後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔215〕松本輝夫さんの責任編集の特集「上野英信と筑豊・沖縄」(『脈』100号)はすでに完売でした。

2019年04月11日 | 図書案内
 前・ラボ教育センター会長の松本輝夫さんから次のような嬉しい手紙と特集「上野英信と筑豊・沖縄」(『脈』100号)が送られてきました。「啓」100号に対する「返信」としては実に贅沢でもったいないプレゼントでした。しかも『脈』100号は私にとって幸運なことに最後の1冊だというではありませんか。
 まずは松本さんの手紙から見ていただきましょう。

■松本輝夫さんの手紙
 「啓」100号、有難うございました。
 小生にとっては、創刊の辞の「気負った書きぶり」と佐藤公子さんインタビューのまとめが特に面白く、興味深く読めました。公子さんとは次に会う機会にこのまとめも話題にできるというもので有難い資料でもあります。
 途中からではありますが、小生を「読んでもらいたい人に一方的に送り届ける」対象者リストに加えてくださったご厚意とお手数に改めて心から感謝いたします。
 併せて、長い間の刊行継続、ご苦労さまでした。
 そして、100号という大台到達、おめでとうございます。|

 御礼の気持ちも込めて、此方も100号となった『脈』をお送りします。編集後記にある通り、この号特集の編集責任を務めたのは小生で、内容的には今どきかなり異色の充実した1巻になっていると思います。西日本新聞文化面で取り上げられたりしたこともあり、あっという間に完売(500部)となり、版元にも小生の手許にも永久保存分がそれぞれ各3冊ずつしか残っていないのですが、他ならぬ「啓」100号到達。終刊を言祝いで、そのうちの文字通り最後の1冊をお送りする次第です。暇な折にでもぜひお目通しください。よろしくお願いします。


 松本さんの責任編集ともいうべき『脈』100号の豪華なラインナップは次の通りです。

■「脈 100号 上野英信と筑豊・沖縄」比嘉加津夫・編集
   A5判/190頁  予価1300円+税  脈発行所

 *目次
   特集  上野英信と筑豊・沖縄
    上野英信 私の緑化闘争
    上野 朱 地の底から美ら海へ
     松本輝夫 上野英信と谷川雁――その共同と決別の深層
    三木 健 『眉屋私記』をめぐる人々
    坂口 博 「人間雑誌」と『眉屋私記』
    仲程昌徳 上野英信と流儀――『眉屋私記』をめぐって
     内田聖子 絶望にふさわしい快楽
    井手川泰子 上野英信先生の思い出
    小日向哲也 砂掛け爺爺の一人言――雁さんと並ぶ傑物との往時茫々
    北野辰一 近代化による流氓 『出ニッポン記』を読む
     仁衡琢磨 フラクタルあるいは王様と少女――上野英信と再帰的重層的構造
    奥村華子 媒介される不可能性――上野英信による記録が必要とされるとき
     新城兵一 上野英信の方へ
     仲里 効 たった一つの〈此処〉、幾つもの〈彼処〉
    青柳瑞穂 上野英信「スカブラの話」 怠けて生きたい私たち(17)
    比嘉加津夫 上野英信断想                      
                    
   俳句 仲本彩泉 カウントダウン100
   短歌 日比谷久代  頌 『脈』百号に寄す/覉旅
   詩  仲本 瑩   海嘯(8)
      伊良波盛男  故郷の廃家
   小説 東木 武市  島の西郷どん(4)
      仲本 瑩   バラードの斧ひかりの檻(全100/55~60)
      比嘉加津夫  朝敏と在原業平 平敷屋朝敏の謎(11)
   論考 村上一郎   村上一郎の未発表日記と『試行』ⅩII――1963(昭和38) 年の日記(3)(佐伯修 編・註)
      松岡祥男   「ネギ弁当」にはじまる 吉本隆明さんのこと(20)
      安里昌夫   迫り来る修羅の極致と南島への鬱――『出発は遂に訪れず』 (島尾敏雄・著)について
   編集後記

   表紙写真 上野英信(撮影/提供・本橋成一) 
   題字= 比嘉良治 本文カット= ヒガカツオ


 西日本新聞文化面のコピー(日付は不明)も送られてきました。「沖縄の同人誌『脈』が100号 上野英信を特集」「取材姿勢など紹介」と見出しにあります。
  松本輝夫さんの「上野英信と谷川雁――その共同と決別の深層」については次のようにコメント記事がありました。

「1958年に英信は思想家・谷川雁らと文化誌『サークル村』を創刊。谷川雁研究会代表の松本輝夫さんは、一時盟友関係にあった2人が決裂した原因を探った。松本さんは、真相は〈永遠の謎〉としながら『サークル村』創刊時の行き違いが起点となり、〈絶縁癖〉と〈癇癪持ちのような面〉があった雁の思い込みが主因となり、英信も雁への〈違和感の累積もあり〉絶交せざるをえなかったと推測。たもとを分かった両者はいずれも高度経済成長に背を向け、雁は教育活動(ラボ・パーティ)に、英信は『筑豊文庫』に情熱を注ぐなど、〈深層において刮目すべき近親性が認められる〉と分析した。」

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