Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

冬を待つ城

2023年03月30日 13時44分51秒 | 読書

 「冬を待つ城」(安部龍太郎著 新潮社 2014年10月20日発行)を読みました。

 

 

 本書の内容は、豊臣秀吉が、小田原城を落城させた後、奧州仕置きのために奧州に大軍を差し向けるわけですが、それに反対する九戸政実(くのへまさざね)が、わずか3,500程の軍勢で陸奥九戸城に立てこもり、天下の軍勢15万を手玉に取ったという物語です。

 もちろん、九戸政実としても、わずか3,500程の軍勢で15万もの軍勢に勝てるとは思っていなかったわけですけれども、今回の奧州仕置きの真の目的が奧州からの人狩り(人足の徴収)であることを知り、それだけは何としても阻止したいとの思いで、敢えて謀反人となり、天下の大軍に立ち向かったわけです。

 九戸政実としては、奧州から人足を徴収されては、田畑を耕す人々がいなくなり、奧州の地はますます疲弊し、奧州は疲弊のどん底に突き落とされると真剣に憂えたわけですね。

 豊臣秀吉は、近く朝鮮出兵を考えていたわけで、その段取りをしていた石田三成としては、冬の朝鮮半島の地は寒さが厳しいことを知っていたものですから、寒さに慣れている奧州の人足を確保する必要があると考えたわけです。また、寒さ厳しい奧州の地で戦闘を行わせ、冬の朝鮮半島での軍事演習にしようとも考えたわけですね。

 ただ、九戸政実は、最初から、この戦いに勝つとは思っていませんから、何時かの時点で和平交渉に持ち込み、奧州からの人狩りだけは思いとどまらせたいとの思いで臨んでいたわけです。

 冬になれば、補給路を断たれてしまえば、大軍でも全滅しかねないわけで、その頃合いに和平交渉を提案しようと考えたわけですね。

 その作戦を着々と準備し、大軍の進行を遅らせるための妨害工作等を行い、ひたすら冬の到来を待ちます。

 天下の大軍は、とうとうその作戦に引っ掛かり、初冬になってやっと九戸城攻略の布陣を敷くことが出来ましたが、また、補給路を断たれていることも自覚しました。このまま九戸城攻略を続ければ、全軍が全滅しかねないことも悟ったわけですね。

 そこで、九戸政実は和平交渉を提案し、天下の大軍はそれに同意します。和平の条件は、首謀者の打ち首と籠城した将兵300人の首の差し出しでした。

 九戸政実としても、将兵300人の首の差し出しの提案には困りましたが、それは、これまでず~と九戸政実に反感を募らせてきて、今回も大軍の一角に布陣してる津軽為信の軍勢を騙して城に引き入れて討ち取り、それを代わりに差し出すという方法で乗り切ることとしました。

 見事、騙し討ちは成功し、籠城将兵300人の首の代わりに、討ち取った津軽の将兵300人の首を差し出しました。大軍側も、薄々は、替え玉であることは知っていたようですが、黙認したようです。

 ということで、奧州からの人足の徴収は無くなり、九戸政実の打ち首など、少ない被害で済んだということです。 


墓参

2023年03月21日 20時25分39秒 | 墓参・法事・葬儀

 今日は、墓参に行ってきました。

 今日は、お彼岸のお中日でもあり、お天気も良かったものですから、墓地は結構な混みようでした。

 私の場合は、毎回、同じようなコースを辿って墓参をしてきます。ぐるっと巡って、車で120~130km程の行程でしょうか、、、。

 

 まず、朝9時頃出発し、妻の実家の墓地へと向かいました。妻の実家の墓参りを済ませ、次いで、妻の実家へと向かい、仏前で焼香を済ませました。

 そこでしばし雑談をしたのち、そこから、妻の母方の先祖の眠る墓に向かいました。

 

妻の母方の先祖の眠る墓と妻の叔母夫婦の眠る墓がある所

 

 ここで、妻の母方の先祖の眠る墓での墓参を済ませ、また、妻の叔母夫婦の眠る墓での墓参も済ませ、今度は、私の実家の墓へと向かいました。

 何時ものことながら、途中、昼食を摂り、私の実家の墓のあるお寺に到着です。

 

私の実家の墓のあるお寺

 

 そこでの墓参を済ませ、今度は、私の姉の家へと向かいました。

 私の姉の連れ合いが既に亡くなっていますので、その仏前での焼香をするために向かったわけです。

 姉宅が今日の行程の最後だったものですから、その場所で、しばしゆっくりと雑談を交わし、午後6時頃帰宅しました。


染付 唐子 雪遊文 六寸皿

2023年03月20日 10時47分46秒 | 古伊万里

 昨日は、私にとって、月に一度の、定例の骨董市と古美術品交換会の日でした。

 昨日は、一昨日とはうって変わって、良いお天気となりました(^-^*) でも、花冷えとでも言うのでしょうか、ちょとヒヤヒヤとしたお天気ではありました。

 なにはともあれ、先ずは我が家の近くの骨董市へ、、、!

 暖かくなってきましたし、お天気も良いので、皆さん、出足が良いようです。近くの駐車場は満杯で、出遅れた私は、ちょと離れた場所に駐車です。

 骨董市会場内も多くの人出で賑わっています。もう、完全にコロナ前の状況ですね(^_^) 違うのは、マスクをしている人が多いということくらいでしょうか、、、。

 そんななか、さっそく、「伊万里 染付 唐子 雪遊文 六寸皿」を発見です!

