Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

「蹴れ、彦五郎」

2023年12月29日 14時39分05秒 | 読書

 「蹴れ、彦五郎」(今村翔吾著 祥伝社 令和4年7月20日初版第1刷発行)を読みました。

 

 

 

 この本のタイトルは、「蹴れ、彦五郎」となっていますが、実際には、次の、

① 蹴れ、彦五郎

② 黄金(こがね)

③ 三人目の人形師

④ 瞬(まばたき)の城

⑤ 青鬼の涙

⑥ 山茶花(さざんか)の人

⑦ 晴れのち月

⑧ 狐の城

という、八編の短編から成っていました。

 

 「① 蹴れ、彦五郎」は、今川義元の嫡男今川彦五郎氏真に関する物語を書いたものでした。

 彦五郎は、蹴鞠と歌を何よりも好み、名家を没落させた武将として有名ですが、その当時には無い考え方の「職業選択の自由」を貫いた武将であったという側面から描いた内容のものでした。

 

 「② 黄金(こがね)」は、織田信長の嫡孫織田秀信に関する物語でした。

 織田秀信は、関ヶ原の戦いの際には西軍について破れ、高野山に送られますが、そこからも追放され、その後1月足らずで25歳の若さで没したということです。

 なお、一部の史料には、陸奥棚倉1万石で大名に復帰したという記述もあるということが付記されていました。

 

 「③ 三人目の人形師」は、他の七編とは趣の異なる、生人形(いきにんぎょう)師にまつわる、ホラー的な内容のものでした。

 

 「④ 瞬(まばたき)の城」には、「星ヶ岡城」という太田道灌の頃に築城されたという城にまつわる物語が書かれていました。

 そこには、太田道灌や、太田道灌に、「貧しくて蓑がないので貸せない」という意味を込めた歌に山吹の枝を添えて差し出したという謎の女性が登場してきます。

 

 「⑤ 青鬼の涙」は、鯖江藩第7代藩主間部詮勝という人物に関する物語でした。

 幕末の井伊直弼は赤鬼と呼ばれて有名ですが、鯖江藩第7代藩主間部詮勝は「鯖江の青鬼」と呼ばれていたとのことです。

 彼は明治の世を見ることになりますが、明治になって、東京向島の屋敷から、一人、元の領地であった鯖江に旅立ち、そこで、若殿の時代に食べていた羊羹を買ったという内容でした。

 

 「⑥ 山茶花(さざんか)の人」は、上杉家の猛将新発田重家に関する物語でした。

 新発田重家は上杉家に反旗を翻し、義の家である上杉家に刃向かったわけですが、それは、彼が悪なのか、それとも、彼には彼なりの義があったからなのかという視点から書かれたものでした。

 

 「⑦ 晴れのち月」は、武田信玄の嫡男武田太郎義信を主人公としたものでした。

  武田信玄は、武田太郎義信が謀叛を企てたということで、彼を廃嫡するわけですが、それを、後日、信玄が後悔するという内容でした。

 その辺の記述は次のようなものでした。

 

「・・・義信の死から五年後の元亀三年(1572)、かつて義信が予見したように美濃を得た織田家は一気に膨張し、武田家を大きく上回る勢力になっていた。このままではさらに国力の差が広がると見た信玄は、織田家と断絶し、それを討たんと西上作戦を決行した。

 織田家との決戦を急いだ理由はもう一つある。

 それは信玄の労咳の症状が悪化し、残された時が僅かであることを悟っていたのである。

 初戦から武田軍の連戦連勝であったが、西上の途中、信玄は倒れた。

 「今少し時があれば・・・・・口惜しい」

 病床で痩けた頬を震わせながら信玄は零した。

 跡取りの勝頼は勇猛であるが人を惹きつける魅力に欠ける。さらに一度諏訪家に養子に出していたこともあり、くせ者揃いの家中を纏めるには至らないと考えていた。

 「太郎が生きておれば・・・・・」

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「その通りだな・・・・・」

 その譫言が最後の言葉であった。      (P.330~331) 」

 

