我が家の三角庭に聳え立つカツラ Cercidiphyllum japonicum の大木が。。。昨日,オブジェになりました(汗) ま,それはそれとして(なべては浮世の定めなりけり),久しぶりに拙い文章書きなんぞを試みることにする(繰り言めいた,リハビリ・リハビリ)。
それがいつのことだったか知ら,もうスッカリ忘れてしまったけれど,以前「林檎フリーク」なる事案に関するバカ話を書いたことがあった。以下はそのバカの続きになる。
本年の年明け早々,性懲りもなく臆面もなく,またまた林檎製品を購入しちまった。事の次第はこうだ。ここ数年来,iPhoneと一緒に使用しているワイヤレス・イヤホン(bluetooth接続)が最近何やら調子が悪くなってきており,耳にイヤホンを装着して様々なジャンルの音楽とか,あるいはYouTubeをはじめとする諸々の音源とかを聴く際に,通信の断続的ないし一時的な障害や音声の微妙な変調等々のストレスが時折発生することがあって,精神衛生上宜しくない状況に陥ってしまった。そのため,あぁ,これはもう寿命なのかなぁ。ここらで思い切って新らしいイヤホンに変えたいなぁ。いっそのこと,iPhoneと親和性の高いであろうアップル純正のAirPodsにしちゃおうかナー。などと,いささか手前勝手で無謀なる欲望が我が老いたる身に芽生えたのでございました。
しかしながら,今までに使っていた安物,もとい比較的安価なイヤホン(Elecom製)と違い,アップル純正品はかなり高価である。とりわけ貧困老人たる私ごときにとっては,すこぶるウルトラ高価である。さりとて一方では,最近巷でよく見かける,通りを行き交う人々の耳から垂れ下がっているあのウドン,もといAirPodsとやらの雰囲気とか触感とか装着感や使用感とかを願わくば死ぬまでに一度だけでも実体験してみたいなぁ。。。というワガママな思いを消し去ることも出来ずにいて,そこでそんな時にこそビンボー老人が考える手っ取り早い常套手段として「手持ちの反物」を質に入れて何がしかの金銭を工面するに限る,という次第で,幾つかの手順を経たのち,何とか購入資金を調達することができた(これもまた虚仮の執念)。そして次なるステップとして具体的な機種選定に入り,結果,購入ターゲットに決めたのは「Apple AirPods(第3世代)」なる製品である。流石に最上位機種であるProの方はしばし悩み躊躇した挙句に選択肢から外したが,この第3世代の方だって,私ごときには充分に分不相応といってよいかと思う。年始セールとかで一時的に「値崩れ」していたのが僅かな幸いであった。
下らぬ能書きはさておき,首尾よく当該製品を入手して以来,ここ最近の私を少なからず悩ませていたイヤホン・ストレスに関してはほぼ消滅したといえるほどにまで改善し,毎日を気持ちよく有意義に,楽しく能天気に過ごせるようになった。ま,「老いらくの春」とでも申しましょうか。もちろん利用形態は片方向(聞く一方)に限られ,双方向(手ブラ電話とか)の用途には全く利用していないけれども。
加えて嬉しいことに有難いことに,純正品の購入特典として,アップル社が提供している「Apple Musicアップルミュージック」というストリーミング配信サービスが6ヶ月間無料で利用できるということだった(通常は1ヶ月あたり1,080円かかるようだ)。何でも,そこでは凡ゆる音楽の各ジャンルを取り混ぜ,合計1億曲以上もの楽曲が含まれているという。ヲイヲイ,老い先短い身としてはそんなの 豚に真珠 les perles aux pourceaux ですぜ。ま,それだけ選択の幅が拡いということは単純にウレシイ訳なンだけれども。だいたいのところ,当方が専ら聴く音楽はバロックやクラシックとか,昔のシャンソンとか,サンバとかボサノバとか60~70年代のアメリカンポップスとかくらいが精々のところだが,それとて十分に満足している。例えば,朝比奈隆指揮・大阪フィルが演奏するブルックナーの交響曲第8番など,ちょっと前までは夕方恒例の仮眠時におけるお気に入りの楽曲にチョイスしていた。
そんななか,シャンソン関係の曲をアレコレ検索ながら試聴していたところ,昨年,マルセル・ムルージMarcel Mouloudjiの新しいCDが出たことを遅ればせながら知ることとなった。それは,全39曲が入った2枚組のCDアルバムで,題して《crooner et poèteクルーナーと詩人》。生誕100年記念だという。そうか,ムルージの没後はや30年近くもの年月が過ぎたわけだ。私が徒に無駄に生を重ねているうちに,ああ,もうそんなになっちゃったか。 Que le temps passe vite!
