Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

グリーンカーテン

2022年07月31日 09時55分30秒 | その他の日記

 毎年、我が家の東側に、日除けのためのグリーンカーテン作りをしています。

 春、キュウリとゴーヤの苗を2本づつ買ってきて植えました。しかし、ゴーヤの苗の2本のうちの1本が、途中、まだ植えてからそれほど経過していないうちに枯れてしまいました(><)

 でも、1本に頑張ってもらえばなんとかなるかなと思いましたし、また、これから、種を蒔いて苗を作って追加すればなんとかなるだろうとも思いました。そして、その間は、キュウリに頑張ってもらおうとも思ったところです(^_^)

 それで、昨年の自家製のゴーヤの種をポットに蒔き、苗を作りました。その内の4本を我が家の東側に追加して植えましたので、今年は、ゴーヤは合計5本になりました(^-^*) なお、余ったゴーヤの苗は、捨てるのも可哀想ですので、ご近所のもらってくれる方にあげました。

 その後、キュウリ2本とゴーヤ5本は順調に育ち、かなり前からキュウリの実は食卓にのぼるようになり、葉も繁るようになりました。そして、ゴーヤも、かなり葉を繁らすようになってきて、キュウリの葉とゴーヤの葉を合わせて、なんとかグリーンカーテンの様相を帯びてきました(^-^*)

 今年は、早く暑さが到来してしまい、今夏はグリーンカーテンも役立たないまま終わってしまうのかなと思いましたが、まだまだ暑さは続くようですから、これから活躍してくれそうです(^-^*)

 

なんとかグリーンカーテンらしくなりました(^-^*)

所々に見られる大きな葉は、キュウリの葉です。


武士道 ─鍋島直茂─

2022年07月27日 11時52分20秒 | 読書

 「武士道 ─鍋島直茂─」(近衛 龍春著 実業之日本社 2019年12月25日初版第1刷発行)を読みました。

 

 

 これは、鍋島藩藩祖鍋島直茂の波瀾万丈の生涯を書いたもので、鍋島直茂が彦法師丸と呼ばれていた14歳の時から、81歳で亡くなるまでの生涯の記録とも言えるものです。

 鍋島直茂に関しましては、いろんな書物に書かれていますので、ここで、この本の内容の紹介は省略いたしますが、「最終章 関ヶ原と武士道」の文中から、次に、そのうちの幾ばくかを紹介し、この本の紹介に代えさせていただきます。

 

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「高房(注:龍造寺政家の嫡男で竜造寺家の当主)は、直茂の真意が伝わらなかったのか、その年の9月6日死去した(注:享年22)。表向き落馬と言われているが、高房は乗馬が巧みなのでありえないという。実は服毒自殺らしい。

 直茂から長文を受け取った政家(注:竜造寺家当主龍造寺隆信の嫡男で、隆信が沖田畷の戦いで敗死してから竜造寺家の当主となっていたが、病弱だったこともあり、秀吉から隠居させられた。その時に既に龍造寺家は断絶するところではあったが、直茂の尽力で、まだ幼かった高房が家督を継げた)は、高房を追うように10月2日病死した。  P.376 」

 

「政家が死去して竜造寺家の家督は勝茂(注:鍋島直茂の嫡男)に承継された。これにより名実共に鍋島佐賀藩が誕生した。直茂は感無量であるが、死によって成立したので声に出して喜ぶわけにはいかなかった。

 肥前の国は何家かの藩が存在するが、一番多い石高を有していたので鍋島家が肥前藩と呼ばれている。その一方、政治体制は複雑な構造を擁した。

 本藩のほかに鹿島、小城、蓮池の三支藩が藩内に存在し、白石鍋島、川久保神代、村田鍋島、久保田村田家の親族格、さらに多久、武雄鍋島、須古鍋島、諫早家の龍造寺四家が親類同格として置かれ、いずれも大分配といって、それぞれが自治権を持っていたので、藩主の勝茂でも介入できないことがあった。なので国人衆の集合体に近く、肥前藩としての蔵入地が少なく、さらに、鎖国下で唯一の貿易港の長崎警備を命じられたので、慢性的な財政難に喘ぐことになった。

 その反面、鍋島藩は西洋を中心とする海外情勢や、その文明をいち早く取り込むことができたので、幕末最強の雄藩に押し上げることにも繋がった。  P.376~377 」

 

