Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

「私のお宝! 我が家のガラクタ!」顛末記

2020年05月30日 11時05分00秒 | 古伊万里

 昨日、「私のお宝! 我が家のガラクタ!」というタイトル記事の中で紹介しました「いわゆる古九谷の大皿」(以下、「古九谷大皿」と略称します)についての顛末について報告いたします。

 この古九谷大皿は、実は、昨年、我が家のリフォームをする際、家の中の整理も少しはしなければならなくなりましたので、これ幸いと、妻に普段使いされないようにと、箱に入れ、押入れの奥の方に仕舞い込んでいたんです(^^;

 妻は、この古九谷大皿を花活けに使っていましたので、それに代わる同じ様な大きさの伊万里の大皿を提供して、、、。

 それで、特に問題も起きず、昨日まで無事に経過してきました(^-^;

 ところが、昨日、「私のお宝! 我が家のガラクタ!」の記事を書くにあたり、この古九谷大皿の写真を撮らなければならなくなりましたので、また、押入れの奥から引っ張り出してきて写真を撮っていたわけです。そうしましたら、

 

「あらっ、これ、以前からあった大皿ですよね!」と、目ざとく見つけたではないですか(ドキッ!)

 やはり、妻は、この大皿を気に入っていて、ご執心のようです(-_-;)

 そして、あろうことか、「また花活けに使おうかしら!」とノタマワッタではないですか(><)

 それで、遂に、私も決心し、次の様に伝えました。

 「実は、この大皿は、実際の評価額はともかく、私が買ってきた古伊万里の中では最高額で買ってきたものなので、普段使いにはして欲しくないんだけど、、、」

と、、、。

 それに対し、妻は、「ふ~ん」との返答です。実際には高額であることを、妻も、薄々は感じていたようですね。

 それを聞いて、私は、妻は了解してくれたものと思い、そそくさと、その大皿を箱に入れ、また、押入れの奥へと仕舞い込みました(^-^;

 めでたし、めでたしです(^-^;(^-^;


私のお宝! 我が家のガラクタ!

2020年05月29日 15時20分35秒 | 古伊万里

 この大皿は、平成7年に、東京の或る骨董街で買ってきたものです。今では、もう、そのような場所はなくなりましたね(-_-;) 寂しい限りです。

 

 

表面

 

 

見込み部分の拡大

 

 

斜め上方から

 

 

裏面

 

 

裏面の一部

 

製作年代: 江戸時代前期

サ  イ  ズ: 口径=31.7~32.3cm  高さ=5.8~6.8cm  高台径=14.0cm

 

 

 この大皿を買った平成7年頃には、既に、骨董界でも、古九谷有田説は浸透していましたから、「いわゆる古九谷」(以下、単に「古九谷」と言います)にも、かつての「古九谷」のような力はなく、値段も昔ほどの値段ではなくなっていました。かなり値下がりしていました。

 しかし、「古九谷」は、腐っても鯛ならぬ、腐っても「古九谷」です。値下がりしたといっても、暴落したわけではありません。特に、大皿とあっては、滅多に出て来ないものですから、暴落はしなかったんです。

 ところで、この「古九谷」の大皿ですが、普通に見られる「古九谷」の大皿とは、ちょっと違いますよね。

 普通に見られる「古九谷」の大皿は、「五彩手」と「青手」が典型的なものですが、この大皿には赤が使用されいませんから「五彩手」には属しませんし、青で全体が塗り埋められてもいませんから「青手」にも属しません。

 でも、なんとなく「古九谷」大皿の雰囲気を十二分に持っていますので、多くの方は、「古九谷」大皿であろうとは認めるわけです。ただ、「古九谷」にしては珍しい存在というわけですね。

 そうは言っても、やはり、典型的な「古九谷」の大皿でないと、人は、安心して「古九谷」の大皿とは認めたくないですし、安心して買い求める気にもならないわけですよね。そんなところから、この大皿も、結局は東京の場末の骨董街に流れ着いたのではないかと思われます。しかも、値段も、普通の典型的な「古九谷」大皿に比べれば格段に低い値段で(-_-;)

