昨日はサッカーの応援は興奮しました。
いきなりのレッドカードで
突然のチャンス到来。
PKもうまく入りました。
そして大迫の半端ないゴール
次の24日が楽しみです。
では高校九州旅行の続きです。
ーーーーーーー
青島海岸で
テントから出てオシッコしようとすると、
ちょっと離れた海岸のところに
アベックの二人が座っていました。
フーといいながらオシッコしてると、
その二人がチューを始めたのです。
「ウヒャー、こうしてみたらあちこちに
アベックが座っているぞ。
あちこちでチューしたりするんだ」
と三人はもう大騒ぎです。
生まれて初めて成人映画に入った
若人のようです。
これはあちこち散歩しながら
見学しなきゃあということになりました。
でもねえ、テントをカラに
しておくことはできません。
結局一人を残して順番で
二人組になって歩き回りましたね。
「おいアベック風に見えるように
歩かないといけないんちゃうか」
とかいいながら
うろうろしていきます。
もう、今となっては驚くような
新婚旅行の聖地でしたな。
もうここにはかけないことを、
九州初日の夜に見学してきて、
「う~ん、我々も大人になったなあ」
と自覚したのでありました。
とまあ、こんな過去のことを
書いていると思い出しても面白く、
もう少し書いてみたくなりましたので、
お許しください。
続きを書いていきます。
次の日は、えびの高原の方へ
行こうと決めていました。
宮崎から日豊本線に乗り都城へ、
そのあたりでウロウロした後は
吉都線でえびのに向かいました。
このひはここまで来たら
疲れているだろうと、
宿を手配していましたね。
この日はあったかい温泉に
はいるぞーと喜んでいたわけです。
えびので電車を降りて、
さあ宿までバスで行こうとすると、
な、なんとあまりの寒さで
今日はバスが運行していないとのこと。
え~、温泉はどうなるんだあ
とかいいながら、今だったら
タクシーでという考え方もあるのに、
若い我々にはそんな感覚はありません。
さいわい懐中電灯とかも
持っているので、
8キロくらいだから
トラック20周やね。
歩いていくかあとなったわけです。
平地じゃないですよ、
えびの高原に上がっていく山道ですよ。
時刻はもう4時前です。
平地のように飛ばして歩いても
2時間はかかるというコースですが、
「まあ何とかなるやろ」
という気楽な気持ちでした。
で、さっそく歩きだしたのですが、
山道に入ったとたんに、
これは何か恐ろしいことが
起こりそうだという予感が
三人の胸に湧き上がってきたのでした。
行けども行けども山道。
暗くもなってきますし、
もう傘じゃよけきれないほどの
雨も降り始めました。
いやあ雨というよりもみぞれで、
すぐに雪にと変わり始めました。
「天は我らを見放したかあ」
などという映画の言葉もない時代です。
半分くらい歩いたところで、
公衆電話を見つけたので、
宿に連絡を入れました。
「駅から歩いて向かっているのですが、
大変な状態なんです」というと
「動かずにそこに降りや」
という言葉を残して
車で迎えに来てくれたのです。
「ああ~助かったといって喜ぶ我々」
「こんな天気の中を、こんな時間に
歩いて宿に向かってくる客は初めてやあ」
と宿の人は言ってはりました。
もう何も怖いものもない、
若い我ら三人組だったのでしたあ。
宿に入ってひと安心。
風呂だ風呂だあと温泉に
飛び込んでいく我々だったのでした。
三人でお風呂に入っていると、
店の人も入りに来ました。
僕らは風呂に入りながら、
「青島はすごかったなあ。」
なんていいながら盛り上がっています。
「こんなんでしたよ。」と
宿のおっちゃんに話しながら、
大盛り上がりでした。
高校一年生のわれら3人。
「僕らも大人になったら、
頑張って子ども造るんやなあ」
とか言ってると、おっちゃんは
「いけるいける立派な子どもができるわあ」
と下半身を見ながら言ってはりましたなあ。
そんな会話は50年たっても
忘れないものですねえ
その日はランプの宿で
旅の夜を楽しんだ三人だったのでした。
続く