ところで,クルーナーという言葉は私にとって初耳だったので,取りあえずネットでググってみたら,著名な音楽評論家であった故・中村とうよう氏による以下のような解説を見つけた。「1930年代に現れた,あるタイプのポピュラー歌手を指す言葉。B.クロスビーがその代表で,ちょっと鼻にかかった柔らかい声と,ジャズから学んだ節まわしを特徴とした。それまでの歌手たちが,張った声でメロディをストレートに歌っていたのに対して,しゃれた軽快な感じが大いに受けた。ソフトな発声はちょうどそのころ普及し始めたマイクロホンをうまく生かしたものでもあった。」。 なるほど,多芸多彩なムルージの歌唱のなかにはそういう面も色濃く見られるだろうし,とすれば,そのような「レッテル貼り」もムルージにはある意味で相応しいのかも知らん。ま,極私的偏屈的シャンソン聴取者に過ぎない私にとってはレッテルなぞ別にドーデモイイことなんですが。
CDの冒頭の曲は《L’amour, l’amour, l’amour 恋,恋,恋》,次いで2曲目に《Oiseau des îles de ma tête 僕の頭のなかの島嶼に棲みついた鳥》,そして3曲目が《Un jour tu verras いつの日か》,4曲目が《La femme ラ・ファム》と続く。ああ,何という選曲の流れだろうか! いずれも,「ムルージ流センチメンタリズムの真骨頂」ともいえる唄いぶりのポエジーなのだけれども,こんなのがクルーナーというのであれば,それはそれで素直に納得する。特に2曲目の歌は,個人的にはずっと昔から好きな歌だった。恐らく世間的にみれば,長らく何処かの草葉の陰にでも埋もれていたような地味な歌,みたいな位置付けではなかったろうかと思われる(違うかな?) その「忘れられた佳曲」が,現在のこの世界,コロナだ!ワクチンだ!戦争だ!! と,なべての価値観が混乱し困惑し,怒りや憎しみや嘆きや悲しみが蔓延するようになってしまった,まるで「盲目な衝動から動く」ギスギスした現代世界において,たとい静かに然りげなくではあったとしても,改めてこうしてふたたび陽の目をみるようになった,そのことがワタクシ的にはとても嬉しい。何という運命か。素直にシミジミと嬉しい。何という僥倖か。我知らずジンワリ涙が滲むほどにも嬉しい(グスン)。
いささかコトバが乱れてしまったけれど,老残の身から出た繰言として何卒ご勘弁の程を。そんなわけで,今このような好企画・良選曲を世に送り出してくれたヒトビトに対する末端愛好者の側からの細やかなる感謝の意をこめて,以下にヘタくそな反訳(=意訳&勝手訳)を臆面もなく遠慮会釈もなく示しておくことにしよう(それが逆効果にならないことを秘かに願いつつ。。。)
僕はよく覚えている それだけで十分だ
遠くから聞こえる 君の笑い声,君の話し声
鳩のように鳴く 君のことだけを想う
僕の頭のなかの島嶼に棲みついた鳥のことを
君は大声で叫び そして君は掟を定める
それらの障壁は僕を惑わせる
君と僕との煉獄のなかで
僕の環礁,僕の珊瑚,僕の島
僕の南洋の青色インク
君の乳房はクマシデの樹の匂いがした
僕は君の月のような肌に魅せられる
黒くて艶のあるその肌はとても誇らしげだ
星がままたく夜空のような肌
金のように高貴な君の肌
それは僕に幸せをもたらした
街中で 時折
君によく似た女性に出会うことがある
そして重苦しい時間が流れ
僕は君への恋心に溺れてゆく
君のことを想う 君の優しい顔
君の姿 少し無邪気で 少し茶化すような
君の前髪,君のブロンドあるいは黒い髪
千匹もの蜂が僕の心をかき乱す
クリシー(盛り場)の女王
コランクール(下町)のクレオパトラ
君は 僕の最後の恋になるのだろうか?
