〔18〕ではまど・みちおさんの「ぞうさん」のあれこれを書きましたが、今回はエーリヒ・ケストナー『点子ちゃんとアントン』の話です。この物語を読んだのはあまんきみこさんの影響です。その顛末については次の文章を読んでください。
エーリヒ・ケストナー『点子ちゃんとアントン』とあまんきみこさん
福田三津夫
児童文学者のあまんきみこさんの特集「あまんきみこを遊ぶ」を「演劇と教育」2013年7月号で組んだことがある。~を遊ぶシリーズの1冊だ。以前の特集では、谷川俊太郎、まど・みちお、工藤直子、阪田寛夫、佐野洋子を取り上げているのだが。
特集は、教科書に載ったあまん作品一覧を添えて、あまん作品をどう授業したかという実践と、あまん作品の脚色を掲載することにした。
・〔実践〕あまんきみこ作品を読んで、その魅力を伝える…佐熊郁代子
・〔脚本〕「みてよ ぴかぴかランドセル」篠原久美子
・〔脚本〕「車のいろは空のいろ」ミヤザキミチハル
さらに、巻頭「ドラマの眼」にあまんさんのことばがほしいということになって、手紙でお願いしたら、快く書いてくださった。私自身もあまん作品が大好きで、「白いぼうし」など数回子どもたちと読み合ってきていたのだ。
「思いだすままに-ひみつの一人芝居」という直筆のファックスを受け取って、パソコンで打ち直して晩成書房に入稿した。嬉しく楽しい作業だった。
劇に関する思い出を書き綴られて、次のような文章で結ばれている。
「こうした遊びの終わり近く、エーリヒ・ケストナーの『点子ちゃんとアントン』にであいました。小学二,三年の頃でした。その本の中で、点子ちゃんが一人芝居をしているシーンがあったので、私はびっくりしました。自分のないしょの遊びを、この本を書いたケストナーおじさんは、どうして知っているのかなと驚いてしまったのです。本の内容は忘れても、この時の驚きだけは、少しおかしく、今も心に残っています。
だれも見ていない一人芝居-物語の世界にしたりきって声をだし、表情をかえ、身体を動かしていたあの楽しさ-それはやはり幼い日のきらきらした祝祭の一つといえるのではないでしょうか。」
初めてこの文章を読んだ日から、『点子ちゃんとアントン』のことが脳裏から離れなかった。ケストナーといえば『飛ぶ教室』や『エミールと探偵たち』は読んでいたのだが、この本については知らなかった。森の会の新井早苗さんなどは当然読んでいるというのだ。翻訳本で「点子ちゃん」というのはどういうことなのだろう。心にひっかかったままだった。
偶然古本屋でこの本を見つけたときは嬉しかった。古本とはいえほとんど新品に近い。孫のことより自分のために買ったのだった。
さて、この点子は本名がルイーゼだが、小さな女の子ということで、こうしたことばを当てはめたようだ。あだ名ということになろうか。
あまんさんの指摘した一人芝居は、冒頭から登場してくる。第一章は「点子ちゃん、芝居を演ず」で、壁を相手に「マッチ売りの少女」から始まる。愛犬・ビーケフと一緒に「赤ずきんちゃん」、友だちのアントンとはアメリカ発見物語という具合だ。
点子はかくのごとく劇的な遊びをやりまくっているのだが、ずいぶんあまんさんとはイメージが違って、すこぶる活発な女の子であった。
それにしても一人芝居という「幼い日のきらきらした祝祭」が、日本を代表する児童文学作家の誕生に繋がっているであろうことを想像するのは、至極心楽しいことであった。
さて「演劇と教育」(日本演劇教育連盟編集、晩成書房発行)では「~を遊ぶ」シリーズを数年にわたって特集し続けました。どれも私が特集担当で、自信作です。手にとって読んでみてください。
・「谷川俊太郎を遊ぶ」2008年7月号
・「工藤直子を遊ぶ」2009年7月号
・「まど・みちおを遊ぶ」2010年7月号