首Dさん、T本さん二人と
鹿児島に旅行に行ってきました。
安いピーチの飛行機便をとり、
宿、レンタカーを首Dさん知り合いの
旅行会社に抑えてもらって、
鹿児島中を旅してきました。
最近はこの辺の情報は本や
テレビでいっぱい入ってきます。
西郷どん、の影響ですな。
それに加えてミセスもまた激安飛行機で、
少し前に以前の職場の友達と日帰りで
鹿児島を二回満喫してきはりました。
だからもう、いろんな情報が入って
行きたいところがいっぱいです。
実はこの周辺を、まだまだ旅慣れていない
高校生の頃に、友達3人で
旅行をしたことがあります。
リュックサックを背負って、
周遊券でテントを担ぎ7泊8日で
無茶苦茶な旅をしました。
その時のことをちょっと長くなりますが
書いておきましょう。
今度の旅行ではそれを思い出す
所がいくつかあったのです。
まずは夜行の急行列車で
我々3人は宮崎へと向かいました。
確か電車の名前は「明星」でしたかねえ。
もう今はないでしょう。
僕らはその電車の寝台席なんかではなく
普通席に座って海を超え
九州に入っていったのです。
4人すわりのベンチで、
サーカスの熊よりも複雑な形で
眠っていきましたねえ。
翌朝、九州の線に入ってからは
電車もガラガラで、
僕らは最後尾の窓から遠ざかっていく
線路と景色を見ながら
旅感覚を満喫していたのを思い出します。
確か、途中で電車から電気ではない
列車に切り替わったような気がします。
ようやく列車は宮崎について、
「よっしゃあ、ここで降りよう」
と僕らは大騒ぎ。
駅の荷物預かりに荷物を預け
僕らはもう家出少年のように
見知らぬその町を歩き回ったのでした。
「橘通り」という市内の
大通りの名前もこの時に覚えました。
もう高校生とはいえ僕らは
世間知らずも甚だしく、
神社で今年は「紀元何年」
とかいう記載があるのを見て、
九州は違った西暦で動いているんか
と思ったくらいでした。
まだコンビニなどもない時代ですから、
腹が減ったら何か買って
というような感じはありません。
橘通りでうどんを食べた
ような気がします。
そしてこの日僕らが泊まったのは
青島。
青島海岸にテントを張り、
キャンプをする予定でした。
なので宮崎で散々遊びまわった後は
電車に乗って青島へ移動
ということになりました。
当時は周遊券で来てたので
電車は乗り放題です。
「青島行は0番ホームから出ます」という
放送を聞いて駅に入り、
ああこれだあと言って気づかずに
乗り込んだ列車は
な、なんと1番線の車両でした。
時刻が来ても電車は動きません。
と窓から向こうを見ると
青島行の列車が出ていきます。
うわーと思っていたところに
車掌さんが来て、
この電車は車庫に入るから
降りてくださいと言ってきます。
「そんなこと言わずに青島まで行ってよ~」
と懇願しましたが無理でしたね。
もう青島行には乗れなくなったので、
ここからは歩いていくか
となったのです。
まあしかしついていることに、
無事バスを発見。
おお~神様に参ったのが
聞いてるぞーとそれに
乗り込んだのでした。
その日に絶対に青島に
行かなくてはならない理由は
何もなかったのですが、
僕らはそれなりにスケジュールを
決めていたので、それを
守らないといけないという
指名に燃えていたのでした。
で、夜に青島に到着し、
我々は近くの海辺に
テントを張ったのでした。
酒屋の店先でこっそりビールを買い、
三人で飲んでみようとしたのですが、
もうこれが苦くて苦くて、
大人は何でこれをうまいと
飲み干しているんだと、
まだ大人になり切れていない我々は、
三人で1本のビールも飲めずに、
テントでトランプしたりしながら
過ごすのでした。
当時、青島といえば新婚旅行のメッカ。
すると海辺にテントを張った
我々の周りで、ウヒャーと
すごいことが起こったのでした。
高校一年の思い出話、続く。
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さあ、ブログがすんだら
今からこんな格好で
サッカー応援だあ!
