Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

「染付 白菜文 白菜形皿」への追記

2025年01月27日 13時47分29秒 | 古伊万里

 つい2~3日前のこと、インスタグラムを眺めていましたら、izumiyama_sericiteさんが、「藍九谷 白菜形手塩皿(江戸時代寛文期頃)」なるものを紹介していました。

 かつて、私は、このブログで「染付 白菜文 白菜形皿」を紹介していますが、私は、どうも、この「染付 白菜文 白菜形皿」なるものの生産地と製作年代の特定に自信をもてないでいました。

 ところが、このizumiyama_sericiteさんの「藍九谷 白菜形手塩皿(江戸時代寛文期頃)」の紹介文の中に、この手塩皿は「古染付を写したものかもしれません」という文言があったのです。この文言は、かつてこのブログで紹介した「染付 白菜文 白菜形皿」の生産地と製作年代の特定に大きなヒントを与えてくれますね(^_^)

 この文言から、結球種の白菜をモチーフとした皿が古染付の写しだとすれば、かつてこのブログで紹介した「染付 白菜文 白菜形皿」の生産地は「肥前・有田」で、製作年代は「江戸時代前期」だと特定出来るのではないかと思ったところです。

 そこで、かつてこのブログで紹介した「染付 白菜文 白菜形皿」の記事に、「追記2」として追記したところです。


色絵 菊花陽刻 花丸散文 菊花形小皿

2024年12月21日 16時16分51秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 菊花陽刻 花丸散文 菊花形小皿」の紹介です。

 この小皿は、昨日の古美術品交換会で落札して手に入れたもので、私にとっては、年末の有終の美を飾るに相応しいコレクションとなりました(^_^)

 その「色絵 菊花陽刻 花丸散文 菊花形小皿」というものは、次のようなものです。

 

 

色絵 菊花陽刻 花丸散文 菊花形小皿

 

表面

 

 

 ボデー全体は菊花形に成形され、三つの菊花が陽刻されています。そこに、アヤメの花丸文と椿の花丸文と紫陽花の花丸文の三つの花丸文が色絵付けされています。

 

 

上半分の拡大

二つの菊花が陽刻されていることが分かります。

 

 

下半分の拡大

一つの菊花が陽刻されていることが分かります。

 

 

アヤメの花丸文部分の拡大

 

 

椿の花丸文部分の拡大

 

 

紫陽花の花丸文部分の拡大

 

 

側面

 

 

裏面

 

 

 ところで、この小皿は、表面を観ますと、2022年3月24日に紹介しました「色絵 花丸散文 唐草陽刻 隅切小角皿」に似ています。

 また、この小皿は、裏面を観ますと、2019年10月31日に紹介しました「5枚揃うと美術館入りする古伊万里(色絵 芥子の花に昆虫文 小皿)」に似ています。

 そんなことから、2022年3月24日に紹介しました「色絵 花丸散文 唐草陽刻 隅切小角皿」の製作年代は江戸時代前期の寛文期(1661~1672)前後と思われますし、また、2019年10月31日に紹介しました「5枚揃うと美術館入りする古伊万里(色絵 芥子の花に昆虫文 小皿)」の製作年代は江戸時代中期と思われますので、この小皿は、両者の中間の、江戸時代前期の終り頃から江戸時代中期の始め頃にかけて作られたものではないかと思っています。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期の終り頃~江戸時代中期の始め頃

サ イ ズ : 口径13.2~13.5cm(歪みがあるため) 高さ4.4cm 底径7.4cm


染付 陽刻 詩句文 輪花大皿(一対)

2024年11月26日 14時08分32秒 | 古伊万里

 この大皿は、先日(2024年11月20日)の古美術品交換会で落札してきたものです。

 先日(2024年11月20日)も記しましたように、この大皿にはそれぞれに大きなニューが1本ずつ走り、そのニューには酷い汚れが入り込み、いかにも疵物という感じで痛々しい姿でしたので、漂白剤の中に何日か漬け、ニューの中に入り込んだ汚れを消してから紹介する予定でいたところです。

