ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

河内を歩いた泉州のおっさん3

2018年08月11日 22時02分22秒 | ウォーキング

「河内木綿」に「河内音頭」それから
「八尾」の語源と、
ここまででだいぶ八尾とは
仲良くなってきました。

地元の農家を潤した綿産業、
念仏踊りが庶民の踊りになった河内音頭。
八尾の人々は地域で懸命に
暮らしてきたようですね。

江戸時代の伽藍の姿の本殿を見ながら、
仁王門を出ていきますと、



こちら側が正面ですね。
その外に「八尾地蔵尊」の
案内の石が立っていますね。



ちょっとした参道を抜けていきますと、
そのあたりからこんな古い
お店の形跡もある



ファミリーロードという商店街が
続いています。



あ、よく見るとここでは
「お逮夜市」というのをやっているようです。

今日の日にちは26日。

わあ、一日ずれてたら
27日のお逮夜市だったのになあ。
その日は賑わうのかなあ。
日にちがずれてて残念でした。

その商店街の突き当りにあるのが



「八尾天満宮」です。
先ほどの常光寺は「八尾僧正」がいた
「八尾の地蔵さん」といわれてましたが、
ここは「八尾の明神さん」といわれています。



いやあなかなかありがたそうな
神社仏閣が続きますねえ。



参道には「大峰さん」と
かかれた石と下駄をはいた、
多分「役行者」でしょう、
その銅像が置かれてありましたねえ。



「講」もあったりするんでしょう。

ここは天穂日命と菅原道真を祭神として
片桐旦元が創設したといわれています。

立派な本殿でお参りして、
さあまた歩き続けましょう。

商店街の制服屋さんは面白かったですねえ。



ウルトラマンが制服着てたり、



タイガーマスクが八尾河内音頭の
Tシャツ来てたりしてましたね~

さすがに河内!
商店のおっさんも陽気に
頑張っている雰囲気でした。

慈願寺を外から眺めながら、



だんだんとにぎやかなところに
出ていきます。

ここが八尾の図書館です。



暑いので凉をとるのと
トイレ借りで入っていくと、
ああここには「今東光」の
資料館があるのですねえ。



のぞいてみましょう。

作品がいろいろと並べられていますが、
残念ながらこの人の著作物は
読んだことがないですねえ。

資料館にある資料で読んでみよう
と思ったのは
「小説 河内風土記」ですかねえ。

また地元の図書館で探してみましょう。

こういう地域の風土記を
残しているというのは、
まだ今も残る遺物が
あったりしていいかもですねえ。

だったらdoironのブログを見て
同じところに行ってみよう
とするのも旦しいかもしれませんよ。

ちょっと多すぎてキリがないかなあ。

その図書館の前にあるのが
「八尾市役所」です。



現役で仕事をしていたころは
ここにはたびたび訪れましたねえ。

ここの記者クラブにもよく行きました。

某新聞社の記者は親切で、
いつもよく投稿した記事を
掲載してくれましたねえ。

あの青いシャツの記者姿が懐かしいです。

そんな八尾市役所も
今はあの頃と全然違う
建物になっていますねえ。

こういう場所も今風過ぎたら
ちょっと物足りない感じがしますねえ。

そんな市役所前の道を北向いていくと
「本町1丁目」の大きな交差点にでます。



この交差点には
「八尾街道」の案内がありました。

奈良街道の側道で、
八尾の重要な施設をめぐり、
再び奈良街道に合流する案内なんかも
書かれていました。

こんな交差点にも河内のおっさん風の
高齢者がたまっていたりしますねえ。

兄ちゃん、なんの写真撮ってんねん
なんて聞かれそうやなあ。

その八尾街道の案内板の横には
道標も建っています。



「左 信貴山 ならいせ道」

と刻まれています。
嘉永5年とありますから
1850年頃の道標です。

そしてこの横にある金融機関の土地は、
八尾地内町を作った河内のおっさん
「森本七郎兵衛」の
旧宅の跡地だったのですねえ。



続く


河内を歩いた泉州のおっさん2

2018年08月10日 21時21分04秒 | ウォーキング

そうですねえ、
河内と八尾市が重なるのは、
前に書いた河内木綿や
この河内音頭が熱心
というのがありますねえ。

doironところで行われる盆踊りは
「江州音頭」がよく歌われますがね。
まあいろんな音頭取りが上がりますから、
河内音頭や伊勢音頭も歌われますが、
まあ中心は「江州音頭」です。

