Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

伊万里 染錦牡丹唐獅子松竹梅文大皿

2020年06月27日 12時02分09秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染錦牡丹唐獅子松竹梅文大皿」の紹介です。

 これは、先日の6月21日に、いつも行っている古美術品交換会で競り落としてきたものです。

 コロナ明けで、久しぶりでの交換会でした。

 でも、出席者もまぁまぁな人数で、競りにかけられる品物も多くはありませんでした。

 そんなことで、私が関心を寄せる古伊万里の登場も少なかったんですが、そんな中で、ただ1点、この「伊万里 染錦牡丹唐獅子松竹梅文大皿」だけが登場してきたんです。

 それは、見ての通り、特別に名品とか珍品とかいうものではなく、極く普通の、いわゆる元禄手の輸出伊万里です。

 それで、普通なら、特別に関心を寄せるほどのものではないんですが、その時は、暫く古伊万里を買っていませんでしたし、暫く買っていないので軍資金が積み増されていて懐が少し豊かになっていたこともあって、「買ってみるか!」という気になり、槍を入れました(発句が告げられましたので、その額に少し積み上げた額を提示しました)。

 そうしましたら、皆さんも同じような思いでいたのか、だんだんと額が積み上がり、激しい競り合いになってきたではないですか!

 私も、普段なら、「こんなありふれた古伊万里に執着することはないよ!」ということで、あっさりと途中で引き下がるんですが、その時は、「暫く古伊万里を買っていないので、今日は1点ぐらいは買いたいな~」という気持ちが強くなってきたことと、また、懐具合も普段よりも温かかったものですから、「よ~し、負けるものか! 絶対に落としてやる!」という気持ちになってきたんです(^^;

 それで、激しい競り合いの末、遂に落札したという次第です(^-^;

 例によって、前置きが長くなりました。その「伊万里 染錦牡丹唐獅子松竹梅文大皿」というものは、次のようなものです。

 

 

 見込みいっぱいに、牡丹の花と意味不明なものが描かれています。

 皿周辺には、六つの窓枠が描かれ、そこに、松竹梅と3頭の唐獅子が交互に描かれています。

 有名で、ありふれた、唐獅子牡丹と松竹梅が描かれているわけですね。

 見込み部分を拡大しますと、次のようになります。

 

 

 

 

 牡丹の下の方に描かれた意味不明の文様に使われている赤色は、濃い色合いなものですから、一見すると、べたっとした厚塗りと思われてしまいそうですが、良く見ると、そうではないことが分かります。黒っぽく濃い色合いなんですが、意外と薄い塗りなんです。これが、もう少し時代が下がりますと、べたっとした厚塗りになるんですよね。そんな点からも、この皿の製作年代を推定することができますね。

 次に、周辺部分を拡大しますと、次のようになります。

 

松と唐獅子の部分

 

 

竹と唐獅子の部分

 

 

梅と唐獅子の部分

 

 

 裏面は、次のようになっています。

 典型的なヨーロッパ向け輸出伊万里の特徴を具えています。

 

 

 

 

高台内の拡大画像

 

 

周辺に描かれた折れ枝文の拡大画像

 

 

製作年代: 江戸時代中期(元禄~享保)

サ イ ズ : 口径;27.0cm  高台径;13.4cm


伊万里 染付松竹梅文天目茶碗

2020年06月26日 17時23分29秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付松竹梅文天目茶碗」の紹介です。

 皆さん、伊万里の「天目茶碗」って何? と思うでしょうね(笑)。

 これは、先日の6月21日に、我が家の近くの田舎の骨董市で買ってきたものなんです。その時、これを売っていた店では「伊万里 天目茶碗」と表示して売っていましたので、そのままの表示としました(^^;

 私も、「伊万里 天目茶碗」などと聞いたこともない名称ですから、店主に、「伊万里 天目茶碗」って何ですか、と聞いてみました。

 そうしましたら、店主は、「時代劇などによく出てくるでしょう。例えば、大岡越前守などにお茶を出す際は、湯呑み茶碗に蓋をして茶托に載せて出すのではなく、天目台に載せたうえで蓋をして出しているでしょう。それを思い出してください。ですから、これは、普通のコロ茶碗とは全然違うんですよ。だいたい、大きさが違うでしょう。上手ですしね」と返答しました。

 骨董好きは、このような能書きは大好きです(^-^;

 「なるほど」とその返答を気に入り、さっそく購入に及んだわけです(^-^;

 

伊万里 染付松竹梅文天目茶碗 一対

梅松文の立面

         茶椀A(左)           茶碗B(右)

 

 

