ウマの合わない上司には徳川家康のようにじっと時を待つ(人事異動)のもありうるかも・・・
NHKの大河ドラマ(2016年)の著者である三谷幸喜氏には、2人の恩師がいるが、そのうちの一人である=自分が勝手に恩師だと思っているともしているが=野呂先生と言う方がいて、高校で日本史を教わったそうだ。自分が歴史好きになったのは、この先生のおかげであるとし、その先生が最初の授業の日に「歴史の勉強といえば年号の暗記だと思っているかもしれないが、年号は年表をみればいい。それよりもその出来事がなぜ起こったのか、それを考えることが重要」といい、「物事には必ず原因と結果がある。歴史はその繰り返しである」とおっしゃったそうである。
著者にも、そんな先生にあっていたら、もっと歴史が好きになっていたかもしれない。それはさておき、歴史は「因果」で動いている例ということで、氏は関ヶ原の戦いを挙げる。以下三谷幸喜の「いくさ上手」からそのまま引用するが、「小早川秀秋が裏切ったので(原因)、石田三成は負けた(結果)。石田三成が負けたので(原因)、西軍に就いた薩摩の島津や中国の毛利が敗軍の将となった(結果)。島津や毛利が敗軍の将となったので(原因)、彼らは徳川家康に恨みを持った(結果)。それによって、彼らは250年にわたって、ずっと徳川を恨み続け、やがて薩摩藩から西郷さん、毛利からは桂小五郎が現れ、薩長同盟が結ばれ、徳川幕府は瓦解。つまり、ざっくりいえば、関ヶ原の戦いがあったから(原因)、明治維新が起きた(結果)。小早川秀秋がいなければ、日本の歴史は大きく変わっていた」というのである。氏自身、決して目立った生徒ではなかったし、先生とほとんど会話をしたことはなかったが、先生の米寿のお祝いで会った際に、自分を覚えてくださったという。歴史はすべて「因果」によって動いているというその先生の教えに従って、今、三谷氏は大河ドラマを書いているという。
さて、歴史においては、因果関係の中でも特に大きな影響を与えるものがあるように思う。インフォーマルな人間関係である。もっと端的に言うと、人の好き嫌いである。そのインフォーマルな人間関係が原因となって、歴史の流れという結果が決まるものも多いように思う。明智光秀と織田信長は性格の違いから、ウマがあわずそれが光秀が謀反と引き起こす元となったともいわれているし、一方、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)はというと、機転の良さ等で織田信長との信頼を築いていき出世をし、天下人を引き継いだ。家康は天下人だった豊臣秀吉とは争わずにしれっとして当たらずさわらずの姿勢で、誰もいなくなった秀吉亡き後「大御所」として徳川の長期政権を築いたのである。
この原因となる人間関係は職場にもいえることで、ウマがあう上司であれば信頼関係の良さに影響して、それが上司が行う仕事の評価(人事考課 *注1)にも影響することにもなるのだからたまらない。付き合い方をよくしようとしても、上司と部下の関係が明智光秀と織田信長のような関係であったなら、それはもともとウマが合わないのだから、それはむずかしいと言わざるを得ない。どうしても、うまくいかない上司というのもいるものだ。そんなときは、「人事異動」というある期間が立つと分かれられる時期が来るのを待つしかない=徳川家康のように。私もその渦中にいるときはいつまでもこれが続くように思えた時期があったが、今退職して振り返るとなんのことはない。長い長い奉公生活のほんの一瞬であるし、結果的に、そういう時期があったことはある意味人生のプラスだったのかなとも思える日が来る。今もがいているあなた、長い人生、長い目でみれば、必ず転機は訪れるはずである。
参考 三谷幸喜のありふれた生活14 「いくさ上手」 2016年9月30日第1版発行 朝日新聞出版
注1 人事考課は原則使用者の裁量であるとされるが、使用者には査定を公正に評価する義務があるとする説も有力である。人事考課に基づく人事権の行使が裁量権を逸脱したことになると、無効とされる。しかし、裁判ではこの人事権の裁量権の幅は相当広く解釈されるので、人事権の濫用とするには困難が伴い、人事権に対して物申すのは本当に難しい。
