話は今から二年前の夏に遡る。そう,♪あれは三年前~♪ じゃなくって ♪あれは二年前~,いつものように家を出て,ひ~と~り 電チャリ漕ぎ出した~♪ (何のこっちゃら)
戯言はさておき,そんな日々のユルイ自転車生活の折にしばしば訪れる場所の一つに,当地を流れる二級河川である金目川が秦野盆地の狭隘部を出てからすぐの辺り,金目川中流域のエリアがある。その付近は右岸に沿って一見河岸段丘を思わせる台地が広がっており,一帯は古くから「遠藤原」と称されている。平塚地方の地史を少し紐解くと,この台地は今から約6万年ほど前,箱根火山の噴火に伴い流出・堆積した火砕流に由来しているとのことだ。正しくは「東京軽石流堆積面」というらしいが,まぁ,平たく言えば関東ローム層ということである(実際,平たいんだしネ)。そうそう,その地から東方に向かって数10㎞離れた県東部には,今から半世紀以上もの昔,若年の頃の私が一時期住まっていた馴染み深い台地が広がっており,そちらも同じく関東ローム層で,下末吉台地と命名され地学上の模式地となっているのだが,両者は地質的に見ると同一面(同年代の地層)に相当するようだ。半世紀の時を隔てて,何の因果か同一地層の大地をひとりあてもなくウロウロと彷徨ったり,ときには人気のない木陰でポツンと立ちすくんだりしている自分がいるという,その奇妙なる存在感。やおら瞑目して,改めて彼の地で過ごした悩み多きセイシュンの日々なんぞを思い浮かべたりするのである。あんなこともあった,こんなこともあった。やりたかったこと。できなかったこと。そんなこともあった。こんなこともあった。なくしたもの。そしていまあるもの。。。 バックにはダニエル・ギシャールDaniel Guichardの古い歌が通奏低音のように繰り返し流れていたりして。
Ya tant de solitudes
Tant de regrets, de projets
De souhaits, d’habitudes
Il y a tant de peines
Que la passion entraîne... très loin.
数しれぬ孤独があり,後悔があり,野心・願望・惰性があり,そして数しれぬ苦しみがあった。情熱がそれらを引きずってゆく,ずっと遠くまで。。。 数万年にわたる地史的時間の悠久の流れ,そのなかで高々50年ほどのヒトのジンセイなんぞ全く取るに足らぬ一瞬の地層断面に過ぎなかろうけれども,その地層が今こうして錯綜し,絡みつき,紡ぎ合わされる。ああ,なんとも不可思議な邂逅と同期。メソメソジジイは恥ずかしながら思わず目頭が熱くなるのを禁じ得ないのです。
気を取り直して台地の話を続けると,両地層ともに火山灰が約10mほど堆積して形成されたフラットな台地ではあるものの,現在では都市化がかなり進行して住宅や商業地,公共施設等々が密集立地している横浜市鶴見区の下末吉台地とは異なり,こちら平塚の金目台地(遠藤原)の方は,まだまだイナカで田園の面影濃く,大部分は開放的な穀物畑,野菜畑,果樹園などの農耕地が広がり,所々に農家や雑木林などが散在するといった,のどかな農村景観が主体となっている。場所によっては地形開析が進んで不規則に河谷が刻まれ,それら谷筋を縫うように古くからの趣ある小径がそこかしこに通じている。そのような土地形状は,自転車で走るにはアップダウンのやや大きな近隣の大磯丘陵のなかでもまた違った味わいがある。加えて,農作業用の軽トラなどを別にすればクルマもほとんど通らない閑散とした道が多いので,季節により,また時間帯により,通るたびに新しい発見があって新鮮な風景感覚が呼び起こされるのも嬉しく,軟弱老ライダーは好んで段丘を上下している。昔は専らMTBだったのだけれども現在では年相応の電チャリで,なんですが。
