身体の不具合とか,老化とか (承前)

2023年12月10日 | 日々のアブク
 数日前のこと,久しぶりに自宅から秦野駅までの道を歩いた。駅まで最短距離の行程であるバス通り沿いのルートをとると家から3km弱ほどなのだが,その日は別ルートを選び,裏道をクネクネと少し遠回りなどしながら水無川の畔まで辿り着き,それから河川敷へと降り立って,そこからは下流方面に向かって,芝土や張石からなる河川敷の上を,ほぼノンストップで足早に歩きつづけ,結果,トータルで約4.5kmあまりの距離を歩いたことになった。アップル・ウォッチの記録では,平均ペース13分29秒/km,平均心拍数104拍/分と示された。さすがに息が上がって体躯全体がガックリと疲労したため,帰路は安直に駅前から神奈中バスに乗ってしまった。幸いに夕方前の時間帯のせいか比較的空いていたため席に座ることができたが,座席で一息ついたあとも下肢の筋肉が小刻みにピクピク収縮しているように重たく感じられた。まぁ何とも老いたる我が身の情けなさ無惨さをつくづくと思い知らされた歩行ではありました。

 ところで,自らの高齢期から老齢期にかけての屋外移動に係るスタイルを改めてざっと振り返り見れば,50才を過ぎた頃からは自動車をあまり運転することがなくなり,55才以降はさらにその傾向が強まって,そして還暦を境にクルマとはキッパリと縁を切ってオサラバした(運転免許証の返納ではなく自主廃棄処分!)。以後,7年くらい前までは,移動手段はもっぱら自転車か徒歩,まれにバス,電車等の公共機関に限られるようになった。ただし,その頃までは徒歩で出歩く機会も比較的多く,「割かし達者にそこらを歩いている小柄なロージン」といった範疇に属していたように思う。

 それが,最近では加齢に伴う生活領域の矮小化・限定化が急速に進むとともに,日常生活における移動も盆地内限定で自転車(電チャリ)でユルユルとノロノロと徘徊するくらいがせいぜいとなってしまった。当地のような坂の多い地域に暮らす者にとって電動アシスト自転車というのはまことに有難いものだ。ただ結果として,電チャリに安易に頼るあまり,近場の買い物にしろ,ちょっとした雑用にしろ,あるいは気まぐれな散策にしろ,歩くこと自体をめったに行わなくなった。アップルウォッチによる日々の歩数記録を見ると,最近は1日に平均3,000~4,000歩くらいで,5,000歩を超えることはほどんどない。こんなことじゃイカン,イカンと思いつつも。。。

 ちなみに,過去の備忘録を一寸ひもといてみれば,直近の事例では2019年の夏(7月23日)に,駅近くにある眼科クリニックまで歩いて出掛けている。すなわち今回の「駅まで歩き」は何と4年振りの歩行ということになる。かつては歩くことを自らの使命ないし天命(生きがい?)とするほどに,都会の雑踏やら郊外の住宅街やら,地方の鄙びた町並みやら田舎の農耕地の畦道やら,里地や里山,平地や丘陵地,山岳や渓谷などなど,よく見知った土地,未知の土地の別なく,いつだってセカセカとキョロキョロと歩き続け(宮本常一か!),そして国土地理院地形図の上にそれらの足跡を多々記録して悦に入っていた,そんな恥ずべき時期もあった自分ナノダ(汗)。 要するに《古えのオチコボレ地理学徒 le géographe raté de la vieille école》 を自認していた者としては,あれまぁ,随分と落ち零れたモンだ(涙)。。。 などと,ツマラヌ余計を申したが,なべては時代のなせる業,というよりも歳月がもたらした必然なのでありましょう。 Que le temps passe vite!

