愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

そんなに生き急がなくてもいいじゃないか

2011-12-14 23:40:10 | シェラとルイの日々


☆頼みの綱の食欲が…
 「シェラ、食欲がなくなってきてるわよ」
 今朝、食事をしているときに家人がぼくにささやいた。昨日もご飯を残したという。家人がいう「ご飯」といってもドッグフードのことではない。文字どおりのご飯である。ドッグフードが終わると、家人はシェラにお米のご飯を少量食べさせている。しかも温めたご飯で、ときどき、納豆が入ったりして過保護もここにきわまれりの一品だ。

 この何カ月か、このご飯を食べるとき、シェラは米粒を激しく散らかすようになっている。それ自体がシェラらしくないのだが、これも高齢ゆえの仕儀であろう。しかも、散らかしたことに気づかずにそこから立ち去る。
 「きっと見えていないんでしょうね」と家人はいうがこれはどうだろうか。17歳間近の犬としてはまだ目のほうはかなり達者に思える。だが、人間の老眼のように手元が見えにくいということはあるかもしれない。

 ぼくたちは、シェラの食欲が続くうちはまだ大丈夫だと信じてきた。なんら裏付けはないが、そう信じることで不安になりそうな気持ちを支えてきたのである。
 散歩に出たときのシェラの歩き方はゆるやかとはいえ、目に見えて衰えが進んでいる。ひと月前を思い出すとその落差に暗澹となる。そして、食欲の減退もはじまった。

 いちばんの頼みの綱だった食欲の衰えはぼくたちにとって拭い難いショックである。ステロイドの副作用で、のべつまくなし食べ物をねだっていたついこの間までの、あの日々がむしろよかったなとさえ思えてくる。
 むろん、食が細くなったからといってそれがすぐにシェラの生命に関わるというものではないだろうが、やっぱり喉に悪性腫瘍をかかえているだけに油断は禁物だ。



☆まだしばらくはパピィでいようぜ
 シェラの衰えに呼応すように、今週になってルイが妙におとなしくケージにおさまっている。「どこか悪いんじゃないか?」と、ぼくも家人も疑ってしまうが、食欲は旺盛だし、ケージから出せば突貫小僧の本領を発揮してシェラに突進だし、散歩に連れ出せばおとなしさなんて微塵もない。
 なんだ、ケージの中のおとなしさは成長しているだけなのかと安堵しながら、ワンパクが影を潜めていくのがなぜか寂しい。「ルイ、まだワンパクでもいいじゃないか。もう少し手こずらせてくれよ」と無言で訴えてしまいたくなる。

 朝の散歩では、二匹を連れてひとしきり歩いてからマンションの前に戻り、シェラをマンション構内の移動用に義務づけたクレートに入れてから、ルイだけを連れて第二部の散歩を続ける。
 たいていは一緒に走ってやるのだが、最近は成長したルイについていかれなくなった。ルイが二度のウンコを終えてから帰る態勢に入る。だが、このところのルイはシェラの入っているクレートが置いてあるエントランスの脇に戻るのを嫌がる。そして、道路に面した駐車場草の脇にチョボチョボと生えている草のところへいって、その草を食べたがるのである。

 もしかしたら、最初はシェラが草を食べているのを見て覚えたのかもしれないが、先週末の散歩でルイがはじめて吐いた。朝なので少量の泡しか出なかったものの、胸焼けでもしているのか、以来、草を食べることを覚えた。

 友人の愛犬が除草剤のついた草を食べて死んでしまってから、シェラにもむぎにも道端の草を食べさせないようにしてきた。本当は本能の指示に従って、草を食べることのほうが犬はストレス解消になるのかもしれないが、やっぱり怖い。世間には無神経に除草剤を散布する人種がいるからだ。

 いまは餌の中にエビオスを混ぜて食べさせている。エビオスやビオフェルミンは胃腸が弱かったシェラもさんざんお世話になった薬である。しかし、やっぱり動物病院でもらう胃腸薬のほうが効き目はいいし、安心できる。

 今週末、お歳暮を届けに病院へいくのでそのとき、胃薬をもらっておこう。まもなく、年末年始の休みもあることだから、いまからシェラやルイの薬の準備を整えておこうと思う。