趣味的な地形嗜好の与太話は大概にして(ブラタモリじゃないんだからネ),そのエリアの段丘崖の縁に寄り添うようにして,『神奈川県動物愛護センター』という名称の県立施設が存在している。それがこの話の主題になる。その施設は,ずっとずっと昔,今から半世紀ほど前に設立されたらしい。当初は「神奈川県犬管理センター」という名称であったとのことだが,しばらくして「動物保護センター」と名前が変わった。私がその施設を初めて目視確認したのは今から20年ほど前のことになるが,当時はすでに開設以来数10年を経たであろうと思われる建屋は一見してかなり老朽化が進んだ感じで,明らかに薄汚れた外観と草臥れた佇まいを呈し,また周囲の地形的な「ひっそり感」と相まって,そこはまるで「野良犬野良猫監禁収容所」的な陰気な雰囲気を強く漂わせた,一般の部外者からすればあまり近寄りたくないような場所に思われた。私自身,古建築訪問やら廃墟探索やらという趣味は生憎持ち合わせていないし,また,当然ながらオバケ屋敷の刺激を求めるほどには既にして若くもないので,付近を自転車で通る際にも大体そこはスルーするのが常だった。
それが,二年前の令和元年(2019年)のこと,新規事業として新たに立派な建物を建設して施設が一新され,その名称も「動物愛護センター」と変えてリニューアルオープンする運びとなった。穿った見方をすれば,その数年前に例の「津久井やまゆり園」の悲惨な事件があったものだから,県としても奮発してこちらの方にも新規予算を回したのだろうか? しかも新施設においては,収容されている保護犬や保護猫を,地域住民を含めた一般の人々に対する啓蒙の意味合いもあるのだろう,施設内に入って見学エリアから自由に眺めたり観察したり,さらには許可を受ければ直接触れたりすることもできるようになった。加えて,保護動物に関する啓発学習的な催事等の活動を積極的に行うなど,とても明るく開放的な施設に生まれ変わったという。そうかそうか。それじゃあ,一体どんな立派な施設が出来上がったのか,こんど近くに行ったときにでも見学してみようかな,などと軽い気持ちで考え,そして後日,自転車活動の途中で一寸立ち寄ったのである。それは8月下旬の,まだ残暑が厳しい日のことだった。
そして,その日が彼との運命的な出会いとなったのでありました。
戯言はさておき,そんな日々のユルイ自転車生活の折にしばしば訪れる場所の一つに,当地を流れる二級河川である金目川が秦野盆地の狭隘部を出てからすぐの辺り,金目川中流域のエリアがある。その付近は右岸に沿って一見河岸段丘を思わせる台地が広がっており,一帯は古くから「遠藤原」と称されている。平塚地方の地史を少し紐解くと,この台地は今から約6万年ほど前,箱根火山の噴火に伴い流出・堆積した火砕流に由来しているとのことだ。正しくは「東京軽石流堆積面」というらしいが,まぁ,平たく言えば関東ローム層ということである(実際,平たいんだしネ)。そうそう,その地から東方に向かって数10㎞離れた県東部には,今から半世紀以上もの昔,若年の頃の私が一時期住まっていた馴染み深い台地が広がっており,そちらも同じく関東ローム層で,下末吉台地と命名され地学上の模式地となっているのだが,両者は地質的に見ると同一面(同年代の地層)に相当するようだ。半世紀の時を隔てて,何の因果か同一地層の大地をひとりあてもなくウロウロと彷徨ったり,ときには人気のない木陰でポツンと立ちすくんだりしている自分がいるという,その奇妙なる存在感。やおら瞑目して,改めて彼の地で過ごした悩み多きセイシュンの日々なんぞを思い浮かべたりするのである。あんなこともあった,こんなこともあった。やりたかったこと。できなかったこと。そんなこともあった。こんなこともあった。なくしたもの。そしていまあるもの。。。 バックにはダニエル・ギシャールDaniel Guichardの古い歌が通奏低音のように繰り返し流れていたりして。
Ya tant de solitudes
Tant de regrets, de projets
De souhaits, d’habitudes
Il y a tant de peines
Que la passion entraîne... très loin.
