Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染錦 二分割 花とすだれ文 デミタスカップセット

2021年01月31日 11時59分13秒 | 古伊万里

 今回は、「染錦 二分割 花とすだれ文 デミタスカップセット」の紹介です。

 これは、平成2年に買ってきました。

 デミタスカップセットもこれまでに5組購入したところです(それらは、それぞれ、2021年1月8日、1月23日、1月25日には各1セットずつ紹介し、1月26日には2セットまとめて紹介したところです)。

 それで、もう、いささか食傷気味ではあったんですが、今回は、これまでにはない、ちょっと変わったタイプのものに遭遇しましたので購入に及んだものです(~_~;) 

 コレクターというものは、そんな、ちょっと変わったものとか、珍しいものには弱いんですよね(><)

 それは、これまで集めたデミタスカップセットは、全部、器面を三分割して文様が描かれているんですが、これは、器面を二分割して文様が描かれていたからです。デミタスカップは、器面を三分割して文様が描かれている場合が多いんですよね。ですから、これは、ちょっと珍しいものに分類されるわけですね。

 そんなわけで、6個目のデミタスカップセットとして買ってきたというものは、次のようなものです。

 

 

立面

カップもソーサーも器面を二分割して文様が描かれています。

 

 

カップをソーサーから外したところ

 

 

カップをソーサーから外し、それぞれを伏せたところ

 

 

カップの立面(1)

 

 

カップの立面(2)

カップの立面(1)を右に45度回転させた面

 

 

カップの見込み面

 

 

カップの底面(1)

 

 

カップの底面(2)

カップの底面(1)を左に45度回転させた面

 

 

ソーサーの表面

 

 

ソーサーの裏面

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : カップ ……口径;6.3cm  高さ;3.5cm  底径;2.7cm

      ソーサー…口径;11.0cm  高さ;2.1cm  底径;5.9cm


色絵 蝶文 小皿

2021年01月30日 14時09分29秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 蝶文 小皿」の紹介です。

 これも、平成元年に東京の古美術店から買ってきたものです。しかも、前回紹介しました「色絵 山水文 扇面形小皿」と一緒に、同じ日に、同じ店から買ってきたものです。

 

表面

下の方に焼継ぎの補修がしてあります。

 

 

表面下部の焼継ぎ補修箇所の拡大画像

 

 

裏面

上の方に焼継ぎの補修がしてあります。

(補修箇所は、表面の補修箇所と同じ場所です)

 

 

裏面上部の焼継ぎ補修箇所の拡大画像

 

 

高台内銘款(?)の拡大画像

 

 

生 産  地: 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期

サ  イズ : 口径;14.5cm  底径;8.9cm

 

 

 この小皿は、大変に薄作りです。そのせいもあってか、口縁の一部が割れてしまい、そこが焼継ぎで補修されています。

 最近、知ったことですが、焼継ぎの職人が焼継ぎの補修をした場合、焼継ぎ職人は、硝子で自分の屋号を書いて残す習慣があるということらしいですね。

 ところで、この小皿の高台内には、「吉村」と読める文字が書かれています。それについては、以前から、いったい、どのような意味があるのか悩んでいました(~_~;) これは、窯元の窯印なのか、或いは、注文主の名前を書いたものなのかと、、、。

 それで、今回、これは、ひょっとして、この小皿の焼継ぎ補修を行った焼継ぎ職人の屋号だったのだろうかと考えてみました。

 しかし、どうも、そうではないように思いました(~_~;) というのは、この焼継ぎの補修の仕方が下手ですよね。職人ならもっと上手なはずですよね。職人として、自分のやった仕事に自信をもって自分の屋号を残すような仕事ではないように思うからです。こんな仕事では、恥ずかしくて、自分の屋号など残せないでしょう。それに、これは、硝子で書いてありませんね。

 そんなことから、これは、焼継ぎ職人の屋号ではないと思ったわけです。そうしましと、また、「いったい、この高台内の「吉村」という意味は何なのか」という疑問が残りました。

 

 それはともかく、この小皿につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中でも紹介していますので、次に、それを紹介し、この小皿の紹介に代えさせていただきます。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー113 古九谷様式色絵蝶文小皿 (平成19年9月1日登載)

 