昨日、doironが始めた
四国八十八カ所の絵の展示会がすんだ。
この展示会まで頑張って準備を進め、
まあ何とか来ていただいた
みなさんには喜んで
いただけたかと思います。
ワイン、日本酒、おつまみ、アメリカンチェリー
各種お土産などの差し入れも
ありがとうございました。
主催である首Dさんも、
来ていただいた人らは
みんなすごい人ばかりで、
話を聞いてるだけで
「僕も頑張って治療しなきゃあ」
という気になったと喜んではりました。
いいことですねえ。
でもそらそうですよねえ。
みんなマラソンを走った
経験があるだけでなく、
元祖ウルトラ女王や
昨夜から徹夜で長距離を走って
そのまま寝ずに奈良から
駆けつけてくれたひと、
キリマンジャロ登頂者、
トレイルのベテランなども
参加してくれていたからね。
そんな展示会にむけて
doironも準備が大変でした。
絵の展示をするのに半月。
あれやこれやと準備するのに半月と
時間を費やし、まあようやく
迎えた本番でした。
準備だけでブログを7話以上
費やしてしまいましたしねえ。
でもまあ絵の展示なんかは、
これからもこんな機会が
あるかもしれんなあと思い、
けっこう渾身込めて行いました。
展示した絵なんかはしっかりつけたので
ミセスには「これでもう震度7でも大丈夫やあ」
なんて自信たっぷりに言っていたのです。
そして今朝の地震です。
doironはテレビ観賞中で、
慌ててテレビを押さえました。
ミセスは歯磨き中で、
口に歯磨きを加えたまま飛んできて
家具を押さえてました。
ウヒャーこれはなかなかのもんです。
長野県の息子からも後でメールが届き、
お風呂とトイレのタイルが
はがれてないか注意しときやあという内容。
親二人はとりあえず無事やで
とメールを送っときました。
揺れが収まってから、
まずは家中の見回りです。
風呂やトイレのタイルは大丈夫か、
台所のガス、水道は大丈夫か。
うん。異常なしのようです。
そしてふと思い立ったのが、
絵画展示室の様子です。
絵の貼り付け時なんかには、
たびたび剥がれ落ちてた絵は大丈夫か。
いや、展示用の板そのものが
倒れていないか。
慌てて展示会室をのぞいてみました。
すると・・・おお~大丈夫です。
どこも具合の悪いところはありません。
doironの絵が北斎の絵のように
なっていることもないし、
ピカソの絵のように変な遠近感に
なっていることもありません。
ちゃんとどの絵も展示板に張り付き、
展示板も無事です。
「ほらな、震度7まで大丈夫やというたやろ」
とdoironはえらそーです。
とにかくまあ、何事もなく
ホッとしたのですが、
そのあと友達から「絵は大丈夫?」
というメールが3通届きました。
「震度7まで大丈夫やで」
と偉そうに返事したdoironだったのでした。
地震の影響は高層のマンションに
済んでいる人には大変だったかもねえ。
首Dさんとこはワインが倒れたみたいでした。
口でチューチュー掃除に行って
あげたのにねえ。
そうそう今日は絵の展示会を
見たいという友達も来てくれました。
ブログをいつも読んでたので、
雰囲気よくわかるよとのこと。
いやあ、わざわざ自転車で来てくれて
ありがたかったです。
近所の気になるお気に入り食堂で
ランチを楽しんで終わり。
こうしてやってると、
みんな興味を持って来てくれて
楽しくていいですねえ。
まあしばらくの間は展示してますからねえ。
また見に来てください。
震度7の地震が来たら撤収かもしれませんけどね・・・
本日は父の日につき、
どうもみなさんそれを
祝いに我が家に集まってくれました。
今回の父の日が
まもなく孫が生まれるので、
doiron唯一最後の父の日です。
来年からはどこかに
「じじの日」を作ってくれませんかねえ。
まあそんな最後の純正父の日を
皆さんのお祝いで祝っておきましょう。
ん、違う?
今日は父の日やなくて、
四国お遍路のお絵かき展示会
&BBQ大会じゃないかって
そ?、そりゃそうです。
苦節6年、仕事からも一線を退き、
親の介護を乗り越えて、
自分の命も最新医療に
救われながらコツコツと
描いてきた絵を友達の皆さんに
見てもらう日でしたね。
ああ、これまでの趣味に合わせたら、
初めてフルマラソンを走った日、
まともに泳げないのに
トライアスロン大会に出た日
のような感じですねえ。
あの時は家族はこの人は
何をするんやとびっくり
してたでしょうね。
萩の250キロを走るときなんか、
スタート前日に道を間違えないようにと
方位磁石をパッキングしてたら
「いやいやあんたはすでに道間違えてるで」
とミセスにいわれましたからね。
こうして絵なんか書いて展示してたら、
今度は
「あんたは人生を描き間違えてるで~」
といわれないか心配です。
