Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染錦 龍鳳凰文 大皿

2023年05月22日 17時58分06秒 | 古伊万里

 これは、一昨日の「古美術品交換会」で競り落としてきたものです。

 ところで、この「古美術品交換会」につきましては、一昨日の「古美術品交換会」というタイトルのブログ記事でも書きましたように、これまでは、古美術好きの素人が集まって作った団体が運営に当たっていたわけですが、その団体が令和4年度を以て解散し、その後を、そっくりプロの業者が引継いでいました。そして、開催日も違っていました。

 私は、そのような事情を知らなかったものですから、先月は、従来の開催日に出向いてしまい、交換会には参加できませんでした。従いまして、一昨日は、新体制での「古美術品交換会」には初参加となったわけです。

 新体制になっても、何も変らないということでしたが、実態は、プロのメンバーが多くなり、プロの市場(いちば)という様相となっていました。

 そのため、競りにかけられる品物は多くなりましたし、競りで飛び交う声にも活気があり、「一貫目」などとの専門用語も頻発されていました。

 そんなことで、ちょっと面くらいましたし、初参加でもありますから、ご祝儀の意味でも、お付き合いに何か1点くらい競り落としてあげなければならないかな~というようなことも頭をよぎりました。

 そうした状況のなかで競り落としてきたのが、この「染錦 龍鳳凰文 大皿」です。

 この大皿は、江戸後期くらいに「有田」で焼かれたものなのかな~と思って競り落としたわけですが、自宅に持ち帰ってジックリと眺めましたら、時代的にはもっと新しい、明治くらいのもの、古く見ても幕末くらいのものなのかな~と思うようになりました。また、幕末や明治になりますと、あちこちで磁器は焼かれるようになりますから、生産地も「有田」とは言い切れないな~と思うようになったわけです(~_~;)

 でも、この大皿につきまして、私としては、「製作年代不明」、「生産地不明」とまでは言い切れないところではありますが、自信がないというところです(~_~;)

 プロの市場(いちば)への初参加であったため、平常心を失っていたのかな~と思っていますが、それは言い訳でしょう(~_~;) 要は、まだまだ勉強が足りない、修行が足りないということですね(><)

 

 

染錦 龍鳳凰文 大皿

 

表面

 

 

見込み部分の拡大

 

 

表面の外周部分の拡大(その1)

 

 

表面の外周部分の拡大(その2)

この写真から、赤はペンキ赤が使用されていることがよく分かります。

ペンキ赤は、江戸中期以前には登場しませんね。江戸後期以降に登場してきます。

 

 

裏面

高台内の銘:太明成化年製

 

 

裏面の側面部分の拡大(その1)の左側部分

ここでも、ペンキ赤が使用されています。

 

 

裏面の側面部分の拡大(その1)の右側部分

牡丹の花にはペンキ赤がべた塗りされていて、花びらなのかどうか分かりません。

また、染付文様の牡丹の枝葉の描き方は下手ですね。

 

 

裏面の側面部分の拡大(その1)の右側部分の拡大

ペンキ赤のべた塗り部分は、拡大すると、花びらであることがわかります。

 

 

裏面の側面部分の拡大(その2)の左側部分

ペンキ赤を使用し、付立て風に花を描いています。

「有田」ではあまり見かけない描き方です。

 

 

裏面の側面部分の拡大(その2)の右側部分

ペンキ赤を使用し、付立て風に花を描いています。

「有田」ではあまり見かけない描き方です。

 

 

裏面の側面部分の拡大(その2)の右側部分の拡大

 

 

生 産 地 : 肥前・有田  (?)

製作年代: 江戸時代末期~明治時代 (?)