でもこの八尾あたりは完璧に
「河内音頭」でしょうねえ。

公園にはこんなステージもありますし、



季節が近づいたら飾りなんかも
あるのかなあ。
そしたら河内のおっさん連中も
もっと集まるんやろなあって感じです。

公園のベンチでビール飲んでる
おっさんの頭には
「エーさては一座の皆様へ 
チョイと出ました私は 
お見かけ通りの若輩で~」
といつも響いているんでしょう。

そんな公園を過ぎて
しばらく線路沿いに進むと、
右側の路地奥に神社が見えてきます。



ここが「穴太神社」です。

祭神を「天照皇大御神、
住吉4座大神、春日4座大神」
と9つの神にしています。

出資の細かいところは
わからないそうですが、
ここが聖徳太子の生母が
生まれた聖地であることからみて、
かなり古い時代からの
神社であることはわかります。

八尾市が指定した保存樹木である
クスノキも立っていましたよ。



まあこれだったら樹齢は
200年くらいじゃないかなあ。

そして立派な本殿が建っています。



そして境内には、
こんな鳥居の笠木のような
椅子が置かれていますねえ。



ちょっと腰かけるには
勇気がいりそうですなあ。
河内のおっさんには平気なんかな

で、この寺の名前の「穴太」ですが、
つい最近このブログに出てきましたよねえ。



そうです。

比叡坂本を歩いた時に
石組を作った一族が
「穴太衆」でしたね。

だったらここもそんな彼らの
立派な石組を見てみましょう
と思いましたが、どうも残って
なさそうでしたね。

でもまああの穴太衆の御親戚が
たくさんいたのでしょう。
地名がそんな感じになっています。
では、もうひとつこの「穴太」の名前の付いた
遺跡も見ておきましょう。

すこし西に歩いて「穴太南」の
交差点に行きますと、
こんな碑がありました。



「穴太の借り滑走路」

大正飛行場の遺跡です。

ここを通る府道21号
八尾枚方線が元は阪神飛行学校の
借りの滑走路だったそうです。



写真の突き当りのところぐらいから
まっすぐに距離は約1500m
続いていたそうで、
ああ、こんな街中の道も
そんな過去を持ってたんですねえ。

さあではまたコースを進んでいきましょう。

その先で到着したのが「常光寺」です。



中に入っていくと
まずは「八尾別当顕幸墓」と
いうのがあります。



八尾僧正といわれた顕幸は
楠木の家来として活躍した
武士兼僧正であったといわれています。

そしてこれが「森本行誓宝篋印塔」で、
八尾地内村の開発を進めた人らしいです。

いやあこの寺は八尾に
大きな影響を与えた人たちの
墓や供養塔がありますねえ。

それもそのはず、この寺は
「八尾の地蔵さん」でと言われていて、
行基の創建で聖武天皇の
勅願所であったそうです。

ではここでひとつ疑問を持ちました。

「八尾」の由来は何でしょうか。

八本のしっぽを持つ竜が現れた、
なあんてのではありません。

いくつか説があります。

ひとつは弓矢などの武器を
製造する種族がいたので、
矢を背中に背負うところから
「矢負う」→「八尾」になった説。
そしてもう一つは鳥の尾羽が
八本でいい鳴き声をしてたところから
「八尾」といわれるようになった
などいくつか説があるようです。

地名の由来は面白いものですねえ。
そして常光寺の境内には
広い空き地がありますので、



きっとここでは盆踊りなんかが
熱心に行われるようですね。
河内のおっさん連中がたわむれるんでしょう。

なにせこの寺当りが
「河内最古之音頭発祥地」で、
その当時文部大臣だった
塩川氏の石碑が立っていました。



続く


河内を歩いた泉州のおっさん1

2018年08月09日 20時59分14秒 | ウォーキング

河内を歩いてきましたよ。
え~河内ってどこ?
というとまず最初に思い浮かぶのは、
どこでしょう。

ひとつは昔、河内市というところが
あった東大阪市ですね。

でもねえ、東大阪=河内というのは
何となく違和感がありますよねえ。

では違和感のないところはというと、
doironの場合はやはり八尾市です。

なんか河内のおっちゃん
というのはやはりこの市の
あたりにいてそうな気がしますもんね。

なので、今回は近鉄の八尾駅から



JR関西本線の久宝寺までをぶらりと、



河内のおっちゃんの地域を
歩いていくことにしました。

ただ季節は梅雨なので
出かけるタイミングは
よく検討しないといけません。

6月末の天気の落ち着いた日に、
今日だと思いぷらりと
出かけていくことにしたのでした。

JRに乗り阪和線から環状線へ、
そして鶴橋から近鉄大阪線へと
乗り継いでいきます。

近鉄八尾駅に着いたのは
午前10時少し前くらいでした。

ここから八尾中心部方面を歩き
久宝寺へと向かって行きましょう。

まずは八尾駅前の展示物から
チェックしていきましょう。

まず最初に目についたのがこれです。



「河内木綿伝承の地」とあります。

この河内木綿というのは、
昔からこの辺りに植えられていた
木綿のことです。

淀川の氾濫などで貧しい
この地域の地場産業として
発達してきたんでしょうねえ。

糸が丈夫でいろんなものに
使用されました。

ただ糸は太かったのですが
長さが短いので加工は大変だったようです。

でもこうして地域の人たちに愛され、
今も種が残され静かに
根付いているこの木綿は、
また河内の一つの特徴だったのですね。

きっと河内のおっさんたちは
河内木綿の服を着ていたんでしょう。

その石碑のところには、
地元の人たちの熱い想いも
書かれた石が一緒に
置かれてありました。



そしてその横にあるのが



「歯ブラシの生産高日本一」
の碑です。



河内木綿で一世を風靡した後は
こういうブラシ類製造
が発展してきたんですね。
木綿加工に費やされた
農家の人たちの安い賃金が、
このブラシ製造に強く
反映されてきたんでしょう。