 

 最後の「⑧ 狐の城」は、北条氏康の4男北条氏規(うじのり)に関する物語でした。

 豊臣秀吉による北条攻めの際、彼は、韮山城に籠もって激しく抵抗します。しかし、多勢に無勢、遂に韮山城を明け渡すこととしますが、その際、明け渡しの条件として北条家当主北条氏直の助命と相模など一部の領地の安堵などを申し出ます。

 その後、氏規の努力により、氏直は赦され、河内及び関東に1万石を与えられ大名に復します。

 なお、その後の北条家の推移については、次のように書かれていました。

 

「しかし、氏直は、11月4日に大坂で病死した。

 小田原北条氏五代当主、北条氏直。三十歳という若さだった。

 氏直の死後、氏規の嫡子である氏盛が、遺領のうち4千石を相続した。

 氏規は河内国丹南郡に2千石、後に河内に約7千石を宛てがわれた。

 慶長3年(1598)には隠居し、氏盛に己の全ての知行地を任せた。

 領地を併せたことにより、氏盛は1万1千石の大名となった。北条宗家は、河内狭山藩主としてその血脈を幕末に至るまで紡ぐのである。    (P.377~378) 」

 

 ちなみに、北条氏直の妻督姫は徳川家康の娘です。北条氏規のことを「狐」と称するのは、秀吉が、家康を「狸」と言い、氏規のことを「狐」と言ったことを、自らがいたく気に入り、両人をそのように称したことに由来するようです。


赤絵 蓮文 小皿

2023年12月25日 12時44分07秒 | その他の古陶磁

 今回は、「赤絵 蓮文 小皿」の紹介です。

 これは、平成12年に(今から23年前に)、東京ドームで行われた骨董市で購入したものです。

 ただ、わざわざ東京まで出向いたものの、古伊万里の良いものは高くて買えませんでした(><)

 でも、せっかく、わざわざ東京まで来たことだし、東京ドームの骨董市に来たという記念に、何か買って帰ろうかなということで購入におよんだものです。

 もっとも、例の如く、買った後に、何時、何処で作られたものなのかについて調べもしないで現在に至っております。買う時は、タイかベトナム辺りで作られたものなのかな~、けっこう時代はあるのかな~と思って買ったものではありますが、、、。これをご覧になり、何時頃、何処で作られたものなのかについてお教えいただければ嬉しいです(^_^)

 

 

赤絵 蓮文 小皿

 

表面

 

 

側面

 

 

裏面

 

 

裏面の拡大

 

 

生 産 地 : タイ? or ベトナム?  タイ(アユタヤ)

製作年代: 不明(但し、現代作ではなく、古い時代のもの)

サ イ ズ : 口径11.5cm 高さ2.5cm 底径7.0~7.3cm

 

 


追 記(令和5年12月27日)

 この小皿を紹介しましたところ、遅生さんから、この小皿は、蓮の花を描いたのではないかとのコメントをいただきました。

 私には、何が描かれているのか分りませんでした。かといって、調べるのも面倒なものですから、単に「赤絵小皿」として、安易に紹介したところです(~_~;)

 でも、単なる「赤絵小皿」ではさびしいものがありますので、この小皿の名称を、「赤絵小皿」から「赤絵 蓮文 小皿」に変更いたします。

 


追 記(その2)(令和5年12月29日)

 nazonazo3さんから、これは「タイはアユタヤの民器かと思います。 タイに行くと、骨董品を買った時、偶にオマケでもらうことがあります。オマケって言うても古いです。ただ、大量生産されたもので数はかなり作られていたようです。」とのコメントをいただきました(^_^)

 したがいまして、この小皿の生産地を「タイ(アユタヤ)」に、製作年代を「不明(但し、現代作ではなく、古い時代のもの)」に変更いたします。

 nazonazo3さん、ご教示、ありがとうございました(^-^*)


金襴手 花束文 大皿(大鉢?)