いやあ、そうかもしれませんが、
まあこれもdoironの遊び方ですから、
あきらめてもらうしかないですねえ。
生まれてくる孫が不幸にならないように、
静かにいきていこうと思っています。
さて、そんなお絵かき展示会なんですが、
どうだったでしょうか。
みなさん気に入ってくれたかなあ。
これからはdoiron画伯と
呼んでくれるでしょうか、へへ。
doiron落書き王なんて
呼ばないでねえ。
法は守ってチビチビ活動してますからね。
BBQのお話なんかの中で
いろんな感想がありました。
まあこんな高齢者の遊びに
みなさんいい反応をしてくれましたね。
ほんまにありがとうございました。
絵の方もいろいろ反応してくれました
あんな小さな目で、
こんな細かい部分がよく描けたなあ
という感じでしょうかねえ。
おかげさんで近頃は乱視傾向で、
ものが何重にも見えたりします。
まあ、財布を眺めたら、
お札が多く見えて
貧乏感が薄れていいのかもしれません。
初夏の日曜日の1日。
精一杯のおもてなしの
成果はあったかなあ。
奈良から頑張って来てくれたり
和泉府中から歩いてきたりと
あちこちから大変な感じで
みなさん来ていただいて
ありがとさんです。
仁Oさんにはおてつだいも
ありがとうございました。
セイゾー君も焼肉では
世話かけました。
ミセスがとても恐縮がっていました。
またみなさん差し入れなんかもくれたりして
すみませんでした。
次回はそのうち
西国33カ所とかのお絵かき展も
しようと思っていますので
その時もまた来てくださいね~
ああ、飲みすぎました。
今日ははやくねます。
ありがとさんでした。
明日はいよいよ絵画展示会とBBQの本番です。
天気は悪くなさそうですねえ。
雨対策は必要なかったかもしれません。
雨に降られる中で我が家でBBQかあ
塗れないためには、
暑くないためにはと対策を
いろいろ考えたんやけどなあ。
まあこれからの人生に
いかすことにしよう。
雨除けのビニールは
いい方法だったよなあ。
でもお天気でもビニールシートは
日差し除けにあった方が
いいかもしれませんね。
明日はそんな風にしてみようかな。
さて明日コンロで焼くものの内、
肉はこんな感じで
一人200gとホルモンを買った。
あ、黒毛和牛とかじゃないですよ
そんな豪華な肉ではなく
薄毛和牛にしときましたからね。
まあ女性が多い(9人中5人)ので、
ホルモンは少なめである。
あとソーセージなんかも
買っておいた。
これがdoiron最近のお気に入りの
ソーセージ
ちょうどいいくらいにピリ辛だ
野菜は、キャベツにタマネギ、
ナスとかぼちゃ、ピーマン。
まあ、焼肉の野菜セット風に
そろえて置くことにした。
もちろんイカなんかも買っておいたよ。
これくらいかなあ、準備は。
もし来る人で、これも焼いてというなら
持参してね~
実はこの日、近所の神社では
祭りの若者の団体が
焼肉をすることになっているから、
きっとわが町は焼肉のにおいで
あふれかえるかもしれないのだ。
この日のBBQに備えて、
マイカーを神社に置いているが
取りに行くのはちょっと
頃合いを見計らって
行かねばならないだろう。
そんな場に通りかかったら、
引き摺りこまれるのに
間違いはない。
注意しないとねえ。
さあ、いよいよ明日が
doironのお絵かき初展示開催である。
喜んでくれるといいなあ。
実は、明日の団体以外に
もう2団体の予約が入っている。
うれしいじゃありませんか。
こうしていろんな人に
ある意味興味を持って
もらっているというのは
本当にありがたいことだ。
1団体は持ち寄りで食事会。
そしてもう1団体は
近所の食堂で昼食を用意している。
まあいろいろとミセスに
負担をかけないようにしないとねえ。
また、個人で見にいくよ~
と返事をいただいている人が
今のところ4人います。
一人だけは翌月曜日に来るよ
と依頼をもらってますが
あとはまだ日にちも
決まっていません。
まあ、来ていただくのは
本当にありがたいことなので、
この夏くらいは展示を
続けていようと思っていますから
また興味のある人は声をかけてください。
こんな風に、家で展示を
やるわけなので
そんなに手間もかからんだろう
とお思いでしょうが、
準備品の購入、ミセスの機嫌取り
なんかが大変です。
それに人が来るから
それなりにお掃除も大変そうだ。
もし有料でどこかを借りて
やるんだとなったら、
こんな心配はないだろうが
もっと別の意味で
してはいけないこととか
そういうことで大変なんでしょうねえ。
今のところはそんな気持ちは
全然ありませんからね。
ミセスに負担をかけています。
でもねえ年金暮らしの家の中で、
中のいい友達とワイワイガヤガヤ
楽しむのが性にあってますねえ。
