おさむのブログ

日常考えていることや、感じた事を書いています!!

朝の気づき

2009年11月08日 08時07分14秒 | Weblog
今朝も3時半から朝デニを楽しんでおりました。

でも日曜日の早朝は徹夜組の若者が多く、ちーと騒がしいのが難点です。

あるグループは突っ伏すように眠り、あるグループはビールを飲みながら歓談し、あるグループは大声で笑う・・・。まぁ、これが若さですからね、おじさんの出る幕ではありません。。。

で、そんな風景を横目に、先日アマゾンドットコムで目に止まったベストセラー『死ぬ瞬間(エリザベス・キューブラ・ロス)』を読み始めました。

ずいぶんと衝撃的なタイトルの本ですが、その道では大変有名な本です。

死を宣告された末期の重篤患者に対しインタビューをし、そこから『死』というものをとらえようとする内容です。人間の命の尊厳とは何か、生きるとはどういうことなのかを問いかけてくる本です。

まだ読み始めたばかりですが、医学の非人間的な処置に対する警告の部分で、少しの気づきがありました。

それは、『あ、そうだぁ、学校も同じだぁ・・・・。』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

んんんん・・・うまくまとまりません。とにかく感じたんです。それは、生徒や学生の意図に関わらず、処遇されているということに。日本の学問の最高学府である大学でさえ、教授の著書が『教科書』であり、それを丸暗記させて『テスト』がなされ、その通りに書いたものだけが単位を所得するんです。自分の洞察、創造性は必要とされない。小学校も中学校も高校も全く同じだ。ただ暗記する力だけあれば『優等生』ということになる。

近年の子供たちの反逆の骨子はそこにあるのではないか。重篤患者がそうであるように、子供たちの内なる叫びが『わが命の尊厳』を求めているのではないか。『この枠の中に納まっておれ』 と言われても、もう、そうはいかない!!!

ありゃりゃ、、、なにを書こうとしているのかわからなくなってしまいました。ただ、来年になると思うのですが、フリースクールの生徒さんたちの前でお話しをさせていただく機会ができそうなんです。そのときのことを思ったら、ふとそんなことが湧いてきたんです。

そう感じてみると、なんだかすべてが同じように見えてくる。家づくりもそう。

家づくりは住宅展示場から選ぶしかない。そう思っている人も多いようなんです。病気になったら総合病院にいくしかない、家族でご飯を食べるならファミリーレストラン・・・と同じような感じ。

そこには『一般化』したメニューが用意されている。その中からの選択肢しかない。その人の病はそのひとだけの唯一の病であるはずなのに、隣の人と同じ処方をされる。ドアも外壁も間取りも選択肢の中からしか選べない。学力テストも一派ひとからげに『評価』される。

そして、すっごく重要なことは、社会全体がそんな風だから、『そんなもんだ』と違和感を感じなくなってしまっていること!!!ひとりひとりの『存在』が薄らいでしまってきていることに麻痺していること!!!!

でも、魂はうそをつかない。その違和感を敏感に感じとっている。いま起きている『ネガティブな』現象が!!!

朝から熱いねー、とか言わないでくださいね。。。。。。(笑)

ではまた。

おさむ
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藤ヶ丘7丁目交流祭

2009年11月07日 11時20分46秒 | Weblog
北澤工務店のある(ぼくの住む)藤ヶ丘7丁目では、今日『交流祭』としてバーベキュー大会をやっています。残念ながらぼくは参加できないのですが、工夫されたゲームや飲食など、毎年7丁目公園が満杯になるくらいの賑わいを見せます。

家づくり、という仕事をしていているも思うことは、どんな構造や工法、立地やコスト、デザインにも勝るおおきな要素がある。それは、どんな人と共にその地域で暮らすのか、ということです。

仕事柄、ご近所とのいさかいを体験することがあります。

それはそれはスザマジイモノです。住んでいるのがイヤになってしまいます。窓を開けることさえ気兼ねしてしまいます。

そういう意味でも、こうした町内の『交流の場』はとってもとっても大切ですね。

『土地選び』をされている方は、どうぞどうぞ、その点もポイントにして選定されることをおすすめします。

ではまた。

おさむ
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がんばった自分に・・・

2009年11月06日 20時00分57秒 | Weblog
みなさんは 『いやー、今日もがんばったなぁ!!』という時って、どうされていますか???