シェラはもうルイの母犬になっていた

2011-12-13 22:28:16 | シェラとルイの日々


☆ルイをケージに閉じ込めておく理由
 いったい、いつまでルイをケージに閉じ込めておけばいいのかぼくたちにとってはかなり気になっている。ケージに入れていること自体、ルイにとっていいことなのかどうか心配だからである。
 家人がペットショップで聞いたところ、入れておくことが間違っていないといわれたそうである。たしかに、ケージに閉じ込めておけば電気のコードや家具、あるいは別の調度などを噛んでしまったり、変なものを飲み込んでしまうリスクはなくなる。だからいまはそれでいい。だが、問題は、いつまで入れておけばいいのかということである。
 
 ルイが外へ出たがっているのは火を見るよりも明らかである。シェラが寝室などにいるとき、途中の扉を閉めてルイをリビングへ出してやると、怖いほどのスピードで部屋の中を走りまわる。どこかへぶつからないかと冷や冷やしながら見ているのだが、ケージの中でストレスがたまっているのがわかるだけに止めるのも気がとがめて見守っている。

 まだ赤ちゃんわんこがケージから出せば部屋の中で粗相をすることくらいシェラでもむぎでも経験してきた。だから、目が届いているかぎりは外へ出しておいてやりたいのだが、ルイの場合、困ったことにシェラにじゃれついてしまうのでケージに入れておくしかないのである。
 去年までのシェラならルイの活発さを押さえ込めるだけの余力があっただろうが、いまやルイのわんぱくを制するのさえなかなかままならない。ルイを仲間として認めながら、跳びついてくるルイに困惑し、苛立ち、反撃さえも躊躇して耐えている。そんなシェラの姿が痛々しくてルイをケージに幽閉したままでいるわけだ。



☆シェラのそばにいきたいのか
 ルイが、実はぼくたちが思っているよりもはるかにシェラを慕っているのを先の週末にクルマの中で知った。
 むぎが健在だったころはクルマのリアシートがシェラとむぎの居場所だった。いつもむぎがシェラに寄り添って乗っていた。むろん、シェラも嫌がらず、まるで母と娘のように見える二匹の姿がぼくたちには至上の喜びでもあった。

 ルイもまた、シェラと一緒にリアシートに乗せるとまるでシェラが母犬であるかのように甘えていく。しかし、むぎのような奥ゆかしさはなく、男の子の強引さがシェラにしてみれば迷惑千万でしかない。
 二度ばかりリアシートで一緒にしてみたが、ぼくはまだ時期尚早と判断して、ルイを運転席の隣のナビシートに専用のシーツを敷いて乗せることにした。本来、そこにいた家人がシェラの横に座った。

 だが、先の日曜日、いつの間にかルイはナビシートにはいなかった。家人がいない車中で、ぼくはシェラの唸り声でルイがいるべき場所にないことに気づき、次にルイがコンソールボックスの上に座り、すぐうしろにいるシェラを見ているのを知った。やっぱりシェラのそばにいたいのだろう。
 
 ルイがむぎ同様、シェラを母犬に見立てていると断定するのは早計かもしれない。だが、所詮、まだ生まれて半年もたたない子犬である。親犬から引き離されたのは生後3か月になるやならずのころだった。そして、わが家へやってきた。たまさか、そこにシェラがいた。



☆シェラの負担にならないように
 ルイの場合、犬同士ならではの群れを作る本能からシェラを慕っているだけかもしれない。ルイにとって、ボスはあくまでもぼくであり、シェラではない。餌をくれる家人でもない。
 ルイのシェラへのアプローチを見ているとぼくは遠い日のシェラの姿が重なる。わが家へやってきた当初のシェラは代理の母を家人に求めた。ルイがシェラにじゃれつくがごとく家人を追った。
 むぎがわが家へやってくると、かつての家人の役割りを、今度はシェラが引き受けてくれた。
  
 いま、ルイに対してもむぎのときと同じように母犬になれとシェラに求めるのはさすがに酷である。それでもシェラはルイを仲間としては受け入れてくれた。もうそれだけで十分だ。
 ぼくや家人がいないときは、ルイのいるケージの脇で寄り添ってくれているシェラである。母犬の役割を体力的には果たせなくても、メンタリティーは紛れもなく母としての心をルイに傾けてくれている。