のんきにぼちぼちと
こういうイベントを
楽しんでいけたら
最高にうれしいdoironなのでした。
では一回目の予約を入れてくれている皆さん、
明日はしっかりお待ちしてますからねえ。
よろしくです。
今、季節は梅雨です。
オホーツク海気団と小笠原気団が
せめぎあい、日本に停滞全線が
かかるこの季節の
気候のことを言います。
でもねえ、なぜ梅の花なんて
終わっているのに
「梅雨」なんでしょう。
いやあ、これにもいろいろ説があるんですねえ。
梅の実がなるころだとか、
カビが生える「黴雨(ばいう)」から
なまってきているなどがあります。
梅の実にしてみれば、
しっかりとご飯をおいしく
するあの酸っぱい梅肉が
育つ季節にこんな名前は
うっとうしいなあと
思うのかもしれない。
もしdoironが和歌山南部の生まれなら
「梅雨」なんて言わずに
夏前全線と呼ぼうよなんて
言ってたかもしれません。
まあそんな風に今は
前線による雨の多い季節です。
今度の日曜日にdoiron家では、
お絵かき観賞会と同時に
10人程度でBBQを行う予定で、
場所は駐車場でと思っていますが、
もしその時に雨だったら
どうすればよいかというのを
考えておかなくてはなりません。
ガレージに屋根はあるのですが、
ワンボックス購入後でも行けるように、
屋根の位置は高くしていますので、
どうしても横からの雨をふさぐのは大変です。
じゃあどうすればいいか。
ガレージの屋根から
ブルーシートをかけて
雨をふさぐというのも手です。
でもねえ、この時期ブルーシートに
囲まれてのBBQなら
どんなに暑いかと心配ですねえ。
いろいろと考えた挙句、雨の時は
展示会の横の庭でBBQをやって、
展示会の部屋で食べていただく
というのがいいのかもしれない
という方法にすることにしました。
なので、屋外部分に小さな
ブルーシートをかぶせて
屋根を作っておくことにしました。
これもまあ、本番が近づいてきて
雨が降り始めたら作成するのも大変です。
あらかじめ準備をしておく必要があると思い、
ブルーシートを巻き付けて
先に準備しておくことに。
その結果がこれです。
雨がどんなに防げるかわかりませんが、
まあこれで何とかなるでしょう。
でもねえ、晴れたときに
外でやるのも大変ですよ。
まず椅子を用意しないといけません。
まあ集めたら我が家にも
それくらいの椅子は
あるかもしれませんが、
ちょっと屋外使用は大変です。
そこで思いついたのが、
自治会の椅子です。
公民館の倉庫の中に
100脚あまりの椅子があるので、
とりあえずこのうち5脚を
自治会長の了解を得て
お借りすることになりました。
ああ、これで完璧ですね。
あとは、食器類なんですが、
これも百均の紙皿なんかを
買っておきます。
それと紙コップも用意しないと
いけませんね。
これはねえ、やはり紙製ではなく
プラスチックのコップが
いいですねえ。
ビールを注いでクイッと飲み干す
爽快感を味わっていただけるようにね。
バーベキューコンロ、
墨、トング、キャンプ用の椅子、
みんながお皿を置いてもらえるような
テーブルも用意しないとねえ。
ウエットティッシュなんかも
あればいいねえ。
あ、そうそう展示会室で
コーヒーでも飲んでもらえるように、
カップのセットがいるなあ。
でもおそろいの柄の者は
5枚セットだしなあ。
まあ、ジダンやセイゾー君には
ほかの柄で飲んでもらいますかねえ。
もちろんdoironも自前の
マグカップです。
細かいことまで考えてたら
キリありませんね。
まああとはその時の
成り行き次第で行いますかねえ。
至らないところがあっても
許してくださいね。
じゃ、肉、野菜などの
買い物はどうするか。
あしたはその辺のことを
書いておきましょう。
さあ、来週初めから
doironのお絵かき展が始まるんだよ。
日曜日はそのオープンの日で、
普段、何やかやでよく一緒にいてる
人たち数人に声をかけ、
見学してもらい展示会の横で
BBQをやることにしているのだ。
まあ、絵に対してというより
BBQでみんなの関心を引いて
ついでに絵を見てもらおう
という魂胆だ。
この魂胆はもう四国遍路中から
頭の中に描いていたことだった。
闘病中の首Dさんとの
ご遍路を何かの形で
お披露目しておきたかったので、
何かいい方法はないかと考えていたのだ。
メンバーはだいたいエイ仲間や
歩く仲間中心で、声をかけてみたら
「行くよ~」とありがたい返事を
もらっている。
まあ半ば無理やり的な
ところもあるけどね、へへ。
まあ何はともあれ、
お絵かきdoironの初展示会で
あることには変わりない。
できるだけの準備をして
皆さんを出迎えてあげたいと思っている。
初期の準備は、このまえブログでも
報告した通りに用意を進めてきた。
