Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

銹釉 陰刻 牡丹文 徳利

2023年02月22日 19時38分50秒 | 古伊万里

 今回は、「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」の紹介です。

 これは、3日前の19日に、古美術品交換会で競り落としてきたものです。

 私には、汚れているものはまず綺麗に洗うというクセがあるのですが、この徳利もかなり汚れていましたので、家に帰ってきて直ぐに、メラミンスポンジを使ってゴシゴシ洗い出しました。

 ところが、一部、ゴシゴシ洗いだしましたら、予想以上に綺麗になりだしたのです(~_~;)

 「アレッ、これはやられたかな~! この徳利は、新しい徳利に時代付けをしたものなのかな~」と思い、急きょ、洗うのを一時中断しました。

 それで、急きょ、ビフォー、アフターの写真を撮っておこうと思いたち、まずはビフォーの写真を撮り、その後、ゴシゴシ洗う作業を継続しました。

 そうしましたら、かなり綺麗になり、見違えるほどになったのです。しかし、綺麗になったとはいえ、その汚れは、時代付けのための汚れではないことが分かりました。先ずは一安心です(^-^*)

 そうはいいましても、なんか、古色が消え、新しく作られたような明るい色合いの徳利に変身してしまったのです(~_~;)

 暗く沈んだ落ち着きのある古色がなくなり、明るく健康的な日用品の色合いになってしまったのです(~_~;) 骨董品とは言えないのではないかという様相を呈したわけですね(~_~;) 純粋な鑑賞陶磁器というような様相を呈してきたわけですね(~_~;)

 ということは、骨董品としての鑑賞陶磁器は、暗く侘びた不健康な非日用品的存在のものということになるのでしょうか、、、。

 まっ、骨董論議や美術論議はともかくとして、メラミンスポンジを使用して、長時間、ゴシゴシ洗っても、高台の汚れまではよく取れませんでした。それで、次に、底部を漂白剤に浸けて綺麗にすることにしました。

 その結果、今度は、見事に綺麗になりました(^-^*)

 綺麗になった高台部を見て、それまで、「いったいこの徳利は磁器なのか陶器なのか」と迷っていましたが、つまり、「いったいこの徳利は古伊万里なのかそうではないのか」と迷っていましたが、やはり、この徳利は古伊万里に違いないと思えるようになりました(^-^*)

 なお、2021年6月19日にも、この徳利に類する「鉄釉 飛鉋文 徳利」を紹介していますが、その徳利も、やはり、磁器の古伊万里に違いない思えるようになりました(^-^*)

 

 

銹釉 陰刻 牡丹文 徳利

 

洗う前の立面(正面と仮定)

汚れが古色を感じさせます(^-^*)

 

 

洗う前の立面(正面と仮定)の一部の拡大

 

 

漂白前の底部

高台部の色を見ますと、磁器なのか陶器なのかよく分かりません?

 

 

洗った後の立面(正面と仮定)

予想外に綺麗になり、古色まで消えてしまいました(><)

 

 

洗った後の立面(正面と仮定)の一部の拡大

 

 

洗った後の立面(正面と仮定)の反対面

 

 

漂白後の底部

綺麗になり、磁器であることを示しています。

 

 

生 産 地 : 肥前・有田  肥前・平戸(三川内)

製作年代: 江戸時代中期 江戸時代後期

サ イ ズ : 高さ19.0cm 口径2.8cm 胴径11.5cm 底径6.7cm

 

 

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追 記(令和5年2月27日)

 この徳利を紹介してから、2~3の方より、「この徳利の生産地は有田ではないのではないだろうか? 波佐見か平戸(三川内)辺りではないだろうか? また、製作年代も江戸中期ではなく、江戸後期になるのではないだろうか?」とか「現在、ヤフオクでは、これに類する徳利が平戸(三川内)焼として売られているようです」とのコメントが寄せられました。

 私も、この徳利の生産地と製作年代につきましては自信のもてないところではありましたが、以前、2021年6月19日に、この徳利に類する「鉄釉 飛鉋文 徳利」を紹介する際に、その生産地を有田と、製作年代を江戸中期としていましたので、それに習って、この徳利の生産地も有田とし、製作年代も江戸中期として紹介したところです。

 ところで、この徳利に類する「鉄釉 飛鉋文 徳利」は、平成10年に(今から25年前に)購入していますが、それには次の写真のような箱が付いていて、その箱には「古伊万里」と書かれていました。

 

 

 購入当時の平成10年頃は、単に「古伊万里」と言えば、それは有田産ということを意味していましたので、ちょっとこの箱書きは事実と違うのではないかな~とは思いましたが、有田ではいろんなものを作っていますので、このような物も作っていたのかもしれないな~、教材のつもりで買っておくかということで購入したわけです。

 しかし、その後、勉強もせず、そのままにしてしまい、2021年6月16日にその「鉄釉 飛鉋文 徳利」を紹介する際には、疑問のままに、生産地を有田として紹介してしまたわけです(~_~;)

