Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

鉢物の再移動

2019年11月30日 18時49分01秒 | その他の日記

 今日は、鉢物の再移動をしました。

 例年、庭に置いてある植物のうちの寒さに弱いものを、2階の日当たりの良い空部屋に移動し、越冬させているんですが、今年は、その空部屋をリフォームすることになっていましたので、先日(11月9日)は、とりあえず、1階南側の縁側廊下に仮移動させておいたところです。

 しかし、我が家のリフォーム工事も終わりましたので、今日は、例年の定位置に収めるべく、仮置きした場所から2階のその空部屋に運び上げたわけです。

 もっとも、運び上げる前に、「わざわざ2階に再度運び上げなくともいいかな~。大変だしな~。特に邪魔になるほどでもないしな~」とは思ったんですが、やはり、普段、何も置いてなかった所に多くの植物が置いてあるのも目障りですものね、、、。

 それで、やはり、従来通りの、スッキリした生活にしようと思い、2階への再移動を敢行することに決意したわけです(^O^)

 運び上げたその数、前回と同じく、大・小合わせて32鉢。今回は、鉢の掃除などの作業はありませんので、ただ運び上げる作業だけでしたから楽ではありましたが、良い運動にはなりました(^-^;


伊万里銹釉小皿

2019年11月29日 20時27分12秒 | 古伊万里

 今回は(今回も?)、かつて、ホームページで既に紹介したことのある伊万里銹釉色絵唐草文小皿及び伊万里銹釉六角形小皿を、その時に紹介した紹介文も含め、写真を撮り直して改めて紹介いたします。

 

 

 写真A  伊万里銹釉色絵唐草文小皿

口径:14.7cm

製作年代:江戸時代前期 

 

 

 伊万里銹釉色絵唐草文小皿の裏面

 

 

 

写真B  伊万里銹釉六角形小皿

長径:14.5cm

製作年代:江戸時代前期

 

 

 伊万里銹釉六角形小皿の裏面

 

 

 

 この伊万里銹釉色絵唐草文小皿と伊万里銹釉六角形小皿につきましては、公益社団法人日本陶磁協会の月刊機関誌「陶説」584号(平成13年11月号)に、次のように紹介しています。

 

 

古伊万里三行半

 骨董が、なんと、三チャンネルのNHK教育テレビに登場した!! NHKといえば、一チャンネルがほとんどで、三チャンネルはまず見ることがない。せいぜい「新日曜美術館」程度か。高額な(?)受信料を払っているのだから、元をとるためにも、もっと見るべきなのだが・・・・・。それが私の実態である。

 新聞の下のほうにある広告欄を読み、NHK教育テレビで、「NHK趣味悠々」という番組の一環として、「骨董市で遊ぼう」という番組が8月~9月にかけて放映されること、そのためのテキストが発売されること、を知る。胸をときめかし、さっそく書店に赴き、購入して予習する。NHKのテキストを胸をときめかしながら買い、しかも、予習までしたなどということは久しぶりである。子供の頃の英会話の勉強の時以来だろうか。なつかしい記憶がよみがえる。

 ところで、「骨董」というとどうも相手に与える印象が悪い。語呂がいいので、骨董、窃盗、強盗などとはやし立てられてイメージが悪いし、ご隠居さんの手遊びの対象というイメージが強く、なんか年寄りくさいからだ。また、古くさく、カビ臭いといったイメージも重なり、陰湿ささえ与えてしまう。とてもとても教育などという印象など与えるものではない。

 NHKの教養講座にとりあげられるようになると、骨董というものが、ずいぶんと従来のイメージとは違って見られるようになるのではないだろうか。骨董にとっては、株を上げる追い風である。我が愛する古伊万里にとっても絶好の追い風。ついつい、順風満帆、日本はおろか、七つの海を駆け巡ってほしいと強く希い願ってしまうのである。

 でも、こうした現象は、独り骨董にだけにとどまらないようだ。冷静に、客観的に、時空を超えて、鳥瞰的に見てみると、あらゆるところに生じているように思えてならない。

 卑近な例をとると、当協会の今年の総会でさえ変わってきている。根津理事長に代わって銀座「和光」の会長であられる服部禮次郎常任理事が議長を務められたが、氏のお人柄もあってか、会議ではかつてない活発な意見交換が交わされたり、日本陶磁協会賞の授賞式で同氏の小泉首相ばりのパフォーマンスも飛び出すなど、「森内閣から小泉内閣に変った以上の大改革」の総会であった。また、当協会は、広報活動の一環として、今年度中にホームページを開設するとのことである。

