25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

眠いのが気になる

2017年02月13日 | 日記

 浅い眠りなのだろう。昼ご飯を食べたあとで眠くなった。よく眠ったという日にはそれがない。交感神経が優位になるような生活をしていないので、眠くなるのも、わかるもだが、それにしても2時に眠くなるなんて。

 糖尿の予兆ではないかとも疑ってみる。これまで検査で血糖値が悪かったことはない。

 足先が冷えるので、動脈血管伸ばしをしている。手は十分温かいので、下半身の血管である。70%の筋肉が下半身にあるというのだから、それが少なくなってきているのだろう。事務所には歩いていくようにしている。それでなんとか身体を保っている感じだ。

 そういえば痩せすぎの女性はモデルになれない法律ができた。体重と身長割合だが、ある基準を下がるとやせすぎで、栄養失調症が疑われる。日本も導入したほうがいいのではないか、とタレントをみていて思うときがある。ダイエットを謳う商品宣伝に騙されるなといいたいが。


量子コンピューター

2017年02月12日 | 社会・経済・政治

 量子コンピューターができるという。順番に計算したりデータをとるものが、同時に1億分の1秒でコンピューターが働くというのだから、これがAI などに使われるのも時間の問題だ。事務屋が要らなくなり、相談屋も多く不要になるのだろう。銀行などは本店以外はAIに替わるのではないか。証券会社も斜陽となるのではないかと思えてくる。

 産業としての漁業は陸で行われる。海外との取引は銀行を通すことなく、交換される。農業もコンピュータ管理がさらに高度化され、ロボットが働くようになる。

 人間の体の中にはチップが埋め込まれ、健康情報だの位置情報などがわかり、それが自己証明にもなる。

 そんなことを想像していると、NTTのINS構想が発表され、全国に光ファイバー網を敷設ぢていくと言っていたのが30年ほど前もことだから、あっという間に、IT技術は発展していくのだろう。

 この分野では人類はより一体化していくように思える。しかし一方で宗や文化対立があり、キリスト教圏とイスラム教圏がどのように折り合いをつけていくのかも気になるところだ。ITは文化や宗教を越えたところにある。ただ精神や人同士との触れあいはITには及ばないところだ。いや、そうではない、と言ったら、人類が別種の生き物を生んだことになる。

 人と会って酒酌み交わし、笑い、談義し、好きだと思い、嫌いだとも思うことが人間の基本として残ることだ。ネアンデルタール人が滅んだのは主張する言語をもたなかったからだという。サピエンスは言語を持った。そしてコンピューターのための別言語を作った。それが量子というところまで行くことが見えてきた。凄まじいものだ。核と同様不要な物を生み出すのでなければよいが。


記念日

2017年02月11日 | 日記

 今日は結婚記念日。なんと40年だ。というわけではないが、ニッカ12年があったのと山崎を珍しく探しあてたので、それで乾杯することにする。結婚年数の半分は相当な苦労をかけた。

 酒と女と本と音楽。酒にはこの頃蕪と白菜、片口イワシやカレイが肴となる。女は女房一人だが、歌好き友達がいる。本はただ今、現在と未来の社会経済を勉強中である。音楽はもっぱら昼は宇多田ヒカルを聴き、夜はヴェートーベンの弦楽四重奏ばかりを聞いている。

 ぼくはぼんやり癖があるので、緻密さや正確さ、慎重さがない。反省はするが、死ぬほどの後悔もない。はるばると、あんな失敗よくしたものだ、と苦く思い出すことはあるが、激しく歯軋りするほどではない。村上春樹の短編小説「レーダーホーゼン」や「トニー滝谷」を読めば素直に不思議な感覚にを考えてしまう。つまりよい読者なのである。有吉佐和子の「木瓜の花」を読めば、つい庭に木瓜も花を植えてしまう。

 あっという間の40年だった。多くの別れと出会いもあった。本もずいぶん読んだ。ぼくはまだ行かなければならない、と考えている。どこへ? どこかはわからない。また岐れ道がくることだろう。右は右の結末。左は左の結末。まったくこころの風景違うのかもしれない。

 ここまで来てしまった。よく健康でやってきたものだ。それだけは有難いと思う。


 


映画芸術

2017年02月10日 | 映画

 オランダ映画「孤独のすすめ」(原題 マッターホルン)を見た。オランダ映画とはどんなものかと興味があった。すると、へんちくりんな物語で、主人公は敬虔なカトリック信者で、妻を亡くし、息子は同性愛者だったため、家を追い出している。主人公は6時丁度に夕食をとり、一日生活時間は几帳面に定めている。そんな彼のとことに、薄汚く、脳のおかしい男と偶然出会うことになり、一晩泊めてやることになる。かれはきちんと面倒をみる。彼がだれかがわからない。わかるまで泊めてあげることになってしまう。そんな主人公は村でホモではないかと疑われ、からかわれ、神父にも説教される。とうとう彼の素性がわかった。優しい妻が待っていた。交通事故で頭が変になってしまったのだった。かれはまたもとの孤独な生活に戻るのだが、頭の変な男は主人公の家がよいらしく戻ってくる。物語の最後に追い出した息子のリサイタルがある、と変な男妻が教えてくれ、息子のショーを見に行くことになる。息子は自分の才能を開花させている。かれは涙をながす。これでおしまいである。

