Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

天啓赤絵 花蝶文 小皿

2022年11月30日 15時12分31秒 | その他の古陶磁

 今回は、「天啓赤絵 花蝶文 小皿」の紹介です。

 この「小皿」も、昭和60年(1985年)に、今から37年前に買ったものですが、買った場所は、地方都市のデパートの骨董市でではなく、東京・平和島の「全国古民具骨董まつり」会場で買ったものです。

 

 

天啓赤絵 花蝶文 小皿

 

表面

残念ながら、皿の中央部にニューが見られます。

 

 いかにも「天啓赤絵」という感じの小皿です。また、よく、古伊万里にはこれに似たような文様のものに遭遇します。古伊万里が「天啓赤絵」をお手本としていたことの証拠の一つになるかと思います。

 

 

口縁の一部の拡大

 

 虫喰いが「古染付」や「天啓赤絵」の条件の一つとするならば、この小皿にはそのことに不足することはありません(笑)。

 全体に比較的に薄造りで、口縁も薄いこともあってか、口縁のいたるところにこのような虫喰いが見られます。

 

 

裏面

残念ながら、皿の中央部にニューが見られます。

 

 

 

裏面の一部の拡大

良く見ますと、裏面文様にも少量ながら色絵が付加されていることが分かります。

 

 

生 産 地 : 中国・景徳鎮(民窯)

製作年代: 中国・明末~清初

サ イ ズ : 口径15.2cm  底径7.7cm


天啓赤絵 草文 小皿(5枚組)

2022年11月29日 18時06分09秒 | その他の古陶磁

 今回は、「天啓赤絵 草文 小皿(5枚組)」の紹介です。

 この「小皿」も、地元の地方都市のデパートの催事場で開かれた骨董市で、昭和60年(1985年)に、今から37年前に、買ったものです。

 ところで、この「小皿」を手に入れるに際しては、ちょっとした思い出があります。

 それは、私が「これは幾らですか?」と聞きましたら、店主が「3,000円ですよ」と答えたんです。私としては、まさか、5枚全部で3,000円ということはないだろうけれど、もしかして、5枚全部で3,000円かもしれないと思ったものですから、念のため、「5枚全部で3,000円ですか?」と再度聞きましたら、店主が「そうですよ」と返答したわけです。

 確かに、文様としては「草文」だけしか描いてないですから、面白みには欠けますが、なんとて、値段が魅力です(^-^*) それで、値下げ交渉などすることなく、即刻買い上げ、そそくさとその場を立ち去りました。「すみません、お客さん、値段を間違えました。いくらなんでも、その値段では売れません」などと呼び戻されないように、一目散に立ち去ったわけです(笑)。

 今考えてみても、多分、値段は間違いではなかったのだろうと思います。これは、私の掘り出しだったのだろうと思います。でも、長いことコレクションをしていますが、このような掘り出しは滅多にないことですね。

 

 

天啓赤絵 草文 小皿(5枚組)

 

5枚組の表面

上段左:小皿①  上段中:小皿②  上段右:小皿③

下段左:小皿④  下段右:小皿⑤

 

 文様としては「草文」だけした描かれていませんので、シンプルと言えばシンプル、面白みがないといえば面白みがないわけですが、この「草文」は、天啓赤絵に登場してくる典型的な文様の一つなんですよね。

 もっとも、天啓赤絵によく登場してくるといっても、多くの場合は、この「草文」の他に別な文様が追加されて描かれているようですね。しかし、天啓赤絵に登場してくる典型的な文様の一つには違いはないですよね。

 

 

5枚組の裏面

上段左:小皿①  上段中:小皿②  上段右:小皿③

下段左:小皿④  下段右:小皿⑤

小皿①、小皿②、小皿③の裏面は無文ですが、小皿④、小皿⑤の裏面には

口縁に2本の圏線と高台脇に1本の圏線が施されています。

 

 

小皿①

表面

 

 

口縁の一部の拡大

口縁の処理はぞんざいですが、目だった虫喰いは無いようです。

 

 

 

裏面

 

 

小皿②

表面

 

 

口縁の一部の拡大

口縁には窯疵は見られますが、目だった虫喰いは無いようです。

 

 

裏面

 

 

小皿③

表面

 

 

口縁の一部の拡大

口縁は薄造りで、虫喰いが見られます。

 

 

裏面

 

 

小皿④

表面

 

 

口縁の一部の拡大

口縁は比較的に丁寧な造りですが、浅い窯疵が1箇所あり、

そこには釉薬が掛かっています。

 

 

裏面

小皿①、小皿②、小皿③の裏面は無文ですが、この小皿の裏面には

口縁に2本の圏線と高台脇に1本の圏線が施されています。

 

 

小皿⑤

表面

 

 

口縁の一部の拡大

口縁は比較的に丁寧な造りですが、釉薬の掛け忘れなのか、

虫喰いなのか分からない箇所が2箇所ほど見られます。

 

 

裏面

小皿①、小皿②、小皿③の裏面は無文ですが、小皿④とこの小皿の裏面には

口縁に2本の圏線と高台脇に1本の圏線が施されています。

 

 

裏面の拡大

高台内には窯疵が見られます。

 

 

生 産 地 : 中国・景徳鎮(民窯)

