Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

家庭菜園作業

2022年04月30日 20時49分39秒 | 家庭菜園

 今日は、一日、家庭菜園の作業をしました。

 作業の主な内容は、里芋の植え付けです。

 里芋は、八つ頭、ワセイモ、竹の子芋(京芋?)と丸い里芋(名前がよくわかりません)の4種類を植えました。

 なお、里芋と里芋との間にショウガを植えました。

 これは、初めての試みです。何時も、ショウガはよく育たず、元が取れているのかどうか分らなかったのですが、たまたま、ネットで、ショウガを里芋と里芋の間に植えると良く育つということが書かれていましたので、今回、試してみることにしたわけです。

 ショウガは日当たりが良すぎると良く育たないのだそうですね。里芋の陰に隠れると良く育つのだそうですね。それを、コンパニオンプランツと言うとか、、、。私は、無農学なものですから(笑)、なんでも日当たりが良ければ良く育つと、バカの一つ覚えで、日当たりの良い所に植えていたから育たなかったわけですね(~_~;)

 今年は良く育つかもしれません(^-^*)

 なお、サヤエンドウとスナップエンドウが出来てきましたので、まだ少量ですが、初収穫をしてきました(^-^*)

 スナップエンドウは、これまで作っていなかったのですが、昨春、春蒔きスナップエンドウというものを初めて作って上手くいったものですから、今年も作ってみたわけです。もっとも、今回は、春蒔きではなく、普通に晩秋に種を蒔きました。

 また、サヤエンドウは、一昨年に種を採るのを忘れたため、昨年は春蒔きサヤエンドウを蒔いて収穫せざるを得ませんでしたが、今回は、これまた、春蒔きではなく、普通に晩秋に種を蒔きました。ただ、今回は、新種の種を買ってきて蒔いただけではなく、在来の種も知人の所から手に入れましたので、2種類のサヤエンドウを蒔きました。つまりは、サヤエンドウは、従来の2倍もの種を蒔いたわけです(~_~;)

 結局、エンドウ豆としては、従来の3倍も種を蒔いてしまったわけで、凄い量が採れることになるわけですね。それで、最盛期になったらどうしようと、今から悩んでいます(><)

 

 

手前の1/3が新種のサヤエンドウ、中頃の1/3が在来種のサヤエンドウ、

奥の1/3がスナップエンドウ

 

 

出来はじめたスナップエンドウ

 

 

出来はじめた在来種のサヤエンドウ


アーミッシュの謎

2022年04月27日 18時16分13秒 | 読書

 「アーミッシュの謎──宗教・社会・生活」(ドナルド・B・クレイビル著 杉原利治/大藪千穂訳 杉原利治監修 論創社 1996年6月15日初版第1刷発行)を読みました。

 

帯を着けた状態

 

 

帯を外した状態

 

 

 本書は、翻訳者の一人であり、監修者でもあります杉原利治さんこと故玩館館主の遅生さんからプレゼントされたものです(^_^)

 本書は、アーミッシュの人々を紹介する観光ガイドブック的な類いのものではなく、アーミッシュ社会の成り立ちについて、かなり突っ込んだ分析を行ったもので、いわば、社会学的な本格的な研究書といったものでした。

 アーミッシュの人々の生活は多くの謎に包まれているということですが、本書では、「はじめに」で、それらの謎のいくつかを列挙していますので、まず、次に、その「はじめに」を紹介いたします。

 

「はじめに」

 アーミッシュの生活には、多くの謎がある。電話は家の中ではタブーなので、農場のはずれに電話ボックスがある。納屋で使われる強力なトラクターは、畑や牧草場ではほとんど使用されない。彼らの農場では、馬が近代的な干し草結束機やトウモロコシ収穫機を引っ張っている。最新の計算器の使用は許されるのに、コンピュータはダメだ。自動車を所有したり、運転したりすることは禁止されているけれども、移動や旅行、そして輸送のためにはバンや乗用車を自由に借りて使う。公共の電線から電気を引くことはできないが、バッテリーからとった12ボルトの電流は広く利用されている。また、伝統的な衣服は合成繊維からできている。

 アーミッシュの生活では、新しいものと古いものとが奇妙に混在しているので、私たちは当惑してしまう。実際、現代の人々にとって、これらの組み合わせは異常であり、一見バカバカしくみえるかもしれない。しかしながら、私達を当惑させる謎の断片の数々を、彼らの歴史照らして寄せ集めてみるならば、これらの謎は非常に納得できるものであるだろう。謎の多くは、現実的な、そして文化的な妥協である。つまりそれは、彼らが、それまでの伝統的なやり方と近代化の強大な圧力との間に結んだ契約といえよう。

