Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

色絵 竹文 小皿

2021年09月30日 14時18分35秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 竹文 小皿」の紹介です。

 なお、この小皿につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 つきましては、その際の紹介文に若干の修正を加え、それを次に掲載することをもちまして、この「色絵 竹文 小皿」の紹介とさせていただきます。

 

 

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       <古伊万里への誘い>

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*古伊万里随想45  「竹ノ絵」の鍋島の皿 (平成26年6月1日登載)(平成26年5月筆) 

 

皿が10枚入っていたと思われる箱(片側5枚づつ)
 

 

文字の書かれている側面
  

 

文字の書かれている側面の拡大写真
墨書文字は「竹ノ絵中焼物皿」と読める
残念ながら、他の2ヶ所は消されていて、何と書かれていたのかは不明
 

 

皿の下に新聞紙を詰め込み、あたかも10枚入っているかのようにしたところ(笑)
実際には、一番上の2枚しか入っていない(><)

 

 

 5年程前、箱に「竹ノ絵中焼物皿」と墨書された後期鍋島の皿を購入した。

 私は、あまり、ネットショップなるものを利用しないのだが、これは、ネットショップで発見し、購入したものである。

 私が、あまり、ネットショップを利用しないのは、写真だけで真偽を判断して買いたくはないからである。焼物の場合は、やはり、実際に手に取ってみて、造形の厳しさの有無、手に取ってみた際の重量感、微妙な色合い等々から総合的に判断して真偽を確かめ、納得のうえで買いたいからである。

 ところが、この後期鍋島の皿は、遠方に実際の店を構えている方が開いているネットショップに展示されていたものだったので、わざわざ遠方まで出向くわけにもいかず、やむなく、実際に手に取ることなく、画像だけで真偽を判断して買うに至ったわけである。というのも、私は、この皿が気に入ったわけではなく、それが入っていた「箱」に目が留まり、その「箱」が気に入ったからなのだ。「箱」ならば、焼物とちがって、実際に手に取ってみなくとも、画像だけでも十分に判断できると考えたからである。

 ネットショップには、もともとは10枚揃っていたのだろうけれど、そのうちの2枚が欠損し、完器の皿5枚とニューやホツのある傷物の皿3枚の計8枚、それに、それらの皿が入っていた「箱」(これらの皿を10枚分収納できるもの)が展示されていた。そして、1枚ごとにバラでも売るが、まとめても売るとのこと。また、5枚以上まとめて買った者にはその「箱」をプレゼントするとのこと!

 私としては、特に皿には魅力を感じなかったが、「箱」は欲しい。皿は、その「箱」の中にどんな物が入っていたかの証拠になるものが残れば十分なので、1枚手に入ればそれでいいわけである。

 そこで、厚かましいが、安くすませるために、駄目もとで、「傷物の皿1枚だけでの購入でも「箱」をプレゼントしてくれるでしょうか?」とメールをしてみたところである。

 そうしたら、当然というか、案の定というか、皿1枚の購入では「箱」は付けられませんとの回答。 

 ただ、幸いなことに、そのネットショップの店主とは過去に1度だけではあるが会ったことがあるし、何度か取引をしたこともあるので、けんもほろろの回答ではない。もう少し条件が合えばなんとかなりそうである。

 何度かのメールのやりとりの結果、完器1枚と傷物1枚の計2枚を購入するなら「箱」も付けるということになった。そこで、完器1枚と見込みの左下方向に4~5センチメートルのニューのある傷物(ちょっと見た目には何処にニューがあるのか、ほとんど分からない程度の傷)の計2枚を購入することとし、「箱」を手に入れることが出来たのである。

 なぜ2枚になったかというと、店主が、「箱の下の方に新聞紙でも詰めて上げ底にし、一番上に現物を載せれば、10枚全部入っているように見えるでしょう。ですから、最低でも2枚は買っていただきたいんです。そうすれば、こちらとしても、箱を付けてさしあげます。」とメールで言ってきたからで、それを見て、私も、なるほどと思ったからである。

 ところで、何故、私がこの「箱」を気に入ったかというと、いかにも古く、この皿達が生まれた頃の江戸時代に設えられた物と思われたからである。また、その「箱」には文字が書かれていたからでもある。しかも、その文字と中身の皿とが合致すると思えたからである。古い「箱」が付いていても、どこかから寸法の合いそうな古い「箱」を見つけてきて、その中に皿を入れるというような場合がほとんどなので、箱に書かれた文字と中身が一致するということは珍しいことなのだ。

 ただ、残念なことは、この「箱」に書かれた文字は、「竹ノ絵中焼物皿」の部分しか読めないことである。あとの2ヶ所は消してあって読むことが出来ない(><) 古い「箱」には、よく、「年号」や「所有者名」も書かれることが多い。消された部分に「年号」でも書かれていたとすれば、それは残念なことである。