 だからルイ、しばらくケージで辛抱してくれ。その分、ボスたるぼくが時間のあるときにはたっぷり遊んでやろう。週末はルイのための時間も作って運動しよう――それがケージから出してやれないルイへのせめてもの償いの気持ちである。 
 シェラに対しては、できるかぎりルイが負担にならないように配慮しようと思う。いくら母としての自覚が芽生えても、もう老犬なのだから。


日々変わりゆくシェラとルイの関係

2011-12-11 21:54:54 | シェラとルイの日々
☆シェラを追わないルイにムカッ!
 前日の雨の空とは打って変わった晴天の土曜日の昨日だった。起き抜けの7時、素早く身支度を整え、ルイを連れて散歩に出た。休みの日の朝ぐらいは、たっぷり歩かせてやりたいからである。シェラはまだぐっすり眠っているし、帰ってきてからシェラだけ近所に連れ出してやればいいからだ。


 死んだむぎが、シェラとは別に散歩できるようになるまでには大変な苦労があった。シェラがいなかったらむぎはテコでも動かなかった。無理にリードを引っ張るとバタッと横に寝てしまい、ズルズルと引きずられても起きようとしないのである。そんなふうだから、もし、外でシェラを見失ったら大パニックになって探しまわっていた。
 基本的には死ぬまでむぎはシェラと一緒に行動していた(写真=上)。
 
 常にシェラに張りついていたむぎだったが、キャンプへ出かけたときだけはわりあいシェラの横を離れ、単独行動をとることが多かった。といっても、上半身だけ外へ出して見張りをするとか、外へ出てもせいぜいテントのまわりをパトロールするとか寝そべって番犬になったりする程度である。
 
 そんなとき、ぼくがシェラだけを連れて、別の方角からそっとテントやシェルターを抜け出して散歩にいくと、あとで気づいたむぎが狂ったように探し、いなくなった方角を見つけるとオドオドしながらも必死で追いかけてきたものである。その点、ルイはシェラがいようがいまいが平気で散歩ができる。
 楽ではあるが、むぎにくらべると可愛くないヤツだ。
 
☆もうそんなに歩かないシェラ
 ルイとふたりだけ、30分ほどの散歩から帰ってくると家の中が騒がしい。シェラの吠える声が普通じゃない。リビングへいってみるとシェラが家人に向かって吠えている。
 「散歩においていかれちゃったから怒ってるのよ」とのこと。おやつを与えてごまかし、大急ぎで朝食をすませてからシェラだけを連れて散歩に出た。ケージの中でルイが激しく吠え、最後は哀願するように声を上げていた。
 

 久しぶりのシェラとだけの散歩だった。ルイも一緒に散歩に出かけるようになってまだ日が浅いとはいえ、油断をすればすぐにシェラにじゃれついてシェラを苛立たせてきたのでふたりだけのゆったりした散歩は平穏そのものである。先ほどのルイとの散歩以上の時間をかけてシェラと歩いた。
 
 とはいえ、シェラとふたりだけだと遠くへいかれない。マンションの前の半径50メートルほどの距離をウロウロするくらいのもの。シェラにしてみれば歩くことよりもただひたすらそこかしこに残るにおいを嗅いで外の世界の様子をたしかめることの関心だけである。
 ややもすれば、足をとられてふらつき、転びそうになる。近所の人とぼくが立ち話でもはじめようものなら、その場に寝そべって待っている。
 なんとも聞き分けがいい。そういえば、むぎもまた同じだったっけ。

☆なんとも図太いルイにビックリ
 朝、ルイを散歩に連れ出す前にケージの中を掃除してから洗面所にいると、大きな音とともにルイのただならぬ声が聞こえてきた。慌てて戻ってみると、ケージの中で落ちてきたフタにルイがはさまれて身動きがとれなくなっていた。明らかに怯えている。
 さぞやビックリしたろうし、怖かったろう。落ちてきたフタで身体を打って痛かったろう。「ゴメン、ゴメン!」といってどけたやった。
 
 夕方、家に戻り、シェラとルイに餌を与えた。そのあと、シェラに留守番のご褒美としておやつを与えていると、ケージの中でルイがまたフタの下敷きになっていた。自分にもよこせと激しく飛び跳ねたために、またフタが落ちてきたのだ。
 朝に続く二度目で、ルイは平然としている。なんという順応性だろうか。痛くはないらしいし、おとなしくしているのでしばらくそのままにしておく。おやつを与えると身動きもできないままで食べている。まことにもって図太いルイである。