「直茂が語った言葉はのちに鍋島藩士の山本常朝が、いい伝えられていることを七年に亘って語り、後輩の田代陣基によって筆録、編集されたものが『葉隠』として伝えられた。

 『葉隠』には多く「死」という文字が出てくるが、これは死を増長するものでも、自殺を強要するものでもなく、死に物狂いになって、腹を据えて事にあたれ、という意味である。疑わしきは殺せとしてきた主君の隆信に対し、直茂は人を生かして活用しようとしてきた。この精神は現代の我々にも通じるものがあるはずである。直茂は、これを教えてくれた武将である。  P.379~380 」


大杉神社

2022年07月25日 18時28分31秒 | 小旅行・美術館訪問

 先日、テレビで、大杉神社(所在地:茨城県稲敷市阿波)のことが放映されていました。

 それを観ていた妻は、「茨城県にも、このような神社があったのですね! 是非、一度行ってみたいものですね」とのたまわりました、、、(~_~;)

 妻は、この神社には行ったことがなかったようです。私も、それほど大きな神社でもないものですから、30年以上も前に一度訪れたことがある程度でした。それに、当時は、先日テレビで放映されていたほどには整備されておらず、かなりみすぼらしい状態の神社でしたので、私も、もう一度行ってみたいな~とは思ったところでした。

 ところが、今朝、妻が、「大杉神社に行ってみますか」と言うものですから、お天気も良いものですから、さっそく出かけてきたわけです(^-^*) 今は、カンカン照りのお天気の良い時は、家の中にじっとしているよりは、車で移動していたほうが涼しいんですよね。車のエアコンを利かせていれば、涼しく移動できますものね(^-^*)

 そんなことで、大杉神社に行ってきたものですから、以下、簡単にその報告をしたいと思います。大杉神社までは、我が家から、車で片道1時間半ちょっと(一般道使用)の距離にあります。

 

 

鳥居

 

 

 鳥居は、道路の交差点の直ぐ脇にありました。

 この鳥居を潜って直進します。直進していきますと、直ぐに、低い石段がありますので、それを登っていきます。

 

 

石段

 

 

 石段を登りきりますと正門のところにたどり着きました。

 

正門

 

 

正門の向かって左側の光景

 

 

正門の向かって右側の光景

 

 

正門を潜った光景

茅の輪くぐりの茅の輪が設置されていました。

 

 

正門を潜って直ぐ左側の光景

日光の陽明門のような建物が建っていました。

 

 

 茅の輪を潜って直ぐ右側に「大杉殿」がありました。

 

「大杉殿」

 

 「大杉殿」にお参りし、上の写真の左側に進んで行きますと、直ぐに、「大黒神社」に至りました。

 

「大黒神社」

 

 「大黒神社」の鳥居を潜り、真っ直ぐ進みますと、直ぐに、大黒天と恵比寿天をまつった立派な「お社」にたどり着きます。

 

 

大黒天と恵比寿天をまつった立派なお社

 

 上の写真の右手前にある説明板には、次のように書かれていました。

 

 

 この「お社」の中には、大黒天と恵比寿天がまつられているわけですが、「お社」に接近し、中にまつられています大黒天と恵比寿天の写真を接写してきました(^_^)

 

 

大黒天

 

 

大黒天の右脇(こちらから見て)にまつられている恵比寿天

 

 

 この大黒天につきましては、拝む人によってその表情はさまざまに見えるとのことです。顔を崩すほどに笑って見えれば、巨万の富をさずけてくださるという、とってもありがたい大黒さまだとのことです。

 私が拝んだ時は、顔を崩すほどに笑ってはくださりませんでしたので、私には、巨万の富をさずけてはくださらないようです(~_~;)

 「大黒神社」を参拝し、その後、奥の方に行ってみましたら、この神社の御神木の三郎杉がありましたので、そこをお参りし、大杉神社を後にしました(^-^*)

 

 

御神木の三郎杉

 

 

御神木の三郎杉の全景


染付 二股大根にネズミ文 中皿

2022年07月24日 17時05分50秒 | 古伊万里

 今では止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」では既に紹介していながら、このブログでは紹介していない伊万里がまだ5点ほど残っていることを記し、これまでにそのうちの3点までを紹介したところです。