 見込みいっぱいに蝶一匹を描いた大胆な構図である。

 初期伊万里にはよく蝶文が登場する。中国の古染付にもよく登場する。
 伊万里が古染付をお手本としてスタートしたことを証明する材料の一つといえよう。
 この小皿も、その延長線上にあるのではないだろうか。

 伊万里は常に中国磁器に憧れていたのである。

 だから、伊万里の場合は、自然の蝶をデッサンして描いたのではないと思えるのであり、この小皿の場合も同様であろう。

 ところで、この小皿の素地は、見込みが蛇の目状に釉剥ぎされている。ということは、釉剥ぎされた部分にどんどん積み重ねていって焼かれていたことがわかる。つまり、一枚一枚が丁寧に焼かれたのではなく、積み重ねて焼かれた量産品であることが分かるのである。

 なお、蛇の目釉剥ぎの技法は、中国磁器には見られるが、朝鮮王朝磁器には見られないとのこと。
 ここにも、中国の影響を見てとることが出来るのである。

 

江戸時代前期    口径:14.5cm   高台径:8.9cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌51 古伊万里との対話 (蝶文の小皿)   (平成19年8月筆)

登場人物
 主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
 蝶 子 (古九谷様式色絵蝶文小皿)

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 昔から、夏風邪はバカしかひかないとか、、、、、。
 ところが、主人は、先日、高熱を出し、遂に病院に行くはめに陥った。病名は「急性気管支炎」とのこと。
 主人が夏風邪をひくようになったのも、老化が進んでバカになったからだろうか、、、、、。
 もっとも、この夏は特に暑く、クーラーの付いているフェレットのチャチャの部屋に布団を持ち込んでお泊りしたりしていたので、のどや鼻の粘膜の抵抗力が弱り、風邪ウィルスに侵入されてしまったのかもしれない。
 二日ほどは高熱に悩まされて安静にしていたが、三日目からは動き出したようである。
 そんなこともあって、今回の対話にも、どうも意欲が湧いてこないようではあったが、押入れから適当に小皿を引っ張り出してきては対話をはじめた。

 

主人: これは私の最近の口癖になってしまったが、「いや~暫くだね!」。

蝶子: はい。お久しぶりです。

主人: ところで、「押入れ帳」を見ていて気付いたんだけど、前回対話した扇面形の小皿とお前とは、東京の店から同じ日に来ているんだよね。つまり、私は、同じ店から同じ日に二点買ってきたわけだ。

蝶子: ご主人は、そんなに所持金があったんですか?

主人: そうなんだ。二点では結構な金額だし、二点をまとめて買うほどの所持金はなかったと思う。それで、どうして支払ったのかな~と今思い出しているんだが、よく思い出せないんだ。たぶん、後日、銀行振込みで支払ったんだと思う。

蝶子: お金を払わないでも持ち帰ることが出来たんですか。ご主人は相当に信用があったんですね。

主人: その店とは結構長い付き合いだからね。信用されるようになっていたんだね。それにしても、田舎者の住所も名前も知らない者を、東京の店の人がよくぞ信用してくれたと思うよ。骨董というものにはそんな所もあるな。もっとも、私の方だって、その店の主人の鑑識眼を信用し、主人の薦める物をわりと素直に受け入れてきていたからね。主人としても嬉しかったんだろうね。そんなこんなで、お互いの信頼関係が築かれてきたんだと思う。
 ところで、骨董というのは、最初の頃は、しっかりとした業者の方のしっかりとした鑑識眼を信じて購入しながら勉強していかなければ上達しないのではないかと思うね。最近では、ネットオークションなどで購入する者が増えてきているけど、初心者は、いつまでもそれだけにとらわれていてはいけないと思う。だって、何が真で、どんなものが優品なのかを判別する訓練を受けてないわけだものね。鑑識眼は天性のものかもしれないけど、ある程度の訓練は必要と思う。

蝶子: ご主人が私を購入しましたのは平成元年なわけですが、その頃、私のような“手”を多く購入されているんですか?