 そんなところに目を付けたのが私だったわけですね。『典型的な「古九谷」の大皿では買えないが、この大皿なら買えるかな!』と、、、。

 それで、思い切って買ってしまったわけですが、結局、これまでに私が買った古伊万里では最高額を支払うことになってしまいました(-_-;) これからは、更に財力が無くなりますので、これからも、これ以上の買い物は出来ないことでしょう、、、。

 ということで、この大皿は、私の購入額の最高額で手に入れたものであり、私にとっては、まさに「お宝」なわけです(^-^;

 

 ただですよ。ただ、、、。我が家に持ち帰った私は、それを、素知らぬ顔で、あたかもガラクタでも買ってきたかのごとく振舞い、その辺に置いておいたんです。

 ところが、どういう訳か、妻は、この大皿を何故か気に入り、よく花活けに使うようになったんです。

 多分、華やかさもなく、皿が強く主張して花の良さを殺してしまうようなところもなく、大きさもちょうどいいので気に入ったのでしょう。

 しかしですね、扱いが大胆なんですよね! あたかも、私が2,000~3,000円でガラクタ市から買ってきたかのごとくに取り扱うんです(><)

 妻から見れば、薄汚れていて、小汚く、華やかさもなく、おまけにニューまでありますから、とても、私が最高額で買ってきたものだとは思ってもみないわけですね。せいぜい2,000~3,000円で買ってきたものとばかりに思っているわけす(><)

 でも、私としても、今さら、高額で買ってきたものなのだから大切に扱うようにとも言えず、ハラハラしながらそれを眺めているほかありません(-_-;) せいぜい、「これは、見てくれは悪いけれど、世間では高く評価されるものなんだよ!」「大切にしたほうがいいよ!」などと呟くのがセキノヤマです(><)

 ということで、この大皿は、我が家にとっては「ガラクタ」扱いなんです(-_-;)


伊万里 染付花陽刻是武字文輪花形皿

2020年05月28日 19時26分08秒 | 古伊万里

 昨日、古伊万里の染付文字文皿を紹介したところですが、その後、そう言えば、我が家には、もう1点、古伊万里の文字文皿そのものではないですが、見込み周辺に、文字を陽刻してある皿があることを思い出しました。

 それで、今回は、昨日紹介した文字文皿との関連で、その皿を紹介することにしました。

 その皿は、次のようなものです。

 見込みには花文が描かれ、その周辺には、「是」や「武」という文字が陽刻されています。

 

伊万里 染付花陽刻是武字文輪花形皿 表面

 

 ただ、よくよく見てみますと、1行上での文章では、「是」や「武」という文字が陽刻されていると書きましたが、どうやら、「是」や「武」という漢字ではないように思われます。

 4種類の漢字のようなものが陽刻されているわけですが、「是」のみははっきりと「是」という漢字に思えますが、あとの3種類は、何という漢字なのか分かりません。

 見込み周辺全体では、4種類の漢字のようなものが2個ずつ陽刻され、合計8個陽刻されています。

  その内の1種類目は、次のような陽刻です。「武」のようにも思われますが、はっきりしません(-_-;)

 

 

 2種類目は、次のような陽刻です。「長」のようにも思えますが、はっきりしませんね。

 

 

 3種類目の陽刻は、これは、「是」であろうと思われます(^-^;

 

 

 4種類目の陽刻も、これまた、何というものなのか分かりません(-_-;)

 

 

 以上に見てきましたように、よくよくみますと、4種類は微妙に違っているんですよね(-_-;)

 最初は、全部、同じかと思ったんですが、アップして写真を撮る毎に違うことに気付き、4種類もあることを気付くまでには時間がかかりました(-_-;)

 

 それはともかく、裏面は次のようになっています。

 この皿の裏面には、昨日紹介した伊万里 染付是字文小皿とは違い、古格があり、江戸寛文期の特徴を感じとることができます。

 

 更に、斜め上方から見た裏面は、次のようになっています。

 

製作年代・・・江戸時代前期

サ  イ  ズ・・・口径:21.8cm  高台径:13.0cm

 

 

 ところで、この皿についての紹介は以上の通りとさせていただきますが、この皿については、以前、今では既に閉鎖してしまっている拙ホームページの「古伊万里への誘い」でも紹介していますので、ここで、その紹介文を再度掲載したいと思います。