いやあ、河内の人々は
なかなかしっかり者ですねえ。

駅前にはまだこんな碑もあります。
この駅前あたりも開発時には
昔からの遺構が出てきたりようで、
東郷遺跡と名付けられています。



おお~ゴルゴ13の本名は
ここからついたのですね・・・
・・・うそですけど

(ゴルゴは作者の中学校の
先生の名前からです)

なかなか駅前もいろんなものがありますね。
こういう駅舎でなかなか
進んだ感じでした。

さすが中核市ですねえ。

ではここから線路に沿って
西へと進んでいきましょう。

近鉄の高架下には商店が並んでいます。



昔はこの辺りは

「お逮夜市(おたいやいち)」

でにぎわっていました。

11日と27日の忌日の前夜が
市の日で、たくさんの
お店が出ていました。

河内弁で客寄せしている
おっさんの声が響いて
いたんでしょうねえ。

いまは商店もこんな感じで、



お逮夜市も一部の地域で
それらしく行われている程度だそうです。

歩いていきますと、
おお~マンふたがこんな感じです。



これは河内木綿の糸づくり
作業なんでしょうねえ。

その先あたりでさらに高架下には
公園があり、おお河内のおっさん連中が
予想をがるかに超えて
大人数がたまっています。

これまで見た公園の中でも、
おっさんの人数が一番多い
公園かもしれません。
高架下で陰になって涼しいからかなあ。
散策も非常に多くの視線を感じますねえ。

「おっ、泉州のおっさんちゃうか」
「河内の公園をあらしに来てるんちゃうか」
とかおもっているんかなあ。

で、ふとそこにある掲示板を見ると
「河内音頭広場」と名付けられています。



続く


2018夏の定期健診2

2018年08月08日 20時54分23秒 | 最近の出来事

そのあとレントゲンも終わって、
なんとか予定していた時間内に
検査も終わり、診察時間まで
絶食のお腹を満たすために
カイさんのお店に向かいました。

カイさんとこのお店で
ハワイアンモーニングをいただきましたぜ。
う~ん、気分は常夏です。
(言い方が古い!)

おかげでようやく絶食も
落ち着きましたよ。

用事だった預かっている
おづみんシールもわたしてきました。

たぶん参加商品の詰め込みの日には、
知り合いの人が国の表彰を受けたので
その祝いが堺駅前のホテルであり
参加できない見込みですので、
事前に届けておくことにしましたよ。

のんびりともう少しゆっくりしたかったのですが、
次の診察時間もあり早々に引き上げました。

ふたたび車に乗って病院へ・・・

ん?病院への入り口の交差点が混んでるぞ、
と思いつつ少しずつ進んでいくと、
ウヒャー混雑の原因は病院じゃないですか。

駐車場にはいろうとする車が、
空きを待ちつつ大渋滞です。

ウヒャー、これは診察時間に間に合うのか
って感じですよねえ。

車は一台出たら一台入るという状況。
右折車左折車があるので、
もうなんか皆さん必死です。
何とか車をとめたのが、
診察予約時間の3分前です。

これは頑張ってドワーと走って行こう
と思いましたが、まてまて、
このあと聴診器を当てての診察検査や
血圧測定もありますので、
ここで体調を乱しちゃいけないと、
落ち着いて入っていくことに。

そうして待合の椅子に座って5分で
doironさん、二番診察室にどうぞ」
と呼び込みです。

ふー、なんとかここは間に合いましたね。

さあ、では診察室に入っていきましょう。

「こんにちは」
「こんにちは。調子はどうですか」
「あ、はい、孫も生まれまして絶好調です」
「え~っと、心エコーの結果ですが
とてもいいですねえ。
もう心筋梗塞をした心臓には全く見えませんね。」