主人: まっ、多いというほどではないが、平成元年前後には、比較的に、ポツリポツリと手に入れているな。
 古九谷伊万里説がだんだんと浸透するに従い、古九谷様式のものが市場に多く出回ってきたように思う。
 「古九谷」が九谷焼の古いものではないということになるにつれて、「古九谷」が多く市場に出回るようになってきたわけだ。どうしてなんだろうね。「古九谷」が否定されるに従い、所蔵者に嫌気がさし、市場に投げ売りされるようになったからだろうか? 「古九谷」の権威も落ちてきて、市場に出回る数も多くなったので値段も随分と安くなったわけだね。
 「古九谷」が九谷で作られたものではないとなると、では一体どこで作られたのかとなるわけだ。伊万里焼だとしても、赤絵は柿右衛門が作り出したものだから、柿右衛門様式のものが一番古いことになっているので、伊万里焼にはそれ以上に古い赤絵などはないことになるわけで、それでは一体「古九谷」はどこで作られたものなのかということになるわけだ。その後、伊万里焼の一番古い赤絵は柿右衛門様式のものではなく古九谷様式のものということになってきたので、「古九谷」は伊万里焼の古い赤絵ということになった。「古九谷」もやっと安住の地を得たわけだ。
 そんな事情から、古九谷様式のものが当時出回ってきたので、ポツリポツリと手に入れることが出来たわけだよ。

蝶子: ご主人は巡り合わせが良かったんですね。

主人: 「古九谷」にとっては不運の時代だったろうね。でも私にとっては幸運の時代だったわけだ。でもね、「古九谷は古伊万里だ!」という強い信念があったからこそ入手できたんだと思う。

 

 

 

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<追記>(令和3年2月1日)

「この小皿の銘款(?)について」

 この小皿の高台内には、上の「高台内銘款(?)の拡大画像」から分かりますように、何やら、文字のようなものが書かれています。

 買った当座は、これは「壽」という文字なのだろうか?、或いは「壽」を略した「寿」という文字なのだろうか?と悩んでいました。また、これは、「銘款」なのだろうか?とも悩んでいました。

 しかし、それらを調べるだけの資料も持ち合わせてなかったこともあり、何時の間にか、その疑問も、そのままになってしまいました(~_~;)

 そして、その後も、その疑問を調べることなく、その疑問はそのままにして、その疑問は伏せたままで、「古伊万里への誘い」の中で、この小皿を紹介したところです。

 今回、再度、この小皿を紹介するにあたっては、また、その疑問が頭をよぎりました。しかし、やはり、調べるだけの資料も不足していますし、また、調べるのも面倒になり、今度は、敢えて、「吉村」と書いてあるということにして、問題提起の意味も込めて紹介したところです。

 また、それを、このブログだけではなく、インスタグラムでも紹介いたしました。

 そうしましたら、インスタグラムでこの小皿を見た方から、「これは、『吉村』ではなく、『寿』ではないでしょうか」とのコメントが寄せられました。

 そのコメントに接し、やはり、これは、「吉村」ではなく、「壽」か「寿」の文字で、銘款なのだろうと思うようになりました。

 そこで、乏しい手持ちの資料を使って調べてみることにしました。

 その資料は、佐賀県立九州陶磁文化館発行の「柴田コレクションⅣ」(平成7年発行)です。

 その巻末のほうに、鈴田由紀夫氏(現:佐賀県立九州陶磁文化館館長)が、「17世紀末から19世紀中葉の銘款と見込み文様」という論文を載せています。

 そこには、

 

 有田の磁器に銘款が入るようになるのは、1630年代からであり、・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・⑥は上絵付の銘款であり、黒の線書きのあと緑色で塗られている。銘款の描き方は、一般的には染付でなされ、このような上絵付による銘款は少なく、文様としての要素が強い。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                                     

 

と書いてありました。

 伊万里の銘款には、色絵の「壽」の文字のようなものもあったんですね。そうであれば、「寿」の文字のようなものもあったであろうことは容易に想像できるところです。

 以上のことから、この小皿の高台内に描かれた文字のようなものは、やはり、「壽」か「寿」の文字を意識して描いた銘款であったとみてもいいように思うようになりました(^-^*)

 また、上の⑥の上絵付の銘款は1700~1730年代に登場するものですが、この小皿は、これよりもず~と早い1650年代前後に作られたものと思われますので、この小皿の銘款は同じく上絵付の銘款でもありますし、⑥の上絵付の銘款の嚆矢となるのではないかと思われます。