 なお、この皿の口径は、完器のものが16.0センチメートル、ニューのある方が15.9センチメートルなので、それぞれ、「小皿」ということになる。

 そうであれば、「箱」には、「・・・中・・皿」と墨書されているから、「箱」に書かれた文字からいえば、「箱」の中には「中皿」が入っていなければならないわけなので、実際には「小皿」の現物が入っていたのでは、箱に書かれた文字と中身は一致しないのではないかと指摘されそうである。

 しかし、江戸時代と現代とでは、大きさを示す呼称が変化していることに留意する必要がある。

 この点については、小木一良氏が、「鍋島 後期の作風を観る ~元文時代から慶応時代まで~」(創樹社美術出版 平成14年11月30日)の中で次のように記している。

 

「 次に江戸時代と現代で大きさを示す呼称が変化している点を付記しておきたい。
              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 私は江戸期の伊万里箱書品は多数調査してきたが、丸皿で口径14~5糎の皿はすべて「中皿」と記されており、口径18糎程度になると「大皿」と記されている。例外は見た記憶はない。                        (218ページ)」

 

 つまり、現代の「小皿」のことを江戸時代には「中皿」と、現代の「中皿」のことを江戸時代には「大皿」と呼んだのである。

 したがって、この箱に書かれた文字と中身は、大きさの点からだけでも一致していると言えるであろう。また、文様から言っても、「竹ノ絵」であるから、ドンピシャリである。

 もっとも、後期鍋島には「竹文の皿」は多く見られるので、別物の後期鍋島の「竹文の皿」を他から見つけてきてこの箱に入れたとか、はたまた、後世の「写」を他から見つけてきてこの箱に入れたということも考えられないこともない。しかし、現代において、完器、傷物取り混ぜて8点も同じような物を見つけてくるということは至難の業であるから、これらの皿は、もともとこの箱の中に入っていたものと考えるのが妥当であろう。

 なお、この皿の用途は、当時、「焼物皿」であったこともわかるのである。

 以上のことから考え、この「箱」は、江戸時代に設えられ、江戸時代に墨書されたものと考えてよさそうであり、その中に入っていたこの皿も江戸時代に作られたと考えてもよさそうである。

 最後に、最新の「陶説」(「公益社団法人 日本陶磁協会」の月刊機関誌平成26年5月号・通算734号)の中に、小木一良氏の「箱書紀年銘による鍋島作品の一考察」という論文(「陶説」創刊60周年記念論文 日本陶磁部門 審査員特別賞受賞論文)が紹介されているが、氏が、その中で、「贋作箱」についての面白い例を記しているので、それを紹介して筆を置く。

 

「 蛇足だが世上には後年の紀年銘写し箱、即ち贋作箱がいろいろ存在している。参考までに一例をあげておきたい。
  器物は口径22.8センチの「色絵柿右衛門皿」であるが箱に、「今里柿右衛門錦出中皿 島津家」「此品上山松平候より御拝領品余里」と墨書されている。某雑誌に掲載されたこともあり御存知の方も少なくないと思われるものである。
 この箱書は後年の作とみざるを得ないものである。理由は22.8センチの皿をこの箱書では中皿と記している。このサイズは江戸期では大皿である。17.0センチくらいまでが中皿でそれ以上は大皿と呼称されている。
 このサイズを中皿と称するようになるのは明治以降である。
 この箱書は明治以降の文字記述であることを自ら立証しているものに他ならない。                                (前掲「陶説」75ページ)   

 

 

 

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*古伊万里ギャラリー194  伊万里鍋島様式色絵竹文小皿   (平成26年6月1日登載)

        

完器の皿の表面

(口径:16.0cm、高台径:8.4cm、高さ:4.3cm)

  

 

 

完器の皿の側面

 

 

完器の皿の裏面
 

 

 

傷物の皿の表面

見込みの左下方向に4~5cmのニューがあるが、ほとんど分からない。

(口径:15.9cm、高台径:8.5cm、高さ:4.2cm)

 

 

ニュー部分の拡大写真
拡大すると、かなりの使用痕も認められるので、実際に相当に使われていたことが分かる。

 

  

 

傷物の皿の側面

 

 

傷物の皿の裏面
 

 

 

 後期鍋島には、竹文の皿は多い。

 ただ、後期鍋島の場合は、そのほとんどが染付で、まれに色絵のものもあるが、その場合も、色は赤1色であることが多い。

 この小皿には、赤のみならず、緑と黄も使われている。いわゆる鍋島三色と言われる色が使われているのである。

 それは、後期鍋島の色絵としては希な例である。

 なお、この小皿は、古い、江戸時代に設えられたと思われる共箱に入っていたものであり、この小皿が、後期鍋島に属することを証明している。

 ところで、上の「ニュー部分の拡大写真」をみて気付いたことがある。それは、普通、鍋島の場合は、色絵を施す場合でも、色絵部分の下に細く薄く染付で文様を施し、その上を色絵でなぞっていくわけであるが、この小皿にはそれが見られないのである。

 色絵付けする部分が小さく簡単なので、染付の下描き無しでも十分に目的を果たせたからそれを省略したのだろうか、、、? ちょっと気になる発見ではある。

 

 