 今回は、その残りのうちの1点、つまり、全5点のうちの4点目を紹介いたします。

 なお、今では止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」では既に紹介しているのに、どうしてこのブログでは紹介していなかったのかと言いますと、それは、どうも、それらが本歌の古伊万里ではなく、最近作られた「古伊万里写し」なのではないのかな~との疑念が湧いたためであったことも記したところです(~_~;)

 しかし、そうした疑念のある物も、そのまま、疑念のある物として紹介することにも、少しは意義があるのかなと考え直し、それらを、順次、紹介することにしたことも記したところです。

 そのようなわけで、さっそく、次に、その4点目の「染付 二股大根にネズミ文 中皿」を紹介いたします。

 

 

染付 二股大根にネズミ文 中皿

 

表面

 

 

ネズミ文部分の拡大

 

 

側面

 

 

裏面

 

 

裏側面の繋ぎ唐草文部分の拡大

 

 

生 産 地 : 不明

製作年代: 不明

サ イ ズ : 口径:22.6cm   高台径:13.6cm

 

 

 

 ところで、前述しましたのように、この「染付 二股大根にネズミ文 中皿」につきましては、今では止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」で既に紹介しているわけですが、その時の紹介文を、次に、参考までに再度掲載いたします。

 なお、その紹介文中では、この「染付 二股大根にネズミ文 中皿」につきまして、「生産地:肥前・有田」、「製作年代:江戸時代後期」としておりますことをお含みおきください。

 

 

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<古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー206  伊万里染付二股大根にネズミ文中皿 (平成27年7月1日登載)

 

表文様部分のアップ
 
 

 忌わしいネズミが、二股大根にかじりついている。しかも、3匹も、、、(><)

 現代人がこの皿の図柄を見た場合、決して、良い感情は抱かないであろう。

 しかし、この皿が作られた当時は、大根は豊かな実りと繁栄を象徴する吉祥文として好まれていたし、ネズミは五穀豊穣や子孫繁栄を象徴する吉祥文として好まれていたのである。

 また、ネズミが二股大根をかじっている図は、ネズミが大黒様のお使いであることから、大黒様が二股大根を食べて腹痛を治しているというありがたい場面を現している図なのである。

 つまり、この皿が作られた時点では、この皿には、大根、ネズミ、大黒様という吉祥文が描かれていたことになる。

 現代の感覚は、当時とは随分と乖離してしまっている(~_~;)

 

江戸時代後期       口径:22.6cm   高台径:13.6cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌135  古伊万里との対話(二股大根にネズミ文中皿) (平成27年7月1日登載)(平成27年6月筆)

 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  ネズミ (伊万里染付二股大根にネズミ文中皿)

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、例によって、主人のところにやってきた順番に従って対話をしようと思ったようで、「押入れ帳」をめくり、そこに記された押入れの場所等の表記に従って今回対話をすべき古伊万里を捜し出し、さっそく対話をはじめた。

 

 


 

 

主人: 「押入れ帳」の記載事項を読んで気付いたんだが、お前は、我が家に平成22年の7月に来ているんだね。ちょうど5年経つんだね。ほんの1~2年前に買ってきたような気がするんだが・・・・・。月日の経つのは早いものだね。

ネズミ: 光陰矢の如しですね。
 この調子でいきますと、私が古参の古伊万里の仲間入りをするのはもうすぐですね。

主人: それはないだろう。人間の過ごす歳月と陶磁器の過ごす歳月とではスパンが違うんじゃないかな。人間の百歳は相当の古参だけれど、陶磁器の百歳は古参とは言えないね。だいたいにおいて、百歳ぐらいじゃ古参の古伊万里どころか、古伊万里にもなれないよ。

ネズミ: ところで、私には大根が描かれていますが、何か意味があるんですか?

主人: 古伊万里には、大根とか人参、蕪といった根菜類が描かれてることが多いね。それらは、豊かな実りとか繁栄を象徴する吉祥文として、古来より愛されきたからだろうね。

ネズミ: また、私にはネズミまで描いてありますよね。しかも、大根を食い荒らしている害獣のように描いてありますよね。いかにも、豊かな実りを象徴する大根を食い荒らす憎たらしい害獣のように描いてありますよね。それに、描写はかなりリアルですよね。こんな文様が描かれていたのでは、人は、私に嫌な感情を抱き、使用してくれなくなるのではないでしょうか・・・・・。

