カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

想いは遥か、百年の夢幻。

2016-05-08 23:55:11 | レトロ建築
円山公園の一角にある長楽館、レトロな洋館建てが目を引きます。
この建物、明治42(1909)年にアメリカ人建築家のJ.M.ガーディナーの
設計で建てられたもの。依頼主は明治のたばこ王・村井吉兵衛です。
さて、107年前にタイムスリップです。



かつては村井吉兵衛の別宅として、国内外の賓客をもてなすための
迎賓館の役割を果たすべく建てられたもので、伊藤博文、大隈重信や
山県有朋など明治の偉人たちや英国皇太子ウェールズ殿下や米国財閥
ロックフェラーなどなど名だたる賓客が多数訪れた館です。

現在は、私たちでもレストランやカフェ、ホテルとして利用すること
ができる『長楽館』。一度行ってみたいと思い、訪ねてみました。


訪ねたのは先月半ば、まだ円山公園には八重桜がなんとか咲いていました。



名残りを惜しんでのお花見があちこちで。このグループは女子会?



こちらはお決まりの隣国観光客、なんかなぁ着物姿です。







時代が時代なら私ら市井の人間が門をくぐることも許されなかった?
今は予約さえすればマイカーで堂々と入って行けます♪

この館誕生から107年、現代に至るまでの経緯、物語を辿ると・・・
建築主・村井吉兵衛は幕末の京都に生まれ、煙草の行商から身を立て
日本初の両切り紙巻き煙草を製造、煙草王と称されるまでになります。
当時のたばこ産業は製造業者が5000人ほどいたと言われる過当競争。
その激戦を勝ち抜き、生産日本一に。パリ万博で金賞をとるなど
世界的評価も得たようです。

しかし明治37(1904)年、日露戦争の戦費調達のため「煙草専売法」が
施行され、官営化されてしまいます。その際、明治政府から煙草商へ
莫大な保証金が支払われた。村井吉兵衛は全補償額の45%以上を手に
することが出来たようで、それを元手に長楽館の建築や銀行などの
事業を展開することになります。
長楽館には国内外の賓客、各界の錚々たる人物が集い、鹿鳴館を
しのぐともいわれた華やかな時代もありました。

それも束の間、吉兵衛没後の昭和2(1927)年には昭和の金融恐慌の
煽りで村井銀行が破産、長楽館も売却されます。
その後、何人かの手に渡ったようですが、昭和29(1954)年、現在の
オーナーの義父、土手富三が土地・建物を購入。
この建物に並々ならぬ情熱を持っていた土手氏、前の持ち主を5年も
かけて口説き落とし手に入れたのだとか。
購入時は進駐軍の接収を経ていたため、壁にはペンキが塗られ、
ぼろぼろだったようで・・・
私財を投じてひたすら修復に情熱を傾けた先代オーナー、購入から
10年余、隣接地にホテル・レストランを建設、開業。
昭和43(1968)年には、本館にて喫茶店開業に至ります。その後も
一部屋づつ改修を進め、3階までの修復が終わったのが昭和55年頃。
昭和61(1986)年に、館とその調度品の多くが京都市指定有形文化財に
指定されるに至ります。
現在も改装が続けられ、今年2月に全室リニューアル・オープン
されました。







外観はルネサンス様式で、1階部分が石張り、2階・3階がタイル張りに
なっています。正面から見ると意外とシンプル。



設計者のジェームズ・マクドナルド・ガーディナーは、米国人宣教師。
教育者として現・立教大学の第3代学長も務めましたが、
学長を退任後、建築家として活躍します。
代表作は「外交官の家(旧内田家住宅):横浜」「聖アグネス教会:
平安女学院聖堂」「京都聖ヨハネ教会教会堂:明治村に移設」など



エントランス・ファサードには、イオニア式の柱頭、デンティルと
呼ばれる歯形飾りも観られる。上部はバルコニーになっていて、
玄関入口には村井家の家紋・丸に三つ柏があしらわれています。



側面の出窓やバルコニーが美しい。



前庭には大きな石灯籠や五重塔が置かれ、まさに和洋折衷。
これも海外からの賓客を楽しませるためだったのかな?



ちなみに、村井吉兵衛ゆかりの建築が幾つか残されているので
機会があれば訪ねてまわりたい。
残念なのが明治33(1900)年築の東山・馬町にあった煙草工場。
赤煉瓦造りの貴重な建築物だったのに、2009年に跡形も無く解体
されてしまった。『2006・京男雑記帳』
煉瓦ファンにはショッキングな記事?『解体現場』








2016.4/16、長楽館にて。