色絵 山水文 扇面形小皿

2021年01月29日 17時59分01秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 山水文 扇面形小皿」の紹介です。

 

表面

 

 

裏面

 

生 産  地: 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期

サ イ  ズ: 表面……上部の長さ;16.7cm  下部の長さ;8.7cm  幅;8.7cm

      底面……上部の長さ;9.7cm  下部の長さ;6.5cm  幅;4.9cm

 

 

 これは、平成元年に、東京の古美術店から買ってきたものです。

 ご覧のとおり、薄汚い感じのもので、一般の方からは、どうしてこんな汚らしいものを買ってきたのかと、軽蔑のまなざしで見られそうです(~_~;)

 でも、確かに、これは、一般うけはしませんが、見る人が見れば、その良さが分かるんですよ。いわば、これは、通好みとか、玄人好みといわれるものになるかと思います。

 例えば、こんなことがあったことから、そのことは証明されるかと思うんです。

 それは、この小皿を買ってからの帰り道のことでした。これまで入ったことのない或る私立の美術館の前を通りかかった際、少し時間の余裕もありましたので、「ちょっと立ち寄ってみるか」と思いたち、立ち寄って展示品を観ていましたら、ほんの少し前に買ってきたばかりのこの小皿と同じ物が展示されていることを発見したんです!

 この小皿にまつわる以上のようなエピソードは、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介していますので、次に、そのエピソードなどを書いた部分を転載し、この小皿の紹介とさせていただきます。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー112 古九谷様式色絵山水文扇面形小皿(平成19年8月1日登載)

 これはまた見栄えのしない小皿ではある。

 源氏雲の左下側に描かれた文様は、使用擦れがひどく、松の文様が描かれていることはわかるが、全体としては何が描かれているのかよくわからない。とりあえず、山水文が描かれているのかな~と思い、「色絵山水文」としてみた。

 素地は初期伊万里用のものを使用し、それに色を付加している。いかにも初期の頃の色絵を思わせる。素地が純白ではないため、鮮やかな赤は似合わないので、使用されている赤も、赤なのか茶色なのかよくわからない。このような素地には寒色系の色絵が似合うようだ。

 その後、失透した純白の素地が開発され、それに明るい赤を主体とした色絵が施され、さかんに海外に輸出されるようになったようである。

 この小皿は、そうした海外輸出がさかんに行われるようになった時よりも前に作られたものと思われる。

 もっとも、この小皿の高台は、円形ではなく、器形に合わせた付け高台になっているので、最初期のものとは思えない。或いは、失透した純白の素地が開発された後に、国内需要用に作られたものなのかもしれない。
 いずれにしても、かなり古いものであることは確かである。

 

江戸時代前期   上部の長さ:16.7cm  下部の長さ:8.7cm  幅:8.7cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌50 古伊万里との対話(扇面形の小皿)(平成19年7月筆)

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  扇 子 (古九谷様式色絵山水文扇面形小皿)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、遂に、先日、新しいパソコンを買ってきた。
 本当は、パソコンを新しくした場合、果して、新しいパソコンからホームページを更新することが出来るようになれるのかについて全く自信がなく、そのことを考えると頭が痛くなり、これまで、新しいパソコンの導入を延期していたのである。
 しかし、セキュリティソフト会社から、「現在使用中のパソコンのOSのサポートが7月11日に切れます。ついては、それ以降についてはセキュリティについての保障が出来かねます。早急に新しいOSのパソコンにしてください。」という旨のメールが届き、やっと重い腰をあげ、セキュリティの切れる直前の7月9日に買ってきたわけである。
 その後、小さく貧弱な容量の脳ミソを目いっぱいに酷使し、回線がオーバーヒートして「プッツン」になる寸前でなんとかパソコンの引越しを終了させ、今月のアップを新しいパソコンで行うことが出来るようになった。
 今回も、前回に引続き、当時(平成元年に)買ってきた小皿を押入れから引っ張り出してきて対話をはじめた。

 

主人: お前は何時見ても薄汚いな~!