 幸い、ニューに入り込んだ汚れはほとんど消え去りましたので、予定どおり、紹介する次第です(^_^)

 この大皿は、その疵のために、誰も入札に参加しようとしなかったわけですが、私は、「多分、このニューに入り込んだ汚れは、漂白剤に漬けておけば、かなり綺麗に消えるのではないかな~。そうなれば、鑑賞する分にはさほど支障はないのではないかな~」と判断して競り落としたわけです。お陰で、随分と安く手に入れることができました(^-^*)

 その大皿というのは、次のようなものです。

 

 

染付 陽刻 詩句文 輪花大皿(一対)(漂白前のもの)

 

         大皿Bの表面            大皿Aの表面

大皿Aには12時の方角に大きなニューがあり、大皿Bには7時の方角に

大きなニューがあります。

 

 

       大皿Bの裏面              大皿Aの裏面

ニューは、それぞれの大皿の裏面にも達しています(~_~;)

 

 

       大皿Bの側面              大皿Aの側面

ニューは、それぞれの大皿の側面にも達しています(~_~;)

 

 

大皿Aの表面

12時の方角に大きなニューがあり、ニューには汚れが入り込んでいます。

 

 

大皿Aの裏面

ニューは、大皿の裏面にも達しています(~_~;)

高台内銘:二重角渦福

 

 

大皿Aの側面

ニューは、大皿の側面にも達しています(~_~;)

 

 

 

大皿Bの表面

7時の方角に大きなニューがあり、ニューには汚れが入り込んでいます。

 

 

大皿Bの裏面

ニューは、大皿の裏面にも達しています(~_~;)

高台内銘:二重角渦福

 

 

大皿Bの側面

ニューは、大皿の側面にも達しています(~_~;)

 

 

 ところで、この大皿Aと大皿Bの表面には陽刻が施されているのですが、何が陽刻されているのか見てみたいと思います。大皿Aと大皿Bの表面に施された陽刻は同じものと思われますので、大皿Aの表面に施された陽刻を見ていきます。

 

 

大皿Aの上半分の拡大写真

 

 

大皿Aの下半分の拡大写真

 

 

 上の2枚の写真から、中国の宮殿のような所の中央に、花のような物を持った高貴な女性の立ち姿が陽刻され、その右脇には、ひざまづいた男の官人のような人物がその女性を見上げているところが陽刻されているようです。何かの物語の一部を陽刻したのでしょうか、、、。

 また、表面に書かれた詩句文は、かの有名な中国の唐の詩人孟浩然の五言絶句「春暁」の、

    『春眠不覚暁 處々聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少』

ですね。

 

 なお、この皿の類似品が、佐賀県立九州陶磁文化館発行の柴田コレクション総目録の図3469と柴田コレクションⅧの図227に登載されています。

 柴田コレクション総目録の図3469での皿の名称は「染付 唐人詩句文 輪花皿」となっており、柴田コレクションⅧの図227での皿の名称は「染付 陽刻詩句文 輪花皿」となってはいますが、柴田コレクション総目録の図3469と柴田コレクションⅧの図227の物とは同じ物ですので、次に、柴田コレクションⅧの図227の「染付 陽刻詩句文 輪花皿」だけを転載して紹介したいと思います。

 

 

柴田コレクションⅧの図227の「染付 陽刻詩句文 輪花皿」

製作年代:1760~80年代  口径21.2cm 高さ3.2cm 底径12.7cm

 

表面

 

裏面

 

 ところで、この柴田コレクションⅧの図227の「染付 陽刻詩句文 輪花皿」には、何が陽刻されているのでしょうか? 図録の写真からだけでは何が陽刻されているのか明確には分からないのですが、この皿の名称が、柴田コレクション総目録の図3469では「染付 唐人 詩句文 輪花皿」とされ、柴田コレクションⅧの図227では「染付 陽刻 詩句文 輪花皿」とされているところから推測しますと、唐人が陽刻されているように思えます。また、図録の写真をルーペを使って見てみますと、薄らとではありますが、宮殿のような所に人物が陽刻されているようにも見えます。

