Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染付 山水文 盃 (一対)

2022年08月29日 12時28分06秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 山水文 盃  (一対)」の紹介です。

 これは、前日(8月21日)の古美術品交換会で競り落としてきたものです。

 題名が「染付 山水文 盃  (一対)」などと、麗々しくなってはいますが、何のことはありません、1個が疵物で、その疵物だけでは売り物にならないので、無疵のものにオマケとしてくっつけて「一対」として競りに掛けられたものです(~_~;) つまり、実態は、1個の値段として落札してきたものです(^_^)

 

 

染付 山水文 盃  (一対)

正面(仮定)

右側が疵物(口縁に2箇所の疵)

 

 

正面の裏側面

 

 

底面

 

 

 

染付 山水文 盃  (一対)の内の無疵の物

 

正面(仮定)

 

 

正面から右に約90度回転させた面

 

 

正面の裏側面

 

 

正面から左に約90度回転させた面

 

 

見込み面

 

 

底面

 

 

生 産  地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ :  無疵---口径5.6cm 高さ4.7cm 底径3.1cm

       疵物---口径5.5cm 高さ4.7cm 底径3.1cm


染付 松岩波文 小皿

2022年08月27日 12時57分51秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 松岩波文 小皿」の紹介です。

 これも、先日(8月21日)の骨董市で買たものです。前回紹介しました「染付 草花文 小皿」も、同日に同骨董市で買ったものですが、売っていた業者さんは異なります。

 この小皿は、前回紹介しました「染付 草花文 小皿」とは異なり、疵も無く、綺麗な状態で売られていました。

 従いまして、前回紹介の「染付 草花文 小皿」とは異なり、小さな皿なのに、値段が可愛らしくありません(><) 前回紹介の「染付 草花文 小皿」が、「昔10,000円、今1,000円」であったのに対し、これは、一人前の値段で売られていました(><) もっとも、時代もありそうですし、業者さんも、「藍九谷ですよ」と言っていましたので、まっ、穏当な値段かもしれません、、、。

 それで、値段が可愛らしくありませんので、「どうしたものかな~」と迷いましたが、「最近では、この手の物は、なかなか市場(しじょう)に出てこないからな~」と思い、買うことにしたわけです。

 

 

染付 松岩波文 小皿

 

表面

 

 

 骨董市で見たときは、文様は、上から順に、「松」「岩」「流水」が描かれているように見えましたので、文様としては、「松岩流水文」と表示しようと思ったのですが、どうも、一番下の文様は、「流水」というよりは「波」に近いと思いましたので、「松岩波文」と表示することにしました。

 

 

裏面

 

 

裏面の拡大

 

 

 上の写真からも分りますように、この小皿は、前回紹介しました「染付 草花文 小皿」よりは全体がやや厚ぼったい造りで、高台造りにも薄く鋭いキレがありません(><) また、裏文様も江戸中期によく見られる文様に近くなっています。

 そんなことから、この小皿の製作年代は、骨董市で見たときは、「江戸時代前期」はあるかなと思ったのですが、「江戸時代前期」の終り頃から「江戸時代中期」の始め頃のものであろうと思うようになりました。従いまして、「江戸時代中期」とするのが無難のように感じています。

 表の文様は、いかにも「藍九谷」風ですが、「藍九谷」の特徴をまだ残している作風のものと見るのが妥当なように思われますので、やはり、この点からも、製作年代は「江戸時代前期」の終り頃から「江戸時代中期」の始め頃のものであろうと思うようになったわけです。従いまして、この点からも、「江戸時代中期」とするのが無難のように思います。

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 13.8cm 高さ2.6cm 底径9.0cm

 

付記2023年1月16日に紹介した「染付 岩松波文 小皿」と同手


染付 草花文 小皿

2022年08月25日 13時09分53秒 | 古伊万里

 先日(8月21日)の骨董市で買ってきた「染付 草花文 小皿」の漂白作業が終わりましたので、それを紹介いたします。

 先日の骨董市で見かけた時には、全体に汚れが酷く、汚れでニューもクッキリとし、高台畳付き部のソゲ疵も汚らしく 汚さが目だっていました(~_~;)

