カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

西本願寺、おとなりさん。

2015-07-21 19:32:25 | しゃじ
西本願寺の南隣りにあって、どうも影が薄いのですが・・・
『円頓山 興正寺(えんとんざん こうしょうじ)』だって
浄土真宗・真宗興正派の「本山」なんです。
とはいえ、かつては西本願寺の脇門跡。1987(明治9)年に独立して
本山となりました。


〈三門〉



京都の人でも興正寺、西本願寺の南隣りのお寺。と言っても
ピンとこないかも。西本願寺の一部に思ってしまいます。



堀川通沿いに堀があり、その上に橋が確か6本続いています。
一番南が興正寺三門の前、北へ次が阿弥陀堂門前、そして北小路門前で、
その先は西本願寺の御影堂門、阿弥陀堂門、御成門の前に架かっています。



〈興正寺・阿弥陀堂門〉


〈北小路門〉


寺伝によると「創建は鎌倉時代にさかのぼり、当初は京都の山科に
建立されました。興正寺は創建後数年を経て、山科から京都東山の
渋谷(しぶたに)へと移りますが、その際、ご本尊が光を放ったこと
から、後醍醐天皇より佛光寺の寺号を賜り名を改めます。
佛光寺の教勢は飛躍的に拡大し、隆盛を極めました。室町時代、
蓮教上人は本願寺の蓮如上人と歩みを共にし、佛光寺を弟に譲り、
再び山科の地に多くの門徒と共に興正寺を興しました。
その後は本願寺と歩調を合わせ、度重なる移転にも常に行動を
同じくしています。
桃山時代、現在の地へ移転し、堂舎が隣接して建てられているのも
本願寺との深い関係を示しています。」とあります。



〈御影堂〉

本堂は起工から128年の年数をかけ、日光東照宮の本廟・知恩院の
三門とともに、日本三建築の一つと称せられた壮大華麗な大伽藍で
あったが、明治35年11月、不慮の火災により、本堂その他、
ほとんど焼失。明治45年、阿弥陀堂とともに大伽藍が再建され
現在に至るというものです。



結構立派なものです。隣りの本願寺が凄過ぎますが・・・


〈御影堂内〉

御影堂、宗祖などの像(=御影)を安置するお堂のことですが、
知恩院や東寺では「みえいどう」と読みますが、親鸞上人の
場合は「ごえいどう」と読むようです。
「見真」の額は、祖師が見真大師だからです。誰のこと・・・?
弘法大師が空海だと言うのはよく知られていますが、
親鸞は見真大師だとはあまり知られていないかも。
ちなみに伝教大師は最澄、慈覚大師は円仁、立正大師は日蓮。
法然は?いっぱい大師号があったりして・・・ワケワカラン


〈渡り廊で阿弥陀堂と繋がっています〉


〈阿弥陀堂内〉


南に御影堂、北に阿弥陀堂がある伽藍配置は西本願寺と同じ。
仲良しですもんね。
東本願寺はというと、これが全く逆!
南に阿弥陀堂、北に御影堂になります。畳の向きも逆です。



〈鐘楼〉
1774(安永3)年建立。皇太后 恭礼門院から、桃園天皇の供養のため、
梵鐘と共に寄進されたもの。明治35年の火災の際、難を逃れたため、
興正寺では一番古い伽藍として残っています。

〈手水舎〉


〈経蔵〉


1848(嘉永元)年の建立。孝明天皇より「法宝蔵」の勅額が下賜。
あまり見かけたことが無いユニークな経蔵ですね。
石積みの段上に、花崗岩の高欄が廻らしてあり、その上に
白壁の土蔵造り、扉の上に唐破風の軒。屋根は、経蔵によくある
宝形造ですが、やはり唐破風を設けた豪華なものです。

西本願寺に行かれたら、訪ねられても良いかも知れません。
観光客もうんと少ないようだし・・・♪



2015.7/5、興正寺にて。