 そのようなところから、この皿には、今回私が手に入れた「染付 陽刻 詩句文 輪花大皿(一対)」と同じ文様が陽刻されているのではないかと思われます。

 つまり、この皿と今回私が手に入れた「染付 陽刻 詩句文 輪花大皿(一対)」とは、同じ文様が陽刻され、同じ「春暁」の詩句文が書かれているものと思われます。

 ただ、この皿の口径が21.2cmの中皿であるのに対し、今回私が手に入れた「染付 陽刻 詩句文 輪花大皿(一対)」の口径が、大皿A、大皿B共に32.0cmもあり、大皿と言われる大きさに属するという違いがあります。

 ちなみに、柴田コレクション総目録から「染付 陽刻 詩句文 皿」を探してみましたら、中皿、小皿、手塩皿は掲載されていましたが、大皿は掲載されていませんでした。柴田コレクションには、たまたま「染付 陽刻 詩句文 皿」の手の大皿は収蔵されたいなかったのでしょうか? それとも、この「染付 陽刻 詩句文 皿」の手の大皿はもともと少ない存在のものなのでしょうか? も ともと少ない存在のものであったとすれば、今回私が手に入れた「染付 陽刻 詩句文 輪花大皿(一対)」は珍品ということになりそうですね(^-^*)

 私は、この「染付 陽刻 詩句文 皿」や「染付 陽刻 皿・鉢」などを数点所蔵し、それらを既に紹介しているところです。

 「染付 陽刻 詩句文 皿」としては、2021年7月3日に「染付 虎人物 詩句文 輪花皿」として、「染付 陽刻 皿・鉢」としては、2021年5月25日に「染付 蝶文 輪花大深皿」として、2021年7月12日には「染付 山水文 角鉢」として、はたまた2021年7月31日には「染付 山水文 八寸鉢」として紹介しているところなわけですね。

 それで、これらを通して、私は、これまで、この「染付 陽刻 詩句文 皿」や「染付 陽刻 皿・鉢」というものは、概して大きなサイズものであるという印象を抱いておりました。そんなものですから、この今回私が手に入れた「染付 陽刻 詩句文 輪花大皿(一対)」も、大きさとしては一般的な大きさのものと思い込んでいたのです。つまり、大きさでも、特に珍しく大きなものだとの認識がなかったわけです。

 今回、柴田コレクション総目録から「染付 陽刻 詩句文 皿」を探していて、大皿が掲載されていないことに気付き、今回私が手に入れた「染付 陽刻 詩句文 輪花大皿(一対)」は、大きさから言うと、或いは珍品なのかな~との淡い期待を抱いたところでもあります(^_^)

 

 それはともかく、今回私が手に入れた「染付 陽刻 詩句文 輪花大皿(一対)」の製作年代等は次のようになります。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期の終り頃~後期の初め頃(1760~1780年代)

サ イ ズ : 大皿A・B共・・・口径32.0cm 高さ4.9~5.6cm 底径19.3cm  

 

 

  そうそう、冒頭に、この「染付 陽刻 詩句文 輪花大皿(一対)」にはそれぞれに大きなニューが1本ずつ走り、そのニューには汚れが入り込み、いかにも疵物という感じで痛々しい姿だったので、漂白剤の中に何日か漬け、ニューの中に入り込んだ汚れを消してから紹介すると書いたのですが、その後の綺麗になった状態の写真をまだ掲載していなかったですね(~_~;)

 次に、漂白後の綺麗になった状態の写真を掲載したいと思います(^_^)

 

 

染付 陽刻 詩句文 輪花大皿(一対)(漂白後のもの)

 

        大皿Bの表面            大皿Aの表面

大皿Aには12時の方角に、大皿Bには7時の方角に大きなニューがあり

そのニューには酷い汚れが入り込んでいましたが、ニューに入り込んだ酷い

汚れは殆ど消え、鑑賞に際しては支障がなくなりました(^_^)