NHKの大河ドラマ(2016年)の著者である三谷幸喜氏には、2人の恩師がいるが、そのうちの一人である=自分が勝手に恩師だと思っているともしているが=野呂先生と言う方がいて、高校で日本史を教わったそうだ。自分が歴史好きになったのは、この先生のおかげであるとし、その先生が最初の授業の日に「歴史の勉強といえば年号の暗記だと思っているかもしれないが、年号は年表をみればいい。それよりもその出来事がなぜ起こったのか、それを考えることが重要」といい、「物事には必ず原因と結果がある。歴史はその繰り返しである」とおっしゃったそうである。
著者にも、そんな先生にあっていたら、もっと歴史が好きになっていたかもしれない。それはさておき、歴史は「因果」で動いている例ということで、氏は関ヶ原の戦いを挙げる。以下三谷幸喜の「いくさ上手」からそのまま引用するが、「小早川秀秋が裏切ったので(原因)、石田三成は負けた(結果)。石田三成が負けたので(原因)、西軍に就いた薩摩の島津や中国の毛利が敗軍の将となった(結果)。島津や毛利が敗軍の将となったので(原因)、彼らは徳川家康に恨みを持った(結果)。それによって、彼らは250年にわたって、ずっと徳川を恨み続け、やがて薩摩藩から西郷さん、毛利からは桂小五郎が現れ、薩長同盟が結ばれ、徳川幕府は瓦解。つまり、ざっくりいえば、関ヶ原の戦いがあったから(原因)、明治維新が起きた(結果)。小早川秀秋がいなければ、日本の歴史は大きく変わっていた」というのである。氏自身、決して目立った生徒ではなかったし、先生とほとんど会話をしたことはなかったが、先生の米寿のお祝いで会った際に、自分を覚えてくださったという。歴史はすべて「因果」によって動いているというその先生の教えに従って、今、三谷氏は大河ドラマを書いているという。
さて、歴史においては、因果関係の中でも特に大きな影響を与えるものがあるように思う。インフォーマルな人間関係である。もっと端的に言うと、人の好き嫌いである。そのインフォーマルな人間関係が原因となって、歴史の流れという結果が決まるものも多いように思う。明智光秀と織田信長は性格の違いから、ウマがあわずそれが光秀が謀反と引き起こす元となったともいわれているし、一方、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)はというと、機転の良さ等で織田信長との信頼を築いていき出世をし、天下人を引き継いだ。家康は天下人だった豊臣秀吉とは争わずにしれっとして当たらずさわらずの姿勢で、誰もいなくなった秀吉亡き後「大御所」として徳川の長期政権を築いたのである。
この原因となる人間関係は職場にもいえることで、ウマがあう上司であれば信頼関係の良さに影響して、それが上司が行う仕事の評価(人事考課 *注1)にも影響することにもなるのだからたまらない。付き合い方をよくしようとしても、上司と部下の関係が明智光秀と織田信長のような関係であったなら、それはもともとウマが合わないのだから、それはむずかしいと言わざるを得ない。どうしても、うまくいかない上司というのもいるものだ。そんなときは、「人事異動」というある期間が立つと分かれられる時期が来るのを待つしかない=徳川家康のように。私もその渦中にいるときはいつまでもこれが続くように思えた時期があったが、今退職して振り返るとなんのことはない。長い長い奉公生活のほんの一瞬であるし、結果的に、そういう時期があったことはある意味人生のプラスだったのかなとも思える日が来る。今もがいているあなた、長い人生、長い目でみれば、必ず転機は訪れるはずである。
参考 三谷幸喜のありふれた生活14 「いくさ上手」 2016年9月30日第1版発行 朝日新聞出版
注1 人事考課は原則使用者の裁量であるとされるが、使用者には査定を公正に評価する義務があるとする説も有力である。人事考課に基づく人事権の行使が裁量権を逸脱したことになると、無効とされる。しかし、裁判ではこの人事権の裁量権の幅は相当広く解釈されるので、人事権の濫用とするには困難が伴い、人事権に対して物申すのは本当に難しい。