製作年代: 中国・明末~清初

サ イ ズ : 口径13.5~14.0cm  底径7.5~8.0cm

      (各小皿には個体差があるため)


古染付 見込み人物文 盃

2022年11月25日 12時36分07秒 | その他の古陶磁

 今回は、「古染付 見込み人物文 盃」の紹介です。

 この「盃」も、地元の地方都市のデパートの催事場で開かれた骨董市で、昭和59年(1984年)に、今から38年前に、買ったものです。

 この器の形につきましては、大きさからいって「小碗」とするほうが適当なのかもしれませんが、なんとなく、骨董的観点からは、「盃」としたほうが高級感が漂いますので、「盃」とさせていただきました(笑)。「盃」としては、ちょっと、大振りなのですが、、、(^_^)

 

 

古染付 見込み人物文 盃

 

立面

口縁には虫喰いが見られます。

 

 

見込み面

 

 

見込み面の拡大

人物は、今の時代を反映してか、マスクをしているように見えます(笑)。

 

 

底面

高台内は無釉です。

 

 

生 産 地 : 中国・景徳鎮

製作年代: 中国・明末~清初

サ イ ズ : 口径8.7~8.9cm(歪みがあるため) 高さ4.5cm   底径3.1cm


古染付 牡丹陰刻文 中皿

2022年11月24日 19時43分09秒 | その他の古陶磁

 今回は、「古染付 牡丹陰刻文 中皿」の紹介です。

  この中皿は、昭和58年(1983年)に、今から39年前に、地元の地方都市のデパートの催事場で開かれた骨董市で買ったものです。

 この頃は、古染付の勉強のため、教材にするつもりで、古染付を時々買っていました。

 したがいまして、教材にするつもりで買ったものですから、口縁に欠け疵があります。その代わりに比較的に安く手に入れることができました(^_^)

 

 

 

古染付 牡丹陰刻文 中皿

 

表面

口縁の時計の針の3時半ほどの方向に欠け疵があります。

疵部分は、私の下手な補修で直してあります。

 

 

 

見込み面の拡大写真

ちょっとみずらいですが、見込み面いっぱいに陰刻で牡丹文が描かれています。

 

 

: 上の写真からは、牡丹陰刻文がみずらいのですが、この写真を拡大しますと、良く見えるようです。

 それならば、拡大した写真を載せれば良いわけなのですが、残念ながらその技術がありません(><)

 それで、せめてものことで、見込み面を上下に分けてアップしてみてはどうかと考えて試してみましたが、余計に判りずらいことが分かりました(><)

 そのようなことで、出来ましたなら、タブレットなどを使用して上の写真を拡大してご覧いただければと思います(^-^*)

 未熟な技術での紹介で申しわけありません(~_~;)

 

 

 

口縁にある何カ所かの虫喰いのうちの一部の拡大写真

 

 

 

側面

 

 

底面

 

 

生 産 地 : 中国・景徳鎮

製作年代: 中国・明末~清初

サ イ ズ : 口径20.0~20.5cm(歪みがあるため) 高さ3.2~3.7cm(歪みがあるため) 底径10.3cm


島津三国志

2022年11月23日 13時13分06秒 | 読書

 「島津三国志」(井川香四郎著 徳間書店 2019年9月30日初刷)を読みました。

 この本は、島津義弘を主人公とする本でした。

 

 

 

 先日の9月17日に、「忠義に死す 島津豊久」(近衛 龍春著 角川書店 2019年2月1日初版発行)という本を読んだことを記したところですが、今度は、図書館で、この本に目が留まりましたので借りてきて読んだわけです。

 多分、この「島津三国志」という本も、先日読んだ「忠義に死す 島津豊久」という本と同じような内容の本なのだろうな~とは思ったのですが、「忠義に死す 島津豊久」という本の復習にもなるかなと思って借りてきたわけです。

 案の定、内容的には、この「島津三国志」という本と先日読んだ「忠義に死す 島津豊久」という本は、よく似ていました。

 というのも、先日読んだ「忠義に死す 島津豊久」の主人公が島津義弘の甥の島津豊久だったのに対し、この「島津三国志」の主人公は島津義弘だったからです。

 ただ、島津豊久は、関ヶ原の戦いでの「島津の退き口」の際に殿(しんがり)を努めて無事に伯父の島津義弘を鹿児島に帰還させますが、自身は、その時に若くして戦死してしまったのに対し、島津義弘のほうは85歳までの人生を歩んだ違いがあります。

 しかし、島津義弘と島津豊久の両者の生きた時代は島津の激動の時代だったわけで、また、両者の生きた時代はダブっています。したがって、この「島津三国志」の内容のうち、島津豊久が戦死するまでについては「忠義に死す 島津豊久」の内容とほとんど同じになっていました。

 それで、当然のことながら、島津豊久が戦死した後の、鹿児島に無事帰還した後の島津義弘についての記述は、先日読んだ「忠義に死す 島津豊久」という本の中には登場せず、この「島津三国志」という本の中にしか登場してこないわけですけれども、鹿児島に帰還した後の島津義弘の生活は比較的に平穏だったようですので、その部分は、この「島津三国志」の中でも簡略化して書かれていました。