生 産 地 : 肥前 鍋島藩窯

製作年代: 江戸時代末期

サ イ ズ : 無傷のもの・・・口径:16.0cm、高台径:8.4cm、高さ:4.3cm

              傷 の も の・・・口径:15.9cm、高台径:8.5cm、高さ:4.2cm

 

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染付 富貴長命文字文 小壺

2021年09月29日 15時11分39秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 富貴長命文字文 小壺」の紹介です。

 

 

胴部の「富」の文字の面

 

 

胴部の「貴」の文字の面

 

 

胴部の「長」の文字の面

 

 

胴部の「命」の文字の面

 

 

底面

 

 

斜め上方から見た面

 

 

内面

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期

サ イ  ズ: 口径;5.4cm 胴径;9.3cm 底径;5.8cm 高さ;10.7cm

 

 

 なお、この「染付 富貴長命文字文 小壺」の製作年代につきましては、一応、「江戸時代前期」としましたが、少々腹に入らない感じでいる次第です。もう少し新しいものなのかもしれません(><) その点をお含みいただいてご覧いただければ幸いです。

 また、この「染付 富貴長命文字文 小壺」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中でも既に紹介しているところです。

 その際の紹介文を、次に、参考までに再度掲載いたしますが、この「染付 富貴長命文字文 小壺」の製作年代につきましては、上記しましたように、疑問のあることをお含みいただいてお読みいただければ幸いです。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー193  初期伊万里染付富貴長命文字文小壺   (平成26年5月1日登載)

 

    

 首と腰の部分に圏線を描き、胴部には「富」「貴」「長」「命」の4文字のみを描く。

 いかにも素朴で、また、雰囲気としては李朝風である。

 私が、古伊万里のコレクションを始めた頃は、このような、李朝風の素朴な伊万里焼こそが初期伊万里であると教わったものである。

 その点については、矢部良明氏も「世界をときめかした 伊万里焼」(角川書店 平成12年12月25日初版発行)の中で次のように言っている。

 

「後世につくられた伝説を含めて、有田に磁器を焼く窯が開かれるにあたっての立役者となったのが、朝鮮半島から渡ってきた陶工であったことは文献史料が伝えるところであるし、まずそれに相違はあるまい。だからこそ、17世紀初頭の陶磁器について、昭和40年代までの研究者が朝鮮王朝(李朝)中期の陶磁器が直接のモデルであったろうと考えていたのは、当然の推測であったと思う。あたかも唐津焼の製品のなかに、一部には李朝陶芸の形がそのまま投影しているように・・・・・。
 いま一つ、最初期の伊万里焼を考えるにあたって、初期の製品のことであるから、おそらくごく素朴にして幼稚な作風のものであろうという常識的な考え方も支持されていたために、いまから考えると、開窯からずっと降った後世の粗製品を草創期の作と見なすこともすんなりと受け入れられてきたのであった。      P.10 」

 

と、、、。

 しかし、その後の、考古学による発掘調査をふまえた研究の結果、伊万里焼は、朝鮮王朝(李朝)中期の陶磁器を直接のモデルとして作られ始めたものではなく、古染付をモデルとして作られ始めたことが分かってきた。

 では、このような新しい見解の基では、この小壺の制作年代の位置付けをどのように捉えればよいのだろうか。

 まず、古染付では、普通、「富貴長春」とか「富貴長命」という文字は、高台内に描かれ、「銘」として使われることが多いが(「富貴長命」よりは「富貴長春」の方が圧倒的に多いけれど)、この小壺の場合は、「富貴長命」の文字は、高台内に「銘」として使われているのではなく、胴に「文様」として使われていることに注目する必要がある。

 また、この小壺には、この4文字以外には圏線のみが描かれているにすぎない。

 一方、古染付の場合は、、高台内に「銘」として用いられる「富貴長命」という文字が胴部の文様として用いられている例を私は知らないし(私が知らないだけかもしれないが、、、)、文様がもっと多く描かれている場合が多いと思う。

 このようなことから考えると、この小壺は、古染付をモデルとした伊万里焼の草創期のものではないとせざるを得ないものと思われる。 

 では、この小壺は何時頃作られたのであろうか。

 私は、客観的な根拠を持ち合わせているわけではなく、私の主観的な判断に依るものではあるが、草創期ではないにしても、その時点からそれ程降ることはない時期に作られたものではないかと思っている。

 

江戸時代前期    口径:5.4cm 胴径:9.3cm  底径:5.8cm  高さ:10.7cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌123  古伊万里との対話(富貴長命の小壺)(平成26年5月1日登載)(平成26年4月筆)

登場人物
  主  人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  富貴長命 (初期伊万里染付富貴長命文字文小壺)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、次はどんな古伊万里と対話をしようかと「押入れ帳」をめくっていたが、ちょっと珍しい物を発見したようである。
 それは、染付で圏線と文字のみを描いたものである。普通、無文のものは、白磁や青磁であるが、それには、白磁のうえに圏線と文字のみが描かれているのである。
 そこで、さっそく、それを押入れから引っ張り出してきて対話をはじめた。

