還暦を過ぎて人生の終盤になっても、コロナにかかって死にたくないという自分の思い<死神がいなければそうなのでは>
NHK朝ドラ「おかえりモネ」の登場人物は、それぞれに自分の生き方を持っている。モネの祖父・永浦龍己は、人生経験に支えられ信念をもってカキの養殖にいそしみ、父耕治は若い時トランぺッターの夢を持つが、今は誠実に銀行員としてそれなりに生きている。モネが東京に出てからは、仲間の気象予報士は 神戸の震災の経験から防災を使命とする野坂、上司の朝岡は若い時の箱根駅伝の失敗でスポーツ気象に信念をかけ、さらにインターネットを通じての地域からの情報を集めるなど新しい気象予報の展開に事欠かない。相棒のニュースキャスターを目指す神野マリアンナ莉子は、自分の担当した気象予報の視聴率の低迷から、自分は震災等を経験してないから本当のところを伝えられないのだと直感、モネに震災のような経験をしないとダメなんだと伝えている場面で、モネの下宿先の大家・菜津はいじめに遭い引きこもりになった宇田川のことを思い「それはダメ」と大きな声をだす。
またこの朝ドラ、この中で台風襲来の際、災害発生多発地域には人が住まないようにという場面があったが、これは住んでいる地域住民には移動するかといえばそうできないその地への思い・こだわりがあるという非常に重い難しいテーマを「なんとなく」それなりに扱っていた。
明るくふるまうモネ(ドラマ自体も朝ドラらしくなんとなく明るい)だが、中学卒業の頃の東北震災の記憶が影を常に落としており、それはモネの人生を突き動かす指針のようなものとなっている。東北震災の影という点では、父が震災で船を失い自暴自棄になってそれを支える息子(モネの幼友達)の及川亮は、自分の人生にいやになり「投げ出してもいいよな(親友のモネに電話をかける)」というような状況にも追い込まれる。
みんなそれなりにそれ相応に与えられた境遇で精いっぱい生きている。なんの悩みのないような神野マリアンナ莉子にもそれなりの悩みがあるし、どうしようもないような境遇の亮では、ひょっとしたら自死も考えることになったのかもしれない。しかし、それぞれの境遇の中でどう考えどうにかその場を経験して生きていくことに意味があるのだ。決して自死を考えてはいけない、そのときは苦しくて楽になるだろうなあと考えるのだが、多分、その時は死神がついているだけで、その場が次の場面にいけば「何を考えていたのだろう」となるのではないかと思う。私は還暦を過ぎて10年を過ぎているが、昔はいつ死んでもいいよと言っていた(ただし、自分は恵まれ亮ほどの立場にたったことはない。このことをなんとなく言っていたのだが・・)のが、今はコロナによって死ぬことを考えると恐ろしくなるほど死を恐れている。この年になってそれほどまでに生きたいのかと思うのだが、その時々の場面での「死神」がついていなければ、本来は、自分で自分の人生を閉ざすことは考えないようになっているのではないかと思う。
というのも、持論になるのだが、自分の人生を死の最後まで経験して、その「記録」を自分の脳に刻み込む、人生の最後まで脳に記録されている。忘れているように感じるのだが。そうではなく人生の経験はすべて脳に記録されている。じゃあ、自分の肉体がなくなれば、その脳の記録もなくなるように感じるのだが、私は、自分が「考える」パソコン(パーソナルコンピュータ)とすれば、どこかにホストコンピュータがあって”「考える」大きな記録”として残るのではと思っている。その記録を人生の最後まで残すことが自分の人生ではないかと思う。途中で人生を降りることは、自分の記録を最後まで残すことが出来なくなってしまうと考える。自分の記録を最後まで残すことが使命だと思うからである。 最近とみにそう考えるのは、年寄りになると、自分史、郷土史、そして大きな意味では歴史に興味が出てくる(記憶→記録の重要性)という点で何となく考えられるからである。これは、私だけでしょうか。←最後のこの1行は一部の年寄りにだけ分かるフレーズかもしれません。よけいな1行かも。
モネは働いていた森林組合に隣の診療所に来ていた医師の菅波と出会い、初めは菅波にいろいろ教えられていたモネ、菅波も地域医療や人の痛みの分かる医者になっていき、共に成長しあえる仲になっていくというようなストーリーでもある。
