Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

家庭菜園作業

2019年05月29日 18時33分16秒 | 家庭菜園

 今日は、午後から、家庭菜園の作業をしました。

 一時、記録的なカラカラ天気が続いていましたが、その後、沢山の雨が降ったり、一転して晴れた日が続いたりしていました。お陰で、家庭菜園に植えた苗も生長し、蒔いた種も一斉に芽が出揃いました(^-^;

 でも、それに比例して、雑草の生育も良いようです(><)

 それで、昨夜から今朝にかけて雨が降り、午後は晴れてきましたので、家庭菜園の作業に出向いたわけです。

 作業の内容は、「雑草取り」と、ナス等の苗への支柱の交換(細く短い支柱から太く長い支柱に交換)、それと、トマトへの屋根の取り付けでした。

 私が、ちょっと心配していましたのは、里芋の発芽具合です。毎年、八ツ頭という種類の里芋の発芽率が悪いんですが、雑草を取り除いて発芽状況を見てみましたら、約7割くらいは発芽していました。まぁ、まぁでしょうか、、、。

 今日は、晴れて陽射しは強かったですが、適度に風もあり、比較的に涼しく、作業日和で、作業もはかどりました(^-^;


28年ぶりに再会した伊万里・辻製の小盃(続編)

2019年05月23日 17時45分26秒 | 古伊万里

     《アップした記事に写真が入らないので続編として写真を載せます》

 

 

左:平成30年入手の小盃 の正面(仮定)   右:平成2年入手の小盃の正面(仮定)

 

それぞれ、少し右に回転したところ

 

それぞれ、更に右に回転したところ( 千鳥の面)

 

それぞれを上から見たところ

 

それぞれの底面

 

 

平成30年入手の小盃の高台内の銘 (辻製)(ピンボケではなく、文字が滲んでいる)

 

平成2年入手の小盃の高台内の銘 (辻製)(これもピンボケではなく、文字が滲んでいる)

 

平成30年入手の小盃: 口径:5.5cm  高さ:4.3cm  高台径:2.3cm

平成 2 年入手の小盃 : 口径:5.3cm      高さ:4.2cm  高台径:2.3cm

製作年代:越前屋平太さんのブログにならい、「明治中期~昭和初期」とします。

 


28年ぶりに再会した伊万里・辻製の小盃

2019年05月23日 16時02分52秒 | 古伊万里

     《なお、写真は続編に載せました》

先日は、22年ぶりに再会した「古伊万里様式染付道中文渡し図小皿」を紹介(2019年5月19日付け「骨董市と古美術品交換会」で紹介)しましたが、今度は、古伊万里とまでは言えませんけれども、28年ぶりに再会した伊万里の辻製の「染錦竹籠に千鳥文小盃」を紹介したいと思います。

 私は、この伊万里の辻製の「染錦竹籠に千鳥文小盃」を、平成2年に他の古伊万里を購入した際に、古美術店の方からオマケとして貰って所持していました。

 その時、古美術店の方は、「これは、有田の皇室御用達の辻家で作られたものです。高台内に「辻製」の銘が入っているでしょう。」と言って渡してくれたものです。

 私は、明治以降に作られた伊万里にはあまり興味がないですし、この小盃は、どう見ても江戸期はなさそうですので、私のコレクションの対象外でもありますことから、その後、特に調べもしないで放置していたところです。だいたい、タダで貰ったことでもあり、どうせたいした物ではないんだろうとも思っていましたから、無関心でもあったわけですね。 明治になると、有田にもいろんな窯元が出てきたんだなぁくらいにしか思っていなかったわけです。

 ところが、平成30年5月1日付けで、越前屋平太さんの「すきずき~やきもの好きの雑感あれこれ~」というブログに、「辻製」の「羊歯に桜花文そば猪口」なるものが紹介されていることを発見し、「そういえば、我が家にも「辻製」のものが1点あったな~」と思い出し、俄然、関心を寄せるようになり、さっそく押入れから引っ張り出してきて、その辺の棚に置いて時々眺めていました。

 そうこうしているうちに、昨年の暮れの平成30年12月16日のことです、この伊万里の辻製の「染錦竹籠に千鳥文小盃」に、偶然にも再会したんです。

 場所は、骨董市でした。

 骨董市をぶらぶらしていましたら、上手の盃が5~6個並べられ、その中の一つにこの「染錦竹籠に千鳥文小盃」があったんです(@_@)

