輪トラックでした。
〈ホンダ T360・1966年〉

クルマの下にわざわざ鏡が置かれています。「名作エンジン」迷作?
水冷4サイクル4気筒DOHC4連キャブのエンジンをミッドに搭載し、
マフラーは4イン1。同年の軽自動車スバル360が18馬力だった時代に
30馬力の出力を誇り「レーシング・トラック」と呼ばれました。
※展示車は神経質な4連キャブを廃止した後のツインキャブ仕様。

オート三輪をもう1台、この博物館の看板展示車だそうです。
〈マツダ バタンコ三輪タクシー・昭和25(1950)年式復元〉

時代背景は原爆投下で焦土と化した広島、自動車も壊滅。マッカーサーによる
四輪自動車生産禁止令で三輪しか造れなかった国産メーカー。そんな中、
広島タクシーの社長が地元メーカー、マツダに20台の三輪タクシーを発注。
向こう75年間草木も生えないと言われた広島に、少しでも緑をと車体を
グリーンに塗って・・・。料金は当時市内一律50円だったそうです。
昭和30年頃まで約5年間利用された幻のクルマを、マツダLB三輪トラックを
ベースにたった1枚の写真から再現されたものだとか。
「バタンコ」とは、こちら関西で言う「バタバタ」のことかな・・・
音が五月蝿く、昔は自動車のことを「バタバタ」と呼んだりしてました。
よく転倒もしたので「バタンコ」なのかな?(^_^ゞ


さて、屋内展示はここまで。もちろん紹介したのは一部ですが・・・
福山自動車時計博物館の見どころはある意味屋外展示かも知れません。



屋内には並べられない大型の車両がずらりと博物館から道路を隔てた駐車場。
レトロなトラックたちが無造作に・・・でも屑鉄ではありません。(^_^ゞ



まだレストア中のようですが、どうしてこんなに消防車を集めたのかな?
・・・分るような気がします。
子供の頃、読んだ「はたらくくるま」とか「しょうぼうしゃ」とか・・・
特に消防車は人を助けるヒーローのような存在に思えました。



ここにも「てんとう虫」が・・・


ライトバンタイプのは何虫になるのかな?(^_^ゞ





〈ロールスロイス・詳細不明〉
ほんと無造作なんですが、ナンバーが付いているから走れるのでしょうね。
ここのクルマたちは数多くの映画やドラマに出演しているとか。
「ALWAYS 三丁目の夕日」「ゼロの焦点」「NHKドラマ・とんび」などなど






「チチヤス」広島では有名なのかな?ヨーグルトを日本で初めて発売した
会社らしい。そう言えばホテルの朝食にも付いていたな。



ここの特色がもうひとつ。それはボンネットバス。



懐かしい、郷愁すら感じますな。

HPには「昭和20年代には、自動車と言えばバスかトラックか消防車の時代
であった。そのバスは鼻の出っぱったボンネット式バスである。
ガソリンや軽油も貴重品であり、今では考えられないが、バスの通った後に
残った排ガスをかいで気分よく思った自動車好きの人が多くいた。
反対に、バスに酔う人が今以上にいた。腕木式の方向指示器がピョンと飛び
出て、ハンドルは大きく、運転手さんはダブルクラッチを踏んでいた。」
って文章があります。「排ガスをかいで」・・・私も心当たりが。(^_^ゞ

これらのバスは、朽ちて土に帰る寸前に救い出されたもの。
こちらで『レストア前の姿』も見られます。
こういうことを海洋サルベージ(沈没、座礁した船舶の引き揚げ)に喩えて
『サルベージ』と言うそうです。

それにしても凄いレストア技術。まだまだレストア待ちのクルマたちも・・・


マツダのB1500、T600、R360クーペ

えっ?


よく見るとこの「けさぶろう」と同型のT600、バキュームカー仕様!



今の日本があるのは、こういうクルマたちのお蔭なのかも知れません。





この力強さが今一度必要かも。

最後の一枚は、いやに侘びしい感じになりましたが・・・(-。-;)



2014.9/7、福山自動車時計博物館にて。