 アーミッシュの居住地は、アメリカの20州とカナダのオンタリオ州に散在している。この本は、最も歴史が古く、最も人口密度の高い居住地である、ペンシルベニア州ランカスター郡のオールド・オーダー・アーミッシュ(Old Order Amish)の生活に基づいて書かれている。このコミュニティに対する容赦のない都市化の圧力は、数多くの興味ある謎を生み出している。アーミッシュの謎の細部は、居住地によって異なるが、この本に出てくる謎に関係した文化的価値によって、他の多くのコミュニティの生活も同様に支えられている。しかし、特定の例のいくつかは、ランカスターのアーミッシュからのものである。

 

 そして、本書では、アーミッシュの生活の謎を、次の18項目に分けて考察し、その謎解きを展開しています。

成長・・・アーミッシュは、現代社会の中で、どのようにして栄えているのか?

分離・・なぜ、アーミッシュは、近代世界から分離するのか?

宗教・・なぜ、信仰心のあつい人々が、宗教的シンボルや教会の建物を拒絶するのか?

謙虚さ・・なぜ、謙虚さは大切な価値なのか?

シャニング・・なぜ、穏やかで心やさしい人々が、従わないメンバーをシャニングするのか?

社会の変化・・どのようにして、アーミッシュは社会変化を調節するのか?

自動車・・なぜ、自動車の所有は許されないのに、使用することはかまわないのか?

乗り物・・なぜ、ある乗り物は受け入れられて、他のものは禁止されているのか?

トラクター・・なぜ、トラクターは、納屋の近くでは許可されるのに、畑や牧草場では使えないのか?

農機具・・なぜ、近代的な農機具を引っ張るのに、馬が使われているのか?

電話・・なぜ、アーミッシュの家では、電話が禁止されているのか?

電気・・なぜ、ある種の電気は許されるのに、他のものは使用できないのか?

動力・・電気を使わないで、どうやって近代的な機械を動かしているのか?

職業・・なぜ、容認される職業と、タブー視されるものとがあるのか?

教育・・なぜ、アーミッシュは、弁護士、医者、歯医者といった専門職のサービスを利用するのに、高等教育に反対するのか?

若い頃の放蕩・・なぜ、アーミッシュの若者は、十代に反抗するのか?

寄生者・・アーミッシュは、アメリカ人の生活にたかっているのか?

進歩・・アーミッシュは、現代世界から遅れているのか、それとも進んでいるのか?

 

 これらの各謎解きにつきましては、ここでの紹介は省略させていただきますが、本書の翻訳者の一人であり、監修者でもあります杉原利治さんが、本書の最後に「解題 アーミッシュと現代世界」を寄せておられますので、その内のほんの一部を紹介し、本書の紹介に代えさせていただきます。ただ、紹介部分が少なく、十分にその趣旨が伝わらないことをお許しください(~_~;)

 

 

「解題 アーミッシュと現代世界」

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 著者のD.B.クレイビルは、社会学者である。彼は、エリザベスタウン・カレッジの社会学教授であると同時に、同大学のアナバプテスト&ピエテストグループ研究センターの所長でもある。・・・・・・・・・・・本書で彼は、アーミッシュ社会が成り立ってきた要件を社会学的に考察している。1693年のスイスでのアーミッシュ創世から、1986年のコンピュータ禁止にいたるまで、アーミッシュが歴史の遺物ではなく、まさに現在進行形のものであることを教えてくれる。

 アーミッシュの世界に接するとき、人はまず、彼らのライフスタイルに驚かされる。電気屋電話をひかない。移動にはもっぱら馬とバギーを利用する。白い大きな納屋のまわりや広大な農場では、夜明けから日没まで、家族全員による農作業が営まれる。どうして彼らは、外の世界の人間からみれば特異ともおもえる生活をおくってきたのだろうか。本書は、アーミッシュについての歴史的、社会的背景をもとに、数々の疑問を一つ一つ解いている。そして読者は、アーミッシュの世界が、暗くて貧しい農村のイメージをはるかに超えたものであることにすぐ気づくだろう。