 世の中変ってきている。確実に変ってきている。骨董でさえ変ってきているのだ。骨董の仲間である古伊万里だって変ってきているにちがいない。そうであれば、古伊万里を愛する私だって変わらなければ見捨てられるのが落ちだ。そうでなくとも、最近、泥酔して、銹釉色絵唐草文小皿(五枚組)と銹釉六角形小皿(五枚組)の口縁に傷をつけてしまったばかりで、古伊万里から愛想尽かしをされているところなのである。今にも三行半を渡されそうな状況下にある。ここは一番奮起し、古伊万里に好かれるようなどでかいことをしでかして古伊万里の御機嫌をうかがい、なんとしても三行半だけは避けねばなるまい。

 そこで、私も当協会にあやかってホームページを開設し、古伊万里の美を全世界に発信してあげようかというような、とんでもないことを考えついたのである。そうすれば古伊万里も私の非を許し、三行半だけは出さないでくれるのではないかと思ったからである。そこで、さっそくパソコンを購入し、ホームページ作成用のソフトであるホームページ・ビルダーとやらや大量のマニュアル本を買い込み、猛勉強を始めたしだい。とはいえ、現在のところ、ワードとかエクセルのほんの初歩まではいったが、まだインターネットへの接続さえしていない。

 いつになったらホームページを開設し、古伊万里の美を、ささやかながらも全世界に発信できるようになるのかの保証はないが、気持だけはそのつもりでいる。だから古伊万里さん、お願い、どうか三行半だけは出さないで!!

注記:上記の「陶説」584号に載った文章は、平成13年11月号に載ったものですが、私が、悪戦苦闘をしてホームページを開設しましたのは、その一月ほど前の平成13年10月8日です。

 

 

 なお、伊万里銹釉色絵唐草文小皿につきましては、当時のホームページには次のようにも紹介しています。

 

 

伊万里銹釉色絵唐草文小皿

  以前は、古九谷吸坂手といわれていたものである。数も少なく、珍しくもあり、したがって高価であった。前々から、欲しい欲しいと思ってはいたが、安月給とりにとっては高嶺の花、とてもとても手の届く代物ではなかったのである。

 しかし、事実は小説より奇なり、骨董は魔物、この世の中、どんなことが起こるかわからない。

 最近、ひょんなことから、この小皿が、私のような安月給とりのところに、5枚揃いで、しかも無傷で舞い込んだのだ。嬉しさのあまり、手近に置き、毎日、すぐにながめられるようにしておいたが、それが結果的に不幸を招き、そのことが原因で、老骨にむち打ってホームページを開くことになったことは・・・・・に記したとおりである。

 この小皿の高台は小さく、いわゆる三分の一。また、胎土も鉄分が多く黒っぽい。いかにも「古作」を感じさせる。それに対して、柴コレⅥの311図の方の高台は大きく、胎土も白い。

 以前は、高台が小さいほど古いなどと言われていた。また、胎土だって、鉄分が多くて黒っぽいもののほうが、精製がまだ発達していなかった段階のものだろう等との理由をつけて、白いものよりも古いとされたかもしれない。

 そうだとすると、以前なら、我が家のものの方が古くて、柴コレのものの方は、我が家のもののコピーであるなどと言われたかもしれない。

 しかし、学問の発達は、そんな感覚的な鑑定方法を吹き飛ばしてしまった。今では、我が家のものも柴コレのものも同じ頃の作ということになるのだろう。ただ、作られた窯は別だと。

 でも、私からみると、学問の発達などなかったほうがよかったなーなどと思う。

 

 

 

 また、伊万里銹釉六角形小皿につきましても、当時のホームページに次のように紹介しています。

 

 

 伊万里銹釉六角形小皿

  古九谷吸坂手! 憧れの吸坂手!! どんなに欲しかったことか!!!  だが、なぜかタイミングが合わず、これまでに入手できなかったものである。 なかなか市場に登場しないし、また、たまたま出ても、高すぎて手が出ないとか、お金に余裕がないとかで、なぜか入手できないでいたものである。

 それが、やっと入手できたのである!時に平成12年!!コレクションを始めておよそ30年の歳月が経っていた!!!

