元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

映画「ちょっと今から仕事やめてくる」生きてさえすれば何とかなる・人生それほど悪いもんじゃない<プラス思考でもない>立花隆の死生観は!

2022-06-19 11:46:46 | 第2の人生・老後・趣味と勉強
 立花隆の生きた証・データも私たちのそれも同じ宇宙の大きな貯蔵庫に組み込まれるのでは?!

  NHKで放映されていた「ちょっと今から仕事やめてくる」を見ていたら、泣けて泣けてきました。主人公青山隆(工藤阿須加)がやっと内定をもらって入った会社はブラック企業の営業部。ホームから「ふらっと」飛び出しそうになり、そして会社の屋上から飛び降りようとするときに助けてくれたヤマモト(福士蒼汰)と名乗るなぞの人物。ブラック中のブラックでも辞められない現実。やっとの思いで辞めることを田舎の両親に伝えたときに、両親は、自分たちも新しい仕事が見つからないし親の介護で疲れて「もう死んじゃおうか」と相談したが、あなたの人生が「どんな大人になるか見たくなった」ので死ぬのをやめたということを話した。そのとき、親(男親の方)がポツリとつぶやくように言ったことば。
 人生なんて生きていさえすれば、なんとかなる。

 そして、辞める決心ができ、本当に生き生きして、会社をやめたのである。助けてくれたなぞの人物を探して奔走、最後は南太平洋のバヌアツで「天使の笑顔」にかこまれて子供の教育にかかわっているヤマモト(山本ユウ)に再び会う。そして、あなたの仕事を手伝わせてて頼む。そのとき、主人公が言ったことばがこれ。
 人生それほど悪いもんじゃない。

 ヤマモトをめぐる謎が明かされるところにもこの物語の面白さがある、前半ブラック企業(ブラックの山上部長にあの吉田鋼太郎)が扱われるが、見失ったものを思出せるような物語。現実はこうではないといったらそれまでであるが・・・。

 親や本人のことばは、いずれも人生なんとかなる、悪いもんではないという、むしろ人生を積極的(ぷらす思考)にとらえた言葉でないことに注意。ストーリーの中では、本人が考える際には、「人生希望がある」「人生良いことがある」など前向きに(プラス思考)にとらえる場面はあった。しかし、最後に主人公がいった言葉は「人生それほど悪いものじゃない」 親が人生を諦め「復帰」したのちにいった言葉は「人生なんて生きていればなんとかなる」である。人生生きてこそ意味があるのだ。よいことばかりではないけれど、生きていればなんとかなる。そして、がんばって生きて、人生を全うしてこそ意味があるのだ。

 前々回の結論から言えば(⇒ 朝ドラ・ちむどんどん「出来事には意味がある」へ)、人生どんなに窮地と思える場面でも、その時々にその人に合わせた問題が出されるので、人生を投げ出さなければ解決できないような問題は出されないという。どうにもならないように思えても、なんとかその場はクリアーできるものになっているというのだ。

 さて、「知の巨人」といわれた立花隆が到達した最後の旅ということで、彼の「死生観の境地」を探究したドキュメンタリー(NHK)を見た。17年にわたり立花さんを取材してきたディレクターに、遺族から段ボール100個分の資料が渡されたという。どのような死生観に到達していたかのヒントとなったのは、死の直前になって「遺体はごみとして捨ててほしい。自分が残した書籍は古本屋でさばいてほしい」と彼は言い残し、なぜすべて「無」にすることを選んだのかということだという。彼は「臨死体験」を書き残しどの人も同じような体験をしていることを述べたが、これからいけば死後の世界はあると結論づけられるところだが、彼は死の苦痛などから解放するために、脳に本来そのような機能が備わっているからだとも受け取れるとした。あくまでも、彼の場合は科学的説明を求めていたのである。

 しかし、彼はカメラの前で言っている、後期高齢者になると、年齢を重ね死が近くなると若い時ほど死は怖くないという。また、夢に入るように死んでいくのだから、そんなに怖くはないんだともいう。じゃあ、あの世界があるから怖くないかと言うと、そうではないようだ。彼の場合は、肉体が朽ちればそれで終わりと考えていたようなのである。ドキュメンタリーの最後に、話の持っていきかたなのか、私にそう思わせたのか分からないが、私は次のように受けとった。立花隆はこの人生を精いっぱい生きて「知の巨人」として知を探究したが、彼の実績・体験は宇宙の大きな貯蔵庫の中に埋め込まれるのではないかということを、彼は最後に感じたのではないかということである。そうであれば、なんら自分が無と化しても、自分の実績・体験は残るのだから、なんら怖くない。生きた証は残る。立花隆だからこそ、データの蓄積として残るのではない、私たちこの世で生きた者は全てその実績・体験は残るのであろう。

 彼のようなあの世を信じない者であれ、最後まで生き切って残さなければならないものがある。あの世を信じる者にとっても、この世に生まれた以上、ちゃんと生き切って、そしてこの世の実績・体験を残さなければならないのは同じである。そして、それは立花隆と同じデータとして残っていくのだ。「人生なんて生きていればなんとかなる」「人生それほど悪いものじゃない」といって、せっかく生まれたのだから人生を謳歌(!?)したいものだ。

  
コメント
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