主人: 確かに、現代人の感覚からすればそうだろうね。ネズミは、食物を食い荒らす忌わしい存在としか捉えらえないだろうからね。
 でも、お前が作られた江戸時代には、ネズミは、両の頬に種を蓄え、あちこちに種をこぼすので、その様は、あたかも、種蒔きに似ているし、また多産であるため、むしろ、五穀豊穣や子孫繁栄を象徴する吉祥文として愛されていたようだね。また、ネズミは、豊穣を司る大黒様のお使いとされていたので、吉祥文として尊ばれたようだよ。

ネズミ: そうですか。文様は、時代とともに、その意味も変化するんですね。

主人: それに、お前に描かれている、二股大根をネズミがかじっている文様には、もっと面白い意味が隠されているようだね。

ネズミ: どんなことですか。 

主人: 「まんが日本昔ばなし」の中に、面白い話があったんだ。その概要は次のようなものだった。

「 昔々ある所に、大黒様という神様がいたそうな。毎年、12月は大根の収穫シーズンで、村人たちは12月9日に「耳あけの日」として、大黒様に豊作を祈願したんだとか。
 それを見ていた悪い神様が大黒様の人気に嫉妬し、二人で相談して大黒様を殺す計画をたてたという。
 その計画は、「大黒様の大好物の餅を大量に食べさせて腹をはじけさせよう」というものだった。悪い神様たちは、大黒様を自分たちの屋敷に呼び、大量の餅を一人で食べるように強要したとか。
 しかし、大黒様は、そんな悪いたくらみなどには気づかず、沢山の餅を一人で平らげ、大満足で帰路についたとのこと。しかし、帰る途中、さすがの大黒様のお腹も餅でパンパンに膨らんで歩けなくなってしまったとか。
 そこへ、大根を沢山持った娘が通りかかった。大黒様は「大根を食べれば治るから、少し分けてほしい」とお願いしたとか。しかし、娘は、いくら大黒様でも雇い主の大根を勝手にあげるわけにはいかず、大変に困ってしまった。
 ところが運よく、娘は、二股に分かれている「股ワレ大根」を見つけ、一つの股をポキンともぎって大黒様に渡した。これなら大根の数は減らないので、娘が雇い主から怒られる心配もないので・・・・・。
 大黒様も安心してもぎった大根を食べ、腹痛も治ったとか。こんなことがあってから、毎年の耳あけの日には、大黒様に「股大根」をお供えするようになったそうな。」

 このように、日本昔ばなしの題材になるくらいだから、古来より、二股大根と大黒様との結び付きは強かったんだね。ネズミは大黒様のお使いと言われているので、ネズミが二股大根をかじっている様子は、大黒様が二股大根を食べている様子を現しているわけだね。だから、ネズミが二股大根をかじっている様は、害獣が食物を食い荒らしているという忌わしい光景を描いたものではなく、大黒様が二股大根を食べて病気を治しているというありがたい光景を描いていることになるわけだね。

ネズミ: そうですか。それを聞いて嬉しくなりました。とかく、私達ネズミは、現代人からは忌み嫌われていますものね。

主人: 文様は、先程、お前が言ったように、時代とともに、その描かれた内容の意味は変遷するようだね。美人の基準が時代とともに変遷するようにね・・・・・。
 ところで、脱線はさておき、お前には、豊かな実りと繁栄を象徴する大根、五穀豊穣や子孫繁栄を象徴するネズミ、それに、大黒様が二股大根を食べ(ネズミが大黒様のお使いということなので、ネズミが二股大根をかじってるということは、大黒様が二股大根を食べていることを現しているため)、食べ過ぎによる腹痛を治しているというありがたい場面が描いてあるということになるね。
 そうであれば、江戸時代には、お前に美味しい料理を山盛りにして「お・も・て・な・し」をすることには、「あなた様の繁栄を祈っております。どうぞ沢山食べ、益々元気になってください。沢山食べても食べ過ぎによる腹痛など起きませんので、安心してめしあがってください。」という意味が隠されていることになるわけだね。

 

 

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骨董市と古美術品交換会

2022年07月17日 20時33分04秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、月に一度の定例の骨董市と古美術品交換会の日でした。

 天気予報によりますと、今日の未明まで激しい雨に見舞われるとのことでしたので、今日の骨董市の開催が危ぶまれましたが、目を覚ましてみましたら、そのようなこともなかったようで、晴れ間も覗くような曇り空でして、比較的に良いお天気となっていました(^_^)