 そのようなことで、この徳利の生産地と製作年代を安易に表示してしまたわけですが、皆様からのご指摘のコメントのとおり、この徳利の生産地と製作年代の表示を変更したいと思います。

 ネットで調べてみますと、現在、ヤフオクで、これに似た物が、「平戸(三川内) 飴釉(黄釉)徳利 時代:江戸後期~幕末」として売られているようですので、それに習って、生産地を「生産地:肥前・平戸(三川内)」に、製作年代を「製作年代:江戸時代後期」に訂正いたします。


染付 孔雀文 大鉢

2023年02月21日 19時02分48秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 孔雀文 大鉢」の紹介です。

 これは、一昨日、我が家の近くの骨董市で買ってきたものです。

 一昨日は、骨董市に到着してから程なくしてこの大鉢を目にしました。

 今は、大皿等は、飾る場所もなく、保管場所にも困るので、人気がなく、安くなっています。私も同じで、保管場所に困るので、大皿等は極力買わないことにしているところです。

 しかし、どうした風の吹き回しか、一昨日は、この大鉢の迫力に気圧され、疵が無いかどうかを確かめるために、拳の先でコーン、コーンと軽く叩いて確認するだけで、即決して買ってしまいました。その他、重さなどを確認もしないで、良く見もしないで買ってしまったわけです。

 店主の「大きいですから帰りまで預かっておきましょう、、、。会場内をゆっくり散策してきてください」との言葉に甘え、お金だけ払ってその店を後にしました。

 そこで、まだ会場全体を一巡していませんでしたので、まだ散策していない会場内を一巡し終えたところでこの大鉢を預かってくれている店に戻ってきました。

 ところが、預かってくれていた店主から大きな箱に入ったこの大鉢を渡された時はビックリしました! 「あれっ、こんなに大きかったっけか? こんなに重かったっけか?」とビックリしたわけです!

 そもそも、よく見もせず、手にとって持ち上げてその重さを確認したりもせずに買ったものですから、当然といえば当然ですよね(><)

 そんなことで、この大鉢を駐車場に置いてある自分の車まで運ぶのに難儀してしまいました(~_~;) しかも、一昨日は、駐車場が、骨董市会場からちょっと離れた場所だったものですから一層大変でした。途中、何度か休憩をとるほどでした(><) 後で量ったら、「鉢」と「箱」との合計で5.1kgありました(~_~;)

 ということで、運ぶのに難儀したという大鉢というものは、次のようなものです。

 

染付 孔雀文 大鉢

 

表面

 

 

表面の上半分

 

 

表面の右半分

 

 

表面の下半分

 

 

表面の左半分

 

 

口縁部分の拡大

 

 この大鉢の口縁部分をよく見ましたら、この大鉢の口縁が分厚く造られていることがわかりました。

 普通、皿の場合は、底のほうが厚くなっていて、口縁にゆくにしたがってだんだんと薄くなっているわけですが、この大鉢の場合は、底のほうも分厚く造られていますけれど、それがほぼそのままの厚さのままで口縁になっているんです! それじゃ、重いわけですよね!!

 私は、「皿」と「鉢」の区別が分かりませんでしたが、この器物に接し、底のほうが厚くなっていて口縁にゆくにしたがってだんだんと薄くなっているものが「皿」で、底のほうも厚く造られていてそれがほぼそのままの厚さのままで口縁になっているものを「鉢」というのだろうと、認識を新たにした次第です(^-^*)

 

 

裏面

 

 

斜め上方から見た裏面

 

 

裏側面の拡大

 

 

 なお、この大鉢は、大きな箱に入っていました。

 

大鉢が入っていた箱

43.5cm×43.0cm×10.0cm

 

 

箱の表面(その1)

「大鉢入箱」と墨書されています。

 

 

箱の表面(その2)

「大鉢入箱」の左側には、「〇〇横町 〇〇〇・・」と墨書されています。

年号でも書かれていれば資料的には貴重になりますが、それはなさそうです、、(~_~;)

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 口径41.3cm 底径23.3cm 高さ7.0~7.8cm

      重さ3.1kg(箱の重さ2.0kg)


骨董市と古美術品交換会

2023年02月19日 19時31分25秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、定例の、月に一度の骨董市と古美術品交換会の日でした。

 今朝のお天気は、冬のカラリと晴れわたったピリピリと肌を刺すような快晴ではなく、ちょっと春霞がかった晴れといった感じで、これまでになく暖かいものでした。

 もう春が来たな~と感じさせるものがありました(^_^)

 暖かい朝の出発でもあり、ルンルン気分でのスタートです。

 先ずは、我が家に近い骨董市へと向かいます。

 しかし、皆さんも気持ちは同じなようで、スタートが早かったとみえ、私が会場に着いた時には会場近くの駐車場は既に満杯で、ちょっと離れた場所の駐車場に車を駐めざるをえませんでした(~_~;)

