今回は、「色絵 芭蕉に朝顔文小皿」の紹介です。
なお、この「色絵 芭蕉に朝顔文小皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。
つきましては、その時の紹介文を次に再度掲載し、この「色絵 芭蕉に朝顔文小皿」の紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー219 伊万里古九谷様式色絵芭蕉に朝顔文小皿 (平成28年8月1日登載)
表面
裏面
この小皿も、前の「218 伊万里柿右衛門様式色絵竹に雀文小碗」(このブログでは、2021年10月24日紹介の「色絵 竹に雀文小碗」)の時と同じように、柿右衛門様式に区分すべきか古九谷様式に区分すべきかで悩むところである。
文様を一点一点つぶさに見てみると、特に朝顔の文様など、柿右衛門の針描きといえるほどの繊細な描き方である。
しかし、生地は純白色ではなく、余白も柿右衛門様式のようには多くはない。また、赤色も柿右衛門様式の赤のように明るい赤ではなく、黒ずんでいる。青や緑の絵具も厚く盛り上がっている。全体としては、柿右衛門様式というよりは古九谷様式であろうと感じ、今度は、前の「218 伊万里柿右衛門様式色絵竹に雀文小碗」(このブログでは、2021年10月24日紹介の「色絵 竹に雀文小碗」)の時とは逆に、古九谷様式に区分したものである。
かように、この、右衛門様式か古九谷様式かの区分は、多分に感覚的なものである。
造形にはそれほどの厳しさと鋭さは見られないが、薄作りで、五つの輪花としている。裏面には、画像ではよくわからないが、あちこちと角度を変えて光にかざして見ると、高台の直ぐ上、腰の辺りに、一つの輪花部分に三つづつ、計15の陽刻した花弁のような形のものがうっすらと浮き出て見える。このように、結構気を使って作っていることが見て取れる。
全体に甘手で、高台内には鳥足が見られるが、その鳥足のヒビは表にまでは達していないので、鑑賞には支障がない。
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期
サ イ ズ : 口径;13.7cm 底径;8.3cm
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*古伊万里バカ日誌148 古伊万里との対話(芭蕉に朝顔文の小皿)(平成28年8月1日登載)(平成28年7月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
朝 顔 (伊万里古九谷様式色絵芭蕉に朝顔文小皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、今日はどの古伊万里と対話をしようかと若干思案していたようであるが、「そうだ、これにしよう!」と、まだ押入れに入れずにその辺に置いてあった古伊万里に白羽の矢をたて、それと対話を始めた。
主人: 今日はどの古伊万里と対話をしようかと「押入れ帳」を開いて対話の相手を捜し始めたんだが、急に、まだ押入れに入れずにその辺に置いてあったお前に目が留まった。
お前には朝顔が描いてあるものね。この時期にはピッタリだものね。
朝顔: そうですね。大きな芭蕉の葉っぱまで描いてありますものね。ちょうどタイミングがいいですね。
主人: そうだろう。それで対話の順番を変えたんだ。私は、原則として買ってきた順番に対話をしているんだが、このようなことがあると急に変更するんだよ。お前よりも前に購入した古伊万里がまだかなりの数残っているんだけれどね。まっ、気まぐれなんだな(^^;)
朝顔: ところで、ご主人のところには、押入れに入っている古伊万里と押入れに入っていない古伊万里とがあるようですが、押入れ入りとそうでない場合とについての何か基準みたいなものがあるんですか・・・?
主人: 特に基準みたいなものはないね。買ってきてから、暫くは身近に置いといて時々手に取って眺めているんだけれど、そのうち新しい古伊万里を買ってきた場合には選手交代で、前のものは押入れに入ってもらうことにしているんだ。ただ、新しく買ってきた古伊万里であっても、「まぁまぁな、ありきたりのもの」、「特に気に入ったものではないが、安いから買っておくかというような動機で買い求めたもの」などは身近に置いて眺めることもなく、直ちに押入れ入りになるから、その辺が基準といえば基準かな。
朝顔: 私の場合は直ちに押入れ入りになったわけではないんですね。
主人: そうだね。お前のことは2年程前に買ってきたわけだから、2年程、時々手に取って眺めていたことになるね。我が家では最近では長いほうかな、押入れ入りをしないで身近に置かれている期間が長いものでは・・・・・。
以前は、ず~っと押入れ入りをしないで頑張っていたものがいたけど、2011年3月11日の東日本大震災以降は、なるべく外に置かないようにしているので、そのようなものはいなくなったね。
特に気に入ったものは被害に遭わないように、なるべく押入れに入れるようにしているので、身近に置かれる期間は短くなったんだ。そういう意味では、お前は、特に気に入ったものではないが、ありきたりなものでもないということで身近に置かれる期間が長くなったのだろう。
朝顔: 端的に言いますと、私は名品というほどのものではないということですね。
主人: まっ、そういうことだね。名品なら地震の被害に遭わせたくないが、ほどほどの物なら地震の被害に遭っても諦めもつくからね・・・・・。
それはそうとして、お前には、ビッシリといろいろと細かに描き込まれているな~。小さな面積の中によくもこんなに描き込んだものだ、と感心するよ。それでいて、それほど煩雑には感じさせないものね。よほど腕のいい陶画工が描いたんだろうね。
朝顔: それはそれは、お褒めに預かり恐縮です。
主人: 朝顔の蔓なんか、細く繊細なのに、いかにものびやかで、生き生きとしているね。相当に手馴れていないとこうは描けないだろう。一幅の絵を見ているようだよ。
朝顔: 私は食器として使用されていたのでしょうか。
主人: う~ん。あまり使用擦れが見られないところをみると、それほど食器としては使用されなかったのかもしれないな。皿立てに立てて飾り皿として使用されたのかもしれないね。皿立てに立てて飾り皿として、部屋のインテリアとして使用されるようになったのは何時頃から始まったのか、その歴史については知らないが、お前はその要素を十分に備えていると思うよ。
朝顔: 描かれた文様も、季節的に統一されていますね。
主人: そうだね。古伊万里の場合は、案外、季節音痴とでもいうのかな、季節には鈍感で、平気で、春の草花と夏の草花を同時に描いてみたり、春の花と秋の実とを同時に描いてみたりするものね。
その点、お前には夏の朝顔と大きな青々とした芭蕉の葉っぱが描かれているものね。芭蕉の葉っぱが青々とした大きなものになるのは夏だから、夏に統一されているわけだよね。
それに、なかなか写実的だね。朝顔も芭蕉もその他の草花も写実的でリアルだよ。これなら、皿立てに立てて飾っても違和感がないし、十分に鑑賞に堪えられるな。
朝顔: そうですよね。ここまで緻密にビッシリと描かれていますと、食器として使用することにはちゅうちょしますよね。
主人: まっ、お前が作られた当時、お前のような高級なものを食器として使用できた者は、高級武士とか富裕層だったろうから、現代の我々のような貧乏人の感覚とは違ったろうし、その点は何ともいえないね。
やはり、主な用途としては食器として作られたんだろうけれど、鑑賞にも十分に堪えられるので、皿立てに立てて飾られる場合もあった、というところかな。お前はその実例の一つというところなのかな。もっとも、これは、何の根拠もない、私の独断と偏見ではあるがね。
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