(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

トラックが貨車の上に載ると聞いて…東海道貨レ巡礼の旅(2)

2013年09月22日 | ガレージ&サルヴェージ
そういう時に手間暇惜しまずに出かけたのは
結構大きいのがあった。

↓あんまりうまくないけれどな

どうしても、このピギーバック専用列車が撮りたかった。
仕事が終わって、明日は休みって時に
いそいそと東京駅から大垣夜行に乗り
折り返し上りの大垣夜行で横浜駅まで行って
今は撮れなくなった鶴見「花月園」まで
大枚はたいてタクシー使って行ったのを思い出す。
天気予報を横目ににらみながらバッグに機材を入れ
夜勤の日に「明日の神奈川は晴れ」の予報がでると
仕事場からウチに帰らずそのまま東京駅から出発してった。
今ならネカヘに入って適当な時間に出てくればいいだけだが
1994年(平成6年)当時はまだそういうわけにはいかなかった。
この頃EF200は現役バリバリで
東京~大阪間の重量列車を中心に東奔西走の活躍を見せていた。
しかし、だいたい夜遅くに出発して未明
あるいは早朝に到着するスジにばかり入っていたため
ISO100ポジではなかなか撮りにくい機関車だった。
この梅田からの5090レは、花月園ポイントを0555時に通過するダイヤ。
他のEF200牽引列車は粗方新鶴見・東京タ方向に抜けていて
これが同機が牽引する大ラスの列車だった…と、思う。
7月某日、この日の朝は陽が差してこなくて
ISO100ポジに+1増感をかけて5090レを撮った。
出来れば増感なしの明るさで撮りたかったが
朝6時前でこれだけ止められただけでもよしとしなければ。

そして結局これがEF200牽引のピギーバック専用列車を撮った
最後の1コマになってしまった。
元より積み荷が軽くて、現車20両でも積車換算70両しかない
(700㌧。つまり1000㌧に満たない)事等の理由から
翌年の改正では岡山区のEF65の牽引に変更されて
列車番号もまた別の番号に変えられてしまう。
さらに翌97年だか、その次の98年10月だかの改正で
その東海道線のピギーバック専用列車も
臨時列車に格下げになり、結局廃止されてしまった。
これも荷主側の人件費等、色々と理由があったと聞いたが
国鉄末期に鳴り物入りでデビューして
新しい輸送形態が出来ると期待されながら
短い活躍期間で消えてしまったのは残念だった。

現在のEF200もまた、保守部品の確保が難しくなっているため
あまり先々が長くないと聞く。
6000㌔w/hの大出力を以て
長編成のコンテナ列車を牽くものと期待されたが
その性能を余す所なく発揮できなかったEF200。
思えばピギーバック専用列車を牽いて
東海道を上下していたこの時期が一番輝いていた
そういう時に手間暇惜しまずに出かけて撮れたのは
とても幸運な経験だった。

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