基本的なところは大体できたと思うが、
やり始めてみると、
あああれもしなきゃとか
色々出てくるのだ。
ここにちょっとそれも書いておこう。
開催はこの週末だから、
参加する人のことを考え、
ほかにも気が付く範囲で
いろんな準備をしてきました。
首Dさんも来てくれて、
打ち合わせとかもしています。
まず、先日はこんなパンフレットも作って、
事前に渡すようにしました。
実際に家を知らない人もいるので、
地図を印刷して作っています。
みんなのためにとはいうものの、
これもイチビリの一つなんですけどね。
初お披露目の記念品としては
残しておいてもいいかなと
思ってやってみることにしたのです。
それから、来てもらった人に渡す
お土産なんかも作成しましたよ。
こういうしおりなんかも入れてね。
お土産を入れる袋は百均で
厳正してきました。
百均なので厳選してきた
といっても知れてますけどね。
そして、展示会の現場には、
八十八ヶ所プラス高野山で
押印してもらった掛け軸や
納経帳、遍路時の服装なんかも
並べるとともに、
各寺ごとにかいたブログを
印刷してファイルにして
並べることにしました。
まあ一寺ごとに原稿用紙
3枚くらいのブログを書いていますし、
その時に取り組んだことなんかも
きっちり書いてありますから、
興味のある人には読んでもらうと
便利だと思いますよ。
でもねえ、実際はこれが
とても手間でしたねえ。
ページ数では500ページほど
ありましたから、印刷に
時間のかかること。
これも100均のファイル
2冊にまとめました。
まあ、こうして展示の絵の額など
百均は多用してるんです。
年老いて年金暮らしの中で
個人が楽しく遊ぶのに
百均はとても頼もしい味方なのです。
他にも百均のボードに
お絵かき観賞方法なども
記載したものも並べておきましたし、
首Dさんと四国で撮影した写真も
印刷しましたよ。
いずれも費用は掛かっていませんが、
気持ちはしっかりこもっています。
展示会室を後で元に戻すのに
あまり手間がかからないように
ボードで家具を隠すなどして整えて、
大体出来上がった部屋に
そんなものを並べています。
まあこれらの作業は、
素人の所作ですから、
こんな反省点もあるんちゃうん
とかいうのもぜひ気づいたら
教えてほしいと思いますね。
あとはまあ、参加者の名簿なんかも
作れたらいいかなあ。
参加したときに、これに書いて
いただけたら、doiron自身の
いい記念品になりますのでねえ。
あ、個人情報はまったく
オープンにはしませんから
安心してください。
まあだいたいこれで展示会の
準備の方はおわりかなあ。
まだ何かあるかなあ。
あとはBBQの用意も
少し残っています。
明日はそれを書きましょう。
さあ、もうすぐ琵琶湖沿いに出ますよ。
その前に坂本城跡があります。
織田信長が明智光秀に築かせた水城です。
信長の安土城に次いで
豪壮華麗な城と評価されていました。
この城の目的は信長の美濃と
京都とのルート確保や
水運などにありました。
でも山城の合戦ののち焼失しますが、
また再建され、大津城に移るまで
ここに城がありました。
琵琶湖の水を使った
いい城であったといわれています。
今は琵琶湖の水底に
石垣が残っていたりしますので、
渇水期にそれが見えてきたり
することもあるそうです。
その坂本城から琵琶湖に沿って
しばらく琵琶湖沿いに
国道161を北上します。
この国道は、むかし金沢に
住んでいたころはよく通りましたね。
友達の車や自分の車で
よく走った国道です。
当時、まだ北陸自動車道が
なかったころですね。
思いで深い国道です。
大阪の現実と学生時代の
夢の暮らしをつなぐ国道でした。
そんなこの国道の道路端を
北向いて歩いていきましょう。
ここに明智塚があります。
このあたりは坂本城の敷地内で、
ここに光秀の脇差が埋められており、
一族の墓所であるといわれています。
信長をやっつけて
さあ天下を動かしていくぞ
という夢を一瞬見た彼の
夢の後というわけですねえ。
そしてしばらく進んでいくと、
右前方に琵琶湖沿いに入っていく
道が現れますので、そちらへと
入っていきましょう。
こちらは車も少なくて気持ちいい道ですね。
昔は琵琶湖沿いの立派な
建物なんかも動いていたんでしょうが、
今はもう夢の後のように
なっている施設も多いですね。
ここは磯成神社です。
日吉神社の末社の一つですが、
地元の氏神様として
信仰されてきたようです。
ここにはでかいムクロジの
木が生えています。
この木は石鹸の力を持っていたり
実が羽付きの羽になったり
するのですが、じつは他にも
面白い役割を持っています。
女子の避妊具として
その大きな実が活用されるそうです。
この木が生えているところに