 ぼくはふーんと思いながら見ていた。オランダの田舎も超先進的であり、キッチンにしても汚れたところがない。

 続いてスイスの映画「リスボンに誘われて」を三日後くらいに見た。通勤途中、橋の上から飛び込みそうな女性を助けることになる。それが切っ掛けで、リスボンに出かけ、1976年まで続いたポルトガルの独裁政権を倒そうとするグループの過去の話を聞きまわるのである。

 どちらの映画もセリフの哲学性といおうか、思弁性格といおうか、徹底している。世間話などいうものは一切ない。アメリカ映画に見られるおちょろけもない。ひたすら真面目であり、思考することが生活だといわんばかりである。

 ヨーロッパの先進国では人々はどんな風にづごしているのだろう、という関心が以前からあった。制度だけでなく、考え方にも関心があった。それで2本の映画を見てみた理由だった。マッタクエンターテイメント性はなく、むしろそんなものは要らないという風だった。映画がエンターテイメントというのはアメリカ始まる。日常生活はエンターテイメントなどそうそうあるもおではない。

 映画をひとつの芸術手段、自己表現の手段と考えている傾向があるのかもしれない。


陰ですすむこと、すすまないことが怖い

2017年02月08日 | 社会・経済・政治

 毎日トランプ、トランプ。小池、小池で、何か大事なことがその陰で進んでいるような気がする。

 例えば、日米同盟をもっと強固に広く、と発言した稲田防衛大臣の発言と彼女の白紙領収書の問題をマスコミは扱わない。小渕優子の悪質なコンピュータぶち壊し事件も幕を降ろしたかのようである。

 共謀罪。もしも日中戦争前みたいになってきて、政府を倒したいと思ったときでもそれは許されなくなる。選挙でしか革命は起こせない。民主主義の中での選挙で革命を起こせということだろうが、民主主義とてヒトラーのようなファシズムを生み出すのである。

 金融政策についても論議がない。異次元の金融規制緩和があればその記者会見を報道するだけで、それがどれほどのリスクを背負うものであるかも丁寧に説明されない。

 古いケインズ経済をそのままやっている経済政策でも公共投資には経済効果がない、という論証もテレビではしない。

 安倍一強の中でみなすくんでいるように見える。マスコミが信用されなくなりつつあるのもわかるような気がする。

 ところで、我が「木瓜の花」の花芽が三日前に出てきた。大喜びした。昨日はこの冬一番の寒さを感じた。えたれイワシもでてきて、蕪も出てきて、カレイも出てきた。酒がますます美味しくなるぞ。


完熟社会から哲学の時代

2017年02月05日 | 文学 思想

 日本は、

 1.平均寿命が世界一である。

 2. 犯罪が少ないのも世界一である。  

 3.  森林面積割合は世界で第三位である。

 4.オプジーボやiPS細胞またLEDのような数々の優れた開発技術を持つ

 5.健康保険制度が整っている。

 日本はバブル崩壊後「失われた20年」と言われているが果たしてそうなのか、成長し、熟した期間ではなかったかと問い直してみる。経済成長をいくら叫んでもほぼ金利ゼロの世界で、何をこれから成長の柱にするのかは不明である。政府は借金を重ねるほど、国民へのツケが回っていることになる。ケインズ経済学、つまり公共投資による投資効果はゼロである。

 見方を変えれば、日本は成熟しすぎて、完熟期に入り、政治の力によって腐りかけの段階に入っているように思える。腐りかけとは莫大な借金である。

 借金を減らすには2つの方法がある。返済分をくりあげてさっさと税金収入で返してしまうか、インフレにして借金の価値減らしてしまうかである。これをアベノミクスは一生懸命やっているように見えるが効果は株があがったというだけである。7割が外国人投資家だから、もともと株に熱心ではなく、比率も低い日本人にはさほどの効果もない。。

 前者をするには維持する経済に考え方を改めなければならないのだろう。それをするためには哲学が必要である。哲学の時代に入っているとも言えよう。成長するだけがいいことではない。芸術文化の価値から生き方の価値まで考えなおす時代に入っている。こまごまとした問題はあるだろうが、ここまで来た日本は戦争での荒廃から立ち直ったときに高度経済成長は終わったのだった。そしてあんとか成長をと試みたのだったが、プラザ合意、日米構造協議で第二の敗戦をしたのだった。

 新しいものは周縁から起こってくる。国に対して東京都や大阪府。中心に対して周縁が動きだす。そして哲学も動きだすのだ。心身一体論で。

 

 

 


