Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染付 手付小水注

2024年01月30日 18時20分52秒 | その他の古陶磁

 今回は、「染付 手付小水注」の紹介です。

 

正面(仮定)

 

 

 これは、平成9年(1997)に、今から27年前に地元の骨董屋から買ったものです。

 この頃では、もう、私は、コレクションの対象を古伊万里に特化していて、それ以外の古陶磁は滅多に買わなくなっていたのですが、何の風の吹き回しか、こんな、訳の分らないものを買ってしまったのです(~_~;)

 骨董屋の親爺の言うことにゃ、「これは李朝のものです」とのことでしたが、私としては、「どうかな~。李朝ではないんじゃないかな~」とは思ったのですが、「これは李朝物ではないでしょう」とはっきり言って逆らっても、骨董屋の親爺の機嫌を損ねるだけで、何の特にもなりませんから、それには逆らわず黙っていました(^_^)

 でも、この骨董屋からは、ここのところ暫く買っていなかったものですから、「お付き合いに、そろそろ何か買ってあげなければならないな~」と思っていたやさきでもありましたし、珍しい物でもありましたし、そのうえ無疵の物でもありましたから、買うことにしたわけです。

 骨董には、買う楽しみの他に、「これが、何時、何処で作られたのか」という調べる楽しみもありますから、その楽しみを残しての購入とはなったわけです。

 しかしね~、その後、ちょっと調べたのですが、何時、何処で作られた物なのかがさっぱり分らず、間もなくギブアップとなり、押入れ入りとなってしまいました(><) これを見て、何時、何処で作られたのかをご存知でしたらご教示ください(^-^*)

 

正面から右に約45度回転させた面

岩と松が描かれています。

 

 

正面から左に約45度回転させた面

鹿(?)が描かれています。

 

 

正面から右に約90度回転させた面

注ぎ口の下には草花が描かれています。

 

 

正面の裏側面

 

 

正面の裏側面から右に約45度回転させた面

岩と松が描かれています。

 

 

正面の裏側面から左に約45度回転させた面

鹿(?)が描かれています。

 

 

正面から左に約90度回転させた面

取っ手の下には草花が描かれています。

 

 

上から見た面

 

 

蓋を外して上から見た面

 

 

底面

 

 

生 産 地 : 不明

製作年代: 不明

サ イ ズ : 口径5.5×6.1cm 注ぎ口~取っ手10.2cm 底径4.5×5.0cm 高さ(つまみ部を含む)7.5cm


李朝 白磁碗

2024年01月29日 15時17分21秒 | その他の古陶磁

 今回は、「李朝 白磁碗」の紹介です。

 この白磁碗は、昭和58年(1983年)に、今から41年前に買ったものです。

 ただ、この頃では、もう、私のコレクションの対象は主として古伊万里に向けられてきていて、朝鮮半島のものにはそれほど関心が無くなってきていたのですが、たまに、このような、手の届きそうな、味の良いものに遭遇しますと、ついつい手を出してしまったわけです(~_~;)

 見てのとおり、ちょと小振りで、抹茶茶碗とするには小さ過ぎますし、口縁に窯疵もありますから、利用価値が低いため、売れ残っていたのでしょう。

 でも、「李朝白磁」としてはなかなか良く焼けていますし、参考資料とするには良い材料になるな~と思って買ったわけです。

 そのような、今回紹介しようとしている「李朝 白磁碗」というものは、次のようなものです。

 

 

李朝 白磁碗

 

正面(仮定)

大きさとしては小振りです。口縁に窯疵があります。

 

 

正面の反対面

 

 

見込み面

口縁に窯疵があります。

 

 

口縁の窯疵部分の拡大

 

 

裏面

 

 

高台部分

 

 

生 産 地 : 朝鮮半島

製作年代: 朝鮮王朝時代前期

サ イ ズ : 口径11.0~11.2cm(歪みがあるため) 底径5.1cm 高さ5.0~5.2cm(歪みがあるため)


高麗青磁 輪花形 平茶碗

2024年01月28日 12時04分38秒 | その他の古陶磁

 今回は、「高麗青磁 輪花形 平茶碗」の紹介です。

 これも、昨日紹介しました「伊羅保茶碗」と同じ年の昭和53年(1978年)に、今から46年前に買ったものです。しかも、「伊羅保茶碗」を買った古美術店と同じ古美術店から買ったものです。ただ、「伊羅保茶碗」を買った時から約半年ほど経ってから買っています。

 この頃は、まだ、朝鮮半島で作られた「茶碗」に強い興味があったようです。自分でお茶をするわけではありませんし、それでお茶を飲むわけではないんですが、興味があったのですね。多分、「茶碗」に興味があったというよりは、朝鮮半島で作られた焼物に興味があったのですね、、、。