 

 

       大皿Bの裏面              大皿Aの裏面

ニューは、それぞれの大皿の裏面にも達し、そのニューには酷い汚れが

入り込んでいましたが、ニューに入り込んだ酷い汚れは殆ど消え、

鑑賞に際しては支障がなくなりました(^_^)

 

 

      大皿Bの側面              大皿Aの側面

ニューは、それぞれの大皿の側面にも達し、そのニューには酷い汚れが

入り込んでいましたが、ニューに入り込んだ酷い汚れは殆ど消え、

鑑賞に際しては支障がなくなりました(^_^)

 

 

大皿Aの表面

12時の方角に大きなニューがあり、そのニューには酷い汚れが入り込んで

いましたが、ニューに入り込んだ酷い汚れは殆ど消え、鑑賞に際しては

支障がなくなりました(^_^)

 

 

大皿Aの裏面

ニューは、大皿の裏面にも達し、そのニューには酷い汚れが入り込んで

いましたが、ニューに入り込んだ酷い汚れは殆ど消え、

鑑賞に際しては支障がなくなりました(^_^)

高台内銘:二重角渦福

 

 

大皿Aの側面

ニューは、大皿の側面にも達し、そのニューには酷い汚れが入り込んで

いましたが、ニューに入り込んだ酷い汚れは殆ど消え、

鑑賞に際しては支障がなくなりました(^_^)

 

 

大皿Bの表面

7時の方角に大きなニューがあり、そのニューには酷い汚れが入り込んで

いましたが、ニューに入り込んだ酷い汚れは殆ど消え、鑑賞に際しては

支障がなくなりました(^_^)

 

 

大皿Bの裏面

ニューは、大皿の裏面にも達し、そのニューには酷い汚れが入り込んで

いましたが、ニューに入り込んだ酷い汚れは殆ど消え、

鑑賞に際しては支障がなくなりました(^_^)

高台内銘:二重角渦福

 

 

大皿Bの側面

ニューは、大皿の側面にも達し、そのニューには酷い汚れが入り込んで

いましたが、ニューに入り込んだ酷い汚れは殆ど消え、

鑑賞に際しては支障がなくなりました(^_^)

 

 

 


追 記 (平成6年11月30日)

 この大皿を紹介してから、さっそく、故玩館館主の遅生さんから、次のようなコメントが寄せられました。

      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 この大皿の陽刻文は、白居易(白楽天)の長恨歌の最終部にあたるのではないでしょうか。安禄山の乱により亡くなった楊貴妃を忘れられない玄宗皇帝が、配下の方士に、楊貴妃の魂魄を探し出すよう命じ、方士は仙術を駆使し、太真殿で楊貴妃を見つけました。方士が、楊貴妃と会ったことを証明する証拠がほしいと申し出ると、彼女は、髪に挿していたカンザシを与えようとします。この場面が、件の陽刻文ではないかと思うのです。

 ところで、話しには続きがあって、方士はこれでは十分でないと言います。そこで、楊貴妃は方士に、かつて玄宗皇帝と交わした言葉、「比翼連理の誓い」を伝えます。

 なお、能『楊貴妃』ではこの場面を扱っています。

 ですから、普通に考えれば、この皿に書くべき詩句文は、次の長恨歌の最終フレーズでしょう。

 

   在天願作比翼鳥

   在地願為連理枝

   天長地久有時尽

   此恨綿綿無絶期

 

 それが、なぜ 「春眠不覚暁・・・・・」となったかは、不明です。

 単純ミスで間違えた?それとも、適当に書いた?