扇子: 最初からその挨拶はないでしょう! 私だって、自分で好き好んで薄汚くなったわけではないんです(プンプン)。

主人: いや~悪い、悪い。ついつい本音が出てしまったかな。「親しい仲にも礼儀あり」とか。言葉には注意しなければいけないかな。
 でもね、客観的に見ると、どうしてもそう見えちゃうんだよね。普通の人にはそう見えると思うよ。それに、古伊万里に興味のない人なんて、「なんて汚らしいんだろう。これのどこが良いんだろう」と言うと思うよ。
 お前は、いわば、通好みの美しさとか、玄人好みの美しさというものを備えているんだろうね。分かる人には分かるんだよ。

扇子: そう言っていただけますと、少しは気持ちも静まります。でも、特定のひとからだけでなく、多くの人々から「美しい」と言われたいです。

主人: それは理想だろうけどね、、、、、。
 でもね、そんな一見薄汚く見えるお前の美を理解出来る者は、私だけではないよ。実は、こんなことがあったんだ。
 お前を買った日のことなんだが、お前をバッグに入れて東京の街をうろついていた時、或る私立の美術館が目に留まった。その美術館には未だ入ったことがなかったので、ちょと時間的に余裕があったこともあり、入ってみることにした。その美術館では常設展だったのか特別展だったのかは忘れてしまったが、けっこうな数の古伊万里も展示してあったのを覚えているな。
 順番に見ていった時のことだ。「アレッ!」と思ったよ。ちょっと前に買ったばかりのお前と同じ物が展示してあったんだ!勿論、美術館に展示するくらいだから、お前よりはずーっと保存状態も良かったし無傷だった。それに3枚を連続させて展示していたので半円形の形になっていた。なるほど、お前を1枚だけで見てるとわからないが、お前のようなものは、本来は連続させて使うものなんだなとその時初めて知ったよ。3枚繋げれば半円形だし、6枚繋げれば円形になるわけだ。

扇子: そうですか。私と同じものが美術館に展示されていたんですか! 

主人: そうだ。だから自信を持ってもいいぞ! 薄汚いナリはしていても、その奥の美しさを、分かる者には分かるんだ。
 美なんてものはそんなものだろう。ちょっと見に華やかで美しいものばかいが美ではないだろう。ちょと見には薄汚くても、じわ~っと訴えてくるものもあるわけだ。そういうものに気付くことは美の発見ではないだろうか。また、それは美の創造と言えないこともないな。 (今回は、また、ずいぶんと大きなことを言ってるな~との声あり。汚らしい物を買った直後にたまたまそれが美術館に展示されていることを知ったわけだけれど、それだってマグレだったのではないの~との声あり。)


色絵 丸文 小皿

2021年01月28日 12時22分31秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 丸文 小皿」の紹介です。

 これは、平成元年に、東京の古美術店から買ってきたものです。

 当時は、それまで「古九谷」と言われてきたものが、実は有田産であったらしいという見解が浸透してきて、古美術界は混乱し、この手の物は、「いったい、何処の生まれなの!」ということになり、国籍不明の存在となってきていました(~_~;)

 それで、これまで「古九谷」と言われてきたものが、随分と値崩れをおこしてきたわけです。

 私は、「古九谷」は有田産であることを信じていましたので、古伊万里好き(=有田産好き)としては、これを絶好の機会と捉え、この手の物を出来るだけ買うことにしたわけです。

 しかし、結果は、貧乏コレクターの悲しさ、それほどの数は集まりませんでした(><)

 というのも、「古九谷」が値崩れしたといっても、暴落はしなかったからです。この小皿にしたって、流石に、それまでの「古九谷」ほどの値段ではありませんでしたが、大傷があるにもかかわらず、今から考えたら、びっくりするほどの値段だったんです(~_~;)

 

表面

 

 

表面の上部分の拡大

 

 

表面の下部分の拡大

 

 

裏面

 

 

裏面の上部分の拡大

 

 

裏面の下部分の拡大

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期

サ  イズ : 口径;15.2cm  高さ;3.0~3.3cm  底径;8.8cm

 

 

 なお、この小皿につきましては、既に、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中でも紹介していますので、次に、その紹介文も再度掲載いたします。

 

 

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       <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー46 古九谷様式丸文小皿 (平成14年10月1日登載)

 

 我が家には傷物が多い。磁器の場合、傷を嫌う。従って磁器の傷物は値段も相当に下がるのである。貧乏コレクターにとっては、そこが付け目で(?)、そんなのばかり狙っているからなのだ。