 

 


 

 

主人: お前には、「圏線」と「文字」しか描いてないんだよな!
 普通、無文の場合は、白磁か青磁で、それで完結だよね。何も足さない、何も引かないということで・・・・・。陶磁器の場合、私は、それで究極の完成だと思うんだ。
 ところが、その後、白磁や青磁では寂しいと思ったのか、その器面に文様を付けるようになった。それも、最初は極く控え目に、少し描いたが、だんだんとエスカレートし、色絵まで登場し、器面いっぱいにゴテゴテと描くようになった。私から見れば、陶磁器は堕落の一途を辿ったんではないかと思う。

富貴長命: その点、私は、極く控え目に描かれていますから、堕落してはいないのではないでしょうか。

主人: 極く控え目に描いたとしても、それは、もう、堕落の始まりだろう。既に堕落の道に染まってしまったのなら、私としては、適度な堕落に落ち着いたほうがいいんじゃないかと思っているよ。堕落には適度な堕落というものがあるのかどうか、「適度な堕落」というような文言自体もおかしな話ではあるけれども、つまり、文様は少な過ぎもせず多過ぎもしない、程々のところがいいと思っている。

富貴長命: 私は、文様が少な過ぎますか。

主人: そうだよね。ちょっと少なくて寂しいよ。圏線と文字しか描いてないんだものね。華やかさに欠けるよね。お前を見ていると、なんか寂しくなってきて、こちらが冬枯れしてきそうだよ。
 でも、幸い、文字が「富貴長命」だから救われるかな。お前をジィーット見ていると、なんとなく小金でも入ってきて、少しは裕福になってくるような気がするし、精神的にだけでもいくらかセレブになった気分になるし、文字通り「長命」を保証されたような錯覚を覚えるものね。

富貴長命: 世の中のために、少しでもお役に立てれば嬉しいです。
 ところで、先程、ご主人は、陶磁器の文様は、最初は極く控え目に少し描かれ、だんだんとエスカレートしていって、器面いっぱいに描かれるようになっていったと言われましたが、そうしますと、私は、極く控え目に文様が描かれていますので、伊万里焼が焼き始められた最初の頃に作られたということになりますか。

主人: いや違うな。それは、陶磁器の本場・中国での話だ。
 伊万里焼の場合は、その陶磁器の本場・中国の明末の古染付をお手本として始められているので、最初から、結構、文様は多く描かれているね。お前のように寂しくはないよ。

富貴長命: それでは、私は、最初期の伊万里焼ではないんですね。

主人: そうだと思うよ。
 伊万里焼の場合、最初は、中国の古染付と同じような物を作ろうと一生懸命だったんじゃないかな。それが、だんだんと古染付に近いような物が十分に出来るようになると、心にも余裕が出来、古染付模倣から脱却していったんじゃないかと思う。
 つまり、古染付模倣一辺倒から少しずつ脱却し、伊万里焼としての独自性をだんだんと前面に出してくるようになったんだと思うね。たとえばお前のように。
 高台内に、銘として、「富貴長春」とか「富貴長命」と描かれることは多いが、その銘の「富貴長命」の文字を、今度は、銘としてではなく文様として描いてみてはどうかな、というような自由な発想が生まれてくるんだよね。
 まっ、以上のようなことから、お前は、最初期の伊万里焼とは言えないんじゃないかと考えたわけだ。

富貴長命: 最初期の伊万里焼とは言えなくとも、一応、「初期伊万里」とは言えるんですか。

主人: うん、ちょっと悩ましい問題ではあるね・・・・・。
 初期伊万里については、矢部良明氏が「世界をときめかした 伊万里焼」(角川書店 平成12年12月25日初版発行)の中で次のように記しているので、それを前提にして考えてみよう。

 

「 ここで、初期伊万里と呼ばれている、伊万里焼初期の染付について述べておきたい。その染付の説明に入る前にお断りしておきたいのは、初期伊万里の時代区分の設定のしかたである。人によっていろいろと解釈はあろうが、筆者は開窯した1620年代から、ヨーロッパ向けの輸出物焼造が本格化する万治2年(1659)までの、およそ40年間の伊万里焼を初期伊万里と呼ぶこととしている。なぜこのように区分するかというと、万治2年をもって、オランダ東インド会社から注文を受けた磁器は、景徳鎮の万暦様式を母型とするもので、ここに古染付を出発点においた初期様式とはまったく様式の違う高級な万暦様式(ヨーロッパでは、現在でもキャラックと呼ぶ一群の様式で、古染付よりもさらに古い万暦年間<1573~1619>に景徳鎮窯が完成した代表的民窯の一様式)が加わったことにより、伊万里焼の主製品は、様式の二重構造をもつこととなり、初期伊万里に代わってこうした輸出物が製品の主役をなすにいたったからにほかならない。その結果、1660年以後、初期伊万里様式は下層の様式となって、脇に引き下がることとなった。この堺をなす1659年をもって、伊万里焼は盛期を迎え、初期様式を脱皮したと考えている。    P.30 」