 他の図柄の陽刻皿を調べたくなりますね(^.^)

 

      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 このコメントに接し、私は、なるほどと思いました。

 この大皿の陽刻文の「中国の宮殿のような所」というのは「太真殿」で、「高貴な女性」は「楊貴妃」だったのですね。また、「花のような物」は「楊貴妃が髪に挿していたカンザシ」で、楊貴妃の右脇の「ひざまづいた男の官人のような人物」は唐の玄宗皇帝から「楊貴妃の魂魄を探し出すように命じられた方士」だったのですね。

 ぴったり一致しますものね(^-^*)

 ただ、そうしますと、確かに、この大皿に書かれるべき詩句文は、孟浩然の五言絶句「春暁」の、「春眠不覚暁・・・・・」ではなく、白居易(白楽天)の「長恨歌」の最終フレーズの「在天願作比翼鳥・・・・・」であるべきですね。

 何故そうしなかったのか、私にも分かりませんが、これからの課題でしょうか。

 遅生さん、何時もながら、博学のコメントをありがとうございました(^-^*)


花に雉文小皿

2024年10月22日 14時31分26秒 | 古伊万里

 今回は、「花に雉文小皿」の紹介です。

 この「花に雉文小皿」は、3日前にネットショップで見つけて注文し、昨日到着したものです。

 そもそも、この「花に雉文小皿」をなぜネットショップで買ったかといいますと、これと同手のものを既に所持していて、その「花に雉文小皿」は当ブログでも既に紹介しているわけですが、それが、今回ネットショップで売られていたこの「花に雉文小皿」の値段が、当時の値段の1/10の値段だったからです。もちろん、当ブログで既に紹介した「花に雉文小皿」は疵物ですので、無疵の物に比べれば安かったですから、当ブログで既に紹介した「花に雉文小皿」の値段の1/10の値段ではありませんけれども、当時の無疵の「花に雉文小皿」の値段の1/10の値段だったわけだからです。

 当ブログで既に紹介した「花に雉文小皿」を買ったのは昭和61年のことですので、今から38年も前のことになりますが、今では、当時と比べて、古伊万里やいわゆる古九谷の値段が安くなったとはいえ、随分と安くなり過ぎたな~、これでは、古伊万里やいわゆる古九谷が可哀想過ぎるな~と思ったからです(~_~;) 古伊万里やいわゆる古九谷の人気が無くなってきたとはいえ、これでは、あまりにも酷すぎるな~と感じたからです(~_~;)

 また、当時は、古九谷産地論争がまだ盛んで、この手の「花に雉文小皿」は、当時は、れっきとした「古九谷」とされていました(図録などでは、初期「古九谷」として紹介されていました)から、伊万里などとは比較にならない物、格が違う物とされていましたので、現在に比べれば、破格の値段ではありました。

 その後、当ブログで既に紹介した「花に雉文小皿」を買った4年後、「初期伊万里から古九谷様式 ー伊万里前期の変遷を見るー」(小木一良著 創樹社美術出版 平成2年11月24日発行)が発刊され、この手の「花に雉文小皿」は、熱中性子放射化分析の対象とされ、科学分析の結果からも「伊万里」に分類されることが証明されたと紹介されましたので(同書の図191・・・分析資料11)、その後は、この手の「花に雉文小皿」は、「古九谷」の座を転落し、「古伊万里」に分類されるようにはなりましたけれども、値段的には、それほど酷い下落にはならなかったように記憶しています(~_~;)

 もっとも、当ブログで既に紹介した「花に雉文小皿」につきましては、売主も、買い主の私も、それを「伊万里」と認識して買っていますから、私としては、それほど高くは買っていませんけれども、それにしても、やはり、お互い、「古九谷」の値段を視野に入れての売買でしたので、「伊万里」の相場よりは、かなり高かったように記憶しています。

 そんなことから、この「花に雉文小皿」の値段があまりにも安くなっていて、可哀想になってきましたので、買ってやろうかなと思ったのが一つの理由です。

 それと、この「花に雉文小皿」を買おうと思った、もう一つの理由は、この「花に雉文小皿」を買えば、当ブログで既に紹介した「花に雉文小皿」と合わせれば「一対」になるな~と思ったからです(^_^)  えてして、コレクターなるものは、1点よりは2点(一対)、2点よりは5点(五客組)にしたがるんですよね。欲張りなんですね(~_~;)