 そうはいっても、これは古九谷吸坂手とは名ばかりのもので、かろうじて古九谷吸坂手といえる代物であろう。古九谷吸坂手としてはこれ以下のものはありませんよ、いわば、「この下なし」の古九谷吸坂手ですよといわんばかりである。

 しかし、善意にとれば、「これが古九谷吸坂手の原形である。最もシンプルな古九谷吸坂手である。」と言えないこともない。この原形からさまざまなバリエーションが生まれてきたのではないかと言えないこともないのである。

 実物を手にすると、実にシャープで、江戸後期の銹釉とは、とてもとても比べものにはならないということが判る。 さすが「古九谷吸坂手」だ! と言いたくなるのだ。

 しかし、その後、不幸な結果を招いてしまったことは、(上記の)「古伊万里三行半」に記したとおりである。

 注記:順序が逆になってしまいましたが、私が手に入れたのは、伊万里銹釉六角形小皿のほうは平成12年3月で、伊万里銹釉色絵唐草文小皿のほうは、それから9ケ月後の平成12年の12月でした。その年のうちに相次いで入手したわけです。

 

 

  以上に記しましたように、伊万里銹釉色絵唐草文小皿も伊万里銹釉六角形小皿も、我が家には、ともに、無疵の5枚組で来たんですが、私が泥酔したお陰で、それぞれに疵をつけてしまいました(><)

 それ以後、この器達に申し訳ない気持ちもあり、無残な姿を二度と見たくないと思っていたんですが、今回、懺悔の気持ちも含め、再度紹介しようと思ったわけです。

 次に、この器達を、私が負わせた疵を含めて、一枚、一枚紹介いたします(-_-;)

 

 

 

伊万里銹釉色絵唐草文小皿の1枚毎の紹介

 

 

写真Aの上段の左の小皿の表面

口縁の9時の方向に小ホツを作ってしまいました(><)

無疵状態で残ったのはこの1枚のみです(-_-;)

 

 

写真Aの上段の左の小皿の裏面

 

 

写真Aの上段の中の小皿の表面

口縁の1時の方向にカケを作ってしまいました(><)

 

 

 

写真Aの上段の中の小皿の裏面

 

 

 写真Aの上段の右の小皿の表面

外周部の2時の方向に小さな疵を付けてしまいました(-_-;)

 

 

 

 

写真Aの上段の右の小皿の裏面

 

 

 

写真Aの下段の左の小皿の表面

口縁の上部にカケを作ってしまいました(><)

 

 

写真Aの下段の左の小皿の裏面

左側上部に大きな割れを作ってしまいました(><)

 

 

写真Aの下段の左の小皿の裏面の左側上部の大きな割れ部分の拡大写真

 

 

写真Aの下段の左の小皿の表面

口縁の1時の方向にカケを作ってしまいました(><)

見込み部分に見える黒っぽい疵を隠したような部分は窯疵です。当時は、本焼きで生じた窯疵を上絵の具で染め、本焼きで生じた窯疵を隠したんですね。この器が古いことの証拠になります。

 

 

 

写真Aの下段の左の小皿の裏面

 

 

 

伊万里銹釉六角形小皿の1枚毎の紹介

 

写真Bの上段の左の小皿の表面

 

 

写真Bの上段の左の小皿の裏面

口縁の5時の方向に見える白い部分は釉薬のかけ忘れ。

無疵で残ったのはこの1枚だけです。

 

 

 

写真Bの上段の中の小皿の表面

口縁の下部に大きな疵を作ってしまいました(><)

 

 

 

写真Bの上段の中の小皿の裏面

 

 

写真Bの上段の右の小皿の表面

口縁の下部に大きな疵を作ってしまいました(><)

 

 

 

写真Bの上段の右の小皿の裏面

口縁の下部にカケを作ってしまいました(><)

 

 

写真Bの下段の左の小皿の表面

口縁の下部に大きな疵を作ってしまいました(><)

 

 

写真Bの下段の左の小皿の裏面

 

 

写真Bの下段の右の小皿の表面

口縁の下部に大きな疵を作ってしまいました(><)

 

 

写真Bの下段の右の小皿の裏面

口縁の下部に大きな疵を作ってしまいました(><)


リフォーム、ほぼ完了!

2019年11月26日 19時01分47秒 | その他の日記

 昨日は、夜7時頃までかかって、やっと、新しいシステムキッチンの取り付け工事が終了しました。

 今日は、朝から電気工事屋さんがやってきて、台所や2階洋間のコンセントカバーの取り付け、台所の配線工事、台所への照明器具の取り付けなどを行いました。

 一方、その間に、設備工事屋さんは、システムキッチンに係る水道工事等を行いました。

 それらの工事が終わったあと、皆で、台所から一時避難させておいた冷蔵庫、食器戸棚、電子レンジ、食卓テーブルなどの大物を台所に戻してくれました。

 それらの作業は、昼頃で終了しました。そのことによって、ほぼ、避難所生活から解放されたわけです(^-^;

 午後は、夫婦二人で、少しずつ、一時避難させておいた鍋、食器などを元の位置に戻す作業をしました。

 その間、ガス工事屋さんが訪れ、システムキッチンへのガス配管工事を実施してくれました。

 そんなことで、夕刻には、概ね、以前の通常の生活パターンに戻ることが出来、夕食は、新しいシステムキッチンで調理をし、通常の食事が出来ました(^-^;

