「白村江の戦いー天智天皇の野望ー」(三田誠広著 河出書房新社 2017年7月30日初版発行)を読みました。
この本を何故読んだかですけれど、それは、「襲来(上)・(下)」(帚木蓬生著 講談社 2018年7月30日第1刷発行)という本を読んだ際、6月12日付けでその本についてのコメント記事をアップしていますが、その記事の<追記>に、
この本を読むに至った動機ですが、それは、少し前に読んだ「日本の起源」という本に、これまでの日本の2,000年の歴史の中で、日本が危うかったのは、「白村江の戦い」の時と「元寇」の時だったとありましたので、「元寇」について少し詳しく知りたくなったからです。
今度は、近いうちに、「白村江の戦い」に関する本を読んでみたいと思っております。
と記しましたように、「日本の起源」という本の延長線上にあったからです。
「日本の起源」という本には、日本の2,000年の歴史の中で、日本が危うかったのは、「白村江の戦い」の時と「元寇」の時だったとありましたが、「元寇」については、「襲来(上)・(下)」(帚木蓬生著 講談社 2018年7月30日第1刷発行)という本を読むことによって少しは分かったわけですけれど、今度は、「白村江の戦い」について少し知りたくなったからです。
この本では、当時の、中国大陸、朝鮮半島、日本との間の関係がスケール大きく描かれていました。
中国大陸では隋が統一国家となり、次いで唐が統一国家となります。それらは、先進国であり、強大な統一国家でもあり、男帝が支配していました。
それに対し、朝鮮半島では高句麗、百済、新羅の三韓に別かれ、それぞれ女帝が支配していました。日本の倭国も女帝が支配していました。
なぜ女帝が支配したかというと、当時は、地方領主の勢力が強く、独裁的な王は歓迎されなかったからなようですね。皇族の女性には霊力が宿るとされていて、軍事力に支えられた権力ではなく、巫女が受ける神託によって国を統べるしか方法がなかったようですね。
つまり、統一性のない、弱小の後進国だったわけですね。
そうした状況下、朝鮮半島の高句麗、百済、新羅の三韓と倭国は、このような状態のままでは、いずれ大唐帝国に攻め込まれ、支配下におかれることは火を見るよりも明らかでしたので、それぞれ、統一国家への道を模索します。
しかし、その時、歴史は動きました(笑)。
外敵からの侵入の恐れが少なくなった唐帝国は、いよいよ朝鮮半島侵略に乗り出し、先ず、高句麗に侵入します。
その時、新羅は唐の冊封(さくほう)を受け入れ(唐の属国となることを受け入れ)、とりあえず、唐と新羅が連合し、唐・新羅の連合軍で百済を攻め落とします。そして、続いて、唐・新羅連合軍は高句麗へと向かいます。
その時でした、倭国が、百済の残党を救いに白村江に赴き、唐・新羅連合水軍と激突したのは、、、。
その時の倭国の最高権力者は中大兄(なかのおおえ)(後の天智天皇)です。
中大兄のとった戦術は、最初から、大敗することを覚悟のうえでした。
目的は、強力な統一国家を作ることです。それには、地方領主の勢力を弱めなければならないわけで、九州の熊襲などの勇猛な兵を水軍に仕立て(にわかに水軍の訓練を施したようですが)前線に配置して勇猛に戦わせ、頃合いを見計らって、後方に配置した朝廷の規律のとれた水軍を鮮やかに撤退させるというものでした。
予想通り、戦いは大敗でしたが、結果は大成功でした。
これにより、地方豪族の力は弱まり、統一国家への道が開かれました。また、唐帝国は、倭国の水軍が、果敢に攻め、鮮やかに撤退していった様子をみて、倭国水軍の実力を高く評価したからです。
この戦いの直後、唐帝国は、国使を派遣してきます。当初、倭国は、当然ながら、冊封を求めてくるものと予想しましたが、そうではなく、対等な国として交流していこうというものでした。
そうは言っても、倭国としては、いずれ、唐帝国は必ず攻めて来るものと予想し、統一国家への道を強め、九州に長大な水城を築き、都も瀬戸内海を通って難波に至った唐の水軍に攻め込まれないように山奥の琵琶湖湖畔に移します。
しかし、唐帝国は、倭国の水軍に脅威を感じ、その後、倭国に冊封を求めることもありませんでした。その後に中国が攻めてきたのはモンゴル帝国の元寇なわけですね。
そうして、倭国は、やっと、念願の統一国家となり、7年後、中大兄は即位し、男帝の天智天皇となります。
なにやら、現代の我々の置かれた状況は、当時の状況に似ていますね。外交政策に於いても、当時の白村江の戦いのあった頃の政策に学ぶべきものがありそうですね。先人の歴史に学ぶべきものがあるのではないかと思います。
ところで、白村江(はくすきのえ)とは、白村(はくすき)という小さな村落があることからそのように呼ばれたもので、広々とした錦江の河口のことなんですね。
無知な私は、この本を読むまでは、「はくすきのえ」を、「はくす」「きのえ」と読むものと思っていました(><)
意味からすれば、「はくすき」「のえ」と切って読むべきなんですね(-_-;)
子供の頃、電文の「シンダイシャタノム」を「シンダイシャ」「タノム」(寝台車頼む)と読まず、「シンダ」「イシャタノム」(死んだ医者頼む)と間違って読んだという笑い話を思い出し、苦笑しているところです(-_-;)