今回は、「染付 網干文 そば猪口」の紹介です。
これは、平成10年に(今から23年前に)、初期伊万里として買ってきたものです。
当時は、このような、生掛けで「厚底のそば猪口」とか「高台付きのそば猪口」は、初期伊万里と相場が決まっていたように思います。そして、製作年代は、江戸初期~江戸前期ということになっていたと思います。
ところが、そば猪口に関しては、随分と研究が進んだようで、「そば猪口」の形態の物で製作年代が一番古いものでも江戸中期だということになってきているようですね。そして、そのような物は「初期そば猪口」と言うようですね。
それで、この「染付 網干文 そば猪口」の製作年代につきましては、今では江戸時代初期とか江戸時代前期とは見ないようですので、江戸時代中期として紹介いたします。

立面

斜め上から見たところ
この角度から底面がこんなに多く見えるのは不自然です。
それだけに見込みが浅い証拠です。
高さが5.5cmのところ、見込みの深さが3.6cmしかありませんので、
その下から底までが1.9cmもあることになります。

見込み面

底面

底面の一部分の拡大
いかにも生掛けという感じです。
生 産 地 : 肥前・有田 不明
製作年代: 江戸時代中期 現代
サ イ ズ : 口径;7.8cm 高さ;5.5cm 見込みの深さ;3.6cm 底径;4.3cm
なお、この「染付 網干文 そば猪口」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。
次に、このそば猪口の紹介のための補助的な意味で、そこでの紹介文を再度掲載いたしますので、併せてお読みいただければ幸いです。ただ、その文中では、このそば猪口のことを「初期伊万里」とか、製作年代を江戸前期としていますことをご了知ください。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー152 初期伊万里様式染付網干文蕎麦猪口 (平成22年10月1日登載)

漁に使う網を棒に吊るして三角錐状にして干している様子を描いたものは、正に網を干している文様なので「網干文」と言われている。なお、「網干文」は「あぼしもん」と読むようである。
この猪口の文様は「網干文」そのものではないが、「網干文」をデフォルメしたものかなと思い、一応「網干文」とした。
この猪口を見た時、現代人にはちょっと理解出来ないところがある。あまりにも底が厚く作られていて、その結果、見込みが極端に浅くなっているからだ。

この角度から底面がこんなに多く見えるのはなんか不自然、、、
それだけに見込みが浅い証拠である。
高さが5.5cmのところ、見込みの深さが3.6cmしかないので、
その下から底までが1.9cmもあることになる。
一見、失敗作かなと思わせるが、ちゃんと完成させているところからみるとそうでもなさそうである。それどころか、伊万里の初期の頃の猪口にはこのようなものが多く、いわゆる「初期伊万里」の特徴となっていて、珍重され、その愛好家も多い。
では、なぜ、このような、現代人には理解できないようなものを作ったのであろうか?
底を分厚く作り、下の方を重くすれば、器が容易に傾かず、液体がこぼれずらくなるであろう。しかし、こんな小さな、しかも縦長でもない器にそんな細工を施す必要もないだろうから、その理由は採用しがたい。
理由はともあれ、この種の小振りの猪口は、見込みが浅いために容積も少なく、酒器に使えるので、人気が高いのである。
江戸時代前期 口径:7.8cm 高さ:5.5cm 見込みの深さ:3.6cm
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*古伊万里バカ日誌84 古伊万里との対話(網干文の蕎麦猪口)(平成22年10月1日登載)(平成22年9月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
あぼし (初期伊万里様式染付網干文蕎麦猪口)