君は 僕の最後の悲しみになるのだろうか?
ああ,君の二十歳の想い出が
こぼれ落ちた僕の指のはざまで
過ぎ去った月日を刻む
人生の甘美な砂時計のように...
午後も遅くなって夕方に近い時刻あたりに,やおらAirPodsをケースから取り出して両の耳にセットし,部屋のベッドにゴロンと横になって,聞こえてくるムルージの低い声に耳を澄ます。傍らにレオンLéonが一緒に寝ていることもあれば,あるいは一人だけのときもある。願わくばレオンの温もりや匂いをそばに感じたほうがより好ましいけれども,どちらにしても至福の時がゆっくりと静かに流れてゆく。今はただムルージの優しい唄声にじんわり我が身を委ねるのみだ。ああ,もう何も言うことはない。あえて申すなら,死ぬには格好の刻,か。
ちなみに,昨年十三回忌を済ませた私の母は,年齢がムルージより1才年下なわけで,ということは今年が生誕100年ということになる。ムルージの歌を聴くと,どうしても母の記憶が一緒によみがえってくる。その母のことを,最後に少しだけ記しておこう。
母は大正12年の関東大震災が起きた年に横浜の下町で生まれた。9月1日の震災当日,8ヶ月の妊婦であった母の母(私の祖母)は,地震による直接的な傷害等はかろうじて免れたものの,当時住まっていた横浜市南区蒔田町(現在の市立Y高付近)の家屋敷は全壊,焼失してしまった。そのため,やむなく知り合い等のツテを頼って,そこから約15kmほど離れた同じ横浜市内の神奈川区斎藤分町(現在の神奈川大学付近)にある遠縁の親類宅にひとまず身を寄せることになったそうだ。蒔田町から斎藤分町への移動は,当時の市電通りである鎌倉街道(現在の国道16号)沿いに人力車に乗せられて移動したという。その道すがら,幹線道路の両側には倒壊したり焼け落ちたりした建物の瓦礫や雑多な残骸物等が山のように積まれ,また,場所によっては震災で死んだ人の死体や家畜の死骸なども未だ片付けられずに路傍に放置されたままになっていたようだ。もう臨月に近い祖母はそれらの悲惨な光景を見ないよう,目隠しをされたままで人力車に乗っていたと聞いた。横浜の市街地,とくに下町は震災でほぼ壊滅状態になった。そのような破壊と混乱,さらには暴動や略奪なども横行するなかを人力車で移動する最中,これから生まれ来るであろう子の行く末を思う母親(祖母)の心中は如何ばかりであったろうか,心細くも只ひたすら神や仏に祈ることしか出来なかったのではなかろうか,などと,今更ながら往時の悲惨な状況を呆けた頭で漫然と想像するばかりだ。さよう,それが地震・台風・火山噴火・疫病などの自然災害であれ,或いは交通事故や戦争やテロリズムや公害・薬害などの人為的災害であれ,人が生きてゆく限り,今も昔も変わることなく,その眼前には常にさまざまな困難が不意に待ち受けているものなのだ(けれどもされども,Faut Vivre!)
とまれ,そのような幾多の艱難辛苦を乗り越えながらも,とにもかくにも何とか幸い,母は無事この世に生を受けることができた。さらにそれから幾星霜,小さな戦争があり,大きな戦争があり,あるいはまた茶色い戦争などがあったかも知れず,冬の季節には寒い疾風なんぞも吹いたかも知れず,そうして時を経た二十世紀中頃のとある日曜日の午前,都内某所においてワタクシ自身が生まれた。その後,弱弱しくも頼りなくも,右顧左眄,遅疑逡巡,右往左往しながら,私はなんとか生長し,やがて自立し独立して,ささやかながらも家庭を設けた。そして老いさらばえた今,あとに残された者たちに何がしかのツタナイ「記憶」を託し,後顧の憂いなく やがて消えてゆく我が身かな,という終焉の小径を辿ってゆく。ムルージも,母も,それは誰もが歩んできた道だ。「遺伝子の川」がここにも流れている。 輪廻転生,生者必滅。諸行無常のナマネコナマネコ。 あぁ,レオン!