2023年12月21日 19時39分54秒 | 古伊万里

 今回は、昨日の古美術品交換会で競り落としてきた「金襴手 花束文 大皿(大鉢?)」の紹介です。

 最近では、古伊万里の人気が無いようです。特に、大きな物は、飾ったり保管したりするためのスペースを必要とするためか、殊更に人気がないようです。江戸後期の大皿などは、その顕著な例でしょうか。

 私は、もともと、江戸後期のものにそれほど興味がなかったことに加え、最近では、やはり、大きな物は、保管するためのスペースに困るので、江戸後期の大きな物は極力買わないようにしていたところです。

 ところが、昨日は、上手の、なかなか見所のある大皿(かなりの深みがありますので大鉢としたほうがいいのかもしれませんが、、)が登場してきましたので、ついつい、競り落としてしまいました(~_~;) ホント、これからの保管に困るんですよね(~_~;)

 ということで、昨日、手に入れました「金襴手 花束文 大皿(大鉢?)」というものは、次のようなものです。

 

 

金襴手 花束文 大皿(大鉢?)

 

立面の正面(仮定)

牡丹が描かれた面

 

 

立面の正面から右に120度回転させた立面

菊が描かれた面

 

 

立面の正面から左に120度回転させた立面

紫陽花が描かれた面

 

 

見込み面

 

 

 この大皿(大鉢?)は、比較的に薄作りで、造形は厳しく、大きな割にはそれ程の重さを感じさせません。

 全体が5角形に作られ、口縁の先端が垂直に立ち上がり、口縁は輪花となっています。

 造形的に、全体を5角形にしたり、口縁の先端を垂直に立ち上げたり、口縁を輪花とするなど、厳しく、また手が混んでいるわけですが、それ以上に、見込み面いっぱいに煩雑なほどに文様が描かれ、手が混み過ぎた感があり、見ていると息が詰まります。ただ、わずかに、中心部に若干の余白を置くことで、息詰まり感を解消させています(~_~;)

 

 

見込み面の中心部の拡大

若干の余白を置くことで、息詰まり感を解消させています。

 

 

 

 

見込み面周辺部の拡大(その1)

菊が描かれた面

 

 

見込み面周辺部の拡大(その2)

菊(?)が描かれた面

 

 

見込み面周辺部の拡大(その3)

花(何の花か不明)が描かれた面

 

 

見込み面周辺部の拡大(その4)

菊(?)が描かれた面

 

 

見込み面周辺部の拡大(その5)

椿(?)が描かれた面

 

 

見込み面周辺部の拡大(その6)

羊歯が描かれた面

 

 

口縁分の拡大

口縁の先端が垂直に立ち上がっています。

 

 

底面

 

 

牡丹が描かれた外側面

 

 

菊が描かれた外側面

 

 

紫陽花が描かれた外側面

 

 

口縁付近の外側面

口縁の外周部分にまでビッシリと文様を描いています。

 

 

高台付近の拡大

高台の外周部分やその付近にまでビッシリと文様を描いています。

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 口径35.7cm 高さ10.5cm 底径18.7cm


古美術品交換会

2023年12月20日 18時42分04秒 | 骨董市など

 今日は、私にとっては、月に一度の定例の古美術品交換会の日でした(^_^)

 こちらは、北海道や日本海側とは違い、雪も降らず、お天気も良く、比較的に穏やかな暖かい日でもありましたので、のんびりと、ドライブ気分で古美術品交換会会会場へと向かいました。

 私の行っている古美術品交換会は、実態がプロの市場(いちば)となってからは、随分と活気が出てきました。

 今日も、出席者も多く、競りに掛けられる商品も多く、活況でした。

 しかし、私の狙っている古伊万里に関しては、相変わらずで、江戸後期の物や最近作の古伊万里写しが多く、江戸前期や江戸中期の本歌の古伊万里はほとんど登場してきません。

 私は、江戸後期の物にはさほど興味がありませんので、江戸後期の物の競りにはほとんど参加していませんから、高見の見物となる時間が多く、閑と言えば閑な状況が長く続きます。