どんな動きがあったのか
どうかわかりませんが、
意外に人々の暮らしと
関係している木だったりするから
意外な歴史を持っていたりするんです。
ここは知りませんけどね。
多分琵琶湖沿いの人々の
歴史と深く関係しているんでしょうね。
その先にあるのが新唐崎公園です。
ここは夏には湖水浴とか
するのかもしれませんなあ。
きれいな砂浜が広がっているので、
ちょっと座って休憩していきましょう。
湖面を吹く風も気持ちいいですね。
今日はポットにいれている
コーヒーをここで飲みましょう。
それにしてもこんな風に
琵琶湖に沿って作られた家って
環境いいのかなあ。
海水じゃないから虫とか
多くないのかなあ。
そんな心配をしながら
ちょっとのんびりと時間を使いました。
さあ、ではあともう少しです。
歩いていきましょう。
この先には若宮神社があります。
これも日吉神社の末社ですねえ。
先ほどの坂本城からやってきた
船渡御がここに訪れ、
神様がそのまままっすぐ
日吉神社に帰るといわれています。
そうこの神社のところから、
あのせせらぎの道まで一直線に
道がつながっています。
そしてこの先にあるのが大崎神社です。
これも日吉神社の末社ですねえ。
神社がこの辺にはいっぱいありますねえ。
ああ、今回歩いたコースは
これで終わりです。
ここから国道161を超えて
坂本の駅へと向かいましょう。
今日歩いたコースはこんな感じ。
歩いた距離は12キロでした。
このあとJR坂本から
電車に乗って大津京へ。
そこから京阪電鉄で浜大津。
そしてそこから上栄町まで行って
大津の車に到着です。
まあ、何んとか前から行きたかった
比叡山麓にちょこっと触れた歩き旅でした。
山の辺の道も面白かったなあ。
比叡に登るケーブルのことも
よくわかりました。
doironもまたどこかで
半日回峰しなきゃと思った1日でした。
おしまい
ここへ来るまでに
穴太衆の石垣をこえてきました。
そして出てきた
比叡山高校の学生が帰宅していく
せせらぎの道の片隅で、
ランチをしましょう。
この日はお弁当と、味噌汁ですねえ。
いやあ人がたくさん通っている横で
飯もなかなか大変ですねえ。
写真を撮るのも忘れて
しっかり食べてしまいました。
もぐもぐ、ぱくぱく
いやあ、でもやっぱり
歩いてこういう屋外で
食べるお弁当は最高ですねえ
さあおなかもふくれました。
ではまた歩き始めましょう。
ここからせせらぎ道を
まっすぐ下っていけば
JRの坂本駅に出ていくのですが、
大鳥居のある交差点のところで
右折していきましょう。
この辺りが作り道といわれるところです。
東海自然歩道でもあり、
昔からの商店が並ぶところです。
入り口近くにある蕎麦屋さんは
昔からのお店で、店の建物も
登録有形文化財だそうです。
ああ、今お弁当を食べたところですから
大丈夫ですが、それとなく
お蕎麦のいい雰囲気を感じそうなお店です。
おみやげの「さるや」、
塩の「大文字屋商店」などの店が
続いて行きます。
あ、ショウキさんの付いている
壁もありますねえ。
ここが福成神社といいます。
日吉神社の末社の一つだそうです。
由緒はよくわからないそうですが、
神社名が何となく商売が
うまくいきますようにという願いが
こもっているような感じがしますねえ。
ここの「毘沙門天王」の石碑の
上がっている道が、
先ほど日吉東照宮から
下ってきた道となります。
ここには西国三十三カ所霊場の
石碑も立っていますねえ。
そうですねえ、間もなく我が家では
四国八十八カ所の絵画展をやりますが、
この西国三十三カ所の絵画展も
完成したらやりたいですねえ。
今度はもう少し大き目の
絵でもかいてねえ。
そしてここが、地域の案内本にも
書かれているパン工房です。
西洋軒といいまして
どんな調理パンも
110円の看板が上がっていました。
もし歩きに行くならここで
弁当代わりのパンを買うのも
お昼ごはんのひとつの手ですねえ。
500メートルくらい
こういう通りを歩いていきますと、
左の大きく広がる道が現れてきます。
コースはここを曲がって
今度は東の方、すなわち琵琶湖の方を向いて
歩いていくことになります。
遠くにびわ湖の水面も見えていますねえ。
この道辺りにはあまり
お寺とかはありません。
こういう地蔵さんなんかを
眺めながら進んでいきますと、
踏切に出ます。
これが京阪電車の踏切で
そこに「松ノ馬場駅」があります。
大津からはこれに乗って
やってきても良かったかもしれませんね。
その踏切を渡ってさらに進んでいくと、
散歩の案内本にも登場する
カメラ屋さんがあります。
「必撮写真ビデオ」
と書いてありますので、
お店を移しておきました。
こんな番犬が店番してますし、
その近所のお家では
家の壁がこんな風になっていました。
