(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

ちょっと仕事に…(やりたい放題の頃)

2014年11月19日 | ぎゃらりぃ「チラ裏」
聞けば、やっぱりという…

その昔はここで撮っても別段何も言われなかったという「津久田」。
あの頃は一般の人々が利根川の鉄道橋梁をテクテク渡っていくのに
いわんや、鉄橋を渡らない俺らをや、という人も結構いたような。
で、探せばこんなのもあったという記録というか
この頃はヒモがあったら儲けものって位
セメントのタキ車・ホキ車を繋げたのを撮る機会は少なかった。
何せ元は青海から八木原まで軍配マークのタキ車を繋げていた列車で
その肝心の八木原が扱いを止めてしまって
存在する理由が半分なくなっていたせいもあったからかもしれない。

1012+1042の5660レ。

尤もこのときの本命はもっと別にあって、それの編成合わせに撮ったもの。
前日はきてはみたけれどほんの様子見で
その後「泊り」の仕事があってそそくさと東京に戻った。
翌朝は確り時間休を使って早引けして新幹線で高崎まで
そこから上越線電車で現地に復帰、そして本命撮影という次第
何が本命だったかは、まぁ、光線の状態で思い出してもらえたら。

そう言えばこれを撮った97年12月は本命の当該機が2回だか3回だか撮れて
「またか。よく走るなぁ…まぁ有難いに越したことはないけど」
という人も多かったように記憶している。

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