 前置きが長くなりましたが、それでは、次に、この「花に雉文小皿」を紹介いたします。

 

 

花に雉文小皿(無疵)

 

表面

 

 

 

側面

 

 

裏面

 

 

 なお、この「花に雉文小皿」を売っていたネットショップの店主の、この小皿についてのセールストークが面白く、また、この小皿の特徴を実に良く捉えていますので、その文面に若干の加筆修正を加え、それを次に転載したいと思います。

 

見よ!この目力を!!
 目の先に何があるんだろう?! いろんなシーンを想像してしまいます。
駆り立てられる古九谷です!! 相撲が始まりそうな構え、迫力満点の目力。
一生懸命生きている!? 一日の始まりに見たい古九谷です(^_^) 

 初期伊万里の様に厚みのある手。表面には、
黒•赤で縁取り、花鳥をザクっと描き、そこに青•緑を加彩。立ち上がり部には染付の二重圏線を施す。

 側面には、染付圏線の間に赤で連続文様を施す。

 高台内に赤文字の裏銘。


 たっぷりかかった釉薬、
初期伊万里の様な釉溜や指跡が優しく、いい感じです。
ざっくりとした気迫!?


 面白い古九谷です。
古九谷のこの器形、このサイズ、
ありそうであまり見かけない様な気がします。



 古九谷・厚みのある手・花鳥図五寸盤皿: 江戸前期、1640-1660年代
 D14.2㎝ H2.2㎝ BD7.5㎝ W240g  無疵完品 

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期(1640~1660年代)

サ イ ズ : 口径14.2cm 高さ2.2cm 底径7.5cm

 

 

 追って、この「花に雉文小皿」と当ブログで既に紹介した「花に雉文小皿」とを合わせますと「一対」となりましたので、次に、記念のツーショット写真を載せておきます(^_^)

 

表面

       左:この「花に雉文小皿」      右:既に紹介した「花に雉文小皿」

                           口縁に疵があります。

 

 なお、良く見ますと、両者の文様は若干異なります。

 両者では、雉の羽根の文様の描き方がちょっと違っています。既に紹介した「花に雉文小皿」には、左斜め上部に雁が描かれていたり、左斜め下のほうの小さな岩が大きな岩から離れて描かれています。ちょっと大きめに描かれた草花のてっぺん部には、葉が付いていたり、付いていなかったりと、割と大雑把な描き方です(^_^)                    

 

 

裏面

      左:この「花に雉文小皿」       右:既に紹介した「花に雉文小皿」

                           高台畳付き部に疵があります。


色絵 花鳥文 菱形小皿

2024年08月13日 16時24分14秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 花鳥文 菱形小皿」の紹介です。

 この小皿は、昭和54年に(今から45年前に)、地元の古美術店から買ってきたものです。

 地元の古美術店といっても、実際は、そのお店は、刀剣を専門とするお店で、刀剣だけを展示していると店の雰囲気が堅くなるということで、刀剣類の他に、陶磁器なども多少展示し販売しているお店でした。

 そんなお店で買ってきたものですから、売っている側も、この小皿の出自を、「古九谷なのかな~?」ということで売っていました。私も、「古九谷ではないだろうけれど、ひょっとして古九谷?」という思いもあって買ったものです。

 当時は、「古九谷」は、正に、九谷で焼かれた古い九谷焼であり、極めて貴重な焼物であり、幻の焼物とされていましたから、「こんな田舎に転がっているはずがない」とされていましたので、「古九谷ではないだろうけれど、ひょっとして古九谷?」という思いはありましたが、今後の勉強のための教材にするつもりで買ったわけです。

 その後、古伊万里の研究が進み、従来「古九谷」と言われてきたものは、江戸前期の伊万里焼の「古九谷様式」と区分されるようになり、多くが「古九谷」として登場するようになりました。