サ イ ズ : 口径36.5cm  高さ5.8~6.3cm  底径21.5cm


骨董市

2023年05月21日 17時18分49秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、月に一度の、定例の骨董市の日でした。

 昨日の「古美術品交換会」の記事の中にも書きましたように、今年度から、古美術品交換会の開催日が変更になり、骨董市が開催される日と古美術品交換会が開催される日とが別々になりました。

 これまでは、骨董市が開催される日と古美術品交換会が開催される日とが同じ日だったものですから、毎月、先ず、骨董市会場に赴き、そこから古美術品交換会会場へと向かっていたものですから、朝早く出発していました。

 それが、これからは、骨董市会場に赴くだけになりましたので、今朝は、比較的にのんびりと出発しました。

 コロナも収まってきて、会場入口での検温は無くなりましたがまだマスク着用の人は多かったようです。しかし、来訪者数は、すっかり、コロナ以前と同じような数に戻ってきているようです。

 ところで、戦果のほうですが、1点、目に留まった物があったのですが、何か、どことなく腑に落ちないところがありましたので、随分と悩んだすえ、結局は断念しました。それは、昨日、どことなく腑に落ちないところがあったのにもかかわらず、通常の平常心を失い(?)、結果的に、生産地も製作年代も不明なものを買ってしまったということがあったものですから、その反省に立ち、断念したわけです。


古美術品交換会

2023年05月20日 21時00分13秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、月に一度の、定例の古美術品交換会の日でした。

 といっても、先月は、会場に行ったところ、会場が閉まっていて、ガッカリしたところです(><)

 そこで、その後、何故会場が閉まっていたのかを関係者に問い合わせましたところ、次のようなことが分かりました。

 それは、それまで古美術品交換会を運営していた団体が令和4年度末に解散し、令和5年度からは、つまり、先月からは新たな運営主体が運営することになったのだそうです。そのため、開催日が異なったということでした。

 ただ、運営主体が変っても、開催日が変っただけで、実態は同じということでしたが、かなり、交換会の雰囲気が違ったように感じました。

 これまでは、古美術好きの素人が主体だったわけですが、今度は、古美術のプロが主体になりましたし、新たに多くのプロが入会してきましたから、プロの占める割合が多くなりました。まっ、プロの市場という性格になったわけですね。

 そんなことで、今日は、多くの者が出席し、競りにかけられる物も多く、活気がありました。競りにかけられる物の回転も速く、飛び交う声も大きくテキパキとし、活気に溢れていました。プロの市場の雰囲気というのは、このようなものなのかな~と思った次第です。

 そんなことで、今日は、ちょっと、勝手が違い、雰囲気に呑まれたような感じでした(~_~;)

 そんな中で、「伊万里 染錦 龍鳳凰文 大皿」を競り落としてはきましたが、平常心を失ったのか、生産地、製作年代共に「?」というものを競り落としてきてしまったような気がしています(><)

 この「伊万里 染錦 龍鳳凰文 大皿」につきましたは、近日中に紹介したいと思います。 


八本目の槍

2023年05月19日 16時26分21秒 | 読書

 「八本目の槍」(今村 翔吾著 新潮社 2019年7月20日発行)を読みました。

 

 

 

 この本のタイトルを見た時、多分、この本は、「賤ヶ岳七本槍」に関係したものなのかな~、面白そうなので読んでみるか、ということで、図書館から借りてきたものです。

 読み始めてみましたら、案の定、「賤ヶ岳七本槍」に関するものでした。

 ちなみに、「賤ヶ岳七本槍」に関しましては、この本では次のように紹介しています。

 

 

「虎之助が世に出るきっかけとなったのは、天正11年(1583年)4月、殿下がまだ羽柴秀吉と名乗っていた頃、宿敵の柴田勝家と雌雄を決した賤ヶ岳の戦いである。この時に虎之助は小姓として本陣に侍っていた。

 あと一突きで崩れると見た殿下は、残りの手勢を全て投入することを決め、小姓衆にも突撃を命じたのである。若き虎之助も無我夢中で敵を求めた。そして敵将、山路正国の首を上げるという大手柄を立て、三千石を拝領することになった。

 華々しい活躍をした殊勲者が他にも数名いたことから、そのうちの七人を以て、「賤ヶ岳七本槍」と呼ばれるようになった。「七」という数は縁起が良く、古今このような時によく用いられる。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 実は賤ヶ岳で活躍した者は七人ではない。ある者はその場で討ち死にし、ある者は「七」という縁起のよい数を維持するために数えられなかった。佐吉もこの時、敵を討って殊勲を上げている。

 謂わば佐吉は、七の枠に阻まれた八本目の槍であった。  (P. 8~9)」

 

 

