【尖閣敗北】ビデオ公開ない間に中国は一方的主張を展開
---------------記事引用
沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、海上保安庁が撮影したビデオ映像の公開を日本政府が先延ばし続けるなか、中国国営通信社や共産党系のインターネットサイトで、海保の巡視船側が中国漁船に衝突したとする図などが掲載されている実態が10日、明らかになった。日中首脳会談が4日に行われたにもかかわらず、中国当局も放任を続けており、中国政府の一方的な主張が“既成事実化”する恐れも強まっている。(原川貴郎)…
産経ニュース 2010.10.11 01:23
---------------記事引用おわり
着々と中国による尖閣列島侵略のコマが進んでおりますが、この際、もっと尖閣列島の歴史を知るべきではないだろうかと思っているうちに、驚くべき事実を知りました。
尖閣諸島八島のうち、魚釣島、久場島、南小島、北小島は私有地です。こんなに問題になっている島が私有地だなんて、なんだかオドロキですが、それよりもっと驚いたのは、それらの島を開拓したのは、
八女市出身の実業家・古賀辰四郎さん
なんですって!
房屋さんのブログ尖閣諸島の開拓者は八女の人・古賀辰四郎氏
記事内にリンクがはってあります。実業家って辰四郎さんは土木建築系とかじゃなくて、なんとお茶屋さんだったんですよ。
もともとは八女茶の販路拡大のために沖縄へ行って、高級ボタン用の夜光貝の輸出で冨をなし、1895年(明治28年)、政府から尖閣諸島を無償貸与され、カツオ節工場、アホウドリの羽根の加工場とかを設けて暮らしていたそうです。
注目すべきは善次さんの証言のココの部分。
--------------------
大正八年、中国福建省の漁船が、尖閣列島沖合いで難破しました。そのとき、たまたま私の船がそれを発見し、難破船と三十一人の乗組員を助けて石垣島へつれてきて、手厚い保護をしました。
私だけでなく、石垣の人たちも彼等を親切にもてなし、修理をおえた船とともに中国へ帰してやったのです。翌年ですよ、中国政府から私をはじめ石垣の関係者に感謝状が送られてきましてね。
その宛名は、日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島でしたよ。いま中国がいっている魚釣台ではなく、ちゃんと尖閣列島になっています。個人からの手紙ではありません。
政府としての感謝状なんです。
ええ、いまでも保存してありますよ。
--------------------
その後、尖閣諸島は古賀家から離れることになり、島はまた無人島に戻るわけですが、2010年になっても日本が国際社会に「尖閣は日本のもの」と胸を張って言えるのは、まさしく古賀辰四郎さんの偉業と善次さんの人徳のせいに他なりません。
ありがとう!辰四郎さん、善次さん!
ちなみに、個人的な願いですが、もし八女茶生産者の人達が結集して商品を出せるのなら、「尖閣八女茶」という名前とかどうでしょう。
尖閣諸島所有の日本の正当性と共に、世界に八女茶を売り出すいい機会ではないですか。
でも今の政権じゃ…ムリかな。
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---------------記事引用
沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、海上保安庁が撮影したビデオ映像の公開を日本政府が先延ばし続けるなか、中国国営通信社や共産党系のインターネットサイトで、海保の巡視船側が中国漁船に衝突したとする図などが掲載されている実態が10日、明らかになった。日中首脳会談が4日に行われたにもかかわらず、中国当局も放任を続けており、中国政府の一方的な主張が“既成事実化”する恐れも強まっている。(原川貴郎)…
産経ニュース 2010.10.11 01:23
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着々と中国による尖閣列島侵略のコマが進んでおりますが、この際、もっと尖閣列島の歴史を知るべきではないだろうかと思っているうちに、驚くべき事実を知りました。
尖閣諸島八島のうち、魚釣島、久場島、南小島、北小島は私有地です。こんなに問題になっている島が私有地だなんて、なんだかオドロキですが、それよりもっと驚いたのは、それらの島を開拓したのは、
八女市出身の実業家・古賀辰四郎さん
なんですって!
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記事内にリンクがはってあります。実業家って辰四郎さんは土木建築系とかじゃなくて、なんとお茶屋さんだったんですよ。
もともとは八女茶の販路拡大のために沖縄へ行って、高級ボタン用の夜光貝の輸出で冨をなし、1895年(明治28年)、政府から尖閣諸島を無償貸与され、カツオ節工場、アホウドリの羽根の加工場とかを設けて暮らしていたそうです。
注目すべきは善次さんの証言のココの部分。
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大正八年、中国福建省の漁船が、尖閣列島沖合いで難破しました。そのとき、たまたま私の船がそれを発見し、難破船と三十一人の乗組員を助けて石垣島へつれてきて、手厚い保護をしました。
私だけでなく、石垣の人たちも彼等を親切にもてなし、修理をおえた船とともに中国へ帰してやったのです。翌年ですよ、中国政府から私をはじめ石垣の関係者に感謝状が送られてきましてね。
その宛名は、日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島でしたよ。いま中国がいっている魚釣台ではなく、ちゃんと尖閣列島になっています。個人からの手紙ではありません。
政府としての感謝状なんです。
ええ、いまでも保存してありますよ。
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その後、尖閣諸島は古賀家から離れることになり、島はまた無人島に戻るわけですが、2010年になっても日本が国際社会に「尖閣は日本のもの」と胸を張って言えるのは、まさしく古賀辰四郎さんの偉業と善次さんの人徳のせいに他なりません。
ありがとう!辰四郎さん、善次さん!
ちなみに、個人的な願いですが、もし八女茶生産者の人達が結集して商品を出せるのなら、「尖閣八女茶」という名前とかどうでしょう。
尖閣諸島所有の日本の正当性と共に、世界に八女茶を売り出すいい機会ではないですか。
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