 そんなこともあり、「昔は10,000円だったが、今は1,000円」ということでした。しかし、見れば、時代もしっかりとあり、最近では、なかなか見かけることの出来ないほどの物でしたので、1,000円で買ってきたわけです。

 

 

染付 草花文 小皿 (漂白前)

 

表面

全体に汚れてます。

全体に焼が甘くジカンが走り、ニューも目立ちます(~_~;)

 

 

表面の拡大

全体的にジカンが走り、ニューも目立ちます(~_~;)

 

 

裏面

高台内には、10,000と表示した古い値札が貼付けられていますので、昔は

「10,000円」で売られていたことが分ります。

全体に汚れが酷く、高台畳付き部の時計の針の9時の方角にはソゲ疵があり、

高台内には太いニューも見られます。

 

 

裏面の拡大

高台内には、10,000と表示した古い値札が貼付けられていますので、昔は

「10,000円」で売られていたことが分ります。

全体に汚れが酷く、高台畳付き部の時計の針の9時の方角にはソゲ疵があり、

高台内には太いニューも見られます。

 

 以上のように、汚れが酷かったのですが、漂白剤の中に2~3日浸けておけば、かなり綺麗になるだろうとの期待を込め、2~3日の間、漂白剤の中に浸けておきました。

 その結果の写真は次のとおりです。

 

 

染付 草花文 小皿 (漂白後)

 

表面

全体的に、だいぶ綺麗になりました(^_^)

全体的に走るジカンの筋は消えませんが、ニューはほとんど目立ちません。

 

 

表面の拡大

全体的に、だいぶ綺麗になりました(^_^)

全体的に走るジカンの筋は消えませんが、ニューはほとんど目立ちません。

 

 

裏面

全体の汚れも消え、高台畳付き部の時計の針の9時の方角のソゲ疵も殆ど分らなくなり、

高台内の濃くて太いニューの線もだいぶ薄らぎました(^_^)

 

 

裏面の拡大

全体の汚れも消え、高台畳付き部の時計の針の9時の方角のソゲ疵も殆ど分らなくなり、

高台内の濃くて太いニューの線もだいぶ薄らぎました(^_^)

 

 

 綺麗にした状態で改めてこの小皿を見てみますと、裏文様などから見ても、やはり、時代は古いものであることが分ります。また、造形的に見ても、全体はやや薄作りで、高台造りにも厳しいものがあり、製作年代は江戸時代前期に遡るのではないかと思われます。

 そのようなことを考えますと、「昔は10,000円だったが、今は1,000円」というのは、ちょっと、可哀想な気がします(^_^) 今でも4000円~5,000円はするのではないでしょうか、、、(笑)。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期

サ イ ズ : 口径14.1cm  高さ2.2cm  底径9.6cm


九十三歳の関ヶ原 弓大将大島光義

2022年08月24日 16時12分02秒 | 読書

 「九十三歳の関ヶ原 弓大将大島光義」(近衛龍春著 新潮社 2016年7月20日発行)を読みました。

 

 

 

 この本は、美濃の「関」にささやかな所領を持つ大島家に生まれた大島光義を主人公とした小説です。

 大島光義は、当初は、斉藤義龍の重臣の長井道利という武将の下で弓大将として働いていました。

 しかし、斉藤龍興が織田信長に破れ、斉藤義龍と大島光義の主君である長井道利は伊勢に落ちていってしまいましたので、大島光義は無禄となり、所領のある「関」に戻りひっそりと過ごします。

 そのうち、織田信長にその弓の腕を買われ、織田信長に仕えることになります。その時、大島光義は既に還暦で、扶持としては旧領の「関」を与えられました。

 織田信長の下で、数々の戦功を上げますが、本能寺の変により、再び主君を失い、騒乱に巻き込まれます。

 所領の地の「関」に戻り、なんとか本能寺の変後の騒乱がやや収まって来た頃の賤ヶ岳の戦いの後、級友の取り次ぎで丹羽長秀に仕えることができました。時に76歳でした。

 ところが、丹羽長秀に仕えてから2年と経たないうちに、丹羽長秀が病死してしまい、その後、嫡子の丹羽長重が、家中から敵方への内応者を出したとの疑いにより豊臣秀吉から減封されてしまいます。丹羽長重は多数の家臣を召し放たねばならなくなり、大島家も一旦は禄を失うはめになります。