いやあ、本当に必撮でしたねえ。
そのさきでくぐる大きな高架が、
先ほど乗ってきたJRの高架線ですね。
ここからまださらに
琵琶湖の方へと下っていきます。
その先に道の両側に神社の
ある所に出てきます。
まず右側が「両社神社」です。
となりにある神社と同じ構造の建物で、
いずれも広島藩主浅井氏によって
現在の社地に移されたんだそうです。
ただ酒井神社の方は面白い歴史が
残っていて、下坂本のお堂にある石から
酒がどんどん湧き出してきて、
その石を祭神としているんだそうです。
まあ、それにしてもお堂が
付き合わせの位置にあるというのは
ちょっと珍しい感じでした。
その二つの神社の先の信号のところから、
コースはいったん
右の方へと回っていきます。
この辺りは旧町名を「大道町」といいます。
坂本城が廃止になった時に、
そのお堀を埋めて北国に通じる
大道を作ったところから
こういう地名ができました。
それを説明する石碑が一つ
ポツンと立っていました。
続く
日吉大社は現在2000社ある
日吉・日枝・山王神社の総本社。
まあ歴史は古い。
猿を神の使いとするそうで、
先ほどの西教寺といい、
このあたりには古くから
猿に関することがよく出てくる。
昔は多かったのかなあ。
ここの見どころは境内にある
古い日吉三橋といわれる橋。
豊臣秀吉が寄進したと伝えられています。
国の指定文化財だそうです。
それがこれ。
そしてこの神社にはちょっと変わった形で
有名な山王鳥居があるそうなんですが、
これはチェックできませんでしたね。
ネットで見てみたら
こういう鳥居だそうですが、
ちょっと場所がわかりませんでした。
見つけたのはこういう鳥居でした。
これは普通の明神鳥居でしたねえ。
で、この辺りは制服をきた
学生さんが多いですねえ。
学校が近いのかな。
歩道を歩いていると、
体操服を着た学生さんの集団が
ランニングで追い越していきます。
え?てびっくりしたのが
その集団が「こんにちは」といって
声をかけてきました。
まあそういう風に教育されている集団ですねえ。
その先に学校の入り口が・・・
比叡山高校でした。
創設の経緯から学生全員が始業時に
般若心経を唱えているそうです。
僧の子どもさんとかが多いのかなあ。
その高校入り口の横には、
比叡山に登っていくケーブルの
駅までの坂道が通っており、
その坂道が陸上部の練習場のようであり、
坂道ダッシュをしている
学生さんがたくさんいましたねえ。
その横をこんにちは
とか言われながら登っていきますと、
そこにあったのが比叡山に登る
「坂本ケーブル」の駅です。
なかはこんな感じで、
8時から18時まで一時間に
二本の便があり、片道860円だそうです。
ちょうどケーブルが降りてきましたよ。
こんな感じです。
駅の前にはいろんな案内板が
立っていますよ。
歩くコースの案内板もありました。
比叡山の僧侶の中には
1000日間かけて比叡の山中中心に
歩き回る僧がいますよねえ。
千日回峰というそうです。
doironも千日くらい歩いているかなあ。
6年かけて歩いているとして、
だいたい2日に一回歩くことになるから
無理ですねえ。
今だと1週間に二日くらいですから
あと五年くらいはかかりますかねえ。
この前昔の職場の先輩ののんさんが、
この比叡山当たりを歩いたことを
ブログにしてはりましたねえ。
そのタイトルが「半日回峰」だって、
笑っちゃいますよねえ。
さあここからケーブルに乗って・・・
ではなく、今回はその駅の横の道を
南側へと歩いていきます。
そこに徳川家康公の霊廟である
「日吉東照宮」があります。
日光東照宮のひな型とありますねえ。
すぐにその東照宮が見えてきます。
中に入るのは土日曜日か休日ですから、
この日は木曜日なので入れません。
入り口の壁越しに写真を撮ると、
おお~絢爛豪華ですねえ。
猫やトラなんかが彫られていますよ。
家康ってこういうのが好きだったんやねえ。
さあ、ではこの東照宮の階段を
下っていきましょう。
かなり急な階段で、これはちょっと
足の不自由な人には
通りにくいような感じですねえ。
慎重に降りてゆきました。
階段が終わり、琵琶湖が遠くに見える
坂道をさらに下っていきますと、
慈眼堂の方に向かって
左折していきます。
ここがその慈眼堂。
慈眼大師の廟で、大師号の宣下を受けた
彼に対し徳川家光が建立したものだそうです。
苔むしたしっとりとした霊廟です。
ここから建物の間を
くねくねと抜けて歩き、
両側の穴太組の石垣に挟まれた
情緒あふれる道を、比叡山門前町の
中心的道である「せせらぎの道」の
馬場あたりに出てきます。
ここは何と東海自然歩道になっています。
時刻はもう一時を回っています。
この辺りで昼食ですね。
続く