竹文の立面

        茶椀A(左)           茶碗B(右)

 

 

見込み面

         茶椀A(左)           茶碗B(右)

 

 

梅松文の底面

         茶椀A(左)           茶碗B(右)

 

 

竹文の底面

         茶椀A(左)           茶碗B(右)

 

 

茶碗Aの梅松文の立面

 

 

茶碗Aの竹文の立面

 

 

茶碗Aの梅松文の底面

 

 

茶碗Aの竹文の底面

 

 

茶碗Bの梅松文の立面

 

 

茶碗Bの竹文の立面

 

 

茶碗Bの梅松文の底面

 

 

茶碗Bの竹文の底面

 

 

 この茶碗の画像での紹介は以上のとりですが、いったい、この「伊万里 染付松竹梅文天目茶碗」は、何時、何処で作られたのでしょうか。手持ちの資料で、ちょっと調べてみました。

 ヒントは、この茶碗の見込み底面に描かれた文様にあります。

 

茶碗Aの見込み底面に描かれた文様

 

 

茶碗Bの見込み底面に描かれた文様

 

 

 茶碗A,Bともに、虫のような文様が描かれていますね。

 これについては、「柴田コレクションⅣ」(佐賀県立九州陶磁文化館発行)のP.279に「・・・碗や蕎麦猪口の見込みによく用いられている文様である。蕎麦猪口のように狭くて深い器形には、単純で線描きを主とする文様が描きやすい。・・・1780~1810年代の蕎麦猪口に多用されている。」と書かれています。

そして、その文様として示されているのは、次のような文様です。  

 

「柴田コレクションⅣ」から転載

 

 

 全く同じとは言えませんが、茶碗Bの見込み底面に描かれた文様によく似ていますよね。また、上の画像の「図320」というものは、次のような蕎麦猪口です。

 

 

「柴田コレクションⅣ」から転載

 

 

 この茶碗Bの見込み底面に描かれた文様は、このような蕎麦猪口の見込み底面にも描かれてることがわかります。

 また、このような器は、何処で作られていたかですが、「肥前陶磁史考」(中島浩氣著 青潮社 昭和11年発行)(昭和60年復刻版)の「古伊万里銘(二)」の中に、次のような紹介があります。

 

 

上南川原樋口窯 

(「肥前陶磁史考」から転載)

 

 

 これまた、上の画像の上方に載っている文様は、この茶碗Bの見込み底面に描かれた文様に似ていますよね。

 以上のことから考えて、茶碗Bは、江戸時代の後期の1780~1810年代に、有田の上南川原樋口窯で作られたものと思われます。

 また、茶碗Aの見込み底面に描かれた文様も、茶碗Bの見込み底面に描かれた文様とかなり類似していますので、茶碗Aも、茶碗Bと同様、江戸時代後期の1780~1810年代に、有田の上南川原樋口窯で作られたものと思われます。

 

 

製作年代: 江戸時代後期(1780~1810年代)

製 作 窯 : 有田上南川原樋口窯

サ イ ズ  :

   茶碗A……口径;8.5cm  高さ;5.7cm  高台径;3,4cm

   茶碗B……口径;8.5cm  高さ;5.5cm  高台径;3.4cm


迷品(?)の「伊万里 錆釉染付鷺文変形小皿」

2020年06月23日 16時27分16秒 | 古伊万里

 今回は、一昨日、骨董市で買ってきた「伊万里 錆釉染付鷺文変形小皿」の紹介です。

 一昨日、この小皿を手に入れた時は、「これは名品を手に入れた!」と有頂天になり、天にも昇る心地で、この小皿の紹介を楽しみにしていました。

 ところが、昨日、この小皿をこのブログで紹介するに当たり、その準備のために、少々ネットで調べものをすることにしました。最近では、いちいち本で調べるのが億劫になり、ちょっとしたことはネットの調査で済ませてしまっています(-_-;)

 それで、「吸坂焼」で検索して調べていまいたら、これから紹介しようとしている「伊万里 錆釉染付鷺文変形小皿」に似た小皿が、激安で売られていることを発見したんです(@_@)

 「ええっ、、、???」の思いでした!!!

 この小皿は、昔は名品と言われていたんです。その激安の値段では、昔の値段から比べると、まるで偽物扱いの値段です!

 もちろん、私が一昨日に買ってきた値段よりもはるかに安いんです(-_-;)

 それを知って、私の頭の中は、一瞬、真っ白になりました。パニックです!