・・・・・プロローグ・・・・・
「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、異常なほどの暑さを保っていた今年の夏も、「お彼岸」を境に遂に陥落し、急速に秋に向かっていった。
主人は、やっと訪れてきた涼しさに少々元気を取り戻し、古伊万里との対話をしたくなったようである。そこで、さっそく「押入れ帳」をめくって、どの古伊万里と対話をしようかと思案していたが、どうも、もう目ぼしい古伊万里とは対話済みなようで、なかなか目当ての古伊万里に出くわさない。やむをえず、例によって、「押入れ帳」の中の古い順に眺めていって、まぁ、なんとか対話をしてもよさそうなものを選び出し、押入れの中から引っ張り出してきては対話をはじめた。
主人: 「お彼岸」を境にやっと涼しくなってくれてホッとしているよ。今年は本当に残暑が厳しかった(>_<)
涼しくなって元気も出てきて、食欲も出てきたところで、スッキリと蕎麦でも食べたくなり、お前に出てもらった。お前に暫くぶりに蕎麦猪口の役割を果たしてもらいながら、ゆるゆると四方山話でもしていこう。
あぼし: はい。今年は本当に暑かったですね。殺人的な暑さでしたね。まっ、私は「人間」ではないですから、私にとっては「殺人的な暑さ」という文言は当てはまりませんが、それにしても、私にとっても暑かったです(>_<)
今日は暫くぶりに蕎麦猪口の役目を果たそうと思います。冷たいタレなど入れていただければ、しばし涼しく過ごせそうです(*^_^*)
ところで、私の名前はなぜ「あぼし」なんですか?
主人: 漁に使う網を棒に吊るして三角錐状に干している様子を文様化したものをよく見かけるだろう。よく海辺の風景の中に描かれているのを・・・・・。正に網を干している姿の文様を・・・・・。それを「網干文」と言ってるんだが、その「網干文」をデフォルメするとお前のような文様になるのかなと思っているわけだ。その「網干文」のことを「あぼしもん」と読むので、お前の名前を「あぼし」としたわけさ。
そもそも、私は、名称なんか、わかりゃいいんで、何も、昔からの呼び方にこだわる必要はないと思ってはいるんだけど、せっかく、昔からの、しかも優雅な、立派な名称があることを知ったもんだから、それに従ったんだ。
もっとも、私が勝手に、「網干文」をデフォルメするとお前のような文様になるのかなと思い込んでいるだけで、他の人が見たら、違うと言うかもしれないけどね(~_~;)
あぼし: なるほど、わかりました。
主人: それはともかく、「網干」をなかなか「あぼし」とは読めないよね。えてして、昔からの名称には、現代人には正しく読めないものがあるな。間違って読んだりすると教養が疑われるしね・・・・・(~_~;)
あぼし: 主人は教養がおありですね。教養がにじみ出ています(イヒヒヒヒ・・・・・。冷笑)。
主人: こいつ、ひやかすもんじゃないぞ!
実を言うと、私は「網干文」は「あみほしもん」と読むものとばかりに思っていたんだ。ただ、以前、何かの対談集の中で、ある方が「網干」を「あぼし」と言っていたのを読んだことはあるんだが、それとても、その対談の流れの中で「あみほし」をわざと簡略化して故意に「あぼし」と言ったのか、あるいはミスプリで「あみほし」が「あぼし」になっていたのかと思っていたんだ。
ところが、今回、お前と対話をするに際し、本当のところはどうなのかなと、少々疑問を感じ、ネットで調べてみたら、どうやら予想に反して「あぼし」が正解なようなことがわかったわけさ。
あぼし: 別にひやかすつもりで言ったのではないんですが・・・・・。恥をかかずにすんでよかったですね。
ところで、私には、見た目よりはタレが少ししか入らないんですよね! 容量が少ないんです!
主人: そうなんだ。お前は、上げ底というか、底が厚くなっているために、見込みが浅いのでタレが少ししか入らないんだ。
古い蕎麦猪口の中に、たまにあるんだよね。高台付の蕎麦猪口とか底の厚い蕎麦猪口が。
高台付の蕎麦猪口は、見てのとおりで、高台が付いているからすぐわかるんだが、底の厚くなっている蕎麦猪口は、ちょっと見にはわからないんだよね。
