元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

労働の流動化は経済学の「収穫逓減の法則」の必然的結果か?!

2015-05-18 11:06:00 | 社会保険労務士
 非正規労働者が30%後半の割合になったが、その雇用形態・呼称(呼び名)も多種多様。

 経済学においては、「労働」は、資本、土地、労働という生産要素の一つである。そして、「収穫(生産量)逓減の法則」というのがあり、資本、土地、労働の生産要素のそれぞれの投下が同規模で増加しなければ、その増加に応じただけの生産力は増加しない。すなわち、資本だけを増加させても、資本の増加ほどは生産力は増加せずに、逓減=だんだんと増加の幅は鈍ってくるというのであり、労働力の増加だけの場合においても同じことがいえる。

 そこで、需要が増加していくときは、資本、土地、労働を同規模に増加させればいいのであるが、需要が減少していく局面においても、同様に生産要素を同じだけの減少幅にすることが効率的な生産となる。そこで、資本、土地においては、モノであり、投下する量はそのまま減らせばいいのであるが、労働においてはそういうわけにはいかなくなってくる。いったん雇った労働力(人)を簡単には、雇用契約を解約するわけにはいかないのであり、不況の場面になれば、収穫(生産力)逓減の法則どおり、他の生産要素と同じだけの労働力の削減は、現実にはむずかしい。そのため、経済学的には、現実の経済においては、不効率といえる場面が生じることになる。

 戦後の日本は、より高い成長力を維持し、その中で労働力の支えた役割は大きいが、必ずしも常に成長してきたともいえず、あるときは不況も経験しただろうし、2000年前後は失われた10年どころか20年もの間、少なくとも高度成長期ほどの成長は忘れられた時代になった。そこでは、経済学からいえば、常に労働力も増減が可能な、経済の不況・好況に応じて調整が可能であることが望ましい。経済学の世界においては、短期的には固定的な労働も、長期的には可変的な変数であり、そこで最適な値を求めるものであるが、現実の経済は労働は可変的ではなくて、短期的にはあくまでも固定的な労働力なのである。現実の短期的な世界では、労働は実際には生活する生きた人であり、非常に固定的である。長期的には、確かに経済学的のいう最適の解を求めるところに落ち着くのであろうが、短期的な調整過程においては、そうはいかない、紆余曲折を生ずることになる。

 特に戦後の経済成長は、終身雇用とともに発展してきたと言っても過言ではないが、終身雇用は、新入社員を会社の中で教育し会社の中で一人前の人間を育て、終身まで雇用し、同時に会社もそれとともに成長してきたのであり、それは「労働の固定化」そのものであった。

 ところが、高度成長から安定成長に入ると、やはり労働の流動化の面がないと苦しくなる。それが、いわゆる、固定化された「正規の労働者」だけではなく、流動的な「非正規労働者」という区分を生んだ。いわば、労働の持つ経済的「効率化」という側面から見た必然的な結果であるといえる。

 総務省統計局の「労働力調査」(H26.7)によれば、36.9%が非正規労働者となっているが、これは、昭和59年2月に非正規労働者が15%であったことから比べると、倍以上の伸びとなっている。もちろん、非正規労働者という呼び名が存在するわけではなく、呼び名も多様化しさらに雇用形態も多様化している。労働力調査の対象となった「非正規」は、正社員とは呼ばない「勤め先の呼称」が違うことによってその調査をしているが、具体的には、勤め先の会社等では、日雇い・臨時工・アルバイト・パートタイマー・嘱託であったり、契約社員であってり、派遣社員であったりもするものである。また、社会的な用語ともいえる「フリーター」は、雇用形態的にはアルバイト(勤め先の呼称)であるが、主たる収入をそこから得ているという点で、単なるアルバイトとは区別されている。

 いずれにしても、経済学のいう長期的な最適な解と、戦後の雇用形態が生んだ終身雇用のせめぎあいのなかで、現実の生活する労働者という側面を捉えながら、さらに労働法という制約の中で、多種多様な雇用形態を生んでいった結果、非正規労働が4割近い数字になったといえるのではないか。
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