自分はがんばったつもりでも、まわりの人や身近な人でさえも、必ずしもその感覚に反応してくれない。時には逆に作用したりして、いさかいの原因になってしまったりする。『おれはこんなに頑張ってるのに!』 『わたしはこんなに大変な思いをして頑張ってるのに!!!』と。

残念なことに、案外まわりのひとは、身近な人でさえも、『わたし』には自分が思うほどには関心がない。

だからぼくは、こんなことをしている。(実はさっきもやったんですけど・・)

それは、自分のアタマを、『いーこいーこ、よしよし』してあげるんだ。実際に手でアタマを『なでなで』してあげる。

ぜひぜひやってみてください。

思わずニコニコしている自分がいるはず!!!!前向きに明るくなれる自分がいる。

そうなんですよね、自分の人生の責任者は、自分以外にいないですからね。

そんな心境の楽しくも有意義な今日でした。

ではまた。

おさむ
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ダライ・ラマ14世 四国特別講演

2009年11月05日 09時01分50秒 | Weblog
入場前のセキュリティーチェックの厳しさが、ほんとうに『ダライ・ラマ』が来るのだ、という実感をかき立てます。大きな体育館にはぎっしりと人が集まりました。およそ、10000人は入ったのではないかと思います。

大きな拍手と共にいよいよ登場。

その姿を、その『存在』を、ぼくは初めて、見つめました。

なぜだか、涙があふれてくるんですね。

とめどなく、あふれてくる。

・・・・・・・・・・・・・・・

講演は始まりました。日本語と手話の通訳つきでした。

そのユーモアのセンス、自分は超能力もヒーラーでもない、人間であるということ、『愛』こそが人類共通の救いであるということ、、、、、、

講演が終了すると、なんと、聴衆からの『質問コーナー』の時間が設けられました。この時ぞとばかりぼくもでっかい声で『ハイッ!!!!!』と手を挙げたのですが、残念、ぼくの元にはマイクはきませんでした。残念。

その時の質問コーナーで感じたことがあるんです。

質問者に対するダライ・ラマの姿勢です。

ある女性が、近しいひとを数日前に失った。その悲しみをどう対処したらよいのか、という質問をした。するとダライ・ラマは、背中を丸め、合掌し、その質問者を見つめ、ほんとうに、ほんとうにその悲しみに寄り添う姿が見られた。すごい姿だった。質問者をまるごと包み込む姿だった。

世界中の怒り・悲しみを知りうるダライ・ラマは、どんな『ひと』に対しても同じ目線で、同じ姿勢で、受容されるだ・・・・・・。

またまた感動で、涙があふれて止まりませんでした。

会えてよかった。会えて、うれしかた。楽しかった。

ではまた。

おさむ




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ダライ・ラマ14世

2009年11月03日 04時51分47秒 | Weblog
今日はこれから始発電車に乗って、愛媛県は松山まで飛んできます。ダライ・ラマ14世の講演を拝聴するためです。

以前、『ガイアシンフォニー』という自主映画でダライ・ラマ14世を観て以来、その存在に大きな刺激を受けました。語る言葉ひとつひとつに魂からの願いが込められていて、ぼくは大粒の涙を流しっぱなし状態になってしまいました。なんだかこう、その存在が、自分にとって違和感がないんです。これは、特定の宗教観や信仰心からくるものではない、何か、なんです。

どうしても会いたい。

昨晩は気持ちを向けようと、久々にアタマを5厘刈りに丸めて、夜もなんだか興奮して眠れなくて、今朝を迎えました。

さてさて、どんな体験がぼくを待っているのでしょう。とってもとっても楽しみです。

ではまた。

おさむ
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