 しかし、その後、

 

「無禄となった光義であるが、秀吉に弓の腕を認められており、秀吉の直臣となって弓頭(弓大将)に任じられた。所領は美濃の関のほか、近江の知行の代替として、摂津の豊島郡に3,535石が与えられた。その後、四国、九州、関東攻めにも参じて少なからず秀吉の天下取りにも貢献したので、さらに加増を受け、ついに8,000石を有するほどの武将となった。弓一筋の武将としては当代随一である。

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 光政(光義の長男)の活躍もあり、慶長3(1598)年には摂津の豊島と武庫郡、美濃の席田、尾張の愛智、中島のほか11,200石の所領を与えられ、光義は91歳にして晴れて大名となった。  (P.255)」

 

というほどの武将になります。

 その後、秀吉が亡くなり、関ヶ原の戦いが始まるわけですが、光義は徳川家康の東軍について参陣します。その時、93歳でした。

 ちなみに、関ヶ原の戦いの際は、大島家の家名を存続させる意味もあり、光義本人と長男の光安と四男の光朝は東軍につき、次男の光政と三男の光俊は西軍について参陣しています。

 関ヶ原の戦いの後は、家康の家臣となり、小禄ながらも大名として平穏な時を過ごし、97歳の長寿全うします。

 ところで、高齢となり健康不安を覚えるようになった光義は、家督を長男に譲ることを幕府に申し出ましたが認めてもらえないでいました。ただ、光義が亡くなった際、子供達に所領を分割させて相続させるならば、これまでの全ての所領を安堵するという内諾を得てはいました。

 大名の分割は、江戸幕府が改易政策を改めたのちに実行する政策だったようですね。藩を分割すれば結束力が弱まりますので、幕府にとっては好都合なわけで、大島家はその先駆けのようなものだったわけですね。

 ということで、光義亡き後の大島家は、次のような経過を辿っています。

 

「光義の死によって大島家の関藩は廃藩となり、新たに四家の旗本が誕生した。四兄弟の仲はとても良く、兄長を守り、争いはなかった。但し順風満帆というわけにはいかなかった。

 大島本家は嫡男の光安が光成と改名して家督を継ぐものの、孫の義豊で男子は途絶え、本家は断絶してしまう。

 次男・光政の家は川辺大島氏、加治田大島氏に分れ、三男・光俊の家は迫間大島氏となって明治維新を迎える。

 四男の光朝は大阪の陣で豊臣方に属したので没落するものの、光成らの嘆願で助命され、池田家の薦めもあり、鳥取へ赴き初代鳥取大島氏となった。

 四家とも残念ながら大名に返り咲くことはできなかった。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 弓の腕を時の天下人達に認められ、弓で生涯を生き抜いた真に類を見ない武将であった。   (P.313~314) 」

 

追 記: 上記しましたように、大島光義は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった天下人との交流があったわけで、この本では、それぞれの天下人とのエピソードも多く取り上げて書かれており、読み物としても面白いものでした。


骨董市と古美術品交換会

2022年08月21日 19時08分02秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、月に1度の定例の骨董市と古美術品交換会の日でした。

 今日は、これまでの殺人的な暑さではなく、まぁまぁな暑さで、湿気もさほどではなく、気持ちの良い夏といえるようなものでした(^-^*)

 そんなことで、気分良く、先ずは、骨董市へと出発です。

 ところが、途中から、パラパラと雨が降ってきて、「あれっ! 困ったな(><) 雨傘を持参してこなかったし、、、」と心配になりました(~_~;)

 でも、降りはそれほどでもなく、断続的にパラパラ降る程度ですので、やや安心しました(^-^*)

