1640 プアサに入って初めてのゴルフ、キャディーさんたち、印象では、四人中三人はサフール状態だ。ほとんどの人達はいつもの通り、垣根の外の売店から買って飲んだり食べたりしながら、手伝っている。いつも、そう多くはないが、インドネシア人のプレーヤーは極端に少なかった。日本人の状態は、当たり前だが、変わりなし、プアサをしている人は、誰もいない、どころか、アルコール類の入手が難しくなっているので、飲み放題の打ち上げでは、飲みだめする人が多い。
報道も各番組もラマダン一色、ドラマでは、いじめ役と耐え忍ぶ役が登場し、これでもかと、いじめをし、暴力もふるう、持っているものを奪ってしまう。掛け事をするし、酒も飲む。いじめられ側は、トゥハンに祈る。こちらのドラマは週一ではなく、平日、毎日なので、それが、毎日続けられる、そして、レバラン前に、いじめ役が死んでしまうか、交通事故に会って、不自由な身になって、いじめの対象にしていた人達に助けられる。そして、目出度しで終わる。
それに引き換え、一般の人々のラマダンは神聖なという精神から、遠ざかっていっているようだ。結局、経済状態がよくなってくれば、神や仏に頼る気持ちは薄れてくるのでしょう、便利なものが増え、それを手に入れることができるようになり、飲む食いで、何も我慢することはないでしょう。若い人たちには顕著です。我慢したからっといって、何かいいことが有るわけでもないし、我慢しなかったからと言って何か悪いことが起きるわけでもない、それを自然に感じるようになっているのです。
そして、報道でも、医者は、断食付きの健康状態を懸念し、食生活のあり方を指導、解説をしている。要するに、健康にはマイナスだ、と言っているのです。普段通りの食性格をすることが良いのは当たり前のことである。
会社でも、誰がイスラム教徒で、誰がクリスチャンか分からない、皆さん、会議中でも休憩時間でもお茶を飲んでいる。他の会社を訪問した時にも普通に親が出てきて全員が普段のように水やお茶を飲みながら話をしている。
レバラン、ラマダンはイスラム教徒にとっては、お祭りです。この時期、断食の精神はどうでもいいのです。飲み食いを充分しながら、ドンチャン騒ぎをするよい機会なのです。一体感を強めるという意味では、みんなで騒いで、それは、十分、役に立っている時期でしょう。
インドナシア料理?の代表的な二種類、プアサ開けには最適な食べ物でしょう。ソトアヤムとソプブントゥットゥ、店の環境に依って、一杯8千Rp~20万Rp(80~2000円)の価格差がある。私は普通、2万Rp(200円)ほどのものを食べる。高いから美味しいとは言えない、好みの問題です。
我慢 欲望 解放感