へえ~心筋てすこしづつ補修されていくのかねえ。

「で、血液検査の結果ですが
これもほぼ異状なしですねえ。
わるかった肝臓数値も良くなってきています」

ウヒャー、お酒もやめていないのに
なぜでしょうねえ。
大好きな夏の暑さがdoiron
いい方に刺激しているんですかねえ。

ああ~あの2.5%
アルコールビールのおかげかなあ

「ただねえ、血糖値が若干高いですねえ。
そういえば太りましたよねえ」

「はい。クリスチャード・ロナウドや



ミランダ・カーと



同じ食事しかしてないのになあ、
何故でしょうねえ」

「まあ、食べ物に気を付けてねと
言っておきましょう。
他はまったくかわりなし」ということで、
次回は・・・と予約を取ってくれました。

う~ん、病気のことより体重増を
指摘されてしまいました。

もうこれはもっと頑張って、
マイヨジョーヌを着れるように
痩せなくては・・・と思うのですが、
いやあなかなかねえ。



次回は「先生、ダイエットメニューを
組んでください」とお願いしてみようかなあ。

「はい、脳外科を予約しておきましょうね」
って言われるかなあ。

とまあいろいろとありますが、
こうして病気に関しては
変わらずですねえと言うことで
済んだ定期健診でした。

あ、ひとつ若干の時間待ちの時に
撮影した病院内表示で
面白いのがありましたよ。
X線撮影の時に外してもらうものを、
ロボットをモデルに書いてました。



近頃は何かとこういう表示も
面白くしていますねえ。
ここに書かれてあるのは大体正解でしたが、
そうやなあ「ヘソピアス」なんかも
書いてたら面白かったのになあ。

まあこれは余談です。

年を取って、マラソンもやめて
なかなかじっくりと体の状態と
向き合うことも少なくなりがちですが、
一病息災でこうして定期的にみてもらい、
いろんな判断をしてもらう健診は
やっぱり重要やでなあと思う
今日この頃なのです。

おしまい。


2018夏の定期健診1

2018年08月07日 21時19分15秒 | 最近の出来事

今日は体の定期点検の日でした。

検査の量はまあ中くらいの日で、
血液検査、心電図、心エコー、
レントゲン。まあ慣れたもんです。

フルで行くとここに
負荷心電図なんかも入ってくるのだが、
今回、それはなかった。

ただ、検査のあと診察も
午前中10時30分に入っており
なんだかあわただしい。

血液検査の結果なんかは
診察の二時間前に採血を
しておかなければならないので、
あさイチで検査室に行かねばならない。
これがねえとても混んでるのだ。

朝一で整理券をとるのだが、
その整理券でも順番に並んで
待っているのだ。

これはいつもより1時間くらい
早めにでかけねばならないだろう。

まあ、この日は絶食だったし、
暑さ対策で朝5時には
もう起きているので、
減ったお腹をごまかすのにも
ちょうどいいだろう。

6時50分くらいには車に乗り、
ウヒョーンと出かけたのでした。

駐車場は7時からとなっているので
まあこの辺が早い時間の限界やね。

国道を通勤自動車に紛れて走り、
着いたのが午前7時。
ああ、ピッタリですねえ。

でもねえ、もう駐車場は開いており
かなりの数の車が止まっている状態。

ええ~もしかしたらもう
混んでいるかもと思いつつ
駐車してその場所に行くと、
ウヒャーもう整理券の順番待ちが
30人くらい並んでいるではないですか。

撮った、待ちの順番が31番。



採血の始まるのが午前8時からなので、
30人を待つとなると
8時半採血は診察にギリギリだ。

それにこの後心電図に
心エコー、レントゲンがあるので
診察までの待ち時間が1時間として
その間に食事をしに
カイさんとこのお店に
行かないといけない。

ちょうど3時間走で配るおづみんの
預かっているシールを届ける
という用事もあるのだ。

これはまあぎりぎりですね。
でも仕方ないので
本でも読んで採血を待ちましょう。

待合で座っていると、
横におばちゃんが
そしてその向こうにおっさんが
座りよりました。
どうもここで偶然出会った
知り合いらしく二人の話が始まります。

「やあ、何とかチャン、元気にしてるかあ」
「いやあ、まあまあやわ」って、
こんなとこで検査待ちやから
さほど元気というわけでもないでしょう
と突っ込みたくなりましたわ。

「息子はどうしてるんや」
「ああ、会社へ行ってるよ。
そっちの娘さんは?」
「うちはなあ、貝塚で服屋をやってるねん。
商店街ちゃうで、OOの方で店ひらいてるねん」
とまあそんな内輪話が続きます。

その時doironが読んでいたのが
「西鶴」の話で、
目の見えない娘と父の世間での
生き方説明みたいな部分だから
ややこしいことこの上ない。
知らない間に西鶴が
貝塚の人間になったり、
娘が服を売ってたりする
ややこしい話になったりするのだ。

こ、これは読書が進まんぞと
思いつつ1ページ読むのに
すごい時間がかかってしまうので、
やれやれと最後は読書をあきらめつつ、
トイレに行ったり、病院内を
歩き回りつつ順番を待ちましたよ。

で、ちょうど順番が回ってきて
検査室の待合室に行き、座っていると
な、なんとさっきのおっちゃんが
また入ってきました。

名前を呼ばれると

「何とか力男(りきお)」さーん

なんて呼ばれているではありませんか。
ああ、あの話の力強さが
名前にも出ていますねえ。

さて上手な看護師に採血されました。
ここでは看護師さんがスイっと貼る
血止めシートの正確さに関心しましたね



見事なジャパニーズマークです。
ああ、世界中の人って注射後に
日本の国旗を思い出すんやなあ。

さあ、次は心電図です。
このへんはスムーズでしたねえ。

おかげで、次の予約の入っている
9時の心エコーにはぴったりで
間に合いました。

心エコーではきれいな女性に
胸元を押さえられました。

あっ、そこは・・・
むにゅむんにゅ。

あっという間に終了です。

「え~っと、不整脈って言われてますよねえ」
と聞いてきます。
「はいそうですよ」と答えつつ、
それが原因でこんな調査を
してるんじゃないかと
言いそうになりましたがね。

続く


大好きな夏の暑さ対策

2018年08月06日 20時17分49秒 | 生活

今年は何と言っても暑い!