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 私達が驚きをもってながめるアーミッシュの世界は、それほど昔のものではない。ほんの百年ほど前までは、どこにでもみられたありふれた光景にすぎない。老人や障害者も家族の一員として同じように働き、いっしょに暮らす。それは日本の邑(むら)の概念に近いものである。ランタンの明かりの下での食事と語らい、一日の変化や季節に応じての仕事、女性達があつまって作り上げる美しいキルト、コミュニティのメンバーによってなされる結婚式、葬式、いろいろな相互扶助。アーミッシュのようなゆっくりと流れる時間意識と独自の生活文化は、近代化の波の中でいつしか薄れてしまった。しかし、失ってしまったこれらのことがらに想いをはせ、人間性を回復しようとの試みがなされるときにはいつでも、はるか遠くに見えていたアーミッシュは現代の私達に近づき、新鮮な輝きを増すことだろう。そして、その時には、次のような問いが繰り返されるに違いない。「進歩とはなんだろうか?」


ゼンマイ(その2)

2022年04月24日 12時45分51秒 | 山菜など

 昨日は、良いお天気でしたので、ゼンマイの乾燥も随分と進みました(^_^)

 お天気が良いと、良く乾きます(^-^*)

 昨日の一日だけで、完成の一歩手前というところまでに進みました(^_^)

 まだ、太いゼンマイが生乾きですが、それも含めて、全体を更に乾燥させて出来上がりです。

 食べる際は、これを一旦水で戻して使用します。

 

ほぼ完成したゼンマイ


ゼンマイ

2022年04月22日 19時43分40秒 | 山菜など

 今日は、いつもの散歩コースを変え、その散歩の途中でゼンマイを採ることにしました。

 ゼンマイは、ワラビやタラの芽よりもちょっと遅いのですが、多分、もう、出ているだろうと予想したわけです。

 案の定、やはり、予想通り、出ていました(^_^) 

 我が家では、毎年、お正月にゼンマイを食べることにしているわけですが、お正月の料理用には十分な量が採れました(^-^*)

 

採ってきたゼンマイ : 結構な量が採れました。

 

 

ゼンマイの拡大写真:頭頂部に綿のような物が付いています。

 

 

ゼンマイを水に浸し、頭頂部の綿のような物とその中にある

葉っぱの子供(?)のような物を取り除きます。

 

 

頭頂部の綿のような物とその中にある葉っぱの子供(?)のような物

を取り除いた状態の拡大写真です。葉っぱの子供(?)のような物

が1枚分残ってしまいましたが、それは取り除きます。

 

 

頭頂部の綿のような物とその中にある葉っぱの子供(?)のような物を取り除いた

状態のものです。小さなバケツの半分ほどの量が採れました。

 

 

 ここまで処理しましたら、今度は、鍋で湯を沸かし、鍋の中に頭頂部の綿のような物とその中にある葉っぱの子供(?)のような物を取り除いた状態のものを入れて茹で、ゼンマイの茎がシンナリするくらいになりましたら鍋から取り出し、天日干しします。

 

 

天日干しを始めたばかりの状態の写真です。

今日は、上の写真の3倍ほどの量が採れました(^-^*)

四隅に写っている物は、風で飛ばされないようにするための重し用の石ころです。

 

 

 ゼンマイは、干している最中、途中、何回か手で軽く揉みながら、カラカラになるまで干します。晴天が続けば2~3日で干し上がります。

 出来上がったゼンマイは、密封容器に入れ、保存します。

 我が家では、それを正月料理用に使用しています。


ワラビとタラの芽(その2)

2022年04月17日 08時58分07秒 | 山菜など

 昨日の散歩の際、また、ワラビとタラの芽を採ってきました(^-^*)

 前回(4月11日)の散歩の際にも、ワラビとタラの芽を採ってきたわけですが、昨日の散歩の際にも、やはり、前回採った場所とほぼ同じ場所にワラビとタラの芽が出ていましたので採ってきたわけです。

 今回は、前回に比べ、ワラビは大きくなっていましたが、タラの芽の方はちょっと大きくなり過ぎというか、葉に生長していました(~_~;) でも、天麩羅にする分にはそれほど支障はなさそうです(^_^)

 

 

太くて長い、産直で売られているような立派なものばかりは採れませんでしたが、

それでも、少しは立派なものも採れました(^-^*)

 

 

 

生長し過ぎで、かなり葉になっていました(~_~;) でも、天麩羅にする分には、

さほど支障がありませんので採ってきました。8個採れました(^-^*)