☆頼みの綱の食欲が…
「シェラ、食欲がなくなってきてるわよ」
今朝、食事をしているときに家人がぼくにささやいた。昨日もご飯を残したという。家人がいう「ご飯」といってもドッグフードのことではない。文字どおりのご飯である。ドッグフードが終わると、家人はシェラにお米のご飯を少量食べさせている。しかも温めたご飯で、ときどき、納豆が入ったりして過保護もここにきわまれりの一品だ。
この何カ月か、このご飯を食べるとき、シェラは米粒を激しく散らかすようになっている。それ自体がシェラらしくないのだが、これも高齢ゆえの仕儀であろう。しかも、散らかしたことに気づかずにそこから立ち去る。
「きっと見えていないんでしょうね」と家人はいうがこれはどうだろうか。17歳間近の犬としてはまだ目のほうはかなり達者に思える。だが、人間の老眼のように手元が見えにくいということはあるかもしれない。
ぼくたちは、シェラの食欲が続くうちはまだ大丈夫だと信じてきた。なんら裏付けはないが、そう信じることで不安になりそうな気持ちを支えてきたのである。
散歩に出たときのシェラの歩き方はゆるやかとはいえ、目に見えて衰えが進んでいる。ひと月前を思い出すとその落差に暗澹となる。そして、食欲の減退もはじまった。
いちばんの頼みの綱だった食欲の衰えはぼくたちにとって拭い難いショックである。ステロイドの副作用で、のべつまくなし食べ物をねだっていたついこの間までの、あの日々がむしろよかったなとさえ思えてくる。
むろん、食が細くなったからといってそれがすぐにシェラの生命に関わるというものではないだろうが、やっぱり喉に悪性腫瘍をかかえているだけに油断は禁物だ。
☆まだしばらくはパピィでいようぜ
シェラの衰えに呼応すように、今週になってルイが妙におとなしくケージにおさまっている。「どこか悪いんじゃないか?」と、ぼくも家人も疑ってしまうが、食欲は旺盛だし、ケージから出せば突貫小僧の本領を発揮してシェラに突進だし、散歩に連れ出せばおとなしさなんて微塵もない。
なんだ、ケージの中のおとなしさは成長しているだけなのかと安堵しながら、ワンパクが影を潜めていくのがなぜか寂しい。「ルイ、まだワンパクでもいいじゃないか。もう少し手こずらせてくれよ」と無言で訴えてしまいたくなる。
朝の散歩では、二匹を連れてひとしきり歩いてからマンションの前に戻り、シェラをマンション構内の移動用に義務づけたクレートに入れてから、ルイだけを連れて第二部の散歩を続ける。
たいていは一緒に走ってやるのだが、最近は成長したルイについていかれなくなった。ルイが二度のウンコを終えてから帰る態勢に入る。だが、このところのルイはシェラの入っているクレートが置いてあるエントランスの脇に戻るのを嫌がる。そして、道路に面した駐車場草の脇にチョボチョボと生えている草のところへいって、その草を食べたがるのである。
もしかしたら、最初はシェラが草を食べているのを見て覚えたのかもしれないが、先週末の散歩でルイがはじめて吐いた。朝なので少量の泡しか出なかったものの、胸焼けでもしているのか、以来、草を食べることを覚えた。
友人の愛犬が除草剤のついた草を食べて死んでしまってから、シェラにもむぎにも道端の草を食べさせないようにしてきた。本当は本能の指示に従って、草を食べることのほうが犬はストレス解消になるのかもしれないが、やっぱり怖い。世間には無神経に除草剤を散布する人種がいるからだ。
いまは餌の中にエビオスを混ぜて食べさせている。エビオスやビオフェルミンは胃腸が弱かったシェラもさんざんお世話になった薬である。しかし、やっぱり動物病院でもらう胃腸薬のほうが効き目はいいし、安心できる。
今週末、お歳暮を届けに病院へいくのでそのとき、胃薬をもらっておこう。まもなく、年末年始の休みもあることだから、いまからシェラやルイの薬の準備を整えておこうと思う。