NHK朝ドラ「おかえりモネ」の登場人物は、それぞれに自分の生き方を持っている。モネの祖父・永浦龍己は、人生経験に支えられ信念をもってカキの養殖にいそしみ、父耕治は若い時トランぺッターの夢を持つが、今は誠実に銀行員としてそれなりに生きている。モネが東京に出てからは、仲間の気象予報士は 神戸の震災の経験から防災を使命とする野坂、上司の朝岡は若い時の箱根駅伝の失敗でスポーツ気象に信念をかけ、さらにインターネットを通じての地域からの情報を集めるなど新しい気象予報の展開に事欠かない。相棒のニュースキャスターを目指す神野マリアンナ莉子は、自分の担当した気象予報の視聴率の低迷から、自分は震災等を経験してないから本当のところを伝えられないのだと直感、モネに震災のような経験をしないとダメなんだと伝えている場面で、モネの下宿先の大家・菜津はいじめに遭い引きこもりになった宇田川のことを思い「それはダメ」と大きな声をだす。
またこの朝ドラ、この中で台風襲来の際、災害発生多発地域には人が住まないようにという場面があったが、これは住んでいる地域住民には移動するかといえばそうできないその地への思い・こだわりがあるという非常に重い難しいテーマを「なんとなく」それなりに扱っていた。
明るくふるまうモネ(ドラマ自体も朝ドラらしくなんとなく明るい)だが、中学卒業の頃の東北震災の記憶が影を常に落としており、それはモネの人生を突き動かす指針のようなものとなっている。東北震災の影という点では、父が震災で船を失い自暴自棄になってそれを支える息子(モネの幼友達)の及川亮は、自分の人生にいやになり「投げ出してもいいよな(親友のモネに電話をかける)」というような状況にも追い込まれる。
みんなそれなりにそれ相応に与えられた境遇で精いっぱい生きている。なんの悩みのないような神野マリアンナ莉子にもそれなりの悩みがあるし、どうしようもないような境遇の亮では、ひょっとしたら自死も考えることになったのかもしれない。しかし、それぞれの境遇の中でどう考えどうにかその場を経験して生きていくことに意味があるのだ。決して自死を考えてはいけない、そのときは苦しくて楽になるだろうなあと考えるのだが、多分、その時は死神がついているだけで、その場が次の場面にいけば「何を考えていたのだろう」となるのではないかと思う。私は還暦を過ぎて10年を過ぎているが、昔はいつ死んでもいいよと言っていた(ただし、自分は恵まれ亮ほどの立場にたったことはない。このことをなんとなく言っていたのだが・・)のが、今はコロナによって死ぬことを考えると恐ろしくなるほど死を恐れている。この年になってそれほどまでに生きたいのかと思うのだが、その時々の場面での「死神」がついていなければ、本来は、自分で自分の人生を閉ざすことは考えないようになっているのではないかと思う。
というのも、持論になるのだが、自分の人生を死の最後まで経験して、その「記録」を自分の脳に刻み込む、人生の最後まで脳に記録されている。忘れているように感じるのだが。そうではなく人生の経験はすべて脳に記録されている。じゃあ、自分の肉体がなくなれば、その脳の記録もなくなるように感じるのだが、私は、自分が「考える」パソコン(パーソナルコンピュータ)とすれば、どこかにホストコンピュータがあって”「考える」大きな記録”として残るのではと思っている。その記録を人生の最後まで残すことが自分の人生ではないかと思う。途中で人生を降りることは、自分の記録を最後まで残すことが出来なくなってしまうと考える。自分の記録を最後まで残すことが使命だと思うからである。 最近とみにそう考えるのは、年寄りになると、自分史、郷土史、そして大きな意味では歴史に興味が出てくる(記憶→記録の重要性)という点で何となく考えられるからである。これは、私だけでしょうか。←最後のこの1行は一部の年寄りにだけ分かるフレーズかもしれません。よけいな1行かも。
モネは働いていた森林組合に隣の診療所に来ていた医師の菅波と出会い、初めは菅波にいろいろ教えられていたモネ、菅波も地域医療や人の痛みの分かる医者になっていき、共に成長しあえる仲になっていくというようなストーリーでもある。