南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆ターニングポイント

2012-01-20 23:21:09 | 人間

1100 02:00頃 無言で病院からでた母親は、私に人生の三分の二以上に大きな影響を与えた人です。私はこの母親から生まれて良かったと、小学校のころから思っていた。勉強も運動も自分では余り努力をしたことはないが、ずっとどちらも平均点より上をいっているなという、自覚というか,自信というか、そういうものを持つことが出来た。  

こんな思い出がある。二つ年上の姉が小学校卒業の時に式で卒業生300人くらいの代表として答辞を読んだ。次の年の卒業式では在校生代表として私が送辞を読んだ。私が四年生の時、学校の先生が私の母親にお姉の送辞の原稿について頼みに来ていた。母親は文章というか、文句というか、そういうものを考えて作って、自分で巻き紙に筆で書いた。それを姉が呼んだのでした。次の年私が5年生の終り前にやはり、教頭が家へ来て母親に私が送辞を読むための準備を頼みに来た。それを私が読んだのでした。

Hari ini, kamis, 19 januari 2012. Terjadi demo buruh, sekarang jam 13.30 WIB sedang menuju kawasan MM2100.
Kawasan Jababeka sudah ramai, dan terjadi aksi sweeping ke perusahaan-perusahaan.
Kawasan EJIP sudah lumpuh tidak bisa beraktifitas.
Demo buruh kemungkinan akan besar pada hari jumat. 20 januari 2012.
工業団地MM2100を目指している。ジャバベカやイジップには既に入っている。20日はもっと大きくなるでしょう。先日書いた、最低賃金のアップ要求です。
軟硬質PVCプロファイルの金型が明日の10:00ごろ出来るので、受け取りに行き、セットして、試作をする準備をするが、事情があって、午後から会社を出て、私用をしなければならない、それが、火曜日24日まで続く。27日に出発なので25,26の両日で何とか物にしなければならない。完全に袋小路に追い詰められたような状態になってしまった。
困難の後には必ず解放感が待っている。人の世の常である。私が高校まで住んでいた家のトイレ(便所)にしゃがみ込むと壁の目の前に達筆な鉛筆書で“この世の中”と書いてあった。小学校の低学年の時からずっとトイレで大をする度に読まされていた。誰が書いたの?と何度も母に尋ねたが、私じゃないと、答えた。しかし、それは紛れもなく母が書いたものだったと確信している。

大往生 付き合い 家族

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