 その現実を、どう捉えていいのか分からなくなりました。

 「やられたか、、、!」の思いでした(><)

 つい最近でも、4カ月ほど前の2月に、幕末の「伊万里染付魚文中皿」を買ってきたんですが、結局、それは伊万里ではなく、中国清朝中期の景徳鎮民窯で作られた「青花釉裏紅魚文中皿」だったことを知ったばかりです(-_-;)

 最近、老化とともに視力も落ち、それにともなって鑑識眼も落ちてきていることを痛感しているところです。「またもやられたか!」の思いが先走りました(><)

 それで、がっかりし、気力も衰え、この小皿の紹介も止めようと思ったところです。まさに、天国から地獄への転落です!

 

 しかし、一日経った今日は、気持ちも少しは落ち着きました。

 少し冷静になったところで、この出来事を整理してみたいと思います。

① ネットで安く売られていた小皿は、全くの偽物か

 画像で見る限りは、昨今作られた全くの偽物とも思えない。

② ネットで安く売られていた小皿は、なぜそんなに安かったのか

 たまたま安く落札出来たのかもしれない。落札者は掘り出しだったのかもしれない。

③ 吸坂手は、今では人気がないのか

 吸坂手は、古九谷から転落してしまい、今では人気が無くなり、名品ではなくなってしまい、値段も激安になってしまったのかもしれない。

 

 以上のことから考え、

① この小皿のような吸坂手は、以前は、石川県江沼郡吸坂村(現:石川県加賀市吸坂町)(大聖寺の東北約2kmの丘陵地)で焼成されたものとされ、古九谷の一種とされ、非常に数も少なく、貴重なものとされ、値段も高かった。

② ところが、最近の研究の結果、吸坂手は、石川県の吸坂村で作られたのではなく、有田の窯で作られていたことが分かった。それにともない、市場に数も多く登場するようになってきた。値段も安くなってしまった。

ということになるのではないかと思います。

 

 結局、この小皿が、真っ赤な偽物なのか、名品なのか、或いは迷品になるのかは分かりませんが、このような状況にあることをそのまま付け加え、一応、紹介だけはしようと思います。

 なお、この小皿は、以前は「古九谷吸坂手鷺文変形小皿」と称されてきましたが、現在では、「伊万里錆釉染付鷺文変形小皿」と称されています。

 

 

表面

 

 

表面の鷺部分の拡大

 

 

裏面

 

 

側面

 

 

製作年代: 江戸時代前期(1630~1650年代)(但し、本物ならば

サ イ ズ : 口径;15.1×12.5cm  高さ;2.3cm  高台径;10.4×8.0cm 


キュウリの初収穫

2020年06月23日 09時27分26秒 | その他の日記

 今朝は、キュウリの初収穫をしました。

 今年も、家の東側にグリーンカーテンを作るため、キュウリの苗2本とゴーヤの苗2本を植えたところです。

 それらが、今年も順調に育ち、今朝は、キュウリを2本収穫出来るほどになったんです(^-^;

 昨年は、窓から身を乗り出して初収穫出来たんですが、今年はちょっと窓から離れた場所に実ったものですから、身を乗り出し過ぎて窓から転落して怪我をしてもつまらないですので、一旦庭に下り、地面を伝っていって収穫しました(^^;

 まだ、グリーンカーテンにはなっていませんが、これから、梅雨があけ、真夏になる頃には、キュウリが茂り、次いでゴーヤが茂って、立派なグリーンカーテンになってくれることでしょう(^-^;

 なお、キュウリは、家庭菜園に種を蒔いたものが育っていますので、この家の東側のキュウリの収穫が盛りを過ぎた頃にそれが実り出します。そうなりますと、凄い量が生り出し、採りに行くのも、それを処理するのも大変になってきます(-_-;)


骨董市と古美術品交換会

2020年06月21日 20時29分10秒 | 骨董市など

 今日は、久しぶりでの「骨董市と古美術品交換会」の日でした。

 前回行ったのは2月16日のことでした。その後、3月は退院直後だったので行くのを見合わせましたし、それからは、4月と5月はコロナ騒ぎで骨董市も古美術品交換会も休みでしたから、実に4カ月ぶりになります。

 今日は梅雨の合間の晴れ間で良いお天気ですし、また、少し肌寒いほどのさわやかなお天気で、絶好の骨董日和でした(^-^;

 しかし、外出自粛が解禁とはなったものの、しきりに、「不要不急の外出は控えるように」と盛んに喧伝されていますので、ちょっぴり後ろめたい気分での出発です(-_-;)

 

 例によって、まずは、骨董市へ!