 

 



<「古伊万里への誘い」での紹介文・・・その1>

 

*古伊万里バカ日誌143 : 古伊万里との対話(染付陽刻文の皿)

                      (平成28年2月筆)

 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  陽 刻 (伊万里染付 花 陽刻是武字文輪花皿)

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 どうやら寒さも峠を越えた感があり、三寒四温の日々が続いている。
 主人は、押入れから一枚の皿を引っ張り出し、廊下の陽だまりに座り、日向ぼっこをしながらその皿との対話を始めた。

 


 

主人: だいぶ寒さも緩んできたな~。今日は、ゆっくりと、日向ぼっこをしながら四方山話をしよう。

陽刻: そうですね。いくらか暖かくなってきたところで、日向ぼっこをしながら四方山話をするのもいいですね。
 廊下の陽だまりで、古伊万里を片手に、古伊万里に話しかけている光景は、いかにも、田舎の平凡なご隠居さんが骨董をいじっているという光景で、平和でのどかな光景ですね。

主人: そうだよね。平凡ながら、のどかで平和なのが一番だね。
 ところで、まずは、お前を手に入れた経緯あたりから話そうかね。

陽刻: どのような経緯で私を手に入れたんですか?

主人: あれは、5年程前だったかな。市主催の「歴史探訪講座・移動学習」というものがあり、それに申し込んで行ってきたんだ。その際、お前を手に入れたんだ。
 それは、「明治大学博物館」という所で、市内にある「玉里舟塚古墳」という遺跡から出土したものがその時特別展示されているというので、それを見てこようというものだったんだ。「明治大学博物館」というのは、東京の神田にあり、明治大学の校舎ビルの地下にあった。そこまでは市のバスで行ってきたんだ。
 もっとも、お前を手に入れたのはそこではないよ。「明治大学博物館」での勉強は午前中で終り、昼食は浅草で食べることになっていて、浅草まではバスで移動した。昼食後2時間程自由時間となったので、私は、今度は、午前中は「歴史探訪」であったが、午後は「「古伊万里探訪」とすべく、一人で浅草寺界隈の骨董店を巡ることにした。そこでお前に巡り会い入手したんだ。

陽刻: ご主人は浅草の骨董店にはよく行かれるんですか?

主人: めったに行かないね。もっとも、そもそも、ここ10年くらいは、東京の骨董店そのものにも、めったに行かなくなったけれどね。

陽刻: めったに行ったこともない骨董店で私と巡り会ったんですね。それもなにかのお導きでしょうか。

主人: そうかもしれないね。「縁」があったんだね。浅草寺さんのお導きかね。
 ところで、お前のように、周辺の「是」という文字と「武」という文字が陽刻になっていて、薄く、シャープな造りの染付は、典型的な藍九谷とされていて高額だったんだ。それが、その時に持っていた小遣いの範囲内で買えるような低額になっていたんだよ。もっとも、見ての通り、かなりの疵物だったからでもあるけどね。

陽刻: どうして酷い疵の物を買う気になったんですか。

主人: もちろん、それは、値段が安かったからだよ。無疵完品なら高いからね。陶磁器では、土物の陶器の場合は、疵はそれほど嫌われないが、石物の磁器の場合は、疵は嫌われるんだよね。疵跡が目立つからかな。
 ところが、午前中に、「明治大学博物館」で古墳から出土した土器や埴輪を沢山見てきたばかりだろう。しかも、それらは、盛大に補修された物が多かったからね。疵に目が慣れてしまっていたんだね。そんな状況のときにお前と巡り会ったわけなので、お前の疵をそれほど酷いとは感じなかったんだね。

陽刻: 今はどう感じますか?

主人: やはり、ちょっと目障りかね。美術品として鑑賞する際にはちょっと目障りだね。美術品を鑑賞するための美術館に展示するものにはなれないのかな。当時を代表する典型的な歴史資料として博物館には入れるのかな・・・・・。

陽刻: あの~、美術館と博物館とではどう違うんですか?