 この、「伊万里 染付 唐子 雪遊文の皿」は、よく図録等にも登場してくるもので、お馴染みの古伊万里ですね。以前、2021年9月7日にも、同じような文様の「伊万里 染付 唐子 雪遊文 八寸皿」を紹介しているところです。

 ただ、この六寸皿は、全面に細かな貫入が走り、焼も甘く、いわゆる甘手ですし、良く見ると口縁に小さなホツ直しもあり、疵物です。一般には、甘手は疵物とされていますので、疵の上塗りというところでしょうか(~_~;)

 でも、疵物だからといって、このまま見過ごして置き去りにするのも可哀想なので、連れ帰ることに、、、(^-^*)

 ということで、骨董市では、一応、1点ゲットしましたので、次なる古美術品交換会会場へと向かいました。

 古美術品交換会も随分とコロナから脱却したようです。会員の出席率も良くなり、その結果、競りにかけられる品物も多くなり、盛況となってきました。会場内でも、マスクをしていない者がチラホラ見られます。

 しかし、私のお目当ての古伊万里では、さしたる物は登場せず、競り落としてみたいという物は登場しませんでした。

 ということで、昨日の戦果は、「伊万里 染付 唐子 雪遊文 六寸皿」1点のみでした。

 次に、その「伊万里 染付 唐子 雪遊文 六寸皿」を紹介いたします。

 

 

伊万里 染付 唐子 雪遊文 六寸皿

 

表面

唐子が楽しそうに雪遊びをしています。

口縁の5時の方角に小ホツ(2mm程の大きさ)直しがありますが、ちょっと見には判りません。

 

 

表面の一部の拡大

全面に細かな貫入が走り、甘手です。指で弾いてみても、

キ~ンキ~ンという磁器特有の金属的な音がしません(><)

 

 

裏面

 

 

裏面の一部の拡大

裏面にも全面に細かな貫入が走っています。

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 口径18.6cm 底径11.4cm


家庭菜園作業

2023年03月12日 17時09分37秒 | 家庭菜園

今日は、家庭菜園に行ってきました。

 目的は、家庭菜園の作業をするというよりは、主に、野菜が無くなってきましたので、それを調達するためです。

 菜花、ブロッコリーの脇芽、ほうれん草、春菊を採ってきました。

 ただ、畑を見渡してみましたら、スナップエンドウ、サヤエンドウが生長してきていて、蔓が絡みつくための支柱を施してあげる必要がありそうでしたので、その作業も実施してきました。

 なお、支柱は、これまで、市販の青い支柱をクロスさせて組んで施していましたが、それだと、私の場合は、高さが1.5mほどにしかならず、スナップエンドウやサヤエンドウの蔓が1.5mほどの高さまで伸びた後は、その行き場を無くし、お互いの蔓が絡みつくとともに下のほうに密集していってしまい、風通しが悪くなり、その後の生りも悪くなっていました。

 その点について、ブロ友さんの遅生さんは、支柱を垂直に立て、高さを2~2.5mほどにして解決させていることを知りました。

 それで、私も、さっそく真似て、支柱を垂直に立てて作ってみることにしました。それだと、これまで使っていた同じ支柱を使用しても、2m弱ほどの高さにはなるようです。それほど高くはならないのですが、かなり違うのではないかと期待しています(^_^) 

 もっとも、作業としましたは、単に支柱をクロスさせて組んで作る場合は、紐で縛る箇所も少なく、強度も保たれるので、簡単で優れた方法なのですが、支柱を垂直に立てて作る場合は、紐で縛る箇所も多くなり、強度を出すための作業も必要になりますから、これまでに比べ、少々、手間はかかりましたが、、、。

 また、雑草が伸びている所も少しありましたので、ついでに、その雑草取りもしてきました。

 なお、そろそろ、ジャガイモの種の植え付けをしなければならない時期となったわけですけれど、これは、もう少し後に実施するつもりです。


パンを買いに

2023年03月05日 15時30分27秒 | 小旅行・美術館訪問

 今日は、パンを買いに行ってきました。

 今朝、新聞を読んでいましたら、我が家から車で30~40分行った所で、イタリアの伝統的なパンが作られているという記事が載っていましたので、行ってきたわけです。

 そこは、築100年ほどの古民家を利用したもので、店主は、イタリアのパンの街として知られるローマ近郊のジェンツアーノという所にある老舗のパン店で働いていたことがある方とのことでした。

 店主は、2013年6月に、その古民家にパン工房「パネッツア」を開いたということです。

 私は特にパンが好きというわけではありませんが、野次馬根性が旺盛なものですから、どんな場所で、どんなパンが焼かれているのかな~と興味を抱きましたので、さっそく行ってきたというわけです(笑)。

 それで、さっそく、パンが売り切れてしまう前に行かなければと思いたち、妻と共に、午前10時過ぎに出発し、お昼前には帰宅し、買ってきたパンで昼食にしました(^-^*)

 

築約100年の古民家を利用したパン工房「パネッツア」

 

 

門の所の看板の拡大

 

 

門を入って右折して母屋を望んだ光景

母屋の一部を店舗にしています。

 

 

母屋全景

 

 

母屋内の店舗の光景