(本多ガンコ堂が罵倒する) 小田急ロマンスカーの悦楽 

1998年10月26日 | 日々のアブク
 暖かい日曜日,家族4人で新宿まで出掛ける。主たる目的は父・母の野暮用で,テニスのラケットを買いたいヨドバシカメラにも行きたいなどという,タカシやアキラには何の面白味もないオデカケである。で,子供らを納得させるために小田急ロマンスカーに乗って行くことにした。この夏,田舎のわが町にもロマンスカーが停車するようになったので(1日1本ポッキリですが),鉄道大好きっ子のアキラに一度くらいは乗せてやらなくっ . . . 本文を読む

歴史的遺産としての エディット・ピアフ

1998年10月24日 | 歌っているのは?
 歯医者の待合室でパラパラと眺めていた雑誌にエディット・ピアフ Edith Piafのことが書かれていた。いつも通りの内容,通俗的ピアフ礼賛である。その生涯は波乱に満ち,私生活は極めてダラシナカッタ。しかし,歌手としては実に偉大,力強く存在感のある歌とその生きざまには敬服せざるをえない,云々。  その昔,私にとってエディット・ピアフは少々重たい存在であった。確かに晩年のオランピアでの《アコーデオ . . . 本文を読む

弘法山の徒歩遠足 (スズぶら下げて)

1998年10月22日 | タカシ
 本日,タカシは小学校の遠足で「弘法山」に行った。後から人に聞いた話では,先日のクマ騒動の対策として一人一人が学校から支給されたスズをぶらさげ,学校から約40~50分の道のりをぞろぞろ歩いて弘法山まで出掛けたそうな。シャンシャンシャン,一年生のお通りだい,シャンシャンシャン,一年生の遠足だい,シャンシャンシャン,ってな具合だろうか。想像するだに苦笑を禁じ得ない(学校側としては真剣に考えた結果かも知 . . . 本文を読む

弟に対して“体操指導”をこころみる兄

1998年10月17日 | タカシ
 午後,歯医者から戻ると家の中にタカシとアキラが見当たらない。妻に訊ねると,暫く前から2人だけで二階でずっと遊んでいる,それもオママゴトをしているそうな。  そっと二階に上がって様子をうかがってみれば,いや違った。タカシがアキラに“体操指導”をしているところだった。    タカシ「はい,カエル。ここは着かないんだよ。」  アキラ「えー,できない,できないー」  タカシ「はい,オカアサンすわ . . . 本文を読む

行き倒れのようにして眠る

1998年10月17日 | アキラ
 最近のアキラはだんだんと夜更かしの朝寝坊になってきた。タカシの方は,学校のある日はいつも朝が早いものだから(6時半に起きて7時15分に家を出る),毎晩8時半過ぎには寝かすように仕向けている。しかしアキラは毎朝のお迎え園バスの時間が9時20分と遅いので,朝はけっこうヨユウのヨッちゃん。加えて,夜タカシがそろそろ寝る時間になると,アキラの方は何故か急にハイテンションになってくる (さぁ,邪魔者がいな . . . 本文を読む

自動車のもたらす不幸,あるいは通勤暴走オネーチャンは今日もゆく

1998年10月09日 | 日々のアブク
 今朝は大失態,家族全員そろって寝坊してしまった。7時20分過ぎにタカシの登校班の班長さんが家のインターホンをピンポンピンポン押す音でやっと目が覚めた。  それから後は,特にタカシは大忙し。お着替えをして → ビフィール飲んで → パン食べて → 歯を磨いて → トイレに行って → カバンを持ってきて。で,8時少し前にようやく準備完了,致し方なく車で小学校まで送っていくことにした。  朝のこの . . . 本文を読む

ヌ,シャンテ,パ,ラ,モール (J-R コシモン)

1998年10月08日 | 歌っているのは?
 おれはもう駄目かも知れない,と思った。背中に鈍痛を感ずる夜半,アタマの中は靄がかかったままで,イメージの混乱,意識の混濁。例えば晩秋の午後,鴇色に霞んだ渓流のほとりに一人あって,冷たい岩礫に額を押し当て,川の流れに耳をすます。じっと目を閉じたままでいると,イワナ,ヤマメの採餌行動や岩洞に潜むカジカの沈黙,さらにはオオヤマカワゲラ Oyamia gibba が水流に逆らって気忙しく胸鰓を震わせてい . . . 本文を読む

運動会の「ダンス」が心配で...

1998年10月04日 | タカシ
 好天に恵まれた本日,タカシの通う小学校で運動会が行われた。前の晩,「踊るのがどうも心配なんだ....」と弱音をはいていたので,その理由を問いただしてみると,次のような答えが返ってきた。  1年生の演技『輪になって踊ろう』で,タカシはグループの先頭なのだそうだが(一番のチビッコゆえ当然でしょう),最初にグラウンドに登場し,縦列行進で演技する場所まで歩いていく時に,何処で曲がったらいいかがイマイチ . . . 本文を読む

《生きる》,都会のなかの一本の木として

1998年10月02日 | 歌っているのは?
 夜,子供らが寝たあと,昼間レンタル・ビデオ屋で借りてきた黒沢明の『生きる』を見る。いわゆる遅ればせの追悼記念・旧作再見・温故知新・歴史探訪ということで。しかしこれが140分超の長尺物ゆえ,上映終了時刻は12時近くに及んだ。  見終ったあとでのやや疲労を伴う感想を一言でいえば,アイデア(本)については一応うなずけるが,ヴィジュアル(画)に関しては少々首を傾げざるを得ない,とそんな所だろうか。要す . . . 本文を読む