それがいつのことだったか知ら,もうスッカリ忘れてしまったけれど,以前「林檎フリーク」なる事案に関するバカ話を書いたことがあった。以下はそのバカの続きになる。
本年の年明け早々,性懲りもなく臆面もなく,またまた林檎製品を購入しちまった。事の次第はこうだ。ここ数年来,iPhoneと一緒に使用しているワイヤレス・イヤホン(bluetooth接続)が最近何やら調子が悪くなってきており,耳にイヤホンを装着して様々なジャンルの音楽とか,あるいはYouTubeをはじめとする諸々の音源とかを聴く際に,通信の断続的ないし一時的な障害や音声の微妙な変調等々のストレスが時折発生することがあって,精神衛生上宜しくない状況に陥ってしまった。そのため,あぁ,これはもう寿命なのかなぁ。ここらで思い切って新らしいイヤホンに変えたいなぁ。いっそのこと,iPhoneと親和性の高いであろうアップル純正のAirPodsにしちゃおうかナー。などと,いささか手前勝手で無謀なる欲望が我が老いたる身に芽生えたのでございました。
しかしながら,今までに使っていた安物,もとい比較的安価なイヤホン(Elecom製)と違い,アップル純正品はかなり高価である。とりわけ貧困老人たる私ごときにとっては,すこぶるウルトラ高価である。さりとて一方では,最近巷でよく見かける,通りを行き交う人々の耳から垂れ下がっているあのウドン,もといAirPodsとやらの雰囲気とか触感とか装着感や使用感とかを願わくば死ぬまでに一度だけでも実体験してみたいなぁ。。。というワガママな思いを消し去ることも出来ずにいて,そこでそんな時にこそビンボー老人が考える手っ取り早い常套手段として「手持ちの反物」を質に入れて何がしかの金銭を工面するに限る,という次第で,幾つかの手順を経たのち,何とか購入資金を調達することができた(これもまた虚仮の執念)。そして次なるステップとして具体的な機種選定に入り,結果,購入ターゲットに決めたのは「Apple AirPods(第3世代)」なる製品である。流石に最上位機種であるProの方はしばし悩み躊躇した挙句に選択肢から外したが,この第3世代の方だって,私ごときには充分に分不相応といってよいかと思う。年始セールとかで一時的に「値崩れ」していたのが僅かな幸いであった。
下らぬ能書きはさておき,首尾よく当該製品を入手して以来,ここ最近の私を少なからず悩ませていたイヤホン・ストレスに関してはほぼ消滅したといえるほどにまで改善し,毎日を気持ちよく有意義に,楽しく能天気に過ごせるようになった。ま,「老いらくの春」とでも申しましょうか。もちろん利用形態は片方向(聞く一方)に限られ,双方向(手ブラ電話とか)の用途には全く利用していないけれども。
加えて嬉しいことに有難いことに,純正品の購入特典として,アップル社が提供している「Apple Musicアップルミュージック」というストリーミング配信サービスが6ヶ月間無料で利用できるということだった(通常は1ヶ月あたり1,080円かかるようだ)。何でも,そこでは凡ゆる音楽の各ジャンルを取り混ぜ,合計1億曲以上もの楽曲が含まれているという。ヲイヲイ,老い先短い身としてはそんなの 豚に真珠 les perles aux pourceaux ですぜ。ま,それだけ選択の幅が拡いということは単純にウレシイ訳なンだけれども。だいたいのところ,当方が専ら聴く音楽はバロックやクラシックとか,昔のシャンソンとか,サンバとかボサノバとか60~70年代のアメリカンポップスとかくらいが精々のところだが,それとて十分に満足している。例えば,朝比奈隆指揮・大阪フィルが演奏するブルックナーの交響曲第8番など,ちょっと前までは夕方恒例の仮眠時におけるお気に入りの楽曲にチョイスしていた。
そんななか,シャンソン関係の曲をアレコレ検索ながら試聴していたところ,昨年,マルセル・ムルージMarcel Mouloudjiの新しいCDが出たことを遅ればせながら知ることとなった。それは,全39曲が入った2枚組のCDアルバムで,題して《crooner et poèteクルーナーと詩人》。生誕100年記念だという。そうか,ムルージの没後はや30年近くもの年月が過ぎたわけだ。私が徒に無駄に生を重ねているうちに,ああ,もうそんなになっちゃったか。 Que le temps passe vite!