 ということで、昭和53年(1978年)に、今から46年前に手に入れた「高麗青磁 輪花形 平茶碗」というものは、次のようなものです。ご笑覧ください(^_^)

 

高麗青磁 輪花形 平茶碗

 

正面(仮定)

口縁に2箇所ほどソゲ疵があり、金継ぎ補修が施されています。

 

 

口縁の一部の拡大

口縁に2箇所ほどソゲ疵があり、金継ぎ補修が施されています。

 

 

 

正面の反対面

 

 

見込み面

 

 

裏面

 

 

高台面

 

 

生 産 地 : 朝鮮半島

製作年代: 高麗時代

サ イ ズ : 口径17.0~17.4cm(歪みがあるため) 底径4.6cm 高さ5.2~5.6cm(歪みがあるため)


伊羅保茶碗

2024年01月27日 12時39分03秒 | その他の古陶磁

 今回は、「伊羅保茶碗」の紹介です。

 これは、昭和53年(1978年)に、今から46年前に、買ったものです。

 先日紹介しました「高麗青磁 小皿」を買った1年後ということになりますね。

 当時も、まだ、コレクションの対象を古伊万里に特化していなかった頃で、中国物や朝鮮半島物に関心を寄せていました。

 特に、少々お茶や生花を囓っていた妻の影響を受けてか、朝鮮半島製の抹茶茶碗に興味がありました。

 骨董に関する本を読んでいて、日本の戦国時代には、「井戸茶碗」というような朝鮮半島製の抹茶茶碗は、一国一城にも価するとされていたということを知ったからです。

 まぁ、そんな、戦国時代には一国一城にも価したような抹茶茶碗など、間違っても私のような貧乏人のところにはやって来ないことは分っていたのですが、長屋一軒の所有者には価したかもしれないような抹茶茶碗なら転がり込んでくるかもしれないとは思っていたところです。

 そんなところに転がり込んできた抹茶茶碗というものが、次の「伊羅保茶碗」なわけです。

 ただ、この「伊羅保茶碗」、本当に朝鮮半島で作られたものなのかどうかは分りません(~_~;)

 

 

伊羅保茶碗

 

 

箱に入った状態

 

 

正面(仮定)

口縁は、山道が作られたり、一部がベベラになっていたりと、強い作為が見られます。

また、胴部の右上の方には、二箇所ほど、作為的に施した石ハゼのようなものがみられます。

 

 

正面から右に約90度回転させた面

 

 

正面の反対面

 

 

正面から左に約90度回転させた面

 

 

見込み面

口縁は、山道が作られたり、一部がベベラになっていたりと、強い作為が見られます。

左上方には、作為的に作られたと思われる、火間(ひま)のようなものも見られます。

 

 

底面

 

 

高台面

これまた、兜巾(ときん)渦巻きが作為的に強調されて作出されています。

 

生 産 地 : 不明

製作年代: 不明

サ イ ズ : 口径14.9~15.5cm(歪みがあるため) 底径5.7cm 高さ7.4~8.0cm(歪みがあるため)

 

 

  なお、この「伊羅保茶碗」につきましては、今では閉鎖してしまいました拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところではありあすが、次に、再度、その紹介部分を掲載いたしますので、ご笑覧ください(^_^)

 

 

古伊万里への誘い(H14年3月10日登載記事)

*古伊万里周辺ギャラリー2 伊羅保茶碗流転 (陶説545号;H10・8月号掲載記事と同内容)

 「イラボ茶碗!」。なんと奇妙な発音のことか。それに、その姿たるや、何と表現したらいいのだろう。むしろ、オゾマシイ?

 こんな物が、我が家にも1点紛れ込んでいる。しかも、20年近く逗留しているのだ。

 ところで、古美術品には物語がつきものである。ましてや、茶道具となれば、なおさらのこと。この伊羅保茶碗にも、ごたぶんにもれず、物語がついていた。

 古美術店の店主の話によれば、第二次大戦中のこと、相当に茶心のある夫人が、朝鮮半島から引き揚げる際、タンスの奥に入れて持ち帰ったものであるとのことである。しかし、この茶碗、全く使われた形跡がないのであるから、そんな物語りは、何の根拠もないものであり、うそっぱちにちがいがないものであろう。そんなうそが、まことしやかに伝承されていくところに、物語の物語りたるゆえんがある。

 織田信長とか千利休といったような歴史上の人物にまつわり、更に、それが史実に裏付けられたような物語を有する茶碗などは、めったにないことであり、また、そんなものは絶対に我が家などに逗留することは考えられない。しかし、「相当に茶心のある夫人が朝鮮半島から持ち帰った。」程度の物語ならば、それは、ありそうなことであり、ロマンをかきたてられるではないか。