 ところで、この本は、次のような目次の項目の順で書き進められていました。

 

 

     目  次

  一本槍  虎之助は何を見る

  二本槍  腰抜け助右衛門

  三本槍  惚れてこそ甚内

  四本槍  助作は夢を見る

  五本槍  蟻の中の孫六

  六本槍  権平は笑っているか

  七本槍  槍を捜す市松

 

 

 これらの目次に登場してくる人物は、全員、賤ヶ岳の戦いの際には秀吉の小姓だったわけですが、彼らが小姓に取り立てられた経緯やその後のことについて、目次の順に沿って、詳しく書かれていました。その概要のほんの一部は次の通りです。

 「一本槍」に登場してくる虎之助とは、加藤虎之助のことで、その後、肥後半国を賜り、大大名となりました。

 「二本槍」に登場してくる助右衛門とは、糟谷助右衛門のことで、最終的に1万2千石を賜って大名となりましたが、関ヶ原の戦いの際には西軍に付き、そこで戦死しています。

 「三本槍」に登場してくる甚内とは、脇坂甚内のことで、関ヶ原では東軍につき、淡路洲本3万石の大名となっています。

 「四本槍」に登場してくる助作とは、片桐助作且元のことで、秀吉の時代、やっとこ1万石の大名となり、奉行の一人となりました。秀吉没後、大坂の陣を避けるよう秀頼に進言しますが、聞き入れられなかったため、秀頼に改易の申し出をしました。結局、大坂の陣は起こってしまい、大坂城は落城し、秀頼は自刃します。しかし、助作自身は、改易となっているにもかかわらず、ほどなく毒殺されてしまいます。

 「五本槍」に登場してくる孫六とは、加藤孫六嘉明のことで、その後、伊予20万石の大名となります。関ヶ原の戦いの際には東軍につき、その後も豊臣恩顧の大名の毒殺にもかかわります。

 「六本槍」に登場してくる権平とは、平野権平長泰のことで、5千石止まりであったため、「賤ヶ岳七本槍」の中では、唯一、大名になれなかった人物でした。しかし、関ヶ原の戦いの際に、佐吉(石田三成)から、大名になれる最後のチャンスだから東軍に付けと勧められて東軍につきました。しかし、家康の跡継ぎの秀忠の別働隊に配属となった結果、関ヶ原の戦いの際には本陣にいなかったため戦功を上げられず、遂に大名にはなれませんでした。

 「七本槍」に登場してくる市松とは、福島市松正則のことで、その後、秀吉から伊予1国11万3千石を賜ります。関ヶ原の戦いでは東軍につき、広島藩の藩主となります。大坂の陣では、家康から江戸留守居番を命じられ、動きを止められています。

 

 なお、この本のタイトルが「八本目の槍」となっていますように、実質、この本の内容は、8人目の小姓についての物語でした。

 「一本槍」から「七本槍」までの項目の中に、常に8人目の小姓の佐吉(石田三成)を登場させています。そして、その佐吉(石田三成)がいかに先見の明があったか、いかに優秀であったかを、繰り返し、繰り返し書いています。

 謂わば、佐吉(石田三成)礼賛の書という印象でした。


母の日

2023年05月14日 15時36分58秒 | その他の日記

 今日は母の日です。

 妻は、娘が帰省してくることを期待していたようですが、ここのところ、ちょっと体調を崩したとのことで、母の日には帰省出来ないとの連絡があり、ちょっとがっかりしたようです。

 そこで、妻は、最近、久しく買い物にも出かけていないので、自分自身への「母の日」のプレゼントを自ら買いに行くことを決意したようで、隣街の「イオン・モール」に出かけました。私も、同行を求められましたので、一緒に行くことに、、、。

 「イオン・モール」で、妻は、自分へのプレゼント用として、ちょっとした物を買い、その後、店内で軽く昼食を摂って帰宅しました。

 なお、「イオン・モール」内には、あちこちで、カーネーションやら紫陽花やらの花々が沢山売られていましたが、花は庭に咲いている花で代用することにし、花は買わずに帰宅しました(~_~;)

 

隣街の「イオン・モール」

 

 

「イオン・モール」内の花売り場(その1)

 

 

「イオン・モール」内の花売り場(その2)