夏の大好きなdoironにとっては
歓迎すべきなのかもしれないが、
ここまで暑いとちょっと暑さ対策を
講じねばならないというところまで来ている。

そこで暑さ対策について
ちょっと考えてみた。

対策と言えば、まずは生活を
変えてみる必要があるだろう。

まずは寝起きの時間をいらってみた。

これをやるとなあ、
季節が変わっても習慣が
変わってしまうのではないかと
若干心配なのだが、
できるだけ朝早くに起きて
静かな時間帯にじっくりと
何かに取り組むというのがいいだろうと、
寝る時間、起きる時間を
1時間半くらいはやめることにしたのだ。

そうすれば夜のお酒なんかも少なくなるし、
ダイエットにもいいだろうとの意見もある。

夜は10時に寝て、朝は5時に起きる。

え~それって普通やん、
という声が聞こえてきそうですが、
一時間半くらいは移動させているのです。

まあまずはこの辺を目標にするのが
いいのかもしれないと考え、
最近はできるだけそうしているのだ。

まあ、寝ることに関しては、
その即効性、柔軟性、深さとか考えれば、
かなりの融通が利く身ですから
変な癖がついて困るということには
まずならないだろうと思っています。

でももう一歩深く考えたら、
太陽と行動を逆にする、
そう太陽が沈んだら起き、
登ったら眠るの方がいいのでは
という考えも出てきます。

しかしねえ、それは何と言ったらいいか、
退職者の道を究めすぎているというか、
人の道を外しているというか
という感じですよねえ。

確かに夜勤の方々はそうされて
いるんでしょうが、遊び人としてはねえ。

夜中に散歩も毎日だったら変だしなあ。

警察にあちこちで
職務質問されそうやもんなあ。

ま、そんなことも考えて
まず一つ目は寝起きの時間を
変えてみることにしょう、
ていうかもうかえているけどね。

次は昼間の服装です。

家庭内では、クリエイターらしく
作務衣を着ています・・・

というのはウソで、ほぼ100%半ズボンです。
家ではひざ上です。
そして外に出ていくときも、
できるだけ7分だけのズボンに
しているところです。

そして靴もこんな涼しげなものを



見つけて履いています。



値段は1000円の
リーズナブルシューズです。

で、家の方はと言いますと、
まずはゴーヤで日陰造りです。



う~ん、これは収穫も楽しみですねえ。



そしてこの窓は日陰シートで覆います。



あ、もちろん暑い時は
クーラーも多用しますよ。

年金高齢者でもこういう電気代は
ケチってはいけません。

そうそう、部屋の各地に孫の顔写真を
張り付けています。



玄関先では、
「じいちゃん、出かけてくるね~」
とあいさつして出ていきます。

部屋の中では、
「暑ないかあ」などと
問い合わせたりしてね。

一瞬ですが暑さはわすれて
ほっこりしますねえ。

そうそう水分補給は大切ですね。
もうdoironなんかは自分の病気の予防に
これは欠かせません。

以前、現役で競技をやってた頃は
「ウォーターローデイング」と言って、
トライアスロンの試合前の
1週間は浴びるように
水分補給をしていたころがありましたねえ。

その時みたいに一日の一番汗をかく
ジムでは2時間くらいの運動中に、
空ペットに移しいれた水を
約1リッターは飲んでいますし、
日常生活の中でも、こういうお茶や
激安炭酸を浴びるように飲んでいます。