 奇妙でオゾマシクさえある伊羅保茶碗が我が家に紛れ込んだのは、そんな古美術店の店主の語る物語に主人がつられ、多少のロマンをかきたてられた結果によるものではある。しかし、店主から物語を聞かされる前に、主人が、この伊羅保茶碗を見るや否や、これはすごいと感じたのも事実であった。大ぶりで、口作りは山道でベベラあり、胴には数か所に大小の石はぜ、三か月竹の節高台で、高台内には大ぶりの兜巾(ときん)と、いろいろと約束や見所が揃っていたのである。侘茶を意識し、作意を強く意識した茶碗であった。

 そこまで作意たっぷりだと、わざとらしさを通り越し、一種の完成した美しさを表現する。侘び、寂の真髄を表現するのである。元来が、研ぎ澄まされ、洗練された茶の感覚につちかわれて作られたものである。そこには、むしろ、自然があり、少しも抵抗や反発を感じさせないなにものかを見出すことさえできるのである。

 ただ、ひょんなことから我が家に紛れ込んでしまったこの伊羅保茶碗にとっては、大きな不幸が待っていた。我が家の主人が全く茶などやらず、これからも茶などやる気遣いなどないので、今後とも使用されないことになってしまったからである。主人の気まぐれで購入された茶碗こそ迷惑というものだろうか。

 でも、この伊羅保茶碗にとって救われることは、美術館入りしたわけではなく、主人の気まぐれで、また、どこかへ移転する可能性があることである。かつて、アーグスト・ストロング王が、自国の龍騎兵一個連隊600人と伊万里磁器等151点とを交換した話は有名である。我が家の主人も、今のところ伊万里好きであり、アーグスト・ストロング王のように、好きな伊万里のために、伊羅保茶碗と伊万里とを交換するかもしれない。そうなれば、伊羅保茶碗も晴れて自由の身、運が良ければ、茶人の所に移籍し、たっぷりと、毎日、お茶が飲めるようになるかもしれないのである。

 ところが、我が家の主人、たまに、骨董仲間に伊羅保茶碗を御開帳に及んだときなど、仲間から、えらくほめられ、果ては、譲ってほしいなどと言われるものだから、ますます手離す気持を失ってきている。譲れ譲れと言われれば言われるほど、ますます意固地になって譲りたくなくなるのがコレクターの心理である。そんなわけで、伊羅保茶碗にとっては、まだまだ受難の日々が続きそうだ。当分の間は、茶人の所に移籍し、毎日が喫茶ざんまいとはいくまい。

 ところで、伊羅保茶碗は、何時、何処で作られたのであろうか。本手の多くは、江戸前期に茶人の注文によって朝鮮半島で焼かれたと言われている。また、「隔めい記」の万治3年の記事には、京都で伊羅保を写していると記されているとのことである。

 しかし、我が家の伊羅保茶碗は、江戸前期に遡るほどの古格を感じさせない。したがって、本手ではないだろうし、万治頃に京都で作られたものでもなさそうである。そうであれば、我が家の伊羅保茶碗は、いったい、何時、何処で作られたのであろうか。その後、日本の各地で伊羅保写しが行われているようであるから、結局は、はっきりしたことはわからないということであろう。

 それにしても、作意の強い、一種の完成した美しさを表現する存在感の強い茶碗である。また、いかにも物語を伴いそうな風格を有している。それほどまでの茶碗のことだ、主人の元を離れたならば、いろんな物語を伴いながら、きっと、輝かしい、幸せな茶碗人生を歩むことだろう。


高麗青磁 小皿

2024年01月26日 17時29分16秒 | その他の古陶磁

 この小皿は、昭和52年(1977年)に、今から47年前に、買ったものです。

 古陶磁といえば、何と言っても、朝鮮半島の古陶磁の「李朝」と「高麗青磁」が有名ですよね。

 そこで、古陶磁を勉強するには、先ずは朝鮮半島の古陶磁の「李朝」と「高麗青磁」くらいは手に入れて勉強せねばと思ったわけで、その内で、「李朝」は、とりあえず昭和49年(1974年)に既に2点手に入れていますので、残る「高麗青磁」のほうを 何とか手に入れたいと思ったわけです。

 そうはいっても、けっこう高かったものですから、なかなか手に入らず、結局は、小さな小さな小皿の購入でお茶を濁したというところです(><)

 そんなことで、当時、やっとこさ手に入れた、小さな小さな「高麗青磁 小皿」というものは、次のようなものです。

 

 

高麗青磁 小皿

 

見込み面

時計の針の9時の方角の口縁に窯疵があります。

 

 

側面

歪みが見られます。

 

 

 

底面

 

 

生 産  地: 朝鮮半島

製作年代: 高麗時代

サ イ ズ : 口径13.0cm 底径4.8cm 高さ3.5~3.9cm(歪みがあるため)