 骨董市は結構な人出で賑わっていました。ほぼ、これまで通りという状況でした。否、出店業者さん達には、久しぶりでの出店なので、いつもよりも活気が感じられました。

 会場に入って、間もなく、名品と遭遇です(^O^)

 「古九谷吸坂手鷺文変形小皿」があるではないですか!

 さっそく値段を聞いてみますと、今日の所持金で十分に買える値段です(^-^;

 いつもの癖で(?)、若干なりともディスカウントしてくれないかとジャブを入れます。ところが、店主は、今日は、どうも、それに乗って来ません。ビタ壱文ディスカウントはしないという態度です(-_-;)

 おかしいなと思いましたら、どうやら、先客がいて、その先客もこの「古九谷吸坂手鷺文変形小皿」を狙っているような感じなんですね。それで、店主も強気になっていて、安く売り急ぐことはないと思っているように感じられたんです。

 ここで決裂しては「トンビにあぶらげさらわれる」結果を招きますから、ここは、すんなりと、店主の言い値で買うことに、、、。

 こちらも、今日は、暫く古伊万里を買っていないので軍資金も繰り越されて普段よりは多くなっていますので気が大きくなっているんです。そんなことで、久しぶりに、ディスカウントなしで、店主の言い値で買うことになりました。

 

 満足して、会場内をぶらぶらしていましたら、今度は、「伊万里染付天目茶碗」と表示してある古伊万里に遭遇です!

 「伊万里染付天目茶碗」って何だろうと気になります。聞いたことがないですから、、、。

 そこで、店主に尋ねましたら、「これは、その辺にあるコロ茶碗とは違いますよ。大きさが違うでしょう。これは、よく時代劇などに出てきますから、それを思い出してくれれば分かるでしょうけれど、天目台に乗せられ、そこにお茶が入れられ、蓋をして出されるものなんです」との返答。

 骨董好きは、このような能書きが好きなんです(^-^;

 なるほど、と気に入り、購入決定です(^-^;

 

 古伊万里を2点ゲットし、満足しましたので、次なる古美術品交換会会場へと向かいます。

 古美術品交換会会場は屋内ですから、「三密」になりますので、これまでとは様相が違います。

 マスクを着用し、入口で手指の消毒をして会場に入ります。部屋の窓は開放です。また、「三密」時間を短くする意味も込め、昼食は無しにしてスピードアップを図っての会の進行です。

 出席者は、普段通りの人数で、競りに掛けられる品物も普段と同じくらいの数でした。

 それで、古伊万里も、それほど良い物は登場してきませんでした(-_-;)

 でも、そうしたなかでも、1点、まぁまぁなものが登場しました。

 それは、元禄輸出手のよく在る「伊万里染錦大皿」でした。

 そこで、今日は、普段よりも、軍資金が若干豊富だったものですから、槍を入れてみました(発句に対して、その額以上の値段で買う旨の意思表示をしたわけです)。

 そうしましたら、意外と、激しい競りになってきたではないですか! 

 軍資金の乏しい普段でしたら、「なんだ、これは。平凡な、ありきたりな物ではないか。特別、無理して買うこともないか」と、途中で降りるところですが、今日は、チョッピリ、軍資金が豊富です(笑)。

 そこで、気が大きくなり、「よ~し、負けるものか! 是非にでも競り落としてやる!」と、気力がみなぎり(笑)、激しい競り合いのすえ、とうとう落札してしまいました(-_-;)

 

 スピードをアップして進行させたためもあり、昼前に会は終わりました。

 ただ、今日は、帰りに、「一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)」に立ち寄って帰宅する予定をたてていましたので、途中、昼食を摂りながら、一路、「一言主神社」へと向かいました。

 実は、「一言主神社」には、1月20日の「骨董市と古美術品交換会」の日の帰りにも立ち寄っているんです。その時は、近く、胃癌の手術を受けことになっていましたので、無事、手術が成功しますようにと、「病気平癒」のお守りを授かるために立ち寄っているんです。

 そこで、その時授かったお守りを手術の際には枕の下に置いてもらい、お守りに守られ、無事、手術も成功し、元気になりましたので、今日は、そのお礼参りに立ち寄ったわけです。

 

 

本殿前には「茅の輪」が飾ってありました。

 

 

「茅の輪」の左側に立っていた看板

 

 

 ということで、病気平癒のお礼参りをし、ついでに、看板に書かれていた「茅の輪」くぐりの方式にのっとり、これからの残り半年の無病息災を願って「茅の輪」をくぐって、帰宅してきました。

 

 なお、今日手に入れた、「古九谷吸坂手鷺文変形小皿」、「伊万里染付天目茶碗」及び「伊万里染錦大皿」の3点につきましては、近日中に紹介する予定です。