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街角風景~藩士の墓

2019-11-14 09:41:44 | 日記


記録保存用: 『江釣子源吉の墓』  <藩の家老を介錯した男>
 「戸田一心流」の皆伝者で 盛岡藩随一の剣の使い手と言われた江釣子源吉は
幕末から維新の激動期を南部藩(盛岡藩)に生きる。
 明治二年六月 新政府軍との戦争の責任を負って 盛岡藩家老・楢山佐渡は城
下の報恩寺(曹洞宗)にて処刑された。
 二十三歳の盛岡藩士の江釣子源吉は その時介錯人に志願し 勤め上げた。
江釣子にとって 家老の楢山は 戸田一心流の師であり また 戊辰の際秋田で
の戦争を総指揮した家老で 深く敬慕していたという。

 江釣子源吉の墓碑は 円光寺墓地の中ほどに屹立している。その姿は 背筋を
伸ばし凛と立ち尽くす南部武士の佇まいを想起させるような雰囲気を持っている。
 盛岡藩は 天皇に弓を引く意思など微塵もなかったものの 世の中は 賊軍朝
敵という汚名を着せ世を制圧し 時代を大転換して 決着させた。

 介錯の後の江釣子は 数ヶ月もの間 家人が目を離せないほど放心状態となり
毎晩酒を飲んでは「ご家老、拙者もすぐお側に参ります」と刀を持ち出した・・
と伝えられている。
 やがて 落ち着きを取り戻した江釣子は 再開したばかりの藩校「作人館」で
剣術師範となり 更にその後は 盛岡の監獄所に勤務したと云われている。
 江釣子は 明治の時代も もののふの魂と悔恨の想いを胸に ひたすら生き抜
き 晩年は楢山佐渡の墓参り(聖寿寺:臨済宗妙心寺派)に通う日々を過ごし 
大正二年六月十九日 六十七歳で没した。(伝承)

 墓地は 盛岡市鉈屋町の円光寺(浄土宗)にあり お寺さんと末裔が百年以上
しっかり守っておられる。
 桜の散った後の6月は 静かに身の回りを充分見渡し 万遍なく気遣いすべき
月なのかもしれないナ・・と思った。

 「花は咲く柳はもゆる春の世にうつらぬものは武士(もののふ)の道
                              :楢山佐渡」

 (言い訳:春に思いついた自分の課題を 半年後の今ごろ ようやくまとまっ
  た次第…。面目ない。また 昨今不純極まりなく低次元な 桜云々の会の話
  題とは 一切関係ない。桜は 日本の精神文化の不変のよすがである。
  政治利用と冒涜は許されない。長文御容赦。。)
 

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2 コメント

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Unknown (kazuyoo60)
2019-11-14 12:53:23
痛ましい出来事ですね。望んでの戦ではないのにです。介錯、辛かったでしょうね。
武士道なのでしょうね、そんな状況も。
昼のニュースで、昭和27年から続いていること、各国大使も招待していることを知りました。
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見頃は土日か? (enjin1515)
2019-11-15 16:01:07
早々のコメント ありがとうございます。
ちょっとリアル過ぎましたが 後世の伝承話
なので 盛られているだろうと思います。
自分も 少し強調目に文章盛ったかもしれません。
心情的に・・どうしても・・そうなります。ハイ
(これをテーマに小説化できる人が・・いないかなぁ?)
昨今の桜のほうは・・明日か明後日が見頃ろ・・と思って
ますが はたして?日本人の心を持つ人物なのか?
注目しています。ハイ


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