 それで、冷静に競りの状況を眺めている場合が多いのですが、状況を観察していますと、「最近作の古伊万里写し」の結構な数が結構な値段で競り落とされていることに気付きます。これ、プロが競り落としているわけですから、結局は、これらは、これからは、「古伊万里の本歌」として巷に売られてゆくのだろうな~と思ったところです。くわばわ、クワバラですね(><)

 最も驚いたのは、江戸前期の「伊万里 染付 草花文 中皿」です。これは、周辺に陽刻文が施された典型的な寛文期の古伊万里の中皿でしたが、私から見たら、良く出来た「最近作の古伊万里写し」としか思えませんでした。

 それで、このような物をプロはどのように評価し、どのくらいの値段で競り落としていくのかを、興味深く観察していました。

 そうしましたら、プロが、これを、驚くことに、本歌として評価し、本歌の相場の値段で競り落としたのです(><) 骨董品は分りませんね(><) 結局は、この中皿は、今後、江戸前期の「伊万里 染付 草花文 中皿」の本歌として巷に登場してくるのでしょうね(><)

 それはともかく、次に、今日の、私の競りの状況を記してみたいと思います。

 競りには2回参加しました。

 1回目は、江戸中期の「伊万里 染付 芙蓉手 花鳥図 兜形大皿」です。

 これについては、二人で競り合ったのですが、二人で競り合った値段が、売りに出した者の希望価格に達せず、結局は不成立となりました(~_~;) 「そんな安い値段では売れない!」ということですね(~_~;) 一瞬、更に値段を積み増しして競り落とそうかな~とも思いましたが、それほど珍しい物でもないし、無理して競り落とすほどの物でもないだろうと考え、断念しました。

 2回目は、江戸後期の「伊万里 金襴手 花束文 大皿(大鉢?)」です。

 これについては、江戸後期の物ですから、私にはさほど興味が無いものでしたので、当初は、高見の見物をしていました。

 2~3人で競り合っていたわけですが、良く見ますと、それは、なかなかの上手物であることに気付きました。なるほど、2~3人で競り合うほどの価値はありそうだな~と思いました。それで、江戸後期の物はめったに買わないのですが、急きょ、割り込んで、最高額を提示し、競り落としてしまいました(><)

 以上が、今日の古美術品交換会の状況です。

 今日、競り落としました江戸後期の「伊万里 金襴手 花束文 大皿(大鉢?)」につきましては、少々汚れがありますので、メラミンスポンジを使って綺麗にし、明日にでも紹介したいと思います。


タイヤ交換

2023年12月18日 13時13分10秒 | その他の日記

 今日は、タイヤ交換をしました(^-^*)

 この辺は滅多に雪は降らないのですが、安心・安全のため、冬場は冬タイヤに交換しています。

 随分と寒くなってきましたので、そろそろ交換の時期かなと思っていたのですが、今日は、風も無く、良いお天気なものですから、ちょうどタイヤ交換をするのには良い日だなと感じ、決行したわけです。

 タイヤ交換も、以前は、手動の十字レンチと車に備え付けられている手動のジャッキを使って行っていたわけですが、最近は、電動式レンチと油圧ジャッキを買い込み、それらを使用して交換するようになったものですから、随分と楽になりました(^_^)

 さすが、文明の利器を使って行うと楽ですね(^-^*)

 しかも、その文明の利器の扱いにも慣れてきましたので、タイヤ交換作業も早くなりました(^-^*)

 なお、今日は、このところ、ニュースで、走行中にタイヤが外れるという事故が頻発しているということが報道されていますので、最後に、手動の十字レンチを使用して、ボルトが確実に締まっているかどうかを再点検しました。

 電動式レンチを過信しないことと、加齢に伴いボケてきていて電動式レンチの操作を誤っているかもしれませんので(締付回転方向と緩める回転方向を取り違えて逆回転させたためにボルトの締め付けが弱くなっているかもしれませんので)、再確認のため、再点検を行ったわけです。