 

 このように、伊万里焼の主役は、1659年をもって、古染付模倣を出発点とした初期様式から万暦様式へと先祖帰りをし、ガラリトその様相を一変させたわけだが、その時点をもって、初期様式が完全に消滅したわけではないんだよね。その後も、初期伊万里様式として脇役ながらも存続しているんだよね。
 したがって、お前が、1659年以前の「初期伊万里」に属するのか、それ以後の「初期伊万里様式」に属するのかは悩ましい問題ではあるが、私は、私の長い経験と勘からいって、お前は「初期伊万里」に属するんではないかと思っている。

富貴長命: 古く評価してくださったありがとうございます。
 私にあやかり、ご主人が長命となりますことをお祈り申しあげます。

主人: ありがとう。

 

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染付 梅花文 中皿

2021年09月28日 15時44分12秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 梅花文 中皿」の紹介です。

 

表面

口縁にソゲ疵が1か所あり、銀直しがされています(3時の方角)。

 

 

裏面

高台内の銘:二重角福

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期

サ イ ズ : 口径;21.0cm 底径;12.6cm

 

 

 なお、この「染付 梅花文 中皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 つきましては、その際の紹介文を再度次に掲載することをもちまして、この「染付 梅花文 中皿」の紹介とさせていただきます。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー191  伊万里染付梅花文中皿          (平成26年3月1日登載)

 

 

 この中皿は、5年ほど前に買ったものである。

 最初、値段を見て、「あれっ、随分と安いな~。古伊万里も随分と安くなったものだな~」と思ったものである。

 しかし、よ~く見ると、口縁に、1か所、補修がある。3時の方角に。しかも、下手な銀直しの、、、(><)
 その直しが、ちょうど梅の花の蕾のように見えるので、直ぐには気付かなかったのだ。

 「やっぱりな~、無疵ではなかったんだ。無疵なら、そんなに安いわけがないものな~」と納得、、、。

 しかし、以前に比べると、やはり安い。それで、連れ帰ることにしたわけである。

 普通、「梅」は、「松」、「竹」、「梅」を組み合わせた3点セットの「松竹梅文」の一つの構成要素として描かれることが多く、このように、「梅」単体で描かれているのは珍しい。

 また、見込みに大きな丸い輪を描き、ともすると散漫になりがちな画面文様をギュット引き締め、緊張感をみなぎらせている。

 値段が安かったこと、梅花文だけが描かれていて珍しいと思ったこと、そして、図柄の良さに惹かれて買ったものである。

 

江戸時代前期     口径 : 21.0cm   高台径 : 12.6cm 

 

 

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*古伊万里バカ日誌121  古伊万里との対話(梅花文の中皿)(平成26年3月1日登載)(平成26年2月筆)

登場人物
  主人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  梅  (伊万里染付梅花文中皿) 

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 厳しい寒さも随分と緩みだし、主人の庭の梅の木にもほんの数輪だが花が見られるようになったようである。
 九州の方では、もう梅の花は終りに近いとのタヨリに接し、主人は、梅花文の古伊万里と対話をしたくなったようで、さっそく「押入れ」から引っ張り出してきて対話を始めた。

 

 


 

 

主人: 随分と寒さも和らいできたな~。我が家の庭の梅の木もほんの数輪だが花を付けた。もっとも、九州の方ではもう梅の花は終りなんだってね。

梅: そうなんですか。日本も広いですね~。

主人: 我が家の梅の開花を見たり、九州の方の状況を知ったりしたら、急にお前を思い出し、対話をしたくなった。

梅: それは、それは、私を思い出してくれてありがとうございます。

主人: うん。お前を買ってきたのが平成21年の1月なんだ。まだ5年ほど前のことなので覚えていたわけさ。それにね、お前の図柄がちょっと変わっているので覚えていたんだ。

梅: どのように変わっているんですか?

主人: 古伊万里の場合は、「梅」だけ描くというのは少ないんだよ。普通、「松」と「竹」と「梅」の3点セットで描かれている場合が多いんだ。「松・竹・梅」は、おめでたい文様でもあるので人気が高く、その結果、沢山作られているので陳腐な感じを受けるわけよ。
 その点、お前は、「梅」だけが描かれているので、「おやっ、珍しいな!」と思わせるし、なかなか絵も達者で、写実的でもあるしで印象に残るんだよね。まっ、インパクトがあるわけさ。

梅: それはどうも、お褒めに預かりありがとうございます。

主人: ところで、お前にはかなりの使用擦れがあるんだよね。長い間愛され、繰り返し繰り返し使用されたんだろうね。
 しかし、お前には、口縁に1か所ソゲがあるよね。3時の方向に。今では下手な銀直しが施されいるけれど・・・・・。たぶん、長い間使われ、最後には口縁に疵が付き、遂に食器としての役目を終えたんだろうね。でも、幸いなことに、廃棄されることなくどこかに保管された結果、現代まで生き残ったんだろうね。それが、最近になってみつけ出され、下手な銀直しを施され、今度は、観賞用かなにかの、食器とは違う目的のための器として再登場してきたんだろうね。

梅: 私にはそんな過去があるんですか。 

主人: まぁね。これは私の想像にしかすぎないけどね。でも、お前のような古い器について、あれこれと想像することは楽しいよ(*^_^*)
 更に想像を逞しくすれば、お前は、たぶん、寛文の頃、西暦で言うと1660年代の頃に作られているだろうから、それからもう350年近く経っているんだよね。作られてから、何十年、いや、何百年使われたのかな~、その家で何代にわたって使われたのかな~、どんな家で使われたのかな~、何時から食器としての現役を引退したのかな~等々、想像の楽しみは次から次へと限りなく続くね!