数しれぬ孤独があり,後悔があり,野心・願望・惰性があり,そして数しれぬ苦しみがあった。情熱がそれらを引きずってゆく,ずっと遠くまで。。。 数万年にわたる地史的時間の悠久の流れ,そのなかで高々50年ほどのヒトのジンセイなんぞ全く取るに足らぬ一瞬の地層断面に過ぎなかろうけれども,その地層が今こうして錯綜し,絡みつき,紡ぎ合わされる。ああ,なんとも不可思議な邂逅と同期。メソメソジジイは恥ずかしながら思わず目頭が熱くなるのを禁じ得ないのです。
気を取り直して台地の話を続けると,両地層ともに火山灰が約10mほど堆積して形成されたフラットな台地ではあるものの,現在では都市化がかなり進行して住宅や商業地,公共施設等々が密集立地している横浜市鶴見区の下末吉台地とは異なり,こちら平塚の金目台地(遠藤原)の方は,まだまだイナカで田園の面影濃く,大部分は開放的な穀物畑,野菜畑,果樹園などの農耕地が広がり,所々に農家や雑木林などが散在するといった,のどかな農村景観が主体となっている。場所によっては地形開析が進んで不規則に河谷が刻まれ,それら谷筋を縫うように古くからの趣ある小径がそこかしこに通じている。そのような土地形状は,自転車で走るにはアップダウンのやや大きな近隣の大磯丘陵のなかでもまた違った味わいがある。加えて,農作業用の軽トラなどを別にすればクルマもほとんど通らない閑散とした道が多いので,季節により,また時間帯により,通るたびに新しい発見があって新鮮な風景感覚が呼び起こされるのも嬉しく,軟弱老ライダーは好んで段丘を上下している。昔は専らMTBだったのだけれども現在では年相応の電チャリで,なんですが。
趣味的な地形嗜好の与太話は大概にして(ブラタモリじゃないんだからネ),そのエリアの段丘崖の縁に寄り添うようにして,『神奈川県動物愛護センター』という名称の県立施設が存在している。それがこの話の主題になる。その施設は,ずっとずっと昔,今から半世紀ほど前に設立されたらしい。当初は「神奈川県犬管理センター」という名称であったとのことだが,しばらくして「動物保護センター」と名前が変わった。私がその施設を初めて目視確認したのは今から20年ほど前のことになるが,当時はすでに開設以来数10年を経たであろうと思われる建屋は一見してかなり老朽化が進んだ感じで,明らかに薄汚れた外観と草臥れた佇まいを呈し,また周囲の地形的な「ひっそり感」と相まって,そこはまるで「野良犬野良猫監禁収容所」的な陰気な雰囲気を強く漂わせた,一般の部外者からすればあまり近寄りたくないような場所に思われた。私自身,古建築訪問やら廃墟探索やらという趣味は生憎持ち合わせていないし,また,当然ながらオバケ屋敷の刺激を求めるほどには既にして若くもないので,付近を自転車で通る際にも大体そこはスルーするのが常だった。
それが,二年前の令和元年(2019年)のこと,新規事業として新たに立派な建物を建設して施設が一新され,その名称も「動物愛護センター」と変えてリニューアルオープンする運びとなった。穿った見方をすれば,その数年前に例の「津久井やまゆり園」の悲惨な事件があったものだから,県としても奮発してこちらの方にも新規予算を回したのだろうか? しかも新施設においては,収容されている保護犬や保護猫を,地域住民を含めた一般の人々に対する啓蒙の意味合いもあるのだろう,施設内に入って見学エリアから自由に眺めたり観察したり,さらには許可を受ければ直接触れたりすることもできるようになった。加えて,保護動物に関する啓発学習的な催事等の活動を積極的に行うなど,とても明るく開放的な施設に生まれ変わったという。そうかそうか。それじゃあ,一体どんな立派な施設が出来上がったのか,こんど近くに行ったときにでも見学してみようかな,などと軽い気持ちで考え,そして後日,自転車活動の途中で一寸立ち寄ったのである。それは8月下旬の,まだ残暑が厳しい日のことだった。
そして,その日が彼との運命的な出会いとなったのでありました。