25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

憂鬱から解放された

2016年05月07日 | 日記

  昨日、ようやく歯医者さんに言って、歯の痛みが治まった。神経を引きちぎったということだった。するとやはり憂鬱さがとれた。先日採ってきたチャンポコも食べた。カレイの干物も(尾鷲では カレイのつなぎという)食べた。冷たいものがだめだったので、冷たい水も飲んだ。ビールといいたいところだが、ここ十年程ビールを飲みたいと思うことが少ない。 

 歯が治ったと思ったら、今日は目にゴミが入り、左目に違和感がある。体というのは確実にこころとリンクしているから、ちょっとの体の外科的な異変でもおそらく全細胞に違和感を与えているのだろうと思う。

 相撲小説の第3部が終わったので、いずれこれを本にしてみたいと思う。相撲の本を出している出版社に持ち込もうかと考えたり、第1部は「すばる文学新人賞」に応募したのだから、その結果を待ってからにしよう、と思い留まる。

 小説を書き始めてから他の人の小説を読むと、改めて、思うことが多々ある。例えば、有吉佐和子の「芝桜」を読み終えたが、会話のやりとりの描写には下を巻く。そして彼女は舞踊家の秘書をしていただけあって、着物のことや、花柳界のこと、歌舞伎のことなどの知識が豊富である。またどこに「有吉佐和子」がいるんだろう、と思わせない、外からの目線がある。バタビア、スラバヤで育ったせいなのかもしれない。

 相変わらず筋トレは歯が痛くてもやっていた。もう20日以上は経つと思う。その疲れにもこの頃慣れてきて、歩きの速度も速くなってきた。

 

 

 


芝桜 有吉佐和子

2016年05月03日 | 文学 思想

  冷たいもの 、熱いものが歯にしみて痛い。歯医者さんにいこうと思っても連休中である。ゴールデンウィーク中は辛抱しかないかと、不機嫌である。

 あなたふと 青葉若葉の 日の光 (芭蕉)

の気分が歯の痛みで台無しである。

  歩くことと筋トレは続けている。食べることがめんどうでイラつくのである。あ有吉佐和子の「芝桜」が面白くなってきて、うまく団結、慣習化した花柳界のしきたりは女と遊び人の男たちが作ったものである。小説は大正時代の8年から始まる。15歳と16歳の雛妓がやがて成長し、主に作者は二人の性格と能力の関係をうまく描いていくのである。昨日はK弁護士と一緒だったので、またこの小説は、彼の推奨でもあったので、感想を述べていると、

「この二人がばあさんになってからの話があるんや。木瓜の花っていう小説や。これは面白いで」

  食べ物は当面だめだから、小説三昧といくか、と寝床で読むのを楽しみとするしかない。とんだ休日であるが、知らぬ世界の女の人生をたどるのも悪くない。