 そこで、骨董市は開催されているに違いないと確信し、先ずは、骨董市会場へと急ぎました(^-^*)

 しかし、やはり、天気予報は利いたようで、出展業者が少なく、会場は、1/3ほどが空いていました。

 でも、古陶磁に関しては、それほどの影響がなかったようで、2件計3点ほどゲット出来ました(^-^*)

 1件目は、「伊万里 染付 兎草花文 小鉢」の1点です。

 もう1件目は、「伊万里 色絵 貝藻文 菊花形小深皿 (一対)」の2点です。

 骨董市で3点ゲットできましたので、その後は、例によって、古美術品交換会会場へと向かいました。

 古美術品交換会会場は、だいぶコロナの影響も無くなったようで、ほぼコロナ以前のような賑わいを取り戻していました(^-^*)

 そんなこともあり、出席者が多く、交換会に出品される商品も多いとあって、定刻より10分早くスタートしました。

 私のお目当ての古伊万里も何点か登場し、その内、2点に食指を動かされました。

 1点は、「伊万里 色絵 松竹梅文 中皿」でした。それを競っていったのですが、最後は、「その値段では売れない!」ということで引かれてしまい、落札にはなりませんでした(~_~;)

 もう1点は、「色絵の里帰り伊万里の大皿」でしたが、それは、発句が高すぎましたので、私は、当初から買うのを諦めてしまいました(><)

 そんなことで、古美術品交換会では何も競り落としませんでしたが、今日は、骨董市で3点ゲット出来たわけです。

 次に、骨董市で手に入れた3点を紹介いたします。

 

 

伊万里 染付 兎草花文 小鉢

 

正面(仮定)

 

 

正面のやや斜め下から見たところ

兎と草花が描かれています。

なお、買った時には気付きませんでしたが、口縁(兎の右の耳の上の部分)

に薄いニュー(長さ2cmほど)がありました(~_~;) ちょっと残念でした。

 

 

正面の裏側面

 

 

見込面

 

 

見込面の拡大

薄造りのため、裏面が透けて見えます。

 

 

 

底面

高台内には、文字が書かれています(判読不明)。 

追 記(令和4年7月22日):文字は「滝」と思われます。>

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径12.1×11.5cm(歪みがあるため) 高さ5.5×5.9cm(歪みがあるため) 

      底径4.3cm

 

 

伊万里 色絵 貝藻文 菊花形小深皿(一対)

 

表面

         小深皿A               小深皿B

 

 

側面

        小深皿A               小深皿B

 

 

裏面

         小深皿A               小深皿B

 

 

小深皿Aの表面

 

 

小深皿Aの側面

 

 

小深皿Aの裏面

 

 

小深皿Bの表面

 

 

小深皿Bの側面

 

 

小深皿Bの裏面

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期~後期(1750~1810年代)

サ イ ズ : 小深皿A・・・口径14.1cm  高さ4.0cm  底径6.9cm

        小深皿B・・・口径 〃   高さ 〃   底径 〃

 

 

 なお、この「伊万里 色絵 貝藻文 菊花形小深皿 (一対)」は、「見込み蛇の目釉剥」という技法で作られているわけですが、その「見込み蛇の目釉剥」につきましては、「柴田コレクションⅥ」(佐賀県立九州陶磁文化館発行)のP.159に解説されておりますので、次に、それを転載して紹介いたします。また、このP.159には、この「伊万里 色絵 貝藻文 菊花形小深皿 (一対)」と文様が非常に似ているものも掲載されておりますので、それも同時に転載して紹介いたします。

 

 

「柴田コレクションⅥ」(佐賀県立九州陶磁文化館発行)P.159

見込み蛇の目釉剥

 皿の見込みを、上に重ねる製品の高台に合わせて釉剥ぎし、重ね積みする窯詰方法。釉剥ぎの痕跡が蛇の目状に残る。製品同士の焼成時における熔着を防ぎ、窯出し時の分離を容易にする目的で行われる。釉剥ぎ部分を上絵で装飾する製品もある。

 

 

263 色絵 蝶文 皿  1650~60年代 口径15.0 高さ2.7 底径8.4

 

 

264 色絵 貝藻文 皿(5)  1750~1810年代 口径12.3 高さ2.4 底径5.7