 そんなことで、心配はしましたが、骨董市内を探索しているうちに、だんだんとおさまり、雨の心配は無くなりました(^_^)

 骨董市では、まず、ノコギリに目が留まりました(笑)。

 ここのところ、骨董市に行くと、ノコギリに目が行くんです。と言いますのは、何年か前にもこの骨董市でノコギリを買っているのですが、そのノコギリの切れ味が悪くなってきましたので、手頃のものが出てきたら買おうと思っていたからなんです。

 未使用品のもので、1,000円という値段のものが目に付いたものですから、買うことにしました。

 良く見ますと、そのノコギリには「角田金物 2,200円」という古い値札が付いていますが、新たに1,000円という値札が付いていたんです。以前は角田金物店で2,200円で売られていたのですね。それが売れ残り、回り回って、この骨董市で1,000円で売られるようになったのでしょう。

 

買ってきたノコギリ

上から1/4程の所に、「角田金物 2,000円」との古い値札が貼ってあります。

歯と柄の堺付近に「1,000円」の新しい値札が貼られています。

 

 

 ここのところ気になっていたノコギリをゲットできましたので、次ぎに、お目当ての古伊万里を探します。

 先ずは、「伊万里 染付 草花文 小皿」(江戸時代前期)が目に留まりました。

 見れば、表面は全体的に汚れ、また、全面にジカンが走り、ニューまであって、そのニューにも汚れが入り込み、いかにも汚らしい状態です(><)

 次いで、裏面を見ましたら、これまた汚らしく汚れ、高台には疵まであります。それなのに、それなのに、です! なんと、「10,000円」の値札が付いているではないですか(≧◇≦)

 それで、私も、つい、「これ、10,000円もするの、、、!」と店主に聞いてしまいました。

 そうしましたら、店主は、「昔はね、、、」との返答です。

 それで、私は、「では、今はいくら?」と聞きましたら、「今は、1,000円」とのこと、、、。

 それで、「そう、それならもらっていくよ」ということで、私の所有となりました(^-^*)

 これまた、ノコギリ同様、古伊万里の値段の高かった頃の値札が付いたまま、長い間、売れ残っていたものが、回り回って、この骨董市で1,000円で売られるようになったんですね。

 この古伊万里の汚れは、漂白剤の中に2~3日浸けておけば、少しは落ちて綺麗になるのではないかと期待しています。

 それから、更に、散策していましたら、次に、「伊万里 染付 松岩流水文 小皿」(江戸時代前期)が目に留まりました。

 これは無疵で綺麗でしたが、一般には「藍九谷」と言われる真面目なものですから、やはり、お値段が張ります(~_~;)

 「どうしたもんかな、、、」と迷いましたが、最近では、この手のものはなかなか市場(しじょう)には登場してきませんので、買うことにしました。

 骨董市では、ノコギリと古伊万里2点を買いましたので、今度は、次なる古美術品交換会の会場へと向かいます。

 古美術品交換会は、だいぶ、コロナの影響も少なくなってきて、出席者も多くなり、活気が出てきました。

 でも、古伊万里の良い物はそれほど登場せず、古伊万里に関しては、低調でした。

 そのような状況の中で、1点、欲しいな~と思った物がありました。

 それは、金襴手の典型的な輸出伊万里の花籠手の大皿で、俗に元禄伊万里大皿と言われるものです。しかし、やはり、予想通り値段が高く、誰も落札することが出来ずに終りました。私は、最初からギブアップでした(><)

 それでも、古美術品交換会にせっかく出席したものですから、1点くらいは競り落としたいものよと思い、「伊万里 染付 山水文 盃(1対)」(江戸時代中期)を競り落としました。

 ということで、今日は、「伊万里 染付 草花文 小皿」(江戸時代前期)、「伊万里 染付 松岩流水文 小皿」(江戸時代前期)及び「伊万里 染付 山水文 盃(1対)」(江戸時代中期)の3件をゲットしたわけですが、これらについては、「伊万里 染付 草花文 小皿」(江戸時代前期)の漂白作業が終わった後、近日中に、順次、紹介いたします。