 明日は、今回の工事によって多少疵ついた、壁や木部部分の補修を行うとのことです。


「故玩館への招待」

2019年11月22日 20時00分45秒 | 読書

 「故玩館への招待」(杉原利治著 論創社 2013年2月28日初版第1刷発行)を読みました。

 この著者は、ブログ友の「遅生さん」です。

 

帯を外した状態

 

 

帯を付けた状態

 

 

 先日、同じくブログ友の「酒田の人さん」がこの本を紹介していましたので、さっそく取り寄せ、一気に読み進み、読了したものです(^-^;

 ここの所、読書といえば、戦国時代の物が中心でしたので、暫くぶりに、骨董関係の本を読んだという感じです。

 骨董好きにとっては、やはり、骨董関係の本は面白いですね(^-^; 最近、骨董関係の本で、読みたいな~と思う本がありませんでしたので、ご無沙汰でしたが、久しぶりに堪能しました(^-^;

 ところで、この本は、

 

はじめに

Ⅰ ネットオークション入門

Ⅱ 故玩館を建てる

Ⅲ ギャラリー故玩館

あとがき

 

という構成になっています。

 私は、古い人間なので、ネットオークションには参入していませんから、私にとっては、「Ⅰ ネットオークション入門」の部分は、あまり参考にはなりませんでしたが、これからネットオークションをしてみようという方には、大変に参考になるだろうと思いました。

 「Ⅱ 故玩館を建てる」の部分は圧巻ですね!

 世の中に、美術館を建てたとか、資料館を作ったというような話はよく聞きますが、「遅生さん」の場合はユニークで、なかなか無い話で、ついつい、引き込まれ、夢中で、一気に読み進みました。

 「遅生さん」のご先祖様は、中山道56番の宿場町・美江寺の地に江戸中期頃から住まわれ、何度かの水害や濃尾大地震を乗り越え、その住まいは現在に至っているということなんですね。

 しかも、その住まいの場所は、歌川広重の「木曽街道69次」の内の「みゑじ(美江寺)」に描かれている所であることが分かりましたので、是非にでも、そこにある自分の家を残そうと考えたんですね。そこで、母屋を改築し、復元しようと決意し、悪戦苦闘の末、故玩館を作っているんですね。

 お金さえあれば、美術館、資料館などを建てることは出来ますが、このような、歴史的に有名な場所にあり、しかも自分のルーツに関係した場所でもあり、更には、そこに現に存在していて自分が住まわれている家を、美術館、資料館とするということは稀有なことですよね。

 私は、その点に、非常に興味をそそられました。

 三番目の「Ⅲ ギャラリー故玩館」の内容につきましては、その内の或る部分は、既に、「遅生さん」のブログ(gooブログ「遅生の故玩館ブログ」)にも紹介されていますね。

 この本は、骨董を嗜む者にとっては、大変面白いです(^-^; 是非ご一読することをお薦めいたします。また、gooブログ「遅生の故玩館ブログ」にもご訪問されますことをお薦めいたします(^-^;


避難所生活

2019年11月20日 09時17分41秒 | その他の日記

 我が家のリフォーム工事も順調に進み、現在、ピークを迎えています。

 18日(月)から、いよいよ台所の工事に入りました。

 リフォームも、台所工事が一番大変ですね(><)

 工事が始まる前までに、鍋や食器、電子レンジなど、移動可能なものを別室に移動しておかなければなりませんが、これがまた一苦労でした(-_-;)

 工事開始の当日の朝、大工さんに手伝ってもらって、冷蔵庫と大きな食器タンスを別室に移動させます。

 それからが工事開始の本番です。まず、システムキッチンの取り外しにかかります。システムキッチンの取り外しは、結構大変ですね。設備工事関係の方(二人)がキッチン部分の水道を止めます。一方、電気工事関係の方(一人)が電気配線の一時切断の工事をします。最後に、ガス工事関係の方(一人)がガス供給の一時停止の工事を行います。

 これで、システムキッチン取り外しの準備完了です。あとは、設備工事関係の方が中心となり、システムキッチンを解体しながら、どんどん外に運び出します。

 その後、いよいよ台所の床やその下の材木などの解体が始まりました。

 そんなことで、現在、台所が使えない状態です。

 台所が使えないというのは不便ですね。さながら、避難所生活です(-_-;)

 それでも、水道は使えますので、お風呂には入れますし、食器などの洗い物も出来ます。それに、電子レンジも使えますし、石油ストーブで煮炊きも出来ますから、不便ながらも生活は出来ますので、避難所生活というほどではないかもしれません。

 人間、環境への順応性があるようで、このような生活も、三日目を迎え、だんだんと慣れてきました(^^;