梅: あの~、楽しいことに思いを馳せているところに言い出しにくいんですが、私の口縁の疵の銀の直しは酷いですね(><)

主人: そうだね。下手だね。素人が直したんだろうね。もう少し綺麗にやり直さないとね。でも、幸いなことに、銀直しの部分がちょうど梅の花の蕾のように見えるから、ちょっと見には気付かない程だね。当分はこのままにしておくかな。

梅: そうですか。直し代は高いんですか?

主人: 疵の部分が小さいから、それほど高くはないとは思うんだけれど、せっかく安く買ったのだから、更に経費をかけたくないんだよ。私としては、観賞には支障ないと思っているんだ。

梅: 私は安かったんですか。

主人: うん、安かったな。以前は、十年以上前は、お前のような手は「藍古九谷」と言って高かったんだ。それが、不景気が続き、古伊万里ブームも去りで、だんだんと安くなり、お前を買った5年前頃にはかなり安くなっていた。しかも、お前には口縁に直しがあるので更に安かった。もっとも、それは、安く買えるんだから、コレクターにとっては嬉しいことではあるんだがね。

梅: 最近はどうなんですか。

主人: いくらか値上がりしてきたかな~。
 古伊万里が値上がりするということは、それだけ古伊万里の評価が高まり、人気も上がってきているということなので、古伊万里コレクターとしては嬉しいことではあるんだけれど、反面、値上がりするとなかなか買えなくなってしまうということになるんだよね。痛し痒しというところかな~。

 

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染付 唐花文 輪花形小鉢

2021年09月27日 15時05分41秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 唐花文 輪花形小鉢」の紹介です。

 

表面

 

 

側面

 

 

裏面

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;13.8cm 底径;6.9cm 高さ;4.3cm

 

 

 なお、この「染付 唐花文 輪花形小鉢」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で、既に紹介しているところです。

 つきましては、その際の紹介文を次に再度掲載することをもちまして、この「染付 唐花文 輪花形小鉢」の紹介とさせていただきます。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー188  伊万里染付唐花文輪花形小鉢     (平成25年12月1日登載)

 

 

 比較的に薄作りで、口縁を輪花形にしたりと、造形的には厳しい作りである。

 内側には、底の方に二重圏線を施し、その中に唐花文を描いている。唐花文の茎部などは、まず細い輪郭線を描き、その中を濃み染めするなど、かなり丁寧な描き方である。

 それに反し、外側を一巡している蔓草は付け立て風に描かれており、内側部分の唐花文に比べると、かなり手抜きした感じである。

 高台内の銘も、「二重渦福」なのであろうけれども、あまりにも崩れ過ぎていて「二重渦福」なのかどうかも分からない程である。

 造形の厳しさ及び内側部分の丁寧な文様の描き方からみて、この小鉢は上手の作であることは伺えるが、外側部分の文様や高台内の銘の雑な描き方からみて、最上手の作とは言えないであろう。

 

江戸時代中期   口径:13.8cm  高台径:6.9cm  高さ:4.3cm 

 

 

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*古伊万里バカ日誌118  古伊万里との対話(輪花の小鉢)(平成25年12月1日登載)(平成25年11月筆)

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  小 鉢 (伊万里染付唐花文輪花形小鉢)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、「さて、今日はどれと対話をしようかな~」と思案しながら「押入れ帳」をめくっていたが、最近では、「是非、これと対話をしてみたい」というような心トキメク古伊万里もみつからないので、「押入れ帳」に記載されている順番に従い、何の変哲もない小鉢を押入れから引っ張り出してきて対話をはじめた。

 


 

主人: お前には悪いが、どうも、お前は何の変哲もない古伊万里なので、対話をしようにも盛り上がりそうもないな(><)

小鉢: それはそれはご挨拶ですね。何の変哲もない古伊万里で悪かったですね(「むっ」とする)。
 でも、どこか気に入るところがあって買ってきたんでしょう?