ところで,クルーナーという言葉は私にとって初耳だったので,取りあえずネットでググってみたら,著名な音楽評論家であった故・中村とうよう氏による以下のような解説を見つけた。「1930年代に現れた,あるタイプのポピュラー歌手を指す言葉。B.クロスビーがその代表で,ちょっと鼻にかかった柔らかい声と,ジャズから学んだ節まわしを特徴とした。それまでの歌手たちが,張った声でメロディをストレートに歌っていたのに対して,しゃれた軽快な感じが大いに受けた。ソフトな発声はちょうどそのころ普及し始めたマイクロホンをうまく生かしたものでもあった。」。 なるほど,多芸多彩なムルージの歌唱のなかにはそういう面も色濃く見られるだろうし,とすれば,そのような「レッテル貼り」もムルージにはある意味で相応しいのかも知らん。ま,極私的偏屈的シャンソン聴取者に過ぎない私にとってはレッテルなぞ別にドーデモイイことなんですが。
CDの冒頭の曲は《L’amour, l’amour, l’amour 恋,恋,恋》,次いで2曲目に《Oiseau des îles de ma tête 僕の頭のなかの島嶼に棲みついた鳥》,そして3曲目が《Un jour tu verras いつの日か》,4曲目が《La femme ラ・ファム》と続く。ああ,何という選曲の流れだろうか! いずれも,「ムルージ流センチメンタリズムの真骨頂」ともいえる唄いぶりのポエジーなのだけれども,こんなのがクルーナーというのであれば,それはそれで素直に納得する。特に2曲目の歌は,個人的にはずっと昔から好きな歌だった。恐らく世間的にみれば,長らく何処かの草葉の陰にでも埋もれていたような地味な歌,みたいな位置付けではなかったろうかと思われる(違うかな?) その「忘れられた佳曲」が,現在のこの世界,コロナだ!ワクチンだ!戦争だ!! と,なべての価値観が混乱し困惑し,怒りや憎しみや嘆きや悲しみが蔓延するようになってしまった,まるで「盲目な衝動から動く」ギスギスした現代世界において,たとい静かに然りげなくではあったとしても,改めてこうしてふたたび陽の目をみるようになった,そのことがワタクシ的にはとても嬉しい。何という運命か。素直にシミジミと嬉しい。何という僥倖か。我知らずジンワリ涙が滲むほどにも嬉しい(グスン)。
いささかコトバが乱れてしまったけれど,老残の身から出た繰言として何卒ご勘弁の程を。そんなわけで,今このような好企画・良選曲を世に送り出してくれたヒトビトに対する末端愛好者の側からの細やかなる感謝の意をこめて,以下にヘタくそな反訳(=意訳&勝手訳)を臆面もなく遠慮会釈もなく示しておくことにしよう(それが逆効果にならないことを秘かに願いつつ。。。)
僕はよく覚えている それだけで十分だ
遠くから聞こえる 君の笑い声,君の話し声
鳩のように鳴く 君のことだけを想う
僕の頭のなかの島嶼に棲みついた鳥のことを
君は大声で叫び そして君は掟を定める
それらの障壁は僕を惑わせる
君と僕との煉獄のなかで
僕の環礁,僕の珊瑚,僕の島
僕の南洋の青色インク
君の乳房はクマシデの樹の匂いがした
僕は君の月のような肌に魅せられる
黒くて艶のあるその肌はとても誇らしげだ
星がままたく夜空のような肌
金のように高貴な君の肌
それは僕に幸せをもたらした
街中で 時折
君によく似た女性に出会うことがある
そして重苦しい時間が流れ
僕は君への恋心に溺れてゆく
君のことを想う 君の優しい顔
君の姿 少し無邪気で 少し茶化すような
君の前髪,君のブロンドあるいは黒い髪
千匹もの蜂が僕の心をかき乱す
クリシー(盛り場)の女王
コランクール(下町)のクレオパトラ
君は 僕の最後の恋になるのだろうか?