 なお,4年前に眼科を受診した経緯は次のとおりだ。30代の終わり頃から飛蚊症(眼前に浮かぶゴミ)がやたらと出るようになって,検査の結果,それは網膜裂孔(左:3箇所,右:1箇所)が原因であろうと判明し,横浜の眼科医院で光凝固手術(レーザー治療)を行った。その後はほどんど虫が飛ばなくなって老年期に至ったのであるが,その飛蚊症が,数年前に急に再発現したのだ。それも,かなり酷い状態で,まるで墨を流したように,あるいは黒い帯が目の前に垂れ下がるように突如出現したのだった。そのときは数10分ほどで徐々に消失したものの,これは尋常ではないゾ,という次第で慌て急いで当地の眼科を受診した。診察の結果,まだ30代と思しき女医先生は,「ま,老化ですね」とアッサリ申された。 あれま!そんだけ? 以後,投薬のみで1ヶ月ほど経過観察をおこなったのだが,その時々の治療の際は,「散瞳検査を行うためクルマを運転して来院することはお控えください」とのことで,ちょうどその日は路線バスに乗り遅れたため(何せ昼間は1時間に1本くらいしか運行されていない土地柄の住民だ),さいわい天気も良いし,ということで歩いて出掛けたのであった。この時は往復ともに歩きで,記録によれば合計距離は7.6kmとあった。そして,帰宅後に両足が攣ったようだ。備忘録には『帰宅,昼食後,椅子に座って態勢を変えたら,急に両足がキョーレツに攣る(脛と足の甲)』と記されている。 ハイハイ,老化ですから,ということか。

 それから,そうだ。過去にはこんなこともあったゾ。今をさかのぼる10数年前の話であるが,還暦記念に自宅から表丹沢の盟主たる塔ノ岳(標高1,491m)を目指して歩いたことがあった。季節は初冬。我がジンセイも初冬。それでも何とかまだ体力的には元気があるとソレナリニ自負していた頃のことだ。その日,家を出て葛葉川沿いの小道を上流方面に向かって歩きはじめ,菩提集落からはバス通りに移り,戸川駐在所の角を右折して北上する急坂を登り,県立秦野戸川公園の山岳スポーツセンターを経由し,そこから風の吊り橋を渡って,ようやく本来の登山口である大倉バス停前の広場へと辿り着いた。そこまでの距離が家から約7kmほどだ。好天に恵まれた登山日和だった。そしてそこからは,小田急線渋沢駅から大倉まで乗合バスでやって来たであろう通常の登山者たちに混じってバカ尾根(大倉尾根)を登るルートをとり,観音茶屋跡,雑事場平,見晴茶屋跡,一本松,堀山,小草平,茅場平などなどを経由しながらユックリユックリと,しかし一歩ずつシッカリとジックリと歩を進めていった。実はこのルートは私にとって10代半ば頃から足しげく通った,いわば「青春の道」なのだが,最後に登ったのは,さて何時のことだったろう。30代の終わり頃ではなかったろうか? その間,あんなこともあった,こんなこともあった。。。(センチメンタル・ジャーニーか!)
 ところが,花立山荘の前あたりまで来ると,久しぶりの山行のせいか足が登山靴にどうしても慣れることが出来ずに体力をかなり消耗してしまった。それでも何とか踏ん張って,そのすぐ先のキツイ急坂を登り詰め,花立ノ頭(標高1,370m)まではどうにか到達したが,それ以上の登攀意欲はすっかり失せてしまった。そして,我が家からもよく見える場所である花立の開けた斜面の草地に座り込み,南の方向の眼下に広がる秦野盆地や平塚,伊勢原,厚木やらの街並み,大磯丘陵,曽我丘陵と右手に望む箱根の連山,さらには正面の相模湾に浮かぶ江ノ島や伊豆大島などを眺めながら,やおらハァーッと溜息ひとつ,それで還暦記念の登攀行事は終了とあいなった。このときも確か,帰宅後には足が攣ったように思う。しかり,その時代から既にシッカリと老年の身を自覚すべきであったのだ。

 で,数日前に行った「駅まで歩行」の話に戻ると,バスで帰宅した後の夕方どき,身体全体がジンワリ疲労困憊してきたため,しばしベッドに横になって一寸仮眠することにした。すかさずレオンLéonも布団の中に潜り込んできたのだが,それから10分もたたないうちに,急に足が攣ってしまった。場所は下肢で,フクラハギ(腓腹筋・ヒラメ筋)ではなくスネの筋肉(前脛骨筋)の方,しかも両足ともで,それもかなり強烈な攣りであった。即座にベッドサイドのワゴンに日頃より常置してある「芍薬甘草湯」に手を伸ばしたのは申すまでもない。ハイハイ,老人ですから,老化ですから(御粗末様)。ヘッケル博士(!)の言葉を引用するまでもなく,個体発生は系統発生を繰り返す,って次第ですかね (藁)
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