主人: ん!  そう正面から改まって聞かれると返答に窮するね。
 まっ、法律的に言うと、「博物館法」(昭和26年法律第285号)第2条の規定によれば、美術館よりも博物館の方が広い概念で、美術館は博物館の一種だということになるね。また、「美術品の美術館における公開の促進に関する法律」(平成10年法律第99号)第2条の規定によれば、博物館のうちで美術品のみを展示するものが美術館で、美術品以外のものも展示するものは博物館ということになるようだね。
 だけれど、現実には、何が美術品で、何が美術品以外なのかを区分するのは難しいよね。例えば、古代瓦の残欠だって古美術品ということで美術品の仲間入りをするものね。
 そんなことで、この場では難しく考えないで、ごくザックリした概念で聞いてほしいんだ・・・・・。我々は、巷でよく言うだろう。立派な物を「美術館」入りと。それ以外のガラクタを「博物館」入りと。そんな程度で聞いてほしいんだよ。

陽刻: わかりました。軽い気持ちで聞いておきます。
 そうしますと、私はガラクタということになりますね。

主人: う~ん。そこまではっきりと言うつもりはないんだが・・・・・。まっ、敢えて、強いて区分するとすればそんなことになるのかな~(~_~;)
 やはり、美術品に属するのか、それ以外に属するのかの区分は、現実には難しいね!

 

 


 

<「古伊万里への誘い」での紹介文・・・その2>

*古伊万里ギャラリー214 : 伊万里染付 花 陽刻是武字文輪花皿

                     (平成28年3月1日登載)

 

 

 花をデザイン化したものを見込みいっぱいに大きく描き、その周辺には「是」という文字と「武」という文字を陽刻している。
 成形は、型打陽刻で、薄く、シャープである。

 この皿のように周辺の是・武の文字が陽刻になっているもののほか、是・武の文字の代わりに如意頭文が陽刻になっているものがよく見られる。

 共に、明暦、万治、寛文、延宝頃(1655~1670年代)に盛んに作られたようである。

 この時代の代表的な作例といえよう。

 

江戸時代前期    口径:21.8cm  高台径:13.0cm

 

: 上では、「その周辺には「是」という文字と「武」という文字を陽刻している。」と書いてありますが、今日(令和2年5月28日)、よくよく見ましたら、「是」という文字は見て取れますが、その他の文字のように思えるものは、何と書いてあるのか分からないようです。


伊万里 染付是字文小皿

2020年05月27日 15時53分51秒 | 古伊万里

 ここのところ、酒田の人さんや古民家ミュージアム故玩館をオープンしている遅生さんが、相次いで、古伊万里の染付文字文皿を紹介しています。

 確か、我が家にも、このようなものがあったな~と思い出し、探し出してきて紹介することにしました。

 さながら、古伊万里の染付文字文皿合戦の様相を呈してきましたね(笑)。

 

 ところで、文字文には、「是」の文字を描いた「是字文」、「武」の文字を描いた「武字文」、「是」なのか「武」なのか分からない「是武字文」、なんという漢字なのか分からない「文字様文」などがあるようです。

 では、我が家の古伊万里の染付文字文皿というものはどのようなものなのかといいますと、次のようなものです。

 

伊万里 染付是字文小皿 表面

 

 これは、ダジャレではないですが、「是」という文字であることがはっきりと分かる「是字文」であることが分かります。

 しかも、なかなか、スッキリとし、シャープで、文字もお洒落にデザイン化され、周辺を薄い瑠璃釉で塗り埋めるなど、上品な仕上がりですよね(←自画自賛)。

 酒田の人さんのところのものは、「是」という文字なのか「武」という文字なのかがはっきりしない、「是武字文」というところですね。

 また、古民家ミュージアム故玩館をオープンしている遅生さんのところのものは、なんという漢字を描いたのかが分からない「文字様文」というところでしょうか。

 次にこの小皿の裏面ですが、裏面は次のようになっています。

 

伊万里 染付是字文小皿 裏面

 

 

 しかし、裏面を見ますと、ちょっと古格を感じさせませんね(-_-;) 江戸前期を通り過ぎ、江戸中期にさしかかるのではないかと感じさせます(><)

 その点、古民家ミュージアム故玩館をオープンしている遅生さんのところのものは、明確に初期伊万里に属するものですから、江戸前期もその初めの頃に作られたことが分かります。