まあこのへんは暑さ対策というより、
高齢体対策ですなあ。

あとはそうやなあ、
財布の中身を見て
小遣い不足を冷え冷えと感じる
とかもありますなあ。へへ

今はもう夏真っ盛り!
大好きな季節をしっかり遊ぶぞと
暑さ対策にも心がけながら、
夏にたわむれている
doironなのでした。


泉南信長道を行く7

2018年08月05日 21時14分59秒 | ウォーキング

波太神社をでたら、
ここから信長道は田舎の
狭い道に入っていきます。

こんな感じ。



田舎道ですねえ。
よく見ると道に農業用トラクターの
わだちなんかが残っていますよ。



我が家の近所とよく似てて
親しみ持てます。

そうこの辺が前に行ってた
「自然田」というところです。
川の流域で自然と田ができたところ
なんていいところですねえ。

この家には「苗の畑」が置かれてましたが、
何を育てているのかなあ。



あ、ここに登録有形文化財の建物がありますよ。



まわりをぐるぐる歩いて
確認しましたがよくわかりません。



帰ってからネットで調べたら
「南家住宅」というところのようです。

戸長とか務めた人の家で、
明治・大正・昭和とそれぞれの
時代に応じた改修が入っているようで、
現在も良好に維持されているようです。

そんな屋敷を見ながら進んでいくと、



前方に26号線の高架が見えてきます。



地図で見て見ますと、
この下のあたりの「菟砥川」に



かかってる橋に「自然橋」
という名前がついています。



この名前を地図で見たときは
興奮しましたねえ。

立木が折れて倒れて
橋になったりしてるのかなあ。
それとも河原の中の石が
連なって橋になっているのかなあ
って想像してしまいました。

実際に行ってみると、
なあんや普通の橋です。

自然田のところの橋やから
こんな名前なんでしょうかねえ。

だったら「自然田橋」だろ~
なんてぶつくさ言いながら
渡っていきます。

でもきれいな川ですねえ。
こんな野鳥も餌を狙っているようです。



メダカなんかもいるのかなあ。
この川沿いのところで
小さな石があったので
そこに座って手持ちのおにぎりを食べましたよ。
軽い昼食ですね。



それにしても今年は
この地方にはよく来ましたねえ。

歩いてみると何となく自分の故郷と
よく似た雰囲気がします。

それはやっぱりタマネギの
匂いなんかかもしれませんね。

この信長道を歩くことで、
ほぼこの地方の歩きは
とりあえず終わりかなあ。

さあ、ではこの自然橋のところから、
和泉鳥取の駅へと歩いていきましょう。



田舎道をどんどん歩いていきますと、
地図では紀州街道(熊野街道)と
名付けられた府道に出ます。

そこを右折して進んでいきますと、
和泉鳥取の駅のところに出ていきます。

時刻表を見て見ると、
おお~5分後に電車がやってきますよ。
ぴったりでしたねえ。

この駅のところには
熊野街道の長岡王子跡と
いわれる大きな鳥居があります。



以前歩いたときには
ちゃんとそこに行って
写真も撮ったのですが、
5分という乗り換え時間は
ちょっと厳しかったかな。

実はその鳥居は何の鳥居かというと、
先ほど訪れた「波太神社」の
遥拝所だったのです。

熊野街道を歩いているときは、
きっと海辺の神社だと
思っていたのですが、
違ったんですねえ。

あの時の疑問がやっと解けましたな。

信長道はここから岡中の
クスノキなんかをめぐって
砂川に至る熊野街道と
同じ道になっているので
今日はここまでとしときましょう。

ネットを見ると、
ああ電車の中で何らかの
スイッチを入れてしまっていたようです。
だいたい計算したら約7キロ。

道の間違いをのぞいたら
約5キロの道のりでした。

信長の遺志や痕跡はあまり
感じることのなかった道でしたが、
途中で道を聞いたときには
「信長道」という名前が
出てきたりしたのは
やはり地域の人たちには
親しみのある道なのかもしれません。

ということで以上
信長道第2弾、これにておしまい


泉南信長道を行く6

2018年08月04日 20時44分00秒 | ウォーキング

さあ、それでは先ほど道を
間違えた交差点まで出てきました。

ああ~考えたら往復で
2km以上道を間違えていたようです。
ああ、そんなこといってたらまた
「あんたは人生の道間違えてるよ」
といわれそうです。

おおきな信長道の地図を参考に
現代風の地図にルートを書き込みましたが、
この地域の地図も大きな縮尺のものしかないし、
ちょっと道路とかを色付けもせず
書かれてあったりすると、
とても見にくいローガンの私です。