君は 僕の最後の悲しみになるのだろうか?
ああ,君の二十歳の想い出が
こぼれ落ちた僕の指のはざまで
過ぎ去った月日を刻む
人生の甘美な砂時計のように...
午後も遅くなって夕方に近い時刻あたりに,やおらAirPodsをケースから取り出して両の耳にセットし,部屋のベッドにゴロンと横になって,聞こえてくるムルージの低い声に耳を澄ます。傍らにレオンLéonが一緒に寝ていることもあれば,あるいは一人だけのときもある。願わくばレオンの温もりや匂いをそばに感じたほうがより好ましいけれども,どちらにしても至福の時がゆっくりと静かに流れてゆく。今はただムルージの優しい唄声にじんわり我が身を委ねるのみだ。ああ,もう何も言うことはない。あえて申すなら,死ぬには格好の刻,か。
ちなみに,昨年十三回忌を済ませた私の母は,年齢がムルージより1才年下なわけで,ということは今年が生誕100年ということになる。ムルージの歌を聴くと,どうしても母の記憶が一緒によみがえってくる。その母のことを,最後に少しだけ記しておこう。
母は大正12年の関東大震災が起きた年に横浜の下町で生まれた。9月1日の震災当日,8ヶ月の妊婦であった母の母(私の祖母)は,地震による直接的な傷害等はかろうじて免れたものの,当時住まっていた横浜市南区蒔田町(現在の市立Y高付近)の家屋敷は全壊,焼失してしまった。そのため,やむなく知り合い等のツテを頼って,そこから約15kmほど離れた同じ横浜市内の神奈川区斎藤分町(現在の神奈川大学付近)にある遠縁の親類宅にひとまず身を寄せることになったそうだ。蒔田町から斎藤分町への移動は,当時の市電通りである鎌倉街道(現在の国道16号)沿いに人力車に乗せられて移動したという。その道すがら,幹線道路の両側には倒壊したり焼け落ちたりした建物の瓦礫や雑多な残骸物等が山のように積まれ,また,場所によっては震災で死んだ人の死体や家畜の死骸なども未だ片付けられずに路傍に放置されたままになっていたようだ。もう臨月に近い祖母はそれらの悲惨な光景を見ないよう,目隠しをされたままで人力車に乗っていたと聞いた。横浜の市街地,とくに下町は震災でほぼ壊滅状態になった。そのような破壊と混乱,さらには暴動や略奪なども横行するなかを人力車で移動する最中,これから生まれ来るであろう子の行く末を思う母親(祖母)の心中は如何ばかりであったろうか,心細くも只ひたすら神や仏に祈ることしか出来なかったのではなかろうか,などと,今更ながら往時の悲惨な状況を呆けた頭で漫然と想像するばかりだ。さよう,それが地震・台風・火山噴火・疫病などの自然災害であれ,或いは交通事故や戦争やテロリズムや公害・薬害などの人為的災害であれ,人が生きてゆく限り,今も昔も変わることなく,その眼前には常にさまざまな困難が不意に待ち受けているものなのだ(けれどもされども,Faut Vivre!)
とまれ,そのような幾多の艱難辛苦を乗り越えながらも,とにもかくにも何とか幸い,母は無事この世に生を受けることができた。さらにそれから幾星霜,小さな戦争があり,大きな戦争があり,あるいはまた茶色い戦争などがあったかも知れず,冬の季節には寒い疾風なんぞも吹いたかも知れず,そうして時を経た二十世紀中頃のとある日曜日の午前,都内某所においてワタクシ自身が生まれた。その後,弱弱しくも頼りなくも,右顧左眄,遅疑逡巡,右往左往しながら,私はなんとか生長し,やがて自立し独立して,ささやかながらも家庭を設けた。そして老いさらばえた今,あとに残された者たちに何がしかのツタナイ「記憶」を託し,後顧の憂いなく やがて消えてゆく我が身かな,という終焉の小径を辿ってゆく。ムルージも,母も,それは誰もが歩んできた道だ。「遺伝子の川」がここにも流れている。 輪廻転生,生者必滅。諸行無常のナマネコナマネコ。 あぁ,レオン!