主人: まぁね。どこかが気に入って買ったというわけではないだけれどね・・・・・。
 見てのとおり、お前は、まぁまぁ上手で、一応の水準をいっているからね。最近では、なかなか、お前程の水準の物を見かけなくなってしまっているからね。それで、このまま見過ごし、放置して埋もれさせてももったいないし、お前にも気の毒かな~と思って買ったわけさ。

小鉢: それはどうも。私を救ってくれたわけですか。
 でも、御主人以外のもっと立派な方の目に留まっていたのなら、とっくの昔に華々しく出世していたかもしれませんよ。

主人: うぬぼれるにも程があるぞ! 誰が、お前みたいなものに目を留めたりする立派な方なんかがいるもんか! せいぜい、その辺の骨董市をたらい回しされ、あげくの果てには、割られて棄てられるのがオチだな。
 棄てられるにしても、江戸時代に大名屋敷が火事に遭い、被災した家財道具と共に破損した陶磁器も土坑に棄てられ、それが現代において発掘され、一度棄てられたその陶磁器の破片が研究資料として再び日の目を見るという希な例はあるにはあるが、お前にはそんなチャンスもないだろう。

小鉢: それ程に立派な方ではなくとも、ご主人以上に私を大切に扱ってくれる方に、私に日の目をみさせてくれる方に買ってもらいたかったです。今では、ガラクタと一緒に押入れの中に閉じ込められ、もんもんとした息苦しい日々の連続ですから・・・・・(涙)。

主人: それは悪かった。謝るよ。
 でもね~、お前程度のものでは、それ程の出世は望めないぞ。お前が仮に5個組だったら、或いは大鉢だったなら、その場合は、小さな名もなき美術館に展示されるというような可能性もなきにしもあらずだが、1個だけではね~、それも無理な話だよ。せいぜい、一般家庭の中にあって、ちょっとした部屋のインテリアの一つとして飾られる程度だろうね。

小鉢: それでも、今の境遇よりはず~っとましです。

主人: わかった。わかった。
 しかしね~、今は、二年半前の大地震のことを思い出すと、部屋の中に飾ることを考えてしまうんだ。二年半前の大地震の際、部屋の中に飾っていた古伊万里は数点が遣られたが、押入れの中にあったものは全部無疵で、1点も遣られなかったからね~。
 押入れの中でじっと耐えて生き長らえるほうが、お前のためだと思うよ。それこそ、これからあと数百年も生き残れば、或いは、お前1個だけでも、大きな有名な美術館に名品として展示される可能性がなきにしもあらずだね。

小鉢: そうですか。それを聞いて心安らぎました。

主人: そうとも、そうとも。お前達陶磁器は、生身の人間とはちがって長生き出来るんだ。せいぜい、生きて、生きて、生き抜くことだ! 生きることによって灯りが見えてくるんだよ!

 

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染付 木の枝文 菱形小皿

2021年09月26日 15時54分37秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 木の枝文 菱形小皿」の紹介です。

 この「染付 木の枝文 菱形小皿」の名称ですが、よく見ますと、葉っぱに隠れて栗のイガのようなものが描かれていますので、「木の枝文」ではなく「栗枝文」とすべきなのかもしれませんが、パット見た感じでは「木の枝」に見えますので、「栗枝文」ではなく「木の枝文」としておりますことをご了知ください(^_^;

 

表面

 

 

側面

高台が比較的に高く作られています。

 

 

裏面を斜め上から見たところ

蔓草が側面から高台内にまで入り込んで描かれています。

 

 

裏面

高台内にまで文様が描かれているのは珍しいケースです。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期

サ イ ズ : 長径15.9cm×短径11.6cm 底長径9.5cm×底短径6.5cm 高さ2.5cm

 

 

 なお、この「染付 木の枝文 菱形小皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で、既に紹介しているところです。

 そこで、その際の紹介文を次に再度掲載し、この「染付 木の枝文 菱形小皿」の紹介に代えさせていただきます。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー187  伊万里染付木の枝文菱形小皿     (平成25年11月1日登載)

 

     

 表面は捻花状に陽刻されかたのように作られ、縁はその捻花状の陽刻をそのまま延長させて輪花状にしている。
 比較的に薄作りで、高台も高めに付けられ、厳しい造形であり、あまり類例を見ない、珍しい作例である。 

 表面に描かれた葉っぱなど、1枚、1枚、丁寧に描かれており、葉っぱが裏返った様まで描かれている。
 こんなデコボコした面に、これだけ伸びやかに描かれているということは、相当に腕の良い絵付け師によって描かれたということであろう。
 かなり写実的で、さながら、「ボタニカルアート」を観ているかの如くである。

 裏面には、非常に手慣れた筆致で、蔓草が描かれている。
 その蔓草も、それほど簡略化されることなく、比較的に丁寧に描かれている。
 また、その蔓草はのびのびと描かれていて、生きているかのようである。
 相当に上手で手慣れた絵付け師でないと、こうは描けないであろう。

 ところで、この小皿を特徴付けているのは、高台内にまで絵付けされていることである。
 高台内にまで絵が描いてある例はめったにない。

 この小皿は、造形的に珍しいし、高台内にまで絵が描かれているなど、大変に珍しい作例である。

 

  江戸時代前期  長径15.9cm 短径11.6cm 高台長径9.5cm 高台短径6.5cm   高さ2.5cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌117  古伊万里との対話(木の枝文の菱形小皿)(平成25年11月1日登載)(平成25年10月筆)  