 日曜日の今日は家人も交えてクルマで動いた。お歳暮のこともあり、出かけたのは二子玉川だった。日曜日ということもあり、またお歳暮シーズンたけなわの師走だけあってけっこうな人出ある。ドッグカフェの周囲では犬の数が多かったからか、ルイがルイらしからぬ興奮で手こずらせてくれた。
 夕方、いつも出かける奈良北公園ではシェラの底力に目をみはった。そして、死んだむぎに負けずいつもシェラを見ているルイの意外な側面も発見した。それらはまた明日にでもここへ記したい。


ルイの復活はシェラには迷惑かもしれないが…

2011-12-08 23:35:09 | シェラとルイの日々
☆シェラよ、ルイを気遣っているのか?
 もうすっかり元気を取り戻したルイだが、ルイが身体のどこかを痛めてしょんぼりしているさなかのシェラの行動が、ぼくはいまさらながら気になってならない。いつもルイが入っているケージの横を通り過ぎることはあっても、すぐ近くでまったりしたり、寝たりなどしなかったシェラが、まるで傷ついた(?)ルイを守るかのように寄り添っていたからだ(写真=右)。
 「なんでここにシェラがいるんだ?」と訝しげに見ながら、「まさかルイを守るためっていうことはないだろう」と、やっぱり思わずつぶやいていた。それは単なる偶然だろうと……。
 
 もし、体調に異常がなければ、シェラがケージの横にいるだけで、ルイはシェラと遊びたいからだろうが大騒ぎをする。シェラはそれを知っているからケージに近づかない。
 何か気になることがあれば、ときどき目をやりはするが、たいていは知らん顔をしている。ルイの食器をのぞきにたまに近づいても、あとは一定の距離をおいている。
 
 ルイのケージの近くへいって寝ているシェラが、もし、ルイの不調をわかった上での行動だったとすると、一体、どうやってそれを知ったのだろうか。まさか、ルイと会話をしているとは思えない。犬というより動物全般が備えている、われわれ人間からみると不思議な能力ということになる。
 
 犬たちの行動を過大評価するつもりはないが、過小評価するのも問題である。人間が思っているよりもはるかに高い能力や思考を犬たちが備えているとぼくは信じている。
 生まれてたかだかまだ5か月に満たないルイですら、朝、ぼくが出かけるとき、それを察知してケージの中で大騒ぎをする。このところ、ぼくはいつもリビングのほうから聞こえてくるルイの悲しく、寂しげな声を背に玄関を出ているくらいだ。

 
☆ルイの復活は早すぎたかな?
 ルイが上半身のどこかに痛みがあって(どうも胸の辺りをケージの縁にぶつけたのではないかとぼくはにらんでいる)しょんぼりしていた何日間かは、シェラにとってのんびりできた日々であった。散歩に出かけてもルイは跳びつかなかったし、マンションの部屋とエントランスの外までの往復に使うクレート(箱)に入れてもシェラの上に乗ったり、ちょっかいをかけたりせず、おとなしくシェラの脇にうずくまって運ばれていた。
 
 散歩のときにルイを気遣うようなシェラの素振りを見ることはできなかったが、もし、ほかの犬が近寄ってきたらいつも以上に警戒したのではないだろうか。衰えた自分の身体のことも考えずに反応しようとするだろう。それを予測してぼくはかなり用心して散歩をさせた。
 過剰な行動が、いまのシェラには大変な負担になるだろう。場合によっては命取りにもなりかねない。一度、ぼくの目の前で倒れ、意識をなくしている。あれからまだふた月と経っていないはずだ。


 復活したルイは以前以上と思えるほど元気になった。上の写真のようにすっかりお調子もののわんこに逆戻りである。ケージの中では懲りもせずに飛び跳ねている。いままでおとなしくしていた分がツケになってやってきたくらい激しいパワーなので、また痛めてはいかんと思い、はじめてケージに蓋をしたら頭をしたたかにぶつけてしまった。よほどショックだったのか、しばらくふてくされて寝ていた。
 
