2455 小柴さん、梶田さん、子弟受賞ですね。ノーベル賞物理学賞でまた、浜松ホトニクスがクローズアップされましたね。ニュートリノなどという、凡人には、縁がないし、理解ができない、わけのわからないものの質量があることを証明したといっても、昨日の薬のように、人類を救うという話とは、別の世界ですね。相当、金が掛かった研究だと思うが、きっと、偉大なのでしょうね。で、ニュートリノの質量って、どのくらい?
ところで、浜松ホトニクス、その前身は、浜松テレビ、という会社名でしたね。私の梨大の同級生の一人が修飾した。当時は余り知られていない中小企業でした。また、ところで、私の父親が、静岡工業から本当は浜松工専に行きたかったとよく言っていた。実際には蒲原の日本軽金属に就職した。というのも、高柳健次郎さん(ノーベル賞ものだと思う)の話をしながら、世界で初めてブラウン管にイの字を映し出した人が先生をしていた、と言っていた。その先生が関係した会社だから、浜松テレビという名前にしたのだという。浜松ホトニクスは、高柳精神が引き継がれているということでしょうか。
韓国はこのノーベル賞発表時期は憂鬱でしょうね。毎年、繰り返すように、なぜ韓国人はノーベル賞を貰えないのでしょうか。
また、全然関係ないが、私が梨大の応化を選んだのは、人口ダイヤモンドを作りたかったからでした。人工水晶を作った国富先生がおられたからでした。実際は、途中で諦めて、どちらかというと化学工学に興味が移り、石油コンビナート設計に関する勉強をしたものでした。その後、又、興味が変わり、今度は、窯業、セラミック、フェライトに移った。甲府にあった東京電気化学へ行って、勉強させてもらったこともあったくらいだ。結局、就職時期には大不況、希望先は倍率が大きすぎて諦め、東レの子会社に就職、それが、始まりの50年、エンプラを主体の押出成形。
ということで、先ほど、HDPEの小さい穴空き角棒の金型を注文した。これは、ちょっと難しい。丸から角にすることにした。クーリングダイへの入り口部分の形状がどうなるだろうか。私が思い描いたようになることを期待する。こちらは、道路のコンクリート舗装で大渋滞の中、運転して金型屋へ行って打ち合わせ。ノーベル賞とは、無縁だが、誰もがやれるわけではないことをしているという実感は有る。
渋滞で道端の風景の写真を撮りやすい。ミニ雑貨屋の前に止められたバソのカキリマと24時間対応の町医者、目立たないが、こういう、個人開業医は実の多い。私は掛かったことはないが。
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