 また、酒田の人さんのところのものは、初期伊万里に続く、古九谷様式に属する時代のものであることが分かります。

 それにひきかえ、我が家のものは漢字の文字は一番ハッキリとしているものの、時代が足りません(-_-;) 裏面からは、古九谷様式も通り過ぎ、次なる古伊万里様式の様相を呈します。江戸時代も前期から中期へとさしかかりますね(-_-;)

 結局、順位を付けるとすれば、骨董は時代が命ですから、第1位は古民家ミュージアム故玩館をオープンしている遅生さんのところのもの、第2位は酒田の人さんのところのもの、第3位は我が家のものということになるでしょうか、、、。

 

製作年代: 江戸時代前期末~中期

サ イ ズ : 口径:14.1cm  高さ:2.4cm  高台径:9.1cm


伊万里 金襴手石畳乗馬人物文輪花形小皿

2020年05月26日 15時23分10秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 金襴手石畳乗馬人物文輪花形小皿」の紹介です。

 ここのところ、小皿の紹介ばかりが続きますが、我が家には小皿のコレクションが多いものですから、いきおいそのようになってしまうようです。ご了承ください。

 もっとも、考えてみれば、現代でも、各家庭で所蔵している陶磁器では、小皿の数が一番多いと思うんですよね。それは、昔の家庭でも同じだったと思うんです。そうであれば、現代まで伝世している陶磁器では、小皿が一番多いということになりますよね。その結果、骨董の市場に登場してくるのも小皿が一番多く、私も、それを買ってくる場合が多いので、結局、我が家のコレクションの中では小皿が一番多いという結果を招いているわけです。

 前置きはそのくらいにして、さっそく、「伊万里 金襴手石畳乗馬人物文輪花形小皿」を紹介します。

 

 

小皿全体の表面

 

 

 これは、「金襴手」と言われるだけあって、金襴緞子を見ているかの如くで、艶やかであり、華やかです。

 でも、海外輸出用のキンキラキンの「金襴手」とは違って、どこか、落ち着きのある艶やかさであり、華やかさです。たぶん、これは、国内の富裕層向けの高級食器だったのでしょう。

 この小皿は、全体的に見ても、艶やかであり、華やかですが、部分的に見ても、艶やかであり、華やかです。

 見込み面に描かれた石畳文も、色彩豊かで、文様もバラエティー豊かで、艶やかであり、華やかです。

 

見込み面に描かれた石畳文の部分

 

 

 周辺には、馬に乗った人物が描かれています。その人物は2個所に描かれていますが、それぞれ、背景の染付文様が異なっています。

 

 

馬に乗った人物文の部分 (その1)

 

 

馬に乗った人物文の部分 (その2)

 

 ところで、ここで、馬に乗った人物を子細に見てみますと、騎馬武者ではないようですね。私は、騎馬武者が描かれているものとばかり思っていましたので、いささか拍子抜けでした(-_-;) 

 よく見ますと、お坊さんのような人物が描かれています。ということは、この小皿は、裕福な、上級武士向けにつくられたものではなく、寺社向けにつくられたものなのでしょうか、、、?

 

 

 周辺には、もう1種類、馬に乗った人物文の他に2個所に花が描かれています。よ~く見てみますと、花は、2種類描かれているようです。1種類目の花は椿とアヤメでしょうか、、、? これまた、金を多用し、絢爛豪華の極みです。

 

椿とアヤメを描いたと思われる部分

 

 

 2種類目の花は、牡丹とアヤメを描いたのでしょうか、、? こちらも、金を多用し、絢爛豪華の極みです。

 

牡丹とアヤメを描いたと思われる部分

 

 

 それに反し、裏面は、無文で、あっさりしています。

 しかし、薄作りで、造形は厳しく、高台内に描かれたクッキリとした二重角福銘は、自信のほどを伺わせます。

 

裏面

 

 

 ただ、残念ながら、口縁に補修の跡が見られます。しかし、その補修跡は、表面からはほとんど見えませんので、鑑賞には支障がないようです。

 

口縁には、何個所か、補修した跡が見られます。

 

 

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径:14.5cm  高さ:3.5cm  高台径:7.1cm