南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆金持ち、貧乏

2013-08-14 22:37:43 | 思うこと

 1671 やはり今日も閑散でした。話をしたい相手の人がまだ休みかもしれないと思うと電話もできない。それでも今晩がUターンのピークのようです。

 

Aku bangga padamu とjika Aku menjadi Orang pinggiran 「私はあなたを誇りに思う」と「もし、私がなったら」「隅っこの人」というテレビ番組がある。恵まれない人たちの生活環境に入り込んで、同じような生活をしながら、その人たちの手伝いをする。大体、女子大生だ。一日か二日一緒にいて終了の日にどこかへ食事に誘ったり、遊園地で遊んだりして、帰ってくると、TV会社から色々な贈り物が置いてあり、それを見て、涙する、という内容です。

他にも、各テレビ今日が似たような番組を流している。貧乏人と金持ちが二日だけ、家を交換し、仕事も交換するという番組もある。

 

こういう番組は、日本に嘗てあっただろうか、無かったと思う。貧乏人を出汁に使って、自分たちは良いことをしてやっているんだ、と、言いたげな番組だ。プアサ(貧乏人体験の一つ)の時には特にこういった番組が多かった。体験生活をして、貧乏人の気持ちを理解しようとうのでしょう。何も体験などしなくても、インドネシアなら、いたるところに、そういう環境は在るし、そういう人はいるのだから、目の当たりにして分かるはずである。

 

だから、多くの人々は、貧乏人になりたくなくて、都会へ仕事を捜しに来るのだし、賄賂を要求できる立場の人は、公務員に限らず、国籍に限らず、会社の地位の上の人や何かの決定権を持つ人は、機会あるごとに、手を差し出すのです。物や金をミンタするのです。

 

あまり、知識を増やさなくても、あまり、体力を使わなくても、あまり、他人の為にならなくても、あまり、お金を先に使わなくても、簡単にお金が入る方法を模索するのです。  貧乏な人は、それが、できない人です。うまい方法を考えることができないし、考えてもやれない人です。運動や芸能などの才能がある人はその道でお金を手に入れることができます。他人ができないことをできれば、それもお金を手に入れる手段になります。

ですから、多くの人にできないことで自分がやれることを捜せばいいのです。他人のものを盗む、他人を脅かしてひったくる、他人を騙して手に入れる、地位を使って、便宜を図る見返りを求める、犯罪ですが、これらも、その方法です。そうする人も多いのです。    

宗教の問題ではない。お金をほしいからです、貧乏人になりたくないからです。人類の問題だし、社会の問題です。

 

私はどうか、総合的に運が良い人生をたどっていると思う。両親に恵まれていた、小学校から大学で触れ合う人に恵まれた、家族にも恵まれた、今もかかわっている仕事に恵まれた、多くの若者にも恵まれた。そして、今の環境に恵まれている。途中、その恵まれていることに、反感を持たれた時期もあったが、そこからは、逃げ出した。子供の頃、貧乏だった、そして、平均より、金持ちになった。そして、今は、残り少なくなり、節約生活をしている。それで良い。私がこの世に居なくなる時に、100万円±100万円が、残す財産とその公差です。死ぬ間際に確認はできないが、推定はできる。うまくいったら、本当に恵まれていたと思えるでしょう。

 

閑散としたミニバス(アンコット、コアシ)乗り場。

 

家の鉄製の引き扉の戸車が錆びて腐ってレールから外れてしまった。会社に直してもらうように頼んだ。

貧乏 金持ち 普通

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