 なんと、値段は2,000円です。「なんだ、値段はそんなもんか! もっとも、28年前に手に入れたといっても、所詮、オマケで貰ったものなんだから、それが相場なんだろうな~」などと独り言ちていました。

 そうしていましたら、店主が、「お正月にその盃でお酒を飲むと美味しいですよ!」と、私に語りかけてきました。

 私も、それはそうだろうな~と思い、躊躇なく買い上げたわけです。

 ということで、伊万里の辻製の「染錦竹籠に千鳥文小盃」は、28年ぶりでの再会となったわけです。

 ちなみに、辻家については、「肥前陶磁史考」(中島浩氣著 肥前陶磁史考刊行会 昭和11年9月1日発行)(復刻版 青潮社 昭和60年8月1日発行)に次のように書かれています。

 

辻喜右衛門  寛文八年江戸の陶商伊萬里屋五郎兵衛は、仙台藩主伊達陸奥守綱宗の需に依り、有田へ下りて商品仕入れの傍ら、精巧なる食器を物色せしところ、絶品を得ず。此儀二三の窯焼とも相談せしに、当時の名陶家辻喜右衛門を推選した。依て五郎兵衛は早速彼に注文して、青花の見事なる食器を得たるに満足し、携え帰りて伊達家に納めたるは二年目であった。   (P.463) 」
辻家へ禁裏御用命下る  綱宗大いに其精巧なるを賞讃し、これ貴賓の用ふ可き器なりとて、直ちに之を仙洞御所に奉献したのである。然るところ人皇百十一代霊元天皇は殊の外嘉納あらせられ給ひ、之より佐賀藩主鍋島光茂へ御下命ありて、喜右衛門へ「禁裏御用御膳器一切其他御雛形を以て尚一層清浄潔白なる製品を調達すべし」との勅諚あり。軈て辻家へ御紋章附幕、同高張提灯等の御下賜品があった。乃ち此時より、陛下御常用の御膳器は、鮮麗なる青花白磁をめさるることと成りし由漏れ承はる。   (P.463) 」
辻家へ直進の命  宝永三年(二百三十年前)上幸平の四代辻喜平次愛常は、特旨を以て磁器直進の命を蒙り、(之迄鍋島宗藩の手を経て納進せしもの)常陸大掾に叙せられ、綸旨及天盃を拝受したのである。其後辻家にて謹製せらるる菊花御紋章の物は、御器の外皇族各宮殿下の御常用に供せらるることと成ったのである。  (P.467) 」
享保時代となりて、京阪問屋への委託販売は彌多端に至りしが、蓋しそれが取引状態に就ては、意の如く運ばざりしものなる可く、左に京都問屋より皿山の荷主と、辻喜右衛門(禁裏御用焼辻家五代)へ当てし、口上の古文書がある。而して辻家は当時此処の代表的窯焼なりしものであらう。     <京都問屋との取引状態口上文書>(省略)          (P.475) 」
常陸大掾源朝臣  安永二年十二月禁裏御用達辻七代の喜平次へ、常陸大掾源朝臣愛常と口宣された。そして翌年六月更に旧盟を尋ぎ、後世其約を履み渝らざる可きことを誓盟した。   (P.484) 」

極真焼発明  文化八年六月(百二十五年前)辻八代の喜平次が、極真焼と称する焼成法を発明した。三代以来禁裏御用命を拝せし彼は、益々其道の向上に余念なかりしが、或時の窯出しに、室内の器クズレて墜落し、数個密着せる物があった。毀ちて之を検ずれば、其中にありて焼成されし小器が、玲瓏玉の如き出来栄えなりしより、喜平次之にヒントを得て、茲に一種の焼成法を案出した。  それは焼く可き器の別に、之を容るべき程の外郭匣を、同じ白土にて造り、其中に器物を容れて密閉し、蓋合には釉薬を以て之を封じ、全くの真空器中にて焼成する特殊の方法である。然る時は直接火焔に触るることなき故、釉相は勿論、呉須顔料の発色まで、殆ど理想的に焼かかるのである。       斯くて焼上りたる時は、鉄槌にて外匣を打毀はすものにて、其時音を発して、硫化水素の臭気を発散する。そして取出されたる器は、たとひ釉薄くとも、青花の焦燥なく、光沢膩潤無双の成器を得るもの、之を極真焼と称せられるるに至った。是より禁裏御用の御器は、皆此特殊法に依って、謹製することと成ったのである。  (P.499) 」

 


骨董市と古美術品交換会

2019年05月19日 17時37分43秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、毎月の定例の骨董市と古美術品交換会の日でした。

 今日も天気好しで、五月の爽やかさの中、先ずは骨董市へ!