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  葉 隠 (伊万里染付木の枝文菱形小皿)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、たまには季節に合ったものと対話をしたいと思ったようで、この季節にピッタリのものはないものかと、押入れ内を探しはじめた。
 だいたいにおいて、主人の押入れ内の大部分とは既に対話済みなので、残り物の中からそのような物を取り出すことは不可能に近いと思われるのではあるが、強引になにやら引っ張り出してきて対話をはじめた。

 


 

主人: この頃は、朝晩めっきり冷え込んできた。少し前まで、暑い暑いと言っていたのが嘘のようだね。夏から、秋を飛ばして、一足飛びに冬になってしまった感じだね。

葉隠: そうですよね。最近、私のようなものの出番は短期間になってしまいましたよね。

主人: 売り買いの場面だって、一般的には、やはり、春には、春らしい物が売れるし、春らしい物を買いたいし、夏には、夏らしい物が売れるし、夏らしい物を買いたいしで、また、秋には、秋らしい物が売れるし、秋らしい物を買いたいだし、冬には、冬らしい物が売れるし、冬らしい物を買いたいと思うのが人の心理だよね。デパートだって、夏の終り頃には、すぐに、「秋物セール」が始まるものね。そして、秋の終り頃には「冬物セール」の開始だ。
 ところで、お前のことは5年前の12月に骨董市で買ったんだ。12月といえば秋を通り越して冬だから、お前は「秋物セール」もとっくに終った、むしろ、「秋物処分セール」に出品されたというところかな。

葉隠: それでは、私は、安く売りに出されていたんですか!

主人: ところがね、今言ったようなことは一般的な話で、骨董の世界では話が別だね。季節なんかにはトントお構いなしだ。特に古伊万里なんてものは酷いもんだね。例えば、果物の場合なんか、花と実が一緒に描いてあることが多いよ。そんなものをコレクションしている私なんか、どんどんと季節感が鈍麻してきてしまった・・・・・。

葉隠: それはどうですかね。もともと季節に鈍感だったんじゃないですかね!

主人: まっ、そのことは、お前の言うとおりかもしれないかな・・・・・。
 そうそう、話は脱線してしまったが、お前は高く売られていたんだよ。なんでかって、お前には、高台の中にまで蔓草文が描かれているだろう! 高台内にまで絵が描かれているのは珍しいんだよ! 売る方もそれを良~く知っていて、高くして売っていたんだな~。 

葉隠: それで、得意の値切りで、値切りに値切って買ってきたんですか。

主人: 人聞きが悪いことを言うね~。そんなことは出来なかったよ。
 売る方も強気で、全然負けないんだ。それで、「う~ん」と唸ったきりで、結局は、その場では買うことを断念してしまった。
 というのは、何時も、この骨董市の後に競り市行くんだが、ここでお前を買ってしまっては所持金がほとんどなくなってしまう状況だったからだ。そんな状況で競り市に行って、もし、すごく気に入った古伊万里が出現したとしたら大変なことになるものね。手も足も出なくなってしまい、それこそ、その後、夢にうなされることになるからね。それで、競り市での余力を残しておくために断念したわけだよ。 

葉隠: それでも、結局は私を買われたわけせしょう。どうしてですか?

主人: それはね、その日の競り市では、気に入った古伊万里は出現しなかったので、競り市終了後、急きょ、また、その骨董市に戻ることにしたんだよ。やはり、お前が気になったものだからね~。
 値段が高かったので、たぶん、誰も買う人はいないだろうから、まだお前は売れ残っているとは思ったが、骨董市が終了してしまっているかどうかが心配だった。
 幸い、骨董市では、ほとんどの業者さんが帰り支度をしている最中で、まだ間に合った。お前を売っていた業者さんも同じで、お前は既に片付けられてしまってはいたが、私が買う旨を告げると、喜んで出してくれて売ってくれた。もちろん値引きなしで・・・・・。

葉隠: それはよかったですね。

主人: うん。どうしても欲しいという程ではなかったんだが、やはり、高台内にまで丁寧に絵が描いてあるものは珍しいし、造形も厳しく、上品だし、買っておいてよかったな~と思ってるよ。

葉隠: ところで、私の名前が「葉隠」となっているんですが、どうして「葉隠」なんですか?

主人: ハハハ、特に意味はないよ。
 肥前の鍋島藩といえば「葉隠武士」で有名だよね。お前も肥前産だから「葉隠武士」と関係があるかもしれないが、お前を見た限りでは、武闘派の「葉隠武士」は感じられないね。せいぜい、なよなよとした文治派の「葉隠武士」というところかな。
 それはともかく、お前には葉っぱが何枚か描かれているよね。しかも、よ~く見ると、葉っぱに隠れて栗のイガのようなものも描かれているんだよね。それで、葉っぱだけではなく、葉っぱの陰に何か描かれているのかな~ということで、文字どおり、「葉隠武士」から「葉隠」だけを借りてきて「葉隠」としただけさ(笑)。

葉隠: そうでしたか。そんな単純な理由でしたか。

 

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