 それにしてもこの傷の程度はどうだ! 我が家でも横綱級の傷である。我が家だけでなく、世間一般においてもそうであろう。よくもまあ、捨てられもせずに残ったものよと感心する。

 ここまで補修されると、補修そのものが文様となり、生まれた時からそうだったのかなーと、一瞬錯覚する。補修が不自然さを通り越し、自然と一体化し、自然そのものになるのである。

 何事も、大胆さは新しいものを生み出し、その生み出されたものはまた自然と化していく。新しい美の創造とはそんなものなのだろうか? この大傷の皿を見ていると、ふと、そんなことを考えてしまう。

 

      江戸時代前期    口径:15.2cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌10 古九谷様式三題 (平成14年9月筆) 

    

登場人物
  主人  (田舎の平凡なサラリーマン)
  谷平  (古九谷様式色絵沢瀉文大皿)
  谷男  (古九谷様式色絵丸文小皿)
  谷子  (古九谷様式色絵兎文盃)

         <登場人物中の「谷平」と「谷子」の画像は省略しました>

(画像省略)      (画像省略)
谷平   谷男 口径:15.2cm   谷子
    

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 ここのところ依然として三題シリーズが続いている。主人は、この三題シリーズをすっかり気に入ったようである。でも、だんだん「三題」とするテーマが浮かばなくなってきたし、それに、何よりも、それにふさわしい器物も底をついてきたらしい。

 そこで主人にひらめいたのは、「様式」ごとに三点を選び出して「三題」とすることである。そうすれば、数回は続くことになるからだ。

 そうはいっても、「三題」とするからには、何らかの屁理屈をつけたモチーフは必要であろう。そこで当面考えついたのが、大・中・小からそれぞれ一点を選んで三点とすることである。

 その発想のなんとお粗末なことか。どうやら、この三題シリーズも末期症状を呈するに至ってきたらしい。

 

主人:今回は、以前なら「古九谷」といわれていたもののうちから、大・中・小のそれぞれの一点の計三点に登場してもらった。今では、「伊万里古九谷様式」というから、今回の題名も、今風に、「古九谷様式三題」とした。どうだ! 私は物識りだろう!!

器物:そんなこと常識じゃないの! わざわざ言うこと自体古いんじゃないの!!

主人:おっ! これは驚いた。お前たちもずいぶんと勉強しているようだ。感心、感心。

 我が家の器物達も、知性で欠点をカバーする気になったか。

 私も年老いてきてわかってきたが、老いるに従って知性が顔に出てくるようだ。知性豊かだと美しく見えるもんだよ。まして、器物なんざ、人間様なんかよりよっぽど長生きするんだから、老いてますます美しく見えるように、大いに勉強して知性を磨くことだ!

器物:ご主人も、たまには良いことを言いますね。

主人:「たまに」じゃなくて「いつも」だよ! 知性あふれる人間からは、名言もほとばしり出るもんだ! 止めどなくな!!

器物:「ゲゲー!」

主人:まあ、そんなに馬鹿にしたもんでもないぞ! 私に、知性と感性があふれんばかりに備わっていたからこそ、お前達のその潜在的な美を発見することが出来たんだ! そして、こうして、全世界にその美を発信しているんだぞ!

器物:(改めて)「ゲゲー!」
(年寄りは誇大妄想で困るとの陰の声あり。)

主人谷男、お前なんか、誰にも相手にされなかったんだぞ。「古九谷」は石川県の九谷産ではない、どこで生まれたのかわからないという状況のなかで、私が温かい手をさしのべたんだ。国籍不明なうえにその傷だ。誰からも相手にされず、場末の骨董屋の古ぼけたショーケースの薄暗い隅っこのほうに、ただただひっそりと置かれていたよ。それはそれはみじめな姿だったな!