 ぶらぶらしていましたら、ノコギリを発見!

 私は、どうも、ノコギリが好きなのか、見かけると、ついつい、買いたくなってしまうようで、ノコギリ(骨董市なんですが、物は新品です)をゲットしまし(^-^;

 次いで、「ん!」という物に遭遇!

 それは、古伊万里様式染付道中文渡し図小皿です。

表面(口径:14.9cm)

 

 馬の部分のアップ(腹帯には「吉」と書かれています)

 

  裏面(高台径:8.1cm)

 

 この小皿の同手の物を以前に買っていますが(帰ってからコレクションノートで確認しますと、22年前の平成9年に買っています)、その時の値段と比べてみますと、随分と安いと感じたからです(同様に、帰ってからコレクションノートで確認しましたら22年前の値段の約四分の一でした)。

 それで、さっそく、ゲットしたわけです。

 ちなみに、参考までに、22年前に買った小皿の写真を次にアップします。

22年前に買った小皿の表面 (口径:14.8cm)

 

22年前に買った小皿の馬の部分のアップ(腹帯には、やはり、「吉」と書かれています)

 

22年前に買った小皿の裏面(高台径:7.7cm)

 

 また、今日買った小皿と22年前に買った小皿を並べた写真も次に アップします。

     左(今日買った小皿の表面)      右(22年前に買った小皿の表面)

 

   左(今日買った小皿の裏面)      右(22年前に買った小皿の裏面)

製作年代:共に天保~嘉永

 

  以上の写真から分かりますように、今日買った小皿と22年前に買った小皿とは、ほとんど同じであることが分かります。でも、値段は、今日買った小皿は、22年前に買った小皿の約四分の一なんです。

 

 今日の骨董市では、ノコギリと古伊万里の小皿1点を買いましたので、満足し、次なる、古美術品交換会へと向かいました。

 古美術品交換会は、今日は、出席者も少なく、競りにかけられた古伊万里も少なかったですが、それでも、古伊万里染錦蝶牡丹文小鉢5客揃いを競り落とすことが出来ました(^-^;

 また、ネックレスやらブローチやらの装飾品のガラクタの山を競り落とし、妻へのプレゼントとしました。

 

 


 

 なお、22年前に、上記の古伊万里様式染付道中文渡し図小皿と同時に、古伊万里様式染付道中文駕籠図小皿も同じ値段で買っていますが、次に、参考までに、その写真もアップします。

表面(口径: 15.1cm)

 

裏面(高台径:8.0cm)

 

 ところで、この道中文駕籠図小皿については、類品が「図鑑 伊万里のすべて」(野村泰三著 工芸出版 昭和55年10月20日初版第4刷発行)のP.116に載っています。

同書 P.116から転載

 

 ちなみに、同書によりますと、この皿は、浮世絵版画の道中物をモチーフにしたということで、その製作年代を天保~嘉永の頃としています。

 私も、この本に習い、これ等の小皿の製作年代を天保~嘉永としたところです。

 


ウグイス

2019年05月17日 09時14分23秒 | その他の日記

 ここのところ、毎日のように、我が家の庭にウグイスが遊びに来ます。

 といっても、我が家の庭だけに来るわけではなく、我が家の庭に飽きたら、次はお隣の庭に、そして、また飽きたら今度は裏の家の庭に、そして、またまた飽きたら反対側のお隣の庭に、更に飽きたら再度我が家の庭にと、我が家を中心にして、ぐるぐる回って遊んでいくんです(^-^;

 これまでも、時々、ウグイスは訪れていますが、だいたい、数分間留まる程度で、それほど長く留まることなく去って行ったケースがほとんどでした。

 ところが、ここのところは、我が家の庭近辺をよほど気に入ったのか、数時間留まり、その間、自慢の喉を披露していくんです(^-^; まさに、ウグイス嬢が自慢の喉を披露しているみたいです!

 「ホーホケキョ」は当然ですが、「ホーケキョ」と鳴いたり、「ホーケキョ、ケキョ」と鳴いてみたり、「ケキョ、ケキョ、ケキョ」と鳴いたりするんです。

 更には、こんなことも出来るんだぞとばかりに「キチ、キチ、キチ、、、、、、、、、、」とけたたましく鳴いてみせたりするんです。

 そんなことで、ウグイス嬢には、当分の間、楽しませてもらえそうです(^-^;