 ルイが復活してホッとしたのは飼主のわれわれだけで、シェラにとってはもうしばらく(理想はこのままずっと)静かにしていてほしかったと思っているかもしれない。


ただひたすらの憂い

2011-12-05 21:54:49 | シェラとルイの日々
☆シェラの変化に一喜一憂
 シェラの悪性腫瘍のための薬を変えて一週間、顕著な変化が認められる。ひとつは、呼吸が楽になっているのではないかと思われることだ。
 しかし、楽観はできない。薬を変えてからの週の半ば、寝ているシェラのイビキが激しくなった。もうオヤジそのものの往復イビキである。ところが、金曜日あたりから急に静かになった。起きているときの呼吸も楽そうで、ぼくたちもついウキウキしてしまった。腫瘍が気道を圧迫していないということだろう。
 そのままでいてくれたら少しは安心できたのだが……。


 土曜日、ルイの様子を見せるために病院へ出かけた。ついでにシェラも診てもらった。触診をした先生から、「角ばった感じがなくなりましたね」といわれ、思わずにんまりする。ぼくたちも触った感じで腫瘍の肥大化が止まり、むしろ、縮小しているのではないかと思っていたので先生の言葉は心強かった。
 「呼吸も楽になったようです」
 そんな報告ができるのもうれしい。
 
 むろん、腫瘍が完治できる性格のものでないのはわかっているが、何らかの変化が生じてシェラの負担が軽減できればそれに越したことはない。年が明ければ17歳、たとえ寿命が近づいていたとしても一日でも長く一緒に暮らしたい。
 寝そべっているシェラに腹這いになってにじり寄り、顔を近づけて、「シェラ、おまえがいちばん好きだよ。だから長生きしような」とささやいてから、シェラは耳が遠くなっていたことに気づいた。
 それでも、ぼくの顔をペロリと舐めてくれる。声なんか聞こえなくても気持ちはちゃんと通じるものだ。長いつきあいの中でわかりすぎるほどわかっている。
 
 昨日、散歩をかねて出かけたとき、クルマの中で再び呼吸が荒くなった。正確にはやや荒いといったところだろうか。もしかしたら、犬ならば、さらにいえば、高齢の犬ならば正常であっても呼吸が少々荒くなるのは当たり前かもしれない。たまたまシェラが悪性腫瘍を抱えているのでわれわれがナーバスになってしまっているだけなのではないだろうか。
 そう思いながらも晴れかけた気持ちが少し曇った 


☆日曜朝のルイはまたしてもしょんぼりと
 土曜日の朝、病院で痛み止めを注射したもらったルイは、家に戻るとすっかり元気を取り戻し、こちらがヒヤヒヤするくらいの暴れ者に戻っていた。ケージの中で立ち上がり、ピョンピョンと跳ねるのでぼくも家人も抑えるのに必死になった。
 跳ねなければ、ケージの中で粗相をしても許してしまうほどだった。それでも、ルイはトイレから外してオシッコをしてしまうと、きれいなトイレの上に避難して申し訳なさそうな顔でいる。

 日曜日、朝起きるとまた土曜日のように暗い目でじっとしている。どうやら土曜日の夜中に痛み止めが切れてしまったらしく、朝までおとなしく寝ていた。 
 前日の病院からの指示で再びルイを連れて様子を見せに出かけた。再び注射をしてもらい、飲み薬も2日分もらった。「(薬が切れて)まだ痛みがあるようなら連れてきてください」とのこと。さて、どうなることやら……?
 
 院長によると、「もしかしたら、頚椎を痛めているかもしれない」という。レントゲンを撮るには無理な姿勢をさせるので痛みがあるときには避けて、少しよくなってから改めてやりましょうということだった。
 ルイについてもシェラ同様、一喜一憂の日々である。
 
 月曜日の今日、ぼくはシェラとルイで心煩い、やっぱり疲れが出たようだ。救いは、シェラもルイも食欲が旺盛なことである。食欲は元気のバロメーターだろうからなんともありがたい。
 疲れたと愚痴をこぼしているが、ぼくの食欲も落ちていない。ま、一応、元気なのだが、今日、手許に届いた身体検査(会社の集団検診)の結果に気持ちが沈む。「コレステロール(悪玉)が高値を示し、動脈硬化を促進する可能性がある」ので再精検を受けることになった。これにはただひたすらの憂いしかない。
 シェラとルイに続いてぼくもまた医者の世話になるような気配である。