微妙な記載の仕方をすっかり間違えて
コースを外れ歩く距離を
間違えてしまいました。

まあこういう間違いもたまにはあるのですが、
ここはちょっと気づくのが
遅かったですかねえ。

さあでは正しいコースを
歩いていきましょう。



軽い登りのあまり広くない道を
歩いていきます。
そうやねえ、これくらいの
アップダウンじゃないと
信長軍も移動だけで
疲れてしまいますよねえ。



そしてすぐに今度は下りの道を
池に向かっておりていきます。



この池は先ほどの山の上から
見えていた池ですねえ。
その堤防にはササユリが咲いていますよ。
のどかです。

この池の名前は「蓮池」といいます。

蓮が咲いているのかな?
こんな広い畑を左に見ながら、



池の堤防にそって歩いていくと、
右手に現れるのが
「首斬地蔵」です。





のどかな景色の中ですごい
名前の地蔵ですねえ。

もちろんいわれがあります。

豊臣秀吉がの根来寺攻略の際に
近辺の多くの僧の首を
はねていったそうです。

そんな人たちを弔うために
建てられた地蔵ということで
こんな名前がついています。

それにしてもちいさな地蔵が
たくさんありますねえ。



これは多くの命がなくなった
ということを表しています。

地域を守ろうとした
首を斬られた僧たちの地蔵ですから、
ここに参ることで地域の発展に
つながるんだという信仰に
つながっているそうです。

え~、doironは神社の氏子代表ですが
自治会の役員もしているので
しっかりお参りしておきましょう。

その後ご池の堤防敷に
上がっていきましたが、
特に蓮が生えているという
池ではなかったですねえ。



まあ堤防の豊富な自然が魅力的で、
時間があれば歩いてみるのも
いいかもしれませんが、



今回はコースミスもしているので
あきらめました。

そしてこの首斬地蔵を右折して
府道をいくのが信長道となっています。



府道の正式名前が変わってますよ。

「自然田鳥取ノ荘停車場線」といいます。

終点の自然田と鳥取ノ荘の名前が
ついていますねえ。
自然田というのは面白い地名ですねえ。
由来は小川、山中川などの流域地域であり、
自然に田ができたので
こういう名前になったと
まあまあこれは自然な由来ですねえ。