「これ、ちょっと古そうだな!」と思って手にとってみると、「あれっ! 何か変? 見た目よりかなり重いな~!」と感じるのがあるんだよ。それで、親指を見込みの方に突っ込んで、中指を底の方に持っていって、親指と中指とでその間の厚さを測ってみるとかなり厚くなっていることがわかるんだよね。 「はあ~ん、これじゃ重いわけだ!」と納得するわけさ。
そうそう、初期の高台付の蕎麦猪口も底が厚くなっているな。もっとも、初期伊万里は、蕎麦猪口に限らず、お皿なんかも底の方が厚くなっているのが多いから、初期伊万里は底が厚いのが特徴だね。
あぼし: なぜそのようになっているんですか?
主人: う~ん、わからないな。どうして、そのように作ったのかまでは私にはわからないな(>_<)
ただ、肥前磁器は、陶器の唐津焼と同じ窯で併焼されていたことからもわかるとおり、唐津焼の延長線からスタートしているので、その名残からだと思う。成形技法も陶器の唐津焼の技法に従ったからなのかなと思っているんだ。また、朝鮮半島から渡ってきた陶工集団が中心となっていたので、その影響もあったのではないかと思っている。
もっとも、肥前磁器には、まもなく、中国人技術者の影響下にあると思われる陶工集団が現れ、彼等によって、中国磁器のように、高台も大きく、底も薄く作られた物が出現してくる。そして、その底の薄い磁器と底の厚い磁器は、暫くの間、同じ窯で併焼されているんだ。当時は大きな登り窯だったから、朝鮮半島から渡ってきた陶工集団が中心となって作った磁器と中国人技術者の影響下にあったと思われる陶工集団の作った磁器とが同じ窯で焼かれていたんだね。同じ窯といっても、焼かれた部屋は違ったようだけれど。
あぼし: そうしますと、底の薄い方の物も初期伊万里と言うんですか? 先程、「初期伊万里は底が厚いのが特徴」と言われましたが、それと矛盾するように思うんですが・・・・・。
主人: う~ん。確かに。底の厚い物も底の薄い物も、両方とも、伊万里焼の初期の頃に出来たものだから、時期的には両方とも「初期伊万里」だね。でも、一般的には底の薄い物の方は「初期伊万里」とは言ってないと思うね。それで、私は、底の厚い物の方のみを「初期伊万里様式」と「様式」を付して区分しているんだよ。
あぼし: では、底の薄い方の物は何と言うんですか?
主人: ・・・・・。何と言われているのかな・・・・・。特に「様式」等では区分されていないのかな・・・・・。
だんだんと研究が進んでくると、いろいろと矛盾も出て来るし、区分しきれないものも出て来るしで、最近では、様式区分などを撤廃して、例えば、「伊万里 17世紀」とか「伊万里 江戸時代前期」とかに表示するようになってきているところもあるね。
あぼし: 伊万里の区分もいろいろなんですね。
主人: 伊万里の区分も日進月歩だね。時代とともに、研究の進展とともに変わってきている。美術館での表示も、美術館の特性によって、また、学芸員の力量(?)によっていろいろだね。それに、本の著者によってもさまざまだ。現時点では、納得いくように、自分なりに整理していかなければならないようだね。
追記(H22.10.4) : その後、この文章を読んだ方から、『兵庫県の明石市に網干という地名があり、JRには「網干」という駅まであって、駅では、「網干」は「あぼし~、あぼし~」とアナウンスされますので、「網干」を「あぼし」と読むことは、耳にこびりつくほど十分に承知しています。』という旨のコメントをいただきました(~_~;)
このコメントに接して、「ええっ~~!!!」の思いでした(>_<)
教養のあるところをひけらかそうとしたのですが、逆に、教養のなさを曝け出してしまいました(>_<) 恥の上塗りです(>_<) トホホ、、、です(~_~;)
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追 記 (令和3年6月29日)
これを紹介するに当り、この「染付 網干文 そば猪口」に少々違和感を覚えましたので、インスタグラムにも紹介し、そこで、このそば猪口について、真贋も含め、忌憚のないご意見を求めました。
その結果、2~3の方から、このそば猪口は、「釉薬掛けが不自然である」とか「高台作りが、この手の典型的な贋作ものに酷似している」とのご意見が寄せられました。
従いまして、この「染付 網干文 そば猪口」は、初期伊万里を狙った、現代の贋作と判断いたします(~_~;)