■ 筋金入りのチキンハート
怒涛のような1年だった。といってもルイには直接関係がない。ルイのとうちゃんに余裕がなくなってしばらく放っておかれたけど。
去年の今日、勤めている会社の代表になった。就任までひと月を切ってのオーナーからの指名だった。予期していなかっただけに慌てた。最初の半年ほどは仕事のことばかり考えていて気持ちの余裕が持てなかった。もちろん、いまも余裕はないのだが、少し慣れてきて「社長を演じる」のが楽しめるようになっている。
春までは、会社で疲労困憊となり、夜、家に戻ってからはルイと遊ぶどころではなかった。朝の散歩以外放っているのに気づき、これはいかんと、少し前からルイには意識的に声をかけてやり、スキンシップも再開した。
だが、当のルイは迷惑らしい。放っておかれたのに慣れてしまい、かえってそのほうが心地よかったのか、かまってやってもあからさまに「放っておいてくれ」という態度でいる。目があったとき、「こい!」といっても知らん顔だ。
先代のシェラやムギに「こい」といえば、迷惑そうではあったが、しぶしぶやってきて、「なんの用かしら?」といわんばかりの顔をする。「チュッチュは?」というと、「やっぱりそれなのね」とおざなりのキスをしてさっさと離れていった。
それでもシェラのキスには愛情があった。ムギのキスには報恩があった。ルイは無視である。
キスを嫌がるくせに、ルイはしじゅうぼくの足元に転がっている。
女房は、「ボスに守ってもらおうとしているのね」というが、もしかしたら、逆にボスたるぼくを守っているつもりなのかもしれない。しかもポーズである。守っているのを演じているだけの……。
夕方、ぼくの帰りを玄関で待つルイは、ドアの鍵を開ける音で奥のリビングへ逃げていく。逃げ遅れて、ドアを開けたぼくと目があっても逃げていく。それほどのチキンハートなのである。
■ 演じるのも楽じゃない
弱虫わんこながら、本能にはあらがえないらしく、番犬を演じようとするのは同じコーギーのムギがそうだった。いつも玄関の内側で番犬をやっていた。
キャンプへ出かければ、リビング用のシェルターの裾から上半身を外へ出して見張っているのである。シェルターを使っていないキャンプでは、タープの外で見張っている。これは最初の写真のようにルイも同じだ。
ただ、ムギはうれしそうに番犬をやっていたが、ルイはオス犬のくせにあきらかに緊張している。チキンだからしかたない。
ルイを非難してばかりいられない。
社長室のデスクに座り、社長を演じながら、いまのオレはムギかな? それともルイだろうか? と思うことがある。これまでの1年間はきっとルイのように緊張していただろう。しかし、これからは、ムギのように楽しそうに社長業を演じたいものだ。
幸い全社挙げての苦労が実って6月決算は思いもよらない大幅な利益を計上した。この上げ潮に乗らない手はない。
だからといって慢心はすまい。これからもわんこたちのように裏表なく素朴に、そして清廉に生きていきたい。何よりも、恩に対して裏切りで報いるような下衆には成り下がるまいとあらためて思う。
つい最近も、自らが苦境のときにすくい上げ、引き立ててくれた恩人を陥れようと画策した人間をまのあたりにした。天網恢々疎にして漏らさず。悪行はたちまち露見して自滅していった。だが本人は自分のやった行為の醜悪ぶりに気づいていない。憐れだ。
こちらはせっかく天がくれた僥倖である。思い上がらず、裏切らず、正々堂々と生き、胸を張って職務をまっとうしたい。純な心をあまねく持ったわんこたちに恥じないように。