また後でこの自然田を通ります。

とりあえずこの府道を
池沿いに進んでいくと、
右に波太神社があらわれます。





え~っとこの辺は山の中だし
大きな川もないのに、
なぜ波が太いという神社名に
なっているの?とまあ
ここでもこんな疑問がわきますねえ。

まさか池の波が~というわけでもなく、
実はこれは当て漢字です。

神社はもともと、
畑や桑畑の地域に作られた
小さな祠からこの神社に
発展したのですから、
その「畑」神社がもとに
なっているわけですねえ。

ではどんな神社か
見学していきましょう。

看板からも「名越のおお祓え」
なども実施するようですねえ。

ここにはこの神社の他に隣接して
鳥取神社というのもあるようですが、
これは鳥取ノ荘の他の神様を
合祀して祀っている神社のようです。



これがその神社です。

それを左に見てどんどん進んでいくと、
そこに波太神社の本殿が現れます。



うわ~立派な本殿ですねえ。

南の泉州地域には多い
形式の本殿らしいです。
お参りしときましょう。

続く


泉南信長道を行く5

2018年08月03日 20時57分37秒 | ウォーキング

今年の春に信長道を歩いた。

その内容については、
これまで泉南信長道を行くで
4回に分けて書いてきました。

そして今回はその続きとして
もう一本の信長道を歩いたので、
それを書いてみることにしましょう。

だから、「信長道5」なわけです。

前回書いたのは砂川と鳥取ノ荘を結ぶ、
信長が雑賀との闘いに向けて
作ったという軍用道で、
途中、男里神社や双子池とかを
抜けていく9kmほどの道路でした。

鉄砲や武器なんかを運んだんでしょうねえ。

その道が実は2本あるといわれており、
もう一本というのが、
鳥取ノ荘から岡中のクスノキの方に上がり、
砂川へと向かって行くコースです。

戦と帰りの往復コースになってるのかなあ。
とにかく円の上辺と下辺のように
ぐるりんと一本道になっています。

春に歩いたのはその上辺だったので、
今回はその下辺を鳥取ノ荘から
砂川へ戻るように歩いてみることにしました。

まずは鳥取ノ荘まで
南海電車で出かけましょう。

「な~ん、な~ん、南海電車。南の海を・・・」
あ、もうよろしいですか。
この日は薄曇りの天気でよかったのですが、
もう6月になるとかなり暖かくなっています。

電車なので帰りの汗だくはやばいかなと思い、
着替えのTシャツを1枚カバンに
入れておきました。

以前信長道を歩いた時は
鳥取ノ荘の海側の駅舎側から入ったのですが、
今回は山側へと降りていきます。

おお、こちら側に出ると
わりあいきれいな駅ですねえ。
今風です。



さあ、ではここから歩き始めましょう。
まずは駅の南側を旧国道の方へと
歩いていきます。
この辺りは現代的な街ですねえ。

ああ、海辺の方の昔からの町とは
全然雰囲気が違います。

同じ駅で乗り降りしたとは
思えませんねえ。
少し北向いて歩いていきますと



そこに青木松風庵がありますよ。



そこで月化粧を買ってかぶりながら
(うそです。年金生活者にぜいたくはゆるされません)
右に曲がっていきますと、
道は徐々に上昇していきます。



そしてこの体育館のところにやってきました。



あ、道が上に上がっていきますねえ。



これは戦いに行く前に
通ってきた道なのかなあ。
もし戦った後なら、
疲れた体でこの急坂はしんどいなあ
なんて思いつつ登っていきます。



あの向こうの見えないところぐらいで
丘を越えるのかな?
あれ~まだまだ登っていきますよ。



これは道を間違えたかなあ。
どこかで左の方へ入っていくのかなあ
とか思いつつもまだ登っていきます。



これはいかん。

どこかで左の方へ降りていかなあかんぞ。
いくら何でもこんなに上り坂はおかしいぞ。
それにぼちぼち首切地蔵尊や
波太神社が出てくるはずです。

これは左の方に曲がっていった方が
いいぞと思い、修正にかかりました。



こうして左折し、階段とかを
使いながら下っていきますが、



そんな雰囲気は少しも出てきません。

これはどこかで誰かに聞こう
と思いましたが、
昼間のこういう住宅街って全然
人がいませんねえ。

あ、やっと女性が家の前を
掃除されていたので聞いていました。

「すみません。波太神社はこっちの方じゃ
なかったですか?」

すると

「ああ~体育館のところで入る道を間違えてますよ。
あの道を左に行くと
首斬地蔵とか信長道の方へ行きますよ」
とのこと。

「信長道」を歩いているとも
何とも言ってないのですが、
実に的確にお返事を返してくれました。

ああ、そうかあ。



この道で左から出てくる
軽自動車の方へ行かないと
いけなかったんですねえ。

どうりで変な上り坂やなあ
と思っていたのですが、
ちゃんとした道はなんか
体育館の出口の道のように
思っていたんでしょうねえ。

仕方がないのでまた戻っていきましょう。

せっかく道を間違えたので、
なにかここでおまけはないかと
山のふちを見てたら、
おお~ホタルブクロが咲いていますよ。



こういう住宅街ができるまでは、
こんな花の咲く山道だったん
でしょうねえ。

道をグングン下っていきます。

あ、右手の方が見晴らしいいですよ。
遠くにりんくうのビルなんかが
見えています。

そしてこの下の池が、
信長道横の池だったんですね。



続く


再び広報で何やかや3

2018年08月02日 21時28分40秒 | 仕事

広報紙のお仕事を
手伝うようになって2か月以上が経つ。

いくつか取材にも行った。
先月は市内の市民プールにも
取材に行ったのだ。

これがねえ、ちょっと難しかったよ。

だって、小さな子どもを連れている
お母さん方も多くいるわけで、
そんな中カメラを構えて
プールサイドを移動する
おっさんてやっぱりちょっと見たら
変ですもんねえ。

手に腕章をつけているから
よく見たらわかるんやけど、
今時そんな腕章だって
誰でも作れるしなあ。

いくら広報紙で市民レポーターって
顔を紹介されていてもなあ。
なかなか周知されていないでしょう。

それにこんな覚えにくい顔やしねえ。

なので、この取材には
広報にもお願いして
ミセスをサポートとしてつけることを
許してもらったのだ。

昔はねえ、こんな心配もなかったのになあ。

おっさんも生きにくい
世の中になりましたねえ。

取材に行ったのは
まだ夏休みになっていない
土曜日のあさイチ。

こんな日にプールって人は
来るのかなあとちょっと
心配していきましたが、
もう驚くべきたくさんの人が、
入場の列を作っていました。

時間が来たらオープンです。

取材なので無料で入らせてもらい、
さあ、取材開始です。

ここの写真撮影は
「きれいな水で楽しく」を
テーマにしましたね。

公共的なプールとして
お勧めできるところなんかを
強調出来たらいいですね。

付き添いのお父さんお母さんに
声をかけながら
バシバシ撮影していきます。

協力をたくさんしてくれそうな
子どもたちには、
ポーズに注文を付けて
楽しさを強調してもらいます。

そうそうこの時にはデジカメが
濡れないように注意しないといけませんが、
どうしてもというときのために、
な、なんと、水の中でも
撮影できるカメラも持っていきました。

それからねえ、Tシャツの下には
水着も履いていったのですよ。
中にはいれるようにね。

そして行く前には、現場で
こんな写真が撮りたいなあと、
あらかじめデッサンもしていったので
それを頭に約1時間プールサイドや
プールの中を歩き、
撮りました撮りました。

いやあこういう仕事は楽しいですねえ。

ひとと話しながら写真を
撮っていくのんはとても面白いです。

思うような写真が取れたら
ガッツポーズしてしまいますねえ。

そうしてきれいな水とともに
楽しそうに映っている子どもたちの
写真をいっぱい取りましたよ。

取材終了後、さあ、どれか
使ってもらえるかなあと期待しつつ、
メールで写真数枚と原稿を送りましたが、
はたしてどうか・・・。

数日後、doiron宅にも
広報紙は町会配布で届きますが、
駅の広報コーナーには
いち早く広報紙が配布されるので
それを見に行きますと・・・、

おお~今月号の広報には、
そんなdoironの写真を
4枚使ってもらっているではありませんか
(6ページと32ページ)。

原稿も掲載してくれているようです。

以前は自分で発行していた
広報紙なんですが、
引退後に趣味を生かして
こういう貢献ができるのも
いいものですね。

そして記事の中にはほかにも
提供した写真があるかもしれません。

機会があれば皆さん、
広報紙をじっくり読んでくださいね~
とちょっと成り代わって
宣伝もしておきましょう