 古伊万里では、何点か、食指を動かされましたが、その中から、「伊万里 染付 孔雀文 大鉢 (江戸時代後期)」を購入しました。

 骨董市では1点ゲットしましたので、今度は、次なる古美術品交換会会場に向かいます。

 ところが、ここで、思わぬ災難に遭遇しました(><)

 それは、買った「伊万里 染付 孔雀文 大鉢 」が、想像以上に大きくて重たかったからです(><) しかも、駐車場が遠かったものですから、車に到着するまでに、何度か休憩をとりながら、やっと辿り着いたという感じでした(~_~;) もっとも、若い時は、好きなこの位の荷物を運ぶのには苦労をしなかったのですが、、、。 歳はとりたくないものだと、つくずくと思い知らされました(><)

 そんなことで、スタートから悪戦苦闘をしてしまいましたが、次なる古美術品交換会会場へと急ぎました。

 しかし、骨董市会場で、思わぬハプニングに遭遇しましたので、古美術品交換会会場へは少々遅刻しての到着となってしまいました。

 古美術品交換会は、もう、ほとんどコロナの影響はないような状況で、会員の出席率も良くなり、活況を呈してきました。

 でも、私の狙っている古伊万里に関しましては、相変わらずで、食指を動かされるものはあまり多くは登場してきませんでした(><)

 それでも、1点だけ、「伊万里 銹釉 陰刻 牡丹文 徳利 (江戸時代中期)」を競り落としました。

 ということで、今日は、「伊万里 染付 孔雀文 大鉢 (江戸時代後期)」と「伊万里 銹釉 陰刻 牡丹文 徳利 (江戸時代中期)」の2点をゲットしたわけですが、この2点につきましては、汚れを落としたりした後、近日中に紹介いたします。


白鳥の飛来(その7)

2023年02月11日 18時14分01秒 | 近くの池の白鳥

 一昨日、我が家の近くの池に飛来している白鳥の数が急激に減ってしまったことを書きましたが、実際には減っていないことを知りました。

 今日の散歩のとき、この池の白鳥の事情に明るい方にお会いしましたが、その方から聞いた話では、白鳥達は、この池から去って行ったのではなく、この池の近くの牧場の牧草を食べに行っているということが分かったからです。

 その方が言うには、白鳥達は、朝、この池から約300mほど離れたところにある牧草地に飛んで行って草を食べ、夕方になると、またこの池に戻ってくるのだそうです。

 この辺は、酪農が盛んで、あちこちに牧草地がありますから、この池が立入禁止になったことにより、白鳥を観にくる人がいなくなり、餌を与える人もいなくなっために餌が不足し、腹を減らした白鳥達が牧草地に食事に行っているんですね。

 ところで、この辺は、養鶏業も盛んなわけですが、今、茨城県内では鳥インフルエンザが流行っていますので、行政(市)も、鳥インフルエンザには神経を尖らせているわけです。

 現時点で、この池の白鳥から鳥インフルエンザが検出されたわけではないのですが、行政(市)としては、鳥インフルエンザの蔓延防止に万全を期すため、この池を立入禁止にしたようです。

 この池の野鳥から鳥インフルエンザが検出されないことを、また、この辺の養鶏場から鳥インフルエンザが発生しないことを祈るのみです。

 

 なお、この話を聞いて、白鳥達が牧草地で実際に食事をしている様子を写真に収めてきました。

 その様子は次のとおりです。

 

 

牧草地で食事をする白鳥達(光景1)

 

 

(光景1)の左半分の光景

 

 

(光景1)の左半分の光景の拡大

 

 

(光景1)の右半分の光景

 

 

(光景1)の右半分の光景の拡大


白鳥の飛来(その6)

2023年02月09日 18時36分53秒 | 近くの池の白鳥

 前回(1月3日)、我が家の近くの池に飛来している白鳥の数が約100羽であることを記したところです。

 その後、飛来数は更に増え、一番多い時で、140羽前後になっていたようで、毎日賑やかでした。

 しかし、最近、その数が急激に減ってしまったのです(><)

 それは、次のようなことからです。

 最近、『本県(茨城県)の鶏卵生産量は全国一位で、昨年2月時点での採卵鶏の飼育羽数は全国最多の千五百十四万二千羽だったものが、今季は大規模養鶏場で鳥インフルエンザが相次いで発生したため、累計殺処分数が三百万羽以上にものぼっている』旨の新聞報道がなされました。

 つまり、鳥インフルエンザが相次いで発生しているんですね。それは野鳥にも及び、遂に、この池の白鳥にも及んだわけです(~_~;)

 そのため、数日前から、この池への立ち入りが禁止されてしまいました(><)

 その結果、白鳥を観に来る人もいなくなり、餌を与える人もいなくなってしまいましたので、腹を空かせた白鳥達はこの池から立ち去ってしまったわけです(~_~;)

 今では、最盛期の140羽前後からその半数程度の60~70羽になってしまいました。これから、更に減ってしまうのかもしれません(~_~;)

 

立ち入り禁止となった池

 

 

立ち入り禁止の看板

 

 

立ち去って減ってしまった白鳥