 今では、従来「古九谷」と言われていたものは、珍しい存在ではなくなったわけですね。

 では、この小皿も『「ひょっとして」・「やはり」古九谷!』と思いたいところですが、どうも、そうは思えないのです。なんか、腑に落ちないところがあるんです。思うに、この小皿は、大正時代頃の「古九谷写」なのではないかと思うようになったわけです。それで、これまで、この小皿を紹介してこなかったわけです。

 しかし、どうして、今頃、急に紹介する気になったかと言いますと、今日、この小皿に良く似たものを、或る方がインスタグラムで紹介していたものですから、参考のためにと思って紹介する気になったわけです。

 なお、或る方は、この小皿に似たものを、インスタグラムで次のように紹介しています。

 

『 古九谷 花鳥文 変形皿

 今回の投稿は、1650年~1660年代頃に伊万里で作られた古九谷と呼ばれる作品群に入る端皿です。五色を使った五彩手タイプ独特の色使いが、言葉には言い表せない美しさと魅力を感じるように思います。MOA美術館発行の「古九谷 珠玉の小品」など、古九谷の書籍に同手は掲載されてます。』

 

 私は、MOA美術館発行の「古九谷 珠玉の小品」などの、その変形皿が登載されている書籍を所持していないため、ここではその変形皿を紹介出来ないのですが、MOA美術館発行の「古九谷 珠玉の小品」などの書籍を所持されている方は、それをご参照ください。

 なお、私が紹介する小皿の表面の外周部分の左右部分は、染付の四方襷文となっていますが、インスタグラムで紹介されている変形皿の表面の外周部分の左右部分は、染付の四方襷文ではなく、色絵となっています。

 

 

色絵 花鳥文 菱形小皿

 

表面

 

 

見込み面

 

 

表面の外周部分の左端部分

 

 

表面の外周部分の左上部分

 

 

表面の外周部分の中央部分

 

 

表面の外周部分の右上部分

 

 

表面の外周部分の右端部分

 

 

側面

 

 

裏側面

 

 

底面(上半分)

銘:二重角福

 

 

底面(下半分)

銘:二重角福

 

生 産 地 : 肥前・有田? or 九谷(大聖寺)?

製作年代: 大正時代?

サ イ ズ : 口径15.1×12.1cm 高さ3.3cm 底径9.4×6.2cm

 

 


追 記 (令和6年8月15日)

 この記事は、或る方が一昨日にインスタグラムで紹介されていた「古九谷 花鳥文 変形皿」も「古九谷写」であるかのような印象を与えてしまったようです(~_~;)

 この記事の内容をよく検討することもなく、お盆の時期でもあることから、慌ただしく安易に投稿してしまったこともあり、誤解を与えてしまったようです(><)

 この記事の真意は、或る方が一昨日にインスタグラムで紹介されていた「古九谷 花鳥文 変形皿」こそ、いわゆる「古九谷」であって、この小皿はその写しであることを伝えたかったものです。

 どうぞ、この小皿の本歌である、或る方が一昨日にインスタグラムで紹介されていた「古九谷 花鳥文 変形皿」の素晴らしさ鑑賞してやってください(^-^*)

 そして、なぜこの小皿が或る方が一昨日にインスタグラムで紹介されていた「古九谷 花鳥文 変形皿」の写しとなるのかを自分なりに検討してください。

 私個人としては、この小皿は、全体的に見ていわゆる古九谷にみられるようなシャープさに欠けること、鳥の描き方が下手なこと(酒田の人さんも言われていますように、怪獣映画に出てくるギャオスのようですよね)、黄色の色彩が濁っていて鮮やかな黄色でないことなどから、「古九谷写」と判断いたしました。

 ただ、この小皿は、小皿の表面の外周部分の左右部分が染付の四方襷文となっていて、インスタグラムで紹介されている本歌の物とは異なっており、本歌をそっくり写していないところがあります。そんなところから、この小皿には、本歌をそっくりに写すというような悪意は無かった、つまり、この小皿は、偽物として作られたものではなかったと思っています。後世になって、本歌の素晴らしさに憧れ、その多くの部分を取り入れて作られたものなのだろうと思っております。