・「阪田寛夫を遊ぶ」2011年7月号
・「佐野洋子を遊ぶ」2012年7月号
・「あまんきみこを遊ぶ」2013年7月号
エーリヒ・ケストナー『点子ちゃんとアントン』とあまんきみこさん
福田三津夫
児童文学者のあまんきみこさんの特集「あまんきみこを遊ぶ」を「演劇と教育」2013年7月号で組んだことがある。~を遊ぶシリーズの1冊だ。以前の特集では、谷川俊太郎、まど・みちお、工藤直子、阪田寛夫、佐野洋子を取り上げているのだが。
特集は、教科書に載ったあまん作品一覧を添えて、あまん作品をどう授業したかという実践と、あまん作品の脚色を掲載することにした。
・〔実践〕あまんきみこ作品を読んで、その魅力を伝える…佐熊郁代子
・〔脚本〕「みてよ ぴかぴかランドセル」篠原久美子
・〔脚本〕「車のいろは空のいろ」ミヤザキミチハル
さらに、巻頭「ドラマの眼」にあまんさんのことばがほしいということになって、手紙でお願いしたら、快く書いてくださった。私自身もあまん作品が大好きで、「白いぼうし」など数回子どもたちと読み合ってきていたのだ。
「思いだすままに-ひみつの一人芝居」という直筆のファックスを受け取って、パソコンで打ち直して晩成書房に入稿した。嬉しく楽しい作業だった。
劇に関する思い出を書き綴られて、次のような文章で結ばれている。
「こうした遊びの終わり近く、エーリヒ・ケストナーの『点子ちゃんとアントン』にであいました。小学二,三年の頃でした。その本の中で、点子ちゃんが一人芝居をしているシーンがあったので、私はびっくりしました。自分のないしょの遊びを、この本を書いたケストナーおじさんは、どうして知っているのかなと驚いてしまったのです。本の内容は忘れても、この時の驚きだけは、少しおかしく、今も心に残っています。
だれも見ていない一人芝居-物語の世界にしたりきって声をだし、表情をかえ、身体を動かしていたあの楽しさ-それはやはり幼い日のきらきらした祝祭の一つといえるのではないでしょうか。」
初めてこの文章を読んだ日から、『点子ちゃんとアントン』のことが脳裏から離れなかった。ケストナーといえば『飛ぶ教室』や『エミールと探偵たち』は読んでいたのだが、この本については知らなかった。森の会の新井早苗さんなどは当然読んでいるというのだ。翻訳本で「点子ちゃん」というのはどういうことなのだろう。心にひっかかったままだった。
偶然古本屋でこの本を見つけたときは嬉しかった。古本とはいえほとんど新品に近い。孫のことより自分のために買ったのだった。
さて、この点子は本名がルイーゼだが、小さな女の子ということで、こうしたことばを当てはめたようだ。あだ名ということになろうか。
あまんさんの指摘した一人芝居は、冒頭から登場してくる。第一章は「点子ちゃん、芝居を演ず」で、壁を相手に「マッチ売りの少女」から始まる。愛犬・ビーケフと一緒に「赤ずきんちゃん」、友だちのアントンとはアメリカ発見物語という具合だ。
点子はかくのごとく劇的な遊びをやりまくっているのだが、ずいぶんあまんさんとはイメージが違って、すこぶる活発な女の子であった。
それにしても一人芝居という「幼い日のきらきらした祝祭」が、日本を代表する児童文学作家の誕生に繋がっているであろうことを想像するのは、至極心楽しいことであった。
さて「演劇と教育」(日本演劇教育連盟編集、晩成書房発行)では「~を遊ぶ」シリーズを数年にわたって特集し続けました。どれも私が特集担当で、自信作です。手にとって読んでみてください。
・「谷川俊太郎を遊ぶ」2008年7月号
・「工藤直子を遊ぶ」2009年7月号
・「まど・みちおを遊ぶ」2010年7月号
・「阪田寛夫を遊ぶ」2011年7月号
・「佐野洋子を遊ぶ」2012年7月号
・「あまんきみこを遊ぶ」2013年7月号