節分豆まき稀勢の里

2017年02月03日 | 日記

  節分豆まき稀勢の里、成田山新勝寺。節分会は、立春前日に災厄をはらい一年の幸福を祈る伝統行事だそうである。

  家の裏の通りではヤーヤ祭りの祷屋があるらしく、太鼓の音が間断なく聞こえてくる。七時半にもなると旧町の若者らが祷屋の前で「チョーサ」の練りがある。それを見にいく。

 昔は2週間にも及ぶ長い祭りだった。現在は5日間である。この祭りの頃が一番寒い。「垢離掻きがありますので、ついていってください」と提灯をもった年輩の男が案内する。これから若いもんが海の中に全裸で飛び込んで浄めるのである。

  明日から春か、と思うと毎日水やりしている植えたばかりの眠っているような樹木が春にどんな姿を見せるのか楽しみでしかたがない。はたして移植に成功し、根を張っただろうか。花は咲くのだろうか。木瓜の花三種。芍薬、石楠花、牡丹、連翹、万作、桃。山茶花の花は終わりに近づき、もうすぐ木蓮の花が咲きそうである。なんだか趣味みたいになってしまって、毎日様子を見る。

 今夜も「チョーサ」は続く。祭りの若いもんは警察に見守らて、練りをし、酒を飲み、汗から酒の香りを出し始める。昔、幼い頃、父たちの「チョーサ」はすごかった。チョーサの勢いで警察を襲撃した、と聞いたこともあったので、父がヤーヤに出ていくと恐ろしかった記憶がある。その若者の数も多かった。中井町は人で溢れた。

 その頃から尾鷲の人口は半分になった。34000人あたりがピークで今は17000人台である。住民票をまだ移していない人も考えれば、もしかして16000人なのかもしれない。う~ん、と唸るくらいである。

 

 


トヨタの情けなさ

2017年02月02日 | 社会・経済・政治

 トランプ大統領の恫喝にトヨタの社長が言い訳がましく、今後1兆円以上の設備投資をアメリカで行うと言っていたが、なんでアメリカに追従をこかなければならないもかわからない。そんなお金があるのなら、日本の非正規社員を減らすとか、適応環境水を使って魚の陸上養殖を起こすとかしたほうがよほどましである。尾鷲なんて今年のサンマ水揚げゼロやからね。

 海の魚も塩分濃度はストレスらしい。川魚も、塩分ゼロなのでこれまたストレスが大きいらしい。海や川で食べるものには病気を起こさせるものもあって、たいへんらしいが、適応環境水(岡山理科大学の教授の発明)では、川魚も海魚も全くストレスがなく、肉もコリコリし、脂も細かい上質の魚が育てられる。

 日本の近代化の問題点は2つある。ひとつは石油の外国依存である。もう一つは食料の自給率である。

 アメリカに媚びなくても、石油に替わるものをさっさと開発し、輸入に頼る食料は本当は何なのかを精査してつくる努力をすればいいではないか。

 光作放棄地などは地方にはいくらでもあるのだから。

 トランプの言動に反応しているマスコミも結構しつこい。もうトランプと小池百合子のニュースしかないんではないの、と言いたいくらいだ。

  不要なものはつくらない。必要なものは作る。防衛はミサイルが飛んできたら、逆戻りしてしまう技術を開発する。堤防なんかはつくらず、日本の足りないものに政府はお金を投じる。

 ついでに言えば、成人は28~30才とする。年金は75歳からてどうだろう?

 


未来社会に好奇心が湧く

2017年02月01日 | 文学 思想

 利子が生まれたのは1215年のフィレンチェ。利子が終わりかかった始まりは1971年、アメリカ。

 日本は日銀への預け入れがマイナス金利。銀行からの貸し出し金利も最低。

 今後アフリカを除き、世界の人口は減少していき、2100年になると、アフリカの人々は30%以上になるという。日本は5000万人ほどになっている。

 もちろん、ぼくはいない時代のことだが、孫はまだイ生きていそうな頃ではある。

 民族が独立していく時期があった。まだ一部、独立を目指す民族がいる。一方で、地球を回る時間は短くなった。通信が地球をめぐる時間は1、2秒の差ぐらいである。ほぼ同時と言っていいだろう。そのくらい地球は小さくなった。ヨーロッパはうでに、混血化が進み、アメリカではシリア出身のスティーブ ジョブズがアップルを起こした。また、アメリカに優秀な人材が集まり、有名なIT企業などは移民によって成り立っている、という。

 世界は大きな潮流では一体化しつつある。言語の壁もAIが進み、取り払われる勢いだ。

 どんな制度が登場するのか、すごく興味がある。

 ぼくらは人類の歴史の一瞬と思えるほども短い間を生きるだけであるが、この過去100年の様変わり様は凄まじいものだ。

 予想してみることはできそうだ。このごろ未来社会にばかり好奇心が湧いてくる。それはつまり現在を理解するというのと同じことだと思うが。しかし今を生きればそれでよいとはいかない。未来から現在を見る、そんな気分だ。