谷男:それはそれはありがとうございました。お陰様で、また日の目を見ることができるようになりました。私も、かつては、華やかな時もあったんです。それが、いつのまにか、初期伊万里だかなんだかわからないということにされてしまって、場末の方に追いやられてしまったんです(涙)。

主人:それはそうだろうな。(しみじみと)

 そんな傷になっても、補修されて残されているんだから、以前は大切にされたんだろうよ。しかも、その傷の修理は上手だし、本職が直したんだろう。修理にそれだけ投資するということは、本体にそれだけの価値があるということだものな。

 人間にも栄枯盛衰があるように、器物にも栄枯盛衰があるもんだな。器物は、ましてや人間より長生きだ。これからも、多くの浮き沈みを体験することだろうよ。私から離れた後も、この体験を忘れることなく、常に明るい希望を捨てずに、逞しく生き、いい器物の生涯をまっとうしてくれ。

 なんかしんみりしてしまった。次は谷子に移ろう。

谷子:お久しぶりです! 暫くぶりです!!

主人:そうだな。買ってから数年は、毎日晩酌につき合ってもらったものな。ぐい呑みにちょうどいい形だし、そのしっとりとした肌がいい! それに、丸々と太った元気な兎を見ていると、なんとなくこっちも元気になってしまって、ついつい盃を重ねることになったもんだ。

 そうはいっても、お前は盃にしては大振りだし、ついつい飲みすぎた! このまま使い続けては身がもたんと感じたし、いくら気に入っていたとはいえ、毎日毎日、数年も使っていると正直飽きもきてしまった!

 そういうわけで、その後、なんとなく疎遠になってしまったわけだ。さんざん世話になったのに、すまなかった。

谷子:いえいえ、どういたしまして。数年も毎日愛していただいたんですもの満足です! 美人は三日も見れば飽きると申します。それを、私ほどの美人を、三日どころか、数年も愛してくれたんですもの! なんと幸せなことでしょう。

主人:それはちょっとオーバーな話だな。「うぬぼれるのもいいかげんにしろ!」と言いたいところだが、当方の大変なる御無沙汰と帳消しということにしておこう。

 ところで、図体は大きいが、そこでひっそりとしているのは谷平だな。

谷平:さようでございます。私は、静かに、ひっそりとたたずんでいるのが好きでございます。

主人:そうよなー。確かに、図柄から見ると、本当に、ひっそりとした感じを受けるな。でも、図体が大きいので、その存在感は大きいよ。

 それにしても、お前は、青手でもないのに、赤を全く使用しておらず、古九谷様式としては珍しいよ!

谷平:そうですね。青手ではないのは確かですし、五彩手でしたら赤が入るのにそれもないし、ちょっと珍しいと思います。

主人:様式としては、まぎれもなく古九谷様式だと思うが、ちょっと変わっているな。

谷平:新発見ですか?

主人:新発見? そう言われてみればそうかな?

 だいたい我が家には、中途半端なのがけっこうあるよ。典型的なものではなくて中途半端なために誰も手を出さないものを買ってきているケースが多いからな。それでも、その後の世の中の研究が進み、同類が典型的なものとして本に載せられたりするようなことがけっこうあるよ。

器物:典型的なものは高くて買えないからでしょう!

主人:言いにくいことをズバリと言うね。でも、それを言うなら、「ご主人には先見の明があるんですね。」とでも言ってほしいよ。

器物:(再び)「ゲゲゲのゲー!」


色絵 ハート繋ぎ文 輪花形小鉢

2021年01月27日 10時52分23秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 ハート繋ぎ文 輪花形小鉢」の紹介です。

 これも、平成元年に購入したものです。

 これは、骨董市で売られていたものですが、1個だけ、バラで売られていました。

 その時、私は、当初、「5個組ならまだしも、1個だけのバラじゃな~。このレベルの物で、1個だけではサマにならないし、コレクションの対象にはならないよな~」と思いました。

 しかし、「考えてみれば、もっと時代もあって、名品と言えるようなものならば、1個だけでも十分に価値があるから、私がこのまま見過ごしても、誰かが拾い上げてくれるだろうけれど、私がここで拾い上げてやらないと、結局は打ち捨てられてしまう運命にあるんだろうな~。それじゃ可哀想だな~」と思うようになってきました(~_~;)

 それで、「どうせ、私は、コレクションをしているとはいっても、実態は、所詮はガラクタの収集をしているようなものだから、私のコレクションの仲間入りをさせてやるか」という気になって購入することにしたものです。

 

立面

 

 

見込み面

 

 

ハート繋ぎ文の拡大(その1)

 

 

ハート繋ぎ文の拡大(その2)

 

 

側面